行き先
どれだけ強くとも、命があれば死ぬ。
どれほど大きくとも、形があれば壊れる。
それがどんなものであれ、存在しさえすれば殺せるのだ。
神ですらも。
「魔界に行こうと思う」
そう、皆の前で僕は宣言した。
「そうか。スニージー嬢、そちらの書類を取ってくれないか?」
「あ、これのこと? はい、ディーノん」
「なあ、綴りヒモが無くなったんだが」
「用意しています。それよりドゥドゥム、あなたは結び方が雑では?」
「ティルダ、言ってやるな。そやつは不器用なんじゃ」
……興味を持ってくれとは言わないけどさぁ。そもそも君らに向けては言ってないし。
本来客室だったはずのその部屋は、寝台が運び出された代わりに執務机と椅子が運び込まれて、完全にオフィスと化していた。もう結構滞在してるとはいえ、他国の城内でよく好き勝手やるよな。
まあ他国の人間だからこそ、客室でしか好き勝手できないのかもしれないが。
「というか、君らはなんでまだこの国にいるんだ?」
冒険者四人と田舎貴族に、さっさとルトゥオメレンへ帰れ? 的な視線を向けてやると、何らかの書類と格闘中のディーノが顔を上げもせずに答える。
「帰りたいのはやまやまだが、エスト王妹殿下から正式に雇用契約の継続依頼が来たのでな」
あーそうか、もう王女じゃなくなったんだなエスト。ナーシェランの即位と同時に、エスト王女じゃなくてエスト王妹殿下に呼び方変わってるわけか。てことはネルフィリアも同じようにネルフィリア王妹殿下って呼ばなきゃなのか。
時代の移り変わる瞬間って感じで、なかなか感慨深いもんだ。面倒くさいけど。
「ハティータス関連で他に協力者がいなかったかの確認などの後処理、魔界からの密偵と目される淫魔とそれに骨抜きにされた者の特定と対処、ついでにフロヴェルス国内の汚職案件の洗い出しに他国からの工作員の動向調査などなど、大量の仕事を押しつけられたらしくてな」
「どれも重要な仕事ばかりじゃないか信頼されてるなエスト」
押しつけられた仕事量が明らかに過剰だろ。過労で合法的に殺すつもりなのかもしれん。
「ああ、そういえばエスト王妹殿下からナーシェラン王陛下に伝言だ。―――いつか殺す」
こっちは凶器で短絡的に殺すつもりなんだろうな……。この兄妹の関係性どうなってるんだろマジで。
「機会があれば伝えておこう。……というか、君らがそれを手伝っているっていうことは、その書類の山は国家機密なんじゃ?」
深く立ち入りたくないからぱっと見だけど、追ってるのは金や物流の情報か? たしかに調査の基本だが、この件でどこまで有用なのかね。
ディーノのことだからなんらかの当たりはつけてるんだろうけど。
「ナーシェラン殿の許可は得ているから問題ない。早急に必要な敵への対処と、友好関係の隣国に弱みを見せるリスクを天秤にかけたうえでの判断だろう」
「いやいや、背に腹でも有り得ないだろう。エストもあれで異端審問官の長なんだから、そんな仕事は部下にやらせればいいじゃないか」
あの黒装束の審問騎士団は解体されたらしいが、しょせんあれは裏組織だ。表の顔の異端審問官としてであれば、まだ使える駒は残っているはずである。
わざわざ他国の貴族と冒険者なんかに情報漏洩する理由はない。
「他に信用できる者がいないんだそうだ」
…………ああ、なるほどね。
エストだもんな。無理筋を通して就いた地位だから、全面的に信用できる部下など最初からいないわけだ。しかもここしばらくはルトゥオメレンにご留学なされていたわけだし、そりゃスパイ案件で頼る気にはなれないか。
にしても、他に信用できる者がいない、か。ずいぶん気に入られたんだなこいつら。
「結婚相手が美人だったらいいな? セル卿」
ぐむ、と変な声を出すディーノ・セル。
「冗談でもそういうことを言うのはやめろ、ゲイルズ」
冗談じゃないんだよなぁ……。
冒険者四人はどうにでもなるとして、ことこうなったらフロヴェルスとしてはルトゥオメレン貴族であるセル家の次期当主に、自国の貴族令嬢と政略結婚してもらって首輪をつける以外ないというかもうその予定込みでそんな仕事依頼したのだと思うのだけど……はたして平民の僕は結婚式への参列を許されるのかな? いや別に呼ばれたくないが。
「え、なになにディーノん結婚するの? 誰といつ? おめでとう!」
「ス……スニージー嬢っ? いや今のはゲイルズの悪い冗談であって……」
ワナは無邪気だなぁ。かわいそうにディーノ、君の恋はまた一つ険しくなった。
「それで、魔界への出立はいつですか?」
話を本題へ戻したのは、彼らへお茶を給仕し終わったレティリエだった。
黒を基調としたエプロンドレスはフロヴェルスらしい伝統的な侍女の装いであったが、機能性を重視しつつも細かな刺繍や裾のフリルで美しく飾られているあたり、最近の流行にも対応しているらしい。それでいて清楚さと見目を惹きつけすぎないデザインは、さすが神聖王国だけあって使用人の服装までも洗練されていると脱帽しそうになる。
その侍女服に身を包んだレティリエは艶やかな黒髪がことさら映えるようで、勇者であることを忘れるほどに似合っていた。―――なんでこの娘、侍女服なんか着てお茶の給仕なんかやってるの? なんてツッコミ入れた方がいいのだろうか。いや今更だな。
「……なんで君らはこの部屋で彼らの手伝いなんかしてるんだ?」
部屋にはあと二人、若葉色の髪がエルフ姉弟もいた。
ミルクスはパラパラと書類を検分し分類しなおしていて、モーヴォンは姉が分類した書類の山から何らかの数字をひたすら書き出している。……この双子、ちょっと前まで森の奥深くの田舎者だったんだよなぁ。エルフの頭の良さと子供特有の順応性、下手なチートよりすごくない?
「とにかく人手が必要とのことでしたので」
一国の書類精査とか地獄の量だからな……。しかも当然データ管理じゃなくて紙だし。
しらみつぶしにやるとしたら猫の手でも借りたいのは分かるが、手伝わせるなよ。
「というか、なんか反応薄くないか? 僕今、けっこう無茶なこと言ったよな?」
魔界だぞ魔界。人族が立ち入れば死ぬ瘴気の区域だぞ?
なんで作業の手すら止めないんだコイツら。
「きっとそうなるだろう、と自分たちはすでに聞いていますから」
「そうそう。最初は驚いたけどね」
エルフ姉弟がそう、二人して溜息を吐くように言った。諦観の入り交じった声だ。すでに覚悟まで決めてるのかもしかして。場合によってはこの二人置いていく選択もあったと思うんだが。
「え、なにそれ。誰が予想したんだ? コレ見通すなんてわりと頭おかしいヤツにしか無理だと思うが」
「それは私ですよ、師匠」
頭おかしいとか言ったから声に怒りが含まれていらっしゃるぅ。
背後を振り返らなくても、僕を師匠なんて呼ぶのは一人しかいないんだよなぁ。
「こ、これはこれはネルフィリア王女……じゃなくて王妹殿下さま。今のは不敬罪とかじゃなくて頭がおかしいほどに頭のいいお方でないと先見できないという褒め言葉でしてね? というか、いつの間にそこにいたんだ?」
目が覚めるほどに美しく繊細なアッシュブロンドの髪を銀輪の頭飾りで留めた少女は、開いた扉の外でわざとらしく息を吐く。……なんか困った人間扱いされてないか僕。
「私の師匠の動向調査ですから。一人で忙しそうにしている師匠がなにをやっているかを調べて、皆さんに報告するのが私の仕事です」
「ちょっと待てなんで弟子に監視されなきゃならないの? 相手がこの国の王族とか絶対全部筒抜けじゃん」
「皆さんからの信用がないからでは?」
そんなことはないと思うんだが。……いや自信がまったくないな。
「まあ、魔界へ行くのは最初から予想できてましたけどね」
ネルフィリアは部屋に入ってくると、しっかり扉を閉めた。そして皆を見回してから僕に向き直り、口を開く。
「ええ、行くのでしょうとも。どうすればいいのか、師匠は分かっているのでしょうとも。そして、私もこの戦争を終わらせる方法を知っています。最初から知っているのです。あちらの私と同様に」
彼女は、ネルフィリア・スロドゥマン・フリームヴェルタは、言うなれば全ての始まりだった。
だからこそ、この少女はその結論に至ったのだろう。そして、もう一人の彼女も同じ結論を得ているに違いない。
わざわざ敵地のまっただ中に乗り込んでまで、あの新魔王は休戦を申し出た。一つでも間違えばあの場で惨劇が起きたであろうに、その危険をも承知でだ。
そこまでしなければならない理由はなんだ。
「彼女がこの国へ来た理由は、彼女が彼女のままであることを伝えに来たのだと思います」
……であれば、そもそも彼女は戦いを望んでいまい。
だが、ではどうやってここから戦いを回避する?
「師匠は、気づいているのでしょう? 彼女と同郷なのですから」
どうだかな。どこの世界にだっていろんなヤツがいる。少なくとも僕は、先日初めてお会いした魔王陛下がどんな人間かなんて、はかれはしないが。
けれど元は日本人だって話だしなぁ。たしかずっと入院してたんだっけ? ラーメンも食べたことないとか。
「捕虜にされたと思ったらある日突然魔王にされて、いきなり魔族の運命を全部背負わされた……実はなんの力も無い女の子の気持ちなんて、僕に分かると思うか?」
あれはもしかしたら、縋りにきたのではないか。―――それが僕とナーシェランで下した結論だ。
故国に。兄姉に。そして、勇者に。
もしかしたら同郷の異世界人も入ってるかもな。
「さすが師匠。やっぱり分かってるじゃないですか」
ネルフィリアは満足そうに頷いて、そして柔らかく微笑む。
「私が前魔王と交わした契約を、果たしに行くのでしょう?」




