勇者の遺骸
「あそこです」
移動時間はそこまで長くなかった。話すことがなくなってすぐに扉は現れる……材質はいまいちよく分からないが、黒曜石に似た魔石の扉。隙間から漏れ出ている淡い光が自己主張のように、その存在を際立たせている。
「鍵は?」
「かかっていません」
素通しか。ここまでなにかありそうなのに不用心……というわけではないだろう。
おそらくここは、鍵をかけてはいけないのだ。光が漏れ出ている隙間は、いわば外部との繋がり。完全なる密閉を避けている証左に見えた。
レティリエが手を添えると、扉はゆっくりと内側へ開いていく。手入れもされていないだろうに動きは滑らかだが、じれったいほどにゆっくりで、それが不気味だった。
室内は狭く、淡い光が満ちていて……白い台座に赤い髪の女が横たわっていた。
「うん、そうだろうね」
ククリクが結構な後ろからそう言った。したり顔だけど離れすぎだ。律儀に見張ってくれてるミルクスも隣で困ってるぞ。
「おいおいどうしたんだククリク。見たかったんだろ? もっと近くで見てもいいんだぞ。なんでこっちに寄らないんだ?」
実際、今回は魔族のおかげでかなり助かったのも事実だ。
彼女がもたらした情報によって敵の正体が分かり、その目的も炙り出せたがために対策を立てることができた。アレがなければまんまと出し抜かれていた可能性が高い。
そういう意味でこれでも感謝はしてるんだ。ほら、もっと近くに寄って見ろよ。垂涎ものの研究題材だぞ。
「ははは、分かってるくせに。ボクもこれで魔族の端くれだよ? 絞りかすとはいえ、ここまで近づくと聖属性がキツいさ。オマケに年期が入って部屋中が魔石化してるときた」
つまり何かしでかそうにも、そもそも近寄れない、と。うん知ってた。
まあ僕もこれ以上はうっかり近寄りたくはないが。
「ねえ、その人って二百年前に死んだ人よね? 間違ってないわよねモーヴォン?」
「そのはずだよ。そうか、聖属性がこの濃度で充満するとこうなるんですね」
エルフ姉弟は落ち着いているが、反応は真逆だ。ただただ困惑を隠せないミルクスと、知的好奇心に目を輝かせるモーヴォン。二人もまた、室内の女性に目を奪われている。
床と同じ滑らかな質感の台座に横たえられた女は、美しかった。
少し日焼けした肌は血色よく、すらりと通った鼻筋と形の良い唇だけで器量の良さが分かる。瞼が閉じられていても気の強そうな吊り目が見て取れるが、それが伝承にあるとおりの炎のように赤い髪にとても似合っているように感じる。
生前の苛烈な伝説の数々が目に浮かぶような、美しい遺骸。炎の髪のソルリディア。
彼女はまるで生きているかのような姿で、淡く発光しながらそこに眠っていたのだ。
「まったく腐敗していないのは、強い聖属性の魔素を放つゆえんだろうな。言ってみれば彼女の肉体は聖属性の塊みたいなものだ。むしろ死してなお入れ物である肉体を修復し、維持していたりするのかもしれない。なにかあればすぐ生命活動を行えそうなほどにね」
「うんうん、ハティータスが狙ったわけだね。肉体があるなら、勇者の力のレプリカともう一つのちょっとしたフレーバーで、彼女を『起動』させることも可能なわけだよ。いやぁ、もはやそれしか手段がないとはいえ、おぞましい話さ!」
起動か。言い得て妙だな。それは復活でもないし蘇生でもない。
ネックはあの肉体に宿る魔素の比率だろう。魔素は魂より生じ、魂は魔素より産まれるが、あれだけ聖属性が強い中では新たに魂が産まれる余地があるとは思えない。人工生命を専門とする錬金術師の見解としては、魂が産まれる土壌には多数の魔素属性が複雑に影響し合う環境が望ましい。
植物状態、というのが一番近い例えだろうか。いや腐敗も劣化もしないだけで実際に生命活動を停止しているのだから、仮死状態に近いか。
勇者の力と魂さえ入れてやれば、あれはまた動き出す。ただしそれをソルリディアと認識できるかどうかは……おそらく、ハティータスにも無理だったのではないだろうか。
「ここは以前と同じです。前に来たときとなにも変わっていません。……お二人は驚かないのですね?」
「いや驚いているさ。けれど予想はしていた。これで……」
「これで次の段階へ行けるね、ボクの敵」
台詞をとられてしまった。まあその通りなのだけれど。
とりあえず、ククリクがやはり僕と同じことを考えているのは分かった。
「ねえ、二人はいったいなんの話をしてるのよ。あんたたち、さっきから二人だけで訳知り顔でちょっと気持ち悪いわよ。エストって女と取引してナーシェランに隠れてまで、ここになにを見に来たっていうの?」
焦れたようにミルクスが問うてきて、僕は肩をすくめて懐から銅貨を取り出した。今この大陸で出回っている中で、一番安い硬貨。
「なんの話って、決まってるだろう。聖属性の魔素とやらの解明だ」
僕は硬貨を指で弾く。部屋の中へ向けて。
それを見ながら、頼みもしないのに白い女が言葉を引き継いで続ける。
「うんうん。そしてそれはイコール、勇者の力……いや、神の腕の解析となるわけだ。つまり世界創造の力とはどういったものか、という考察へと繋がるものであり―――」
ニィィ、と。ククリクは笑う。興奮を抑える気も無い、学徒の笑み。
「神とは何者か、という話になるのさ」
それこそが、ナーシェランが隠したがったもの―――神聖王国の機密。
僕が弾いた銅貨は、部屋の中に入ると同時にみるみる失速し、しかし床に落ちることもなく……空中に浮いたまま止まっていた。
「改めて宣言しようか。ボクは学徒。学徒ククリク」
かつて、彼女は自分の作品にサインを記した。
己の価値が分かるほどの技量を持つものにしか見つけられないよう、巧妙に隠したうえで、さらに合言葉でこう宣言させた。
我が名を知りたくば、肩を並べろ、と。
「世界に挑み、神を殺す者だ」




