薄羽杖のハルティルク
「いやあ、冷えた冷えた。僕のジョークで空気が冷えた。やっぱ冗談は時と場所を選ぶべきだよね。今後は気をつけよう」
ちょうどいい大きさの石にどっかと座り、僕は芋の皮を剥き始める。
人数が多いから量が大変だ。十三人分だもんな。数日分の食料を運んだ荷馬には頭が下がる。
「気まずい雰囲気になったのは、副学長さんの豹変ぶりにだと思いますが……」
旅中ですっかり料理番にされてしまったレティリエが、根野菜を切りながら控えめにフォローを入れてくれた。……彼女の料理はすでに一行の全員を魅了していて、ドロッド教室の生徒には隠れファンまでできる始末だった。男って胃を掴まれると弱いよな。
「まさか、あの人があんな風にマジギレするとはなぁ……」
僕がハルティルクに代わって謝った直後の、ドロッドといったらなかった。
あんの、クソ賢者がぁ! などと怒鳴り散らして地団駄する学院ナンバー2の姿は、全員の目に焼き付いて離れないだろう。
一生もんの記憶だぞこれ。来世にも持ち越しそうだ。完全にドン引きである。
「あれで、残っていた体力を全部使ってしまったんでしょうね……」
「倒れたよなぁ。脳の血管切れたのかと思った」
これまでの旅路で疲れてたのに、到着してから休む間もなく調査に入ったからな。型破り爺さんは遺跡の中に寝かされて、今は生徒たちに看病されている。
仕方ないので、残りの人員は夕食の支度というわけだ。
料理の得意なレティリエと体力的に動きたくない僕以外は、水を汲んだり食べられるものを探しにいったりしている。
もう夕焼けの時間だし、今日はもう飯食って寝て、調査再開は明日からだろう。
「副学長様があんなに怒る大賢者ハルティルクという御方は、どんな人だったのでしょうか?」
「クズだよ」
「ええ……?」
即答に驚きつつも、レティリエの手は止まらない。
幾種類もの野菜、干し肉、塩漬け魚、キノコなどを一緒に鍋で煮込んで、丁寧に灰汁を捨てている。あれは出汁を取っているのだろうか。野営でどれだけ凝るつもりだ。
「一般にはあんまり知られてないけど、旅を終えた後のハルティルクは完全にクズだ。祭り上げられて記念学院を建設されて、初代学長に据えられたまではまだ良かった。けれど素行は悪いし金勘定はやらないし、むちゃくちゃなことばかりやるくせに時々ふらっと行方不明になる。今でこそ学院は魔術大国の権威だけれど、当時は取りつぶしの危機だって一度や二度じゃなかったらしい」
チマチマと芋の皮を剥いていく。剥き終わったら水に浸しておく。あとはレティリエがどうとでもするだろう。
「王侯貴族との衝突もかなりあったみたいで、周囲はかなり頭を抱えたみたいだね。おかげでうちの学院、当時の罰で書かされた不利な誓約書が何枚も残ってて、今も効力を発揮してるんだ。もう半分くらい王家の犬さ。副学長があれだけ憤るのも無理はない」
「とんでもない人だったんですね……」
「まあね。でも彼がなによりヤバかったのは、禁忌への忌避感のなさだ」
「禁忌、ですか?」
「ああ。生け贄とかね」
ガタッと音がした。レティリエが何か落としたらしい。
「危ないな。怪我はない?」
「……大丈夫です。それで?」
「魔素は魂より生じ、魂は魔素より産まれる。って言われててね。生物と魔素の関係は切っても切れない間柄なんだ。生け贄は高濃度の魔素を確保するには、単純で効率のいい手法なのさ。……だからこそ、当時にはもう禁忌とされていたんだけどね。その前の時代から流行りすぎて、問題になっていたってこと」
一般にある魔術師の暗いイメージはそういう歴史からだ。魔術師というだけで威張るヤツがいる土地なんて、それこそルトゥオメレンくらいである。
「さすがに人族は使わなかったらしいけど、家畜や魔物、果ては魔族なんかも捕獲してはやらかしてたって記録がある。特にお好みだったのはゴブリンだったらしいね。そこそこ手軽で魔術に適性のある個体も存在し、人間ほどではないが知能もある。生け贄だけじゃなく、生体実験もやってたんじゃないか、って言われてる」
「黒魔術師だったのですか……?」
「黒魔術って枠は、実は存在しないんだけどね。死霊魔術に生体情報の組み替え合成、悪鬼召喚使役に精神汚染系などなど。そういった禁忌魔術なら、うん、いくつかやってただろう。さすがに記録には残してないけどね。大問題になるだろうし」
ちなみに精神汚染系魔術は現在、我らの師である星詠みの魔女が挑戦中のはずだ。結構苦戦してたみたいだけど、そろそろ終わったかな?
「ま、つまり初代学長様は、学院にとって歩く災害だったわけさ。おまけに最後は行方をくらましたままついに帰ってこなくて、学長不在で十年が過ぎた学院は派閥同士の睨み合いに突入。さらに十年ほどの冷戦を経て、学長の座は謀略と報復の貧乏くじになった。彼は消えた後ですら学院に迷惑を与え続けたわけだ」
「徹底してますね……。そんな方が、勇者パーティに居たんですか」
「ああ。といっても勇者と共にいたころは、冗談と悪戯が好きな明るい話が多い。魔術も正統派で、禁忌に触れるような話は一つもなかった。クズになったのはあくまで旅を終えてからだよ」
ハルティルクについて、広く知られているのは勇者と一緒にいた頃の姿だ。勇者伝説で華々しく語られるから当然である。英雄のその後の話なんて需要がないってことだな。吟遊詩人だって歌いたくないだろう。
ジョークが好きで仲間想いな、凄腕の魔術師。そんな彼が変わってしまった理由は、様々な推測がなされている。
その中でも有力な説は、ハルティルクと勇者は恋仲だった、あるいは勇者を崇拝していた、というものだ。
魔王を倒した後に勇者は行方知れずになったため、心の拠り所を失った彼は精神が不安定になってしまったのではないか、といわれている。
「……この遺跡には、何があるのでしょう」
ぽつり、と。
そう呟いたレティリエの手は、止まっていた。
勇者と共に数々の輝かしい伝説を残し、そして暗く薄気味悪い魔術師となったハルティルク。彼が関与したこの場所に、いったい何が眠るのか。
彼女が気にするのも無理はない。
「たぶん、二百年前の勇者の所持品だろうね。なにせ仲間だったんだ。一個二個隠し持っててもおかしくない」
「まさか、剣でしょうか? 魔王を倒したという、かざすだけであらゆる邪なるものを退けた浄化の剣。先の戦いで失ってしまわれたとされていますが、それがあれば……」
「さて、そこまではなんとも。さすがに予想もできないし、見つけてからのお楽しみだな」
まあしかし、可能性はあるだろう。
二百年前の勇者が持ったという魔剣。その刀身が放つ聖なる輝きで、彼女は戦わずして魔物の大軍を追い払ったという逸話がある。
仮にそれが魔力貯蔵型の殲滅兵器で、失われたという表現が貯蔵を使い切ったという意味であれば。この遺跡の立地であれば……。
「……ところで、リッドさんの父親というのは、どういうことなんですか?」
あ、覚えてたか。
ドロッドの件でうやむやになってくれたと思ったのに。
「僕には親父がいなくてね。それをいいことに僕が魔術を学びだしたとき、母親がそう言っておだてたのさ。豚もおだてりゃなんとやらって言うだろ? 内輪ネタの笑い話だよ。ドロッド副学長も知っているから、ウケると思ったんだ」
僕は舌を出し、肩をすくめる。結果はさんざんだったから、もう二度とやらない。
「でも、それがもし本当だったら面白いですよね」
クスッと笑って、レティリエは目を細めた。まあ楽しんでくれた人がいるなら、また言い張ってみてもいいかな。
「あり得ないでしょ。ハルティルクは人間だよ? 母が生まれるずっと前に死んでるはずだ。この世界に死者蘇生や寿命を延ばす魔術は存在しないしね」
「それでも稀代の大賢者、薄羽杖のハルティルクなら、とは思いませんか?」
まあ、たしかに魔法のある世界だからな。
しかも相手は勇者と共に魔王を討った英雄だ。ひょっとしたら、と思ったことはある。
そして、どうすれば、を考察したことも、ある。
「……可能性として考えられる方法は、一つだけかな。与太話の類だけどね」
「どんなものですか?」
興味を持ったのか、レティリエは少しだけ前のめりになった。それを気配だけで感じながら、僕は最後の芋の皮を剥き終わる。
「転生」
「は……?」
間抜けな声が上がる。僕は芋を水を張った鍋に放り込み、両腕を上げて伸びをした。
この世界で死人は生き返らない。寿命も延びない。
しかし死んだ人間が転生することはある。……僕が知る限り、事例は僕一人だけだけど。
「ただいまー! 大漁だよっ」
元気な声が響いた。どうやら雑談の止め時だ。
振り向けば、水を汲みに行っていたガザンとワナが帰ってくる。嬉しそうに駆けてきたワナは桶いっぱいの魚を見せてきた。
「あっちの川で水汲みついでに獲ってきたんだ。凄いでしょー」
「おお、たしかに大漁だな。でも釣り具なんて持ってたっけ?」
「そんなの要らないよ。水中にドーンってやればプカーって浮いてくるし」
わぁい禁止漁法。前世じゃアウトだったヤツだそれ。
「こんなにたくさん……とても助かります。すぐに調理しますね」
「下処理は手伝うよ。鱗剥いで内臓とエラを取ればいい?」
「ありがとうございます。お願いできますか?」
「任せてくれ」
僕は立ち上がり、さっきより少し大きめのナイフを持つ。どうやら前世の料理スキルを使うときが来たらしい。
ところで、鱗ってどう剥ぐんだっけ?