下り階段
ハティータス・クメルビルスは死去し、エストは式典を欠席。魔王と魔族はまだ残っているが、戦闘状態にはない。
これで全て解決とはいかないが、十分だろう。僕たちは今回ほぼ観客のようなものだったが、たまにはそんなことがあってもいい。
世界は僕らを中心には回っていない。否、勇者を中心に回る世界など、歪に過ぎる。
けれど、それはそれとして―――悔しくはあった。
「分かった。ああ、納得したよ、エスト・スロドゥマン・フリームヴェルタ王女。今回ばかりは、あなたに敬意を」
この女に感服させられるだなんて、こんな悔しいことがあるか。それこそ、無理筋を通して王になられていた方がマシだと思えるほどだ。
アレはかつて、一度レティリエを殺した女だ。遺跡調査隊も全て、生ゴミを処分するように殺そうとしていた相手だ。
善人ではない。偽善者ですらない。だから認めることはできない。
だが……小悪党でもないのであれば、今までの評価を改めなければならない。
ああ。僕は、彼女を低く見積もっていたともさ。
「けれど……けれど、だ。忘れたとは言わせない。君と僕の間には、一つ契約があったはずだ。それを今ここで履行させてもらう」
悔しくて、嫌そうな顔の一つも拝みたくて、なんなら断られた方が気分がいいくらいの腹づもりで、僕は以前に取り交わした口約束を持ち出す。
「ハティータス・クメルビルスは君に譲った。だから今度は、僕の言うことを一つ聞いて貰う。いいか?」
「もちろんですとも、勇者の仲間リッド・ゲイルズ。わたくしのできる範囲でならば。なんなら寝台で身体を差し出しましょうか?」
涼しい顔しやがって。つうか寝台でって君相手にそんな怖ろしいマネできるかどんな勇者だよ。
「これからソルリディアの遺骸を見学に行く。見逃せ」
ツィ、と頬を持ち上げるようにエストが嗤った。いい笑みだな、やっぱり君には悪女が似合う。
「それはそれは。神聖王国の国家機密を見に行く、と? それを王女たるわたくしに見て見ぬ振りをしろと? 面白いことを言いますね、リッド・ゲイルズさん。その行為はハティータス・クメルビルスとなにが違うというのでしょうか。そういうことは仲のいいナーシェランお兄様に頼むべきではなくて?」
「ナーシェランは許可しないだろうな。防衛の要になるにも関わらず、あの男はソルリディアの居場所を口にしなかった。……ここで功の一つもたててれば交渉次第でいけたかも知れないが、今回の僕らの働きじゃちょっと難しい」
「つまり、許可されないのを分かっていて見に行く、と。いいですね、あなたのそういう確信犯的なところ、わたくしは意外と嫌いではありませんよ」
なんか嬉しそうだな。てっきり嫌がるかと思ったのに。ナーシェランが嫌がることだから乗り気なのかね。
「やあ、それは素晴らしい! 是非とも、是非ともボクもご一緒したいね! いいや誰に止められようがついて行くさ!」
おい君は最後尾にいたはずだろククリク、どうして僕の真横でよだれ垂らしてるんだ。
「なに、任せておいてくれたまえよ。実はもうこの地下の探査は終わっているんだ。なかなか堅固な造りで魔術が効きにくいが、これでも戦闘系の魔術以外は並くらいに使えるからね。怪しい場所は押さえてるとも」
うっわ頼もしー。コイツ戦いの最中ずっとそんなことしてたんだな。後で忍び込む気満々じゃねぇか。
というか、彼女はきっとそのためについてきたのだろう。というか、できればハティータスによって復活したソルリディアを拝みたかったのではないか。
「あ、あの!」
通路に大きな声が響く。地下だからか、大きな音は思った以上に反響するな。
振り向けば、焦った顔の少女に注目が集まっていた。
「それは……それはいけないことなのでは?」
そう、尻すぼみしていく声で問うたのは、我らが勇者さまだ。
レティリエは響くほどの大声でみんなの注目を集めたことに赤面し、恥ずかしそうに縮こまる。……ハティータスの言じゃないけど、たしかに勇者のメンタルじゃないよなこの娘。
僕は少し微笑ましくなりながら、けれどちょっと困った気分で首を横に振った。
「それは違……」
「いいえ、悪ではありませんよ」
そしてエストに割り込まれた。
「神聖王国の国家機密と知りながら、それを見る……ええ、法には触れるでしょう。法がなくても処罰は免れないでしょう。ですが、悪ではありません。悪か否かは、国が決めるのではないのです」
彼女は神聖王国の王女。そして異端審問官の長。
故に、そこだけは揺らがない。
「信じるものを違えるなかれ。国は所詮、人が造りし機構に過ぎず。善悪は神にこそ委ねるもの」
……教会が、国の方針に口を出すときの常套句。ともすれば反乱を促しかねない論理であり、つまりは悪法を正すための教会の発言力だが、これが発せられるのはだいたい他国へ向けてだ。セーレイムの教皇が王を務めるフロヴェルス王国が、これを自国に向けて発することはない。
この女以外は、しないだろう。
「ええ、いいでしょうリッド・ゲイルズ。契約による取引を受理します。この国の機密を目にしてきなさい」
通路は奥へ行くにつれて灯りが少なくなり、最後には完全な闇となって魔術の光を要した。広いが、囚人の少ない牢だ。使っていない場所にまで灯りは焚かない。
隠されたさらに地下へと続く階段は一番奥にあった。普段であれば見回りの者すら立ち入らないだろう場所だ。機密を隠すにはちょうどいいのかもしれないが、なにかあったときには発見が遅れるだろう。
こういう隠し場所ならなるほど、位置を知られることは最も避けなければならないハズだ。
「合言葉方式だね。心当たりはあるかい?」
ククリクは探査系の術式が得意らしく、その性質まで見破った。
「ないよ。無理やり開けたとして、元通りに閉めれるか?」
「それはボクには無理だ。魔族だからね。ここまで強固な結界破りだと、どうしても瘴気が影響してしまう。少し式を変えて閉め直すならできるけどさ」
白い少女は肩をすくめて首を横に振った。魔族ならではの悩みか。どうやら芸術家たる彼女にも不可能はあるらしい。
僕は他のメンツを見る。この場にいるのは僕とククリクの他に、レティリエ、ミルクス、モーヴォンの三人のみだ。あとの六人は怪我を治癒術士に診せるため地上に戻っていった。―――エストにヒーリングスライムを使おうかと打診したが、気持ち悪いから嫌だ、と即答で断られた。まあトラウマあるだろうからな。
「モーヴォン、君はどうだ?」
「できなくはないでしょうが、そういうのはゲイルズさんのが得意でしょう? サボってないでご自分でやったらどうですか」
言葉に棘があるぅ……あの闇猫を解体した手法、ちゃんと本来の用途を分析されてるなこれ。
まあ結界破りは、たしかに僕の得意分野と言ってしまっていい。だからモーヴォンの指摘は正しいのだけど。……ただあれ、昔を思い出してスゲぇ鬱になるから正直やりたくないんだよな。
まあ、今はそこまで時間があるわけでもない。エストは見逃してくれただけ。手早く済ませて戻らないと、他の衛兵にでも見咎められたらコトだ。
仕方がない。ここは一つ、僕がハッカーとしての……
「天の光輪は一粒の種を落とせし。その果肉は聖なる灯火なりて希望の明星を輝かせん」
それは、聖典の一節。
声は静かに響き、魔術による幻影結界はスゥと消えて、そこにはなかったはずの扉がゆっくりと開いていく。声のした方を見れば、レティリエが泣きそうな顔で佇んでいた。
扉の合言葉を、彼女は唱えたのだ。
「……ついてきてください」
レティリエは先頭に立って歩き出す。ミルクスが慌てて魔術の光で、その足下を照らした。
コツ、コツ、コツと硬質な足音をたてて、先の見えない深い階段を降りていく。
おそらく遺跡だったのだろう。史学の専門家ではない僕には見ただけでは判別つきかねるが、切り出された大理石のように滑らかな石で組まれた地下階段はさっきまでの通路と違い、湿気が少なくカビ臭さがなかった。土の匂いもしないのも技術の高さをうかがわせる。
神代の遺跡かもしれないな。……式典の場の地下には遺跡があるそうだから、どこかでつながっているのかもしれない。
「リッドさんは、気づいていましたよね」
前を行くレティリエは、こちらを振り返らないまま僕に語りかけた。分かれ道を右に曲がるその歩みに、迷いはない。
「わたしは、ここに来たことがあります」
「……だろうな」
自明の理だ。少し考えれば分かることだ。
かつて―――僕と出会う半年ほど前に、彼女はここで力を受け取ったはずなのだから。
「なぜ、わたしに場所を聞かなかったのですか?」
レティリエは皆を先導して歩いている。だからその表情は分からないが、声は苦渋に満ちて響いていた。
「それを問うくらいなら、君は自分から言うべきだった」
僕はあえて感情を交えず、そう指摘する。……今回の彼女には、僕を責める資格はないだろう。
「君がこの場所を教えてくれていれば、ディーノたちはもっと万全の体勢でハティータスを迎え撃てただろう。あんな長期戦をやる必要もなかったかもしれない」
「……それは」
「だがナーシェランが隠した。たしかに隠したい場所だな。ここは隠蔽性は高いが、それだけだ。君が罠を警戒してる様子もないし、一度入られたらほぼ素通しなんだろここ? 秘匿されているからこそ隠し場所として成り立つのに、ここを集中的に護っては場所を教えているようなものだ」
まあハティータスはどうやってかこの場所を特定していたようだが、もし候補が絞れていなかった場合は逆効果になり得た。そこは防衛側として難しい判断だっただろう。
それに……もちろん僕はちゃんと分かっている。あのときナーシェランがいったい誰を警戒したかなんて、鼻歌交じりに言い当てることができる。
「そして、厄介なのはハティータスだけじゃない。……だって僕らは実際、こうしてその機密を見学しようとしているのだから。ナーシェランは僕も信用せず、今の僕は絶賛裏切り中なのだから、彼の判断は間違っていない」
「いえ……それは、はい」
「この国の王子がそう判断して、情報をくれなかった。だからって君やネルフィリアに聞いても、フロヴェルス王国の出身の君らは困るだろう。必要の無いところで揉めるのは避けたいところだ。……ハティータスが本当にここの場所を突き止めきれていない可能性も、実際あったしな」
あえて言うならば、そこまで考えたうえで必要無しと判断していたのは、僕だけじゃない。
ディーノ・セル。あの優秀ないけ好かない魔術士は、それらすべて理解した上で作戦を立てたに決まっている。僕の見立てではあの男がいる限り勝率が五割を切ることはないし、どんな状況であろうと僕らが来るまでの足止めまでは完遂せしめただろう。
だから、問題はない。……レティリエがナーシェランの方針に従ったのも、間違ってはいないのだ。
「……それでもわたしは、自分から言うべきだったと思います」
そうか。まあ、あの戦闘で誰かが命を落としていた可能性はあるもんな。……この先にあるものは、人の命より重いものかもしれないが。
この国を出て旅をし、多くのものに触れてきたが故だろうか。王女の侍女として仕えていた彼女が、国に裏切られ殺されそうになってなお祖国を嫌わなかった少女が、今は王家を裏切るべきだったと感じている。たとえ実行には移せなかったとしてもそこに疑問を挟めるのであれば、それは意義のあることに思えた。
「終わった話はそこまでにしてくれる? うまくいったんだしいいじゃない。あたしはそれより、この子をついてこさせて良かったのかが聞きたいわ」
マジメな話題をぶった切ったのはミルクスだった。つまらない話でゴメンな? けど反省会って大事だと思うんだよ。
「おや、ここまで来て仲間はずれは酷くないかい? それにボクが一人で戻ったら、君たちが遅れる理由を大声で報告するよ?」
ククリクは本当に嫌らしいところを平気で突いてくるよな。それされると立場的にキツくなるからやめてくれないか。
「その女は大丈夫だよ。どうせ確認したいだけだから」
僕はこめかみを揉みつつそう答える。仮になにかしようとしたら、そのときは拘束すればいい。たぶんわりと簡単にできると思う。
「確認?」
「ソルリディアの遺骸がどんな保存状態なのか、だな。まあ僕でもなんとなく察しているから、ククリクが分かってないハズはない。変なことしないようにだけ見張っておいてくれ」
「うんうん、さすがボクの敵。信頼はしてくれてるけど信用がゼロだね」
君を信用する要素がどこにあるんだ。
「ところでそのソルリディアといえば、一つ気になることがあるよね。いや別に重要なコトではないし、どうでもいいことでもあるけれどさ。ねえ、疑問解消のために聞いていいかな、ボクの敵?」
彼女の声は明るいのに、どこか闇を孕んでいる。それが魔族であるが故か、あるいは彼女個人の性質なのか、僕には測りかねたが酷く心をざわつかせる。
「彼女は『炎の髪と心の』ソルリディアだろう? なのになんで、あのハティータス・クメルビルスには『炎の心の』ソルリディアって言ったんだい?」
ほんの一拍、レティリエの歩みが止まった。すぐに進み出したが、顔を見なくても動揺は感じ取れる。
……あの場は、うまく誤魔化せたと思ったんだがな。
「―――妄言であることに変わりはないさ」
ただ、そう思ってしまっただけ。証拠もなければ検証もできやしない、本当にただの妄言。
僕は特別な産まれをしやすいと考えられる転生者だから、もしかしたらそんなこともあるかもしれない、などと。
「母は、僕の父親はハルティルクだと言っていた。であるなら、ハルティルクが選んだ相手はソルリディアだろう?」
ぶふっ、とククリクが吹き出す。どうぞ笑ってくれ。頬が熱くなるのを感じるが、薄暗くて良かったよチクショウ。
「なるほど、なるほど! それはロマンのある話だ! つまり君のお母さんの髪は赤色ではないと!」
「そうだよ。僕と同じ髪色だ」
「アハハハハハ、いい、それはいいね! 面白い話だ!」
まったく恥ずかしい。未知の全てを解き明かすと豪語する相手にこんな確証もない話をさせられるなんて、拷問にも等しいぞ。相手が僕を同列と見てるならなおさらだ。
……これを期に評価下げてくれないかな。
「ゲイルズさんらしい冗談ですね」
「リッドってわりと適当言うわよね」
エルフ姉弟が呆れて、
「……でも、それが本当なら素敵ですね」
レティリエがそう、少しだけ声を明るくして言った。
まあ場を和ませられたなら上々だよ。雰囲気重かったからな。うん、これはククリクに感謝してもいいんじゃないだろうか。
「それで、確証はなくとも確信はあるんだろう? ボクの敵」
……やっぱ感謝しなくていいわ。
エルフ姉弟が息を止めた。レティリエが目を見張ってこちらを振り向く。ククリクは好奇心むき出しで見上げてくる。
僕はしかたなく溜息を吐いた。ミルクスもどうせモーヴォンから聞いているだろうし、僕が転生者であることを知らない者はここにはいない。
「竜の女王は僕の中にあった魂を欲した」
二百年前の勇者パーティに力を貸した竜の女王が、勇を示した者でなければ寵愛を与えないと言った白銀竜が、僕の内にあったもう一つの魂を抜き取って己が子としたのだ。
バハン山脈を統べる女王。最古の竜の一柱。白銀竜ノールトゥスファクタ。―――彼女の竜眼を疑うほど、僕は不敬にはなれない。
「どちらかが……いやきっと、どちらもが本物だろうさ」
妄言であることに違いはない。確証はないし、検証のしようはない。竜の女王に聞けば分かるかもしれないが、そんな下らない質問を気軽にできるような……相手だったかもしれないな。あの女王様けっこう気さくだったし。
まあ、なんだ。
死んでいく者への手向けにする程度には、信じてもいい話だと思ったのだ。




