看取る
「―――なにが悪かったのかな」
壁を背に座り込んだ初老の魔術士はそう聞いて、黒衣の王女は少し考えたようだった。
「……頭では?」
ハッキリ言ってやるなよ。
「元々の目的は、ここの地下にある遺骸の奪取でしょう。次点でこの国への復讐ですか? そこまでは良いでしょう。王位継承権争いを利用して、式典の場以外の警備が薄くなる時を見計らって忍び込む。その計画は良い。ですがなぜか今代の勇者にちょっかいを出し、自らの存在をこちらに知らしめた。そして、その勇者を足止めするために魔族をも巻き込んでいます」
「ああ、そうだね。少し……ではないくらいブレたな」
「理由は?」
男は困ったように眉を下げて、自嘲気味に笑う。
「怖かった」
彼の身体は致死性の毒に冒され、余命はいくばくもない状態に見えた。顔色が真っ青で、冷や汗を流している。身体の力が入らないのか、斬られたを腹部を押さえることもできず、両手とも手のひらを上にしてだらりと床に着けている。
魔術士殺し、と呼ばれる毒だと症状で分かった。首から上は動くのに、オドを練れないせいで声に魔力をのせられなくなる毒。
術士の間では有名な毒だ。魔術師を尋問するため開発された薬品だが、魔術封じの効果が得られる量はイコールで致死量となるために、本来の用途では使われなくなった品。
「伝わっている詩通りの女だからね。ソルリディアを蘇らせたとして、彼女がどういう反応を見せるか分からない」
「……なんだ、女に怒られるかもしれないから踏み切れなかったと? 意外とつまらない男ですね」
「いやぁ。これくらいやっておけば、彼女がこの国を物理的に滅ぼそうとしたとき説得できないかな、とね」
僕は遠巻きにそれを眺める。
伝説が死んでいく。
「彼女を殺した国だ。どうしたって許せはしないしどうなってもいいとは思うが……彼女はやり過ぎるだろうからね。ほら、これでもオジサン、勇者の仲間の模造品だからさ。基本的に善人なのだよ」
模造品。その言葉を裏付けるように、男の身体はゆっくりと透け始めていた。
魔術士殺しの毒は体内魔素の不順を起こす。そのため、魔素で型取られたその肉体は形を保てなくなりつつあるのだろう。
世界から否定されるように、陽炎の魔術士は消えようとしていた。
「偽善者の仮面はもう少し丁寧に被るべきでしょう。あなたが本当に善人ならば、今回の騒動は起こらなかったでしょうに」
「聖なる国の王女様に言われたくはないね」
たしかにな。善の代表たるフロヴェルス王国もそうとうだ。
まあ、それは表裏一体ではある。善人が悪人になることはあるし、善人が善人のまま悪を為すこともある。同一の事象でも別側面から見れば、悪と善が逆転することもあるだろう。
そしてもちろん、悪が善を為すこともある。
「……ねえ、リッド。なにしてるの」
批難の声をかけられて隣を見れば、ワナ・スニージーさんがなにやらジト目でこちらを見ていらっしゃった。なんだその目は。
「なにしてるって、突っ立って見てるだけだが?」
「うんうん見ての通りだねって、そうじゃなくて! あの人と話さなくていいのっ?」
「べつにいいが」
だからなんだその目は。
「リッドさん、わたしも行った方がいいと思います」
レティリエまで参戦してきた。すまないけどさすがにこれ、余計なお世話なんだが。
思うところがある相手ではある。けれど、アレにはそこまで固執する気がない。
「あれは彼らの獲物だ。横取りするわけにはいかないだろう?」
「そんなことは気にするな。エスト王女にも話は通してある」
襟首を掴まれて強引に引っ張られ、思わずたたらを踏んだ。ディーノこいつ、魔術士のくせに腕力ありやがる……だから余計なお世話だってば。
無理矢理連れられて、冒険者たちを掻き分ける。
ティルダが無言で頷いて壁際に寄った。いや気を遣わなくていい。
ドゥドゥムが的外れな激励の言葉と共にバチーンと肩を叩いてきた。痛いって。
ガザンが兜の奥で目を閉じ、大きく息を吐いた。それをしたいのは僕の方だ。
エストが特に興味もなさそうに目を細めて迎えた。肩をすくめてから腕を組み、壁に背を預ける。止めてくれるの君だけだって期待してたのに。
幼馴染みに荒っぽく突き飛ばされて、今回なにもしていない僕は転びそうになりながら敵の前に放り出された。
「……君か。今代の勇者の仲間。なにか用かね? 見ての通りの有様だ、手短に頼むよ」
ご本人に声かけされてしまって、僕は諦める。
しかたない。皆の期待に沿うようなことはしないが、少しばかり話すか。
とりあえずは、挨拶だろうか。
「ええと……初めまして、薄羽杖の大賢者ハルティルク」
手短にって言われてるのに、無駄に悠長だなって言ってから思った。
クク、と男は―――ハルティルクは笑った。
「それがバレていたのが一番の敗因なのかな。魔族に本拠地を襲撃されたのも驚いたが、まさか人族に情報を流すとは思わなかった」
「二百年前だったならそうだったかもしれないな」
そこは少し同情しないでもない。
今代はいろいろややこしい事情があって、新魔王さんは異世界転生者で神聖王国の王女さまだ。単純な敵対者ではなくなっている。
ホント、どうしてこうなってしまったんだろうね。
僕は少し考えて、無益な話はすっ飛ばすことにした。時間が無いし、喋ることもあんまりない。
「今、持っているか?」
端的に聞く。初老の魔術士は頷いた。
「肌身離さず持っているとも。取り出せる力もないがね」
「そうか」
………………話が切れてしまった。
どうしよう。本当に聞くことがなくなってしまった。
事前に正体が知れた次点で、彼の目的は神聖王国の地下に眠るソルリディアの遺骸だと分かっていた。レティリエにちょっかいをかけてきたのは先代の勇者の仲間であるがゆえ。
知りたい謎はもうない。
「あ、あの!」
僕の背中から顔を覗かせたワナが、意を決したように声をあげる。
「ヤロスラーヴァ・ゲイルズって女性を知りませんか!」
異国風の名前は、母が流れ者だったことを教えてくれる。
出身がどこの国とか聞いたことはないけれど、腰を落ち着けたのがルトゥオメレンというだけで、西の方から流れてきたのだと思う。
まあ、そんなことはいいんだ。
「……いや、知らないな。どなただね?」
返答に、僕の背後で動揺のざわめきが鳴った。いやいや。
僕の出生の謎とかガチでどうでもいい要素だからな? 分かったところでなんの得もないし。
それになにより……彼は違う。
「ハルティルク。その肉体が製造されたのはどれくらい前だ?」
僕は皆の疑惑を解消する質問をしてやる。……多分ククリクは分かっているのだろうけれど、ククリクは僕の与太話を知らないんだよな。
「二年ほど前だったかな。術式を完成させたのがこの年齢でね。生まれ変わった瞬間から身体のあちこちガタがきているときた」
背後の息を飲む音は無視した。
しかし、肉体年齢が見たままであの動きができるのがすごいな。先代の勇者は最強と名高いが、仲間も化け物だったとか。
僕、勇者の仲間としてこのレベル求められたりする? 無理ぽくない?
「二年か。まあそれくらいは不安定なままか」
よくよく考えれば、これは貴重な情報だ。聞けて良かった。覚えておこう。
レティリエのために。
僕は改めて初老の魔術士を眺める。顔や手など、肌を露出している部分が透けていっている。綻んでいるのだ。
「彼の身体が消えていくのは、魔力で身体を維持しているからだ。つまり肉体がまだ定着していない証拠に他ならない。そして、それは数年で正常に戻るはずだ……だから、彼は違う」
後ろの皆に解説する。僕は一目で分かったが、彼らにとってはショックだったらしい。
「……いや、しかし師は彼を古い友人だと言っていた。最長でもたった二年でそんな表現はしないはずだ」
「そうだよ、それにイルズのお師匠さんなんでしょっ?」
おっと目端が利くな。ディーノはともかくワナはよく気づいた。彼が生後二歳だとすると、それは時系列的におかしい。新たな謎だ。
けれど、魔王の出現という世界の危機的時期に彼が都合良く動いていることを考えれば、推測くらいはできる。
「おそらく現行個体が死んだら本拠地で次の個体が生成されるよう、肉体構成術式にトリガーが組まれてるんだろうな。何度も何度もそうして二百年、やってきたんだろう?」
いかにも術士らしい、己の分身にすら容赦の無いやり方である。この相手なら眉一つ動かさず選択するだろう。
しかし、ハルティルクの現し身はかぶりを振った。
「いや、そもそもこの身体の寿命は三年と決まっているんだよ。オジサンの肉体構成は、君たちが台無しにしてしまった遺跡より劣る霊穴を使用してたからね、どうしても限界があったのさ。―――それももう、魔族の襲撃で壊れたけどね」
おっと想像してたより酷いな。
それだけ短い周期で生き死にを繰り返していたのであれば、なかなか忙しかったろう。記憶を受け継ぐなんて便利機能なかっただろうに、二百年間も恐れ入る。
つまり何代か前の彼が、僕の父親だったという可能性はある、という話だ。うん、下らないな。眉唾にもほどがある。
「それで、君たちの疑問は解決したかい? そろそろ消えてもいいかな? 根性で話し続けるのも限界があるんだけどね」
これから死ぬというのに、平時の雑談のごとき気楽さで男が笑う。
やっと肩の荷が下りたような、そんな顔だった。
「ああ……いや、もう一つ聞きたい。―――どうして今更だったんだ? あなたが半年前に動いていたら、レティリエと真正面からやっても勝てたんじゃないか?」
問いに、彼は微笑む。
「ソルリディアは最強の勇者だよ。だからフロヴェルスはどうせ縋るだろう、とね」
陰湿だな。かつてソルリディアを裏切ったフロヴェルス自身に、彼女を復活させる選択をとらせようとした、というわけか。……きっとその後、ソルリディアの前に現れてフロヴェルスが彼女を謀殺したことを報告するつもりだったんじゃないか。
そして実際、神聖王国は彼の思惑通りにレティリエを一度見限り、あの遺跡へと連れて行っている。
「けれど、ソルリディアより優れた勇者ならいるかもしれない」
ハルティルクはそう呟くように言って、僕の背後を見る。
きっとレティリエを見ているのだろう。
「もし今代がそうであるなら、オジサンが間違っていたと認めてもよかったのだがね……」
……ああ、未練はあるのか。勇者にではなく、冒険者たちに倒されちゃな。
けれど仕方がない話だ。どんな形であれ、彼は届かなかったのだから。いくら心の内で認めきれなくても、彼はやはり間違っていた。勇者が手を下すまでもなく……いや、勇者が手を下さなかったからこそ、彼の道はどうしたってここで行き止まりだったという証になってしまった。
二百年の妄執の、これが最後だ。
哀れだな、くらいには思った。
「全て無駄だったな、ハティータス・クメルビルス」
僕はあえてその名前で彼を呼んだ。
しょせんはコピー。模造品だ。ガワも性能も頭の構造まで同じであっても、魂が違う。
「想いを寄せる女に怯えて四方に喧嘩を売って、結局伸ばした手すら半端なまま勇者でも魔族でもない者に阻まれる。無様なことだ」
そんなものを、彼女は認めまい。
「ちょ、ちょっとリッド!」「おいゲイルズ」「リッドさん、そんな言い方……」
これから死にゆく者への空気を読まない誹りに、非難の声が背中にかかる。
ハティータスはやっと、僕の目を見た。不思議そうに。
彼はいつ消えてもおかしくないほど透けていて、けれど僕という存在にやっと興味を持ったように、次の言葉を目で促す。
溜息を吐きたい気分だった。薄くて軽い行為だとも思った。心底から自分自身に呆れていた。
けれど僕は彼の最期の話し相手なのだから。せめて、それらしいことを言ってやってもいいだろう。
「あなたの二百年は本当に無駄だったよ、ハティータス・クメルビルス。炎の心のソルリディアは転生して、幸せに第二の人生をやっている」
白髪交じりの男は一瞬きょとんとした顔をして、そして……―――
「だからせいぜい、安らかに逝け」
「…………――――――」
最期に彼がなんと言ったのか、一番近くにいた僕にも聞き取れなかった。




