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アルケミスト・ブレイブ!  作者: KAME
―神聖王国フロヴェルス―
185/250

エスト・スロドゥマン・フリームヴェルタ

 その杖は薄羽杖と呼ばれていた。


 翠玉で象られた小さな竜が、様々な魔石で構成された不釣り合いなほど大きい羽を広げている意匠だ。透けるほどに薄く、光の具合によって何色にでも映る羽は、昆虫の翅脈を思わせつつも竜種の威を誇っている。

 妖精竜。最古の竜の一つとされる、現代においては本当に存在したかすら確認できない、立ち去りし偉大なる者―――なのだがその杖に象られた意匠は伝承が霞むほど、あまりに羽が美しかったが故に、外見特徴である薄羽で呼ばれるようになった。

 二百年前に勇者の遺跡から発掘された、紛れもなく神代の遺物である。


 性能については、増幅や精度上昇といった魔術補助の能力は当然一級品。魔術媒体としても優秀で、魔力伝導率はミスリルに匹敵する謎素材。細く軽そうだが、頑丈さも並外れているらしい。

 そしてさらに特筆すべきは、やはり幻惑の光粒に違いない。

 三半規管と方向感覚を狂わす妖精竜の鱗粉は、ひとたび囚われれば真っ直ぐ進むことすらできない。壁などの障害物に全力でぶつかれば意識が遠のき、杖の所有者を狙って振った武器は己の味方に当たる。やがて天地すら分からなくなって転倒すれば、杖の所持者に屠殺されるのを待つのみだ。

 その杖はあらゆる生物の接近を阻み、そのまま地獄へ落とすのである。



 だから、無理だ。エストの突撃は成功しない。



 最初にドゥドゥムがやって見せたように、他のメンツと連携したうえで間隙を突くなら接近することは可能かもしれない。だがエストは己の宣言通り、馬鹿正直にも真っ直ぐ突っ込もうとしている。

 自分が前に出るため、背中を射られないよう怪我で精度の下がった弓兵の邪魔をした。戦士を一人転ばせて戦列を乱した。もう一人の戦士は踏み台代わりで足蹴にしている。連携もなにも無い。


 敵の魔術師は当然、向かってくるエストを警戒し、杖から光粒を放った。―――それで終わりだ。彼女は敵までたどり着くことすらできない。



「―――小賢しい」



 目の前で振るわれた神代の遺物の能力を前に、女は侮蔑と共に言い捨てた。視線は真っ直ぐに敵の魔術師を睨み付け、その瞳には明確な殺意を灯している。



 女には怒る理由があった。利用されたのだ。

 本人のあずかり知らぬところで王位争いの対抗馬にされ、利権しか見ていない愚者どもの神輿とされて、王になれば国を滅ぼすだろうと期待された。

 この王位継承に纏わる騒動において、女はただの道化でしかなかったのだ。

 故に憤怒で応える。

 相手の悲願も思想も目的も作戦も情念も、戦い方すら全て否定し、クソ喰らえと唾棄して刃を向ける。

 こうまで踏みにじられた尊厳は、もはや無残な死をもって贖わせるより他にない。



 エストは躊躇いもしなかった。


 金属鎧で包まれたドワーフの背。それを駆け上がった勢いそのままに、黒装束の王女は鎧の肩当てを踏み蹴って―――


「……うっわ」


 有り得ないその光景に、僕は頬を引きつらせる。



 エストは―――神聖王国第二王女エスト・スロドゥマン・フリームヴェルタは、神代の遺物たる薄羽杖がまき散らした光粒の中へ、自ら跳び込んだのだ。






 それは間違いなく狂人の解答だった。だって無謀に過ぎる。

 あの杖の効果を知る者なら絶対に選ばない。まず最初に考慮から除外し、思いつきもしない。

 神代の遺物からまき散らされる幻惑の光粒を見て、本当に真っ直ぐ突っ込むだなんて愚かな行動、いったい誰がするのだろうか。



 ―――けれどたしかに、それは勇者の戦い方だった。



「……ああそうか、素晴らしいね」


 ククリクが唇をすぼめて呟く。声が本気で感心していた。敬意すら含んでいた。

 僕も同感だった。やって見せられて、やっとその方法に気づいたからだ。あの女マジで頭おかしい。



 光粒に囚われる直前で跳べば……どれだけ感覚を狂わされても、空中で方向転換はできない。



 走り幅跳びのように、ドワーフを踏み台にしたエストが跳躍で突っ込む。魔術師を見据えたまま真っ直ぐに、決して他者の接近を許さないはずの鱗粉を突っ切っていく。


 単純で、あまりにも直線的な攻略法だ。必要なのは杖の射程範囲を一足で跳び越える身体能力と、踏み切るまでの十分な加速。

 そしてなによりも、躊躇わない勇気。


「勇者の……」


 レティリエが呟く。強大な敵へと向かっていくその姿を、焼き付けるように黒く美しい瞳へ映している。

 アレ君を殺した女なんだが? なんてツッコミする暇もない。



 相手は伝説。その眼前など、死の淵と同義だ。



 最も信頼していた幻惑の鱗粉を慮外の方法で攻略され、魔術師は明らかに動じた様子を見せた。……が、動揺は戦闘への支障をきたさない。歴戦の術士は自動機械よりも素早く最適解を選択する。

 窮地など飽くほどに経験したのだろう。そう思い知らされるような反応速度。


 詠唱途中の魔術を無理矢理省略する。無数に生み出された氷の矢が、殺意の塊と化した黒衣の女へと標準を定める。

 ティルダの矢を打ち落とした時とまったく同じ展開。空中にいるエストにはどうすることもできない。

 回避不能な死の掃射。


 けれどエストは嗤う。不敵に、凄惨に、愉しげに。

 おそらく彼女は、確信を胸に抱いていた。

 勇者の子孫らしいところを見せる、と女は言った。……ならば、これも織り込み済みなのか。


 仲間を信じるだなんて、ずいぶん似合わないことをする。



『―――弾けて!』『護れ―――!』



 二つの援護魔術が、氷の鏃を蹴散らす。






 魔力弾が敵の魔術師と氷の鏃の間で爆発した。鏃の大半を吹き飛ばし、男が掌握していたマナまでもが乱れる。

 数を削がれ、威力と精度が落ちた魔術を男は舌打ちしながら放つ。―――それを矢除けの守護魔術が鏃を弾き、逸らしていく。エストは黒い弾丸となって氷刃の雨を掻き分け、敵に迫る。

 幻惑の光粒に氷の破片が輝く光景は、こんな時にも関わらず目を奪われそうになった。


 それでも、完全には防げない。


 鮮血が舞った。氷の鏃は砕けながらもエストの黒衣を裂き、肌に刺さり、肉に食い込んでいく。

 ―――しかし止まらない。その程度で彼女の殺意は臆さない。


 仲間を利用し、邪魔をし、踏み台にした悪女は、悪女のままに、勇者のように剣を振り上げる。



「獲った」



 血を流す痛みなど、知ったことではないと。目の前の相手を殺すことだけが今は重要だと、黒衣の女は獰猛な笑みで静かにそう言った。


 光粒の霧を抜け、死の氷を掻き分け、宣言通りに短剣を振り下ろす。



「舐めるなと言っている」



 怒りを露わに、初老の男が吐き捨てた。

 杖を構える。魔術の補助のために掲げるのではなく、腰だめにして中程と石突を握ると、自ら前へと踏み込んだ。

 繰り出されるのは、体重を乗せた鋭い突き。いかに武器としては軽い杖でも、力を収束させたそれは骨をも砕く打突となってエストの鳩尾に刺さる。


 跳躍で通り抜けたとしても、幻惑の光粒の効果は効いていた。方向感覚と三半規管を狂わされたままでは、敵の攻撃を避けることなどできるはずがない。攻撃は胴に深々と刺さり、エストは声にならない苦悶の声をあげる。


 しかし。



「獲った、と言ったでしょう?」



 がしり、とエストは自らの鳩尾にめり込んだ杖を掴んだ。目を見張る敵の魔術師に陰湿な笑みを浮かべ、力任せに引っ張りつつ踏み込む。

 この魔術師が体術を使えることも、エストは知っていた。冒険者たちが相手の手札を開示していたからだ。

 知っていれば、覚悟はできる。血を吐きながらでも耐えられれば、意識は保てる。


 ―――ゼロ距離であれば、もはや狂った方向感覚など関係もなく。



 振り下ろされた短剣は、ついに敵へと届いたのだ。


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