勇者の末裔
その女は僕から見ても間違っていた。
神聖王国の王女なんて生まれでありながら、まごう事なき悪人。実の兄と姉を殺そうとしたことがあり、異様な出世速度にも疑惑がつきまとう。
性格が悪く、それでいて直情的である彼女は、他者を見下すし安易に稚拙な手法を使うし己の利のことしか考えていない。
だが、僕はわりと知っている。こういう人間の方が、時に強い力を発揮することを。
暴論だが、一般的な概念である正義とか悪だとか、そんなものはしょせん他の誰かから見た評価に過ぎない。他者から見て自分はどう映るか、なんてことを気に懸けるメンタルを持ち合わせる時点で心が弱いのである。
心の強さとは、己の芯の強固さ。
己の間違いを証明したい……とかのたまう、此度の敵がついぞ持ち得なかったもの。
往々にしてはた迷惑な事態に陥るのだが―――その者の内に揺るぎないなにかが存在していれば、他所から見て間違いだらけであったとしても、誰もその歩みを止められやしないのだ。
モーヴォンの魔術が完成し、一時的にエストの身体能力が強化される。異端審問官長殿は手首を軽く動かしただけでその具合を確かめた。
「他者にかける身体強化はそう長く保ちません。激しく動けばすぐ魔力が消耗すると思ってください」
「ええ、知っています。これでも魔術学院に留学していた身ですので」
ああうん、してたね。政治的な理由で。
一応魔術の勉強もしてたんだな……。王族だし、もしかしたら教え好きのドロッド副学長が直で授業したりしてたとかあるかもしれない。
「それで、どうするつもりだ?」
僕はエストの作戦を聞いてみる。……正直、僕には彼女が割って入って行くのは難しいと感じていた。
おそらく毒塗りだろう短剣は傷さえつければ敵を無効化できる気がするが、相手には対接近戦用であるあの光粒がある。
それでなくても狭い通路は渋滞気味で、味方である戦士職の二人が壁になって前に出るのが難しい。見たところ他に武器は持っていないようだし、近寄れないのであれば戦えないのは誰でも分かることだ。
一応、短剣は投擲武器として使えそうなサイズではあるので、投げるという選択肢もあるにはあるが……それはティルダが何度も失敗していた。
正直、僕には作戦など思い浮かばない。本当にどうするつもりだこの女。
「そんなもの決まっているでしょう。真っ直ぐ行って剣を振り下ろすだけです」
おいこら。
「それができないからヤツらは苦労してるんだが?」
「でしょうね」
「ふざけんなやめろマジで。君はアレを誰だと思ってる?」
しれっとした顔しやがって。本当になに考えてるんだこの女。こんなでも王族だし、無謀なだけの突撃ならさすがに止めるぞ僕でも。
「―――なにか言いましたかしら?」
ヒュン、と音が遅れてした気がした。
「いやなにも」
速攻で両手を上げて降参する。その毒っぽい短剣を喉元に突きつけるな。恐いんだよお前、気まぐれで本当に刺すだろ。
てか、以前より剣捌き速くなってないか? 意表突かれたとはいえレティリエの反応が間に合ってないんだけど……って身体強化の効果か。こんなところで無駄遣いするな。
「あれが誰かは知っています。ディーノ・セルさんに聞きましたので。なんでも、二百年前の勇者の仲間……のコピー品だとか? あの忌々しい遺跡と同じようなものがもう一つあって、それによって現代に復活したかつての大賢者であると」
完璧な答えで重畳だが鼻で笑って言うな。戦ってるのがあの五人だから未だに誰も死んでないが、舐めてかかっていい相手じゃないぞ。
「良いことを教えて差し上げましょう」
その前に剣を引け。
「この神聖王国は、初代勇者フィロークの興した国。ですから、その末裔である王族には皆、勇者の血が流れているのです。……もちろん、わたくしにも」
それは、いまさらと言えばいまさらな、誰もが知っている事実。
千年前の勇者の血。それは神聖王国の正統さを示す、最も強固な柱。
かつて世界を救った血脈だ。
故に神聖王国は宗教の総本山として国境を越えても認められ、国王はセーレイム教の教皇としても君臨し絶大な権威を手にしている。
千年王国フロヴェルスの王族は、血統からしてそこらの有象無象とは違うのである。
「敵は勇者の仲間の模造品。なるほど大いにけっこう。ですがわたくしとて勇者の子孫です。そんなものごときに恐れるようで、どうしてフロヴェルスの王族を名乗れましょうか」
いやナーシェランとか普通に恐がりそうだけどな? ビビりだし。
しかしマズいな。認識が浅すぎる。あれは模造品といっても劣化品じゃない。パフォーマンスは本物と変わらないはずだ。
エストは勇者伝承にも全然詳しくなかったし、敵の実力を軽く見ているのではないか。……いや、今まさにその実力を目の当たりにしている最中だし、それはないか。あるとしたら自信過剰、もしくは本当に勝算があるかだが。
「……もしかして、初代勇者の凄技とか超アイテムとか受け継いでたり?」
「はぁ? 本気でそんなものが残っているとでも? 初代の骨董品など八百年前に潰えています」
ですよね。ナーシェラン曰く、壊れた兜は大事にしまってあるらしいが。
「なら審問騎士団の秘伝技とか?」
「なくはないですが、今使えるものではありませんね」
「じゃあどうやってアレを倒す気なんだ?」
「先ほども言ったでしょう。真っ直ぐ行って、剣を振り下ろす。それだけです」
嘲るように……そしてちょっと本気でウザそうに、エストは僕の問いに再度同じ答えを述べる。そして深々と溜息を吐くと、もはや時間の無駄と考えたのか、僕らに背を向けた。
彼女に視線の先には、敵の魔術師。ハティータス・クメルビルスを名乗る男。薄羽杖の大賢者。
伝説の魔術師。
それを見据えて、エスト・スロドゥマン・フリームヴェルタは不敵に笑う。
「わたくしとて、たまには勇者の子孫らしいことをして見せてもいいでしょう。あの魔術師が目を剥くところ、せいぜい目に焼き付けなさい」
黒衣の王女が、疾駆する。
最初は、ディーノだった。防御魔術で敵の不完全な攻撃魔術を防ぎ切ったばかりの彼は、ぽん、と肩を軽く叩かれていた。
脇を通り抜けた黒衣の姿に彼は驚いた様子を見せたが、すぐに次の詠唱に入る。
次に、ワナ。魔力弾を撃つタイミングを計っていたところを、走り抜けていく女に手の甲で、二の腕を軽く小突かれる。
少女がムッとした顔をすると、黒衣の女は悪戯の成功を喜ぶような笑みを浮かべて、それでさらに少女を苛つかせた。
その次はティルダ。冒険者なんてやっていれば、弓の弦が切れるくらい何度も経験する事故なのだろう。短弓には荒くだがすでに予備の弦を張っていた。……が、手の怪我は浅くとも痛むようで、放たれる矢は明らかに速度と精度が落ちている。
弓に矢をつがえようとするハーフエルフの手の傷口を、黒い風がはたく。普段あまり感情を映さない顔が理不尽と痛みに歪み、女はにこりと微笑みながら駆け抜ける。
ドゥドゥムにはちょっと手荒だった。いきなり、グイ、と襟を掴んで引っ張ったのだ。
予想だにしなかった不意打ちに間抜けな声を出し、尻餅をついて目を白黒させる狼獣人へ、女は軽く舌を出してからかってみせる。そしてするりと、彼が埋めていたスペースへと滑り込んだ。
異変に気づいて振り向いたザガンは女と目が合うと、すぐに反応した。無謀な突撃は看過できないとばかりに通路の中央に陣取り、広い背中で先を塞いだのだ。
王女は笑う。それは悪意が漏れ出るようないつもの笑みではなく、思わず吹き出してしまった感じの、楽しげな感情。
魔術による身体強化を得て、驚異の身軽さを発揮するエストは躊躇いもせず、ドワーフの背中を駆け上がった。
援護しろ。自分に当てるな。少し休め。そこをどけ。踏み台にする―――声など一言も発していないのに一切のよどみなく、勇者の末裔は最前線へと身を躍らせる。
敵の魔術師が杖を振り翳し、幻惑の光粒をまき散らす。




