段階
『弾けて!』
敵の魔術師が呪文を詠唱する。―――すかさずワナが魔力弾を放つ。もう何度目なのか分からない攻防だが、だいたい勝手が分かってきた。
あちらは不利な状況を打破するために強力な魔術を使いたいが、主目的が敵の魔術精度を削ぐことであるワナは初級の魔術で問題ない。行使速度はワナが勝つ。
しかし、分かってきたのはワナだけではなかった。
相手は魔力妨害の挙動を見た時点で、己の魔術をあっさり放棄した。
「あ、ダメ……」
魔力弾を躱しつつ即座に次の詠唱に入る敵を見て、魔術詠唱をフェイントに使ったのだ、とワナが理解した時には、遅い。
魔術を放ったばかりのワナは、再度オドを練るための僅かな時間、敵の魔術に対応できない。
「おうっ!」「らああああっ!」
しかし、それは初手の魔術を防げたということには違いない。
ガザンとドゥドゥムが雄叫びを上げて突撃する。魔術師は舌打ちしつつ薄羽杖で光粒をまく……しかし光粒に触れる直前、ドワーフと獣人は壁に貼り付くように跳び退いた。開いた空間に、ティルダが狙い澄ました短弓を放つ。
彼らも、だいぶん分かっていた。とっさに出せる光粒の効果と範囲を。
接近しながらの大声で注意を引きつけてからの、意識外からの一撃。熟練パーティーならではのアイコンタクトだけで行われた即席の連携は、単純なだけに効果は高い。魔術師は避けられる体勢にあらず、渾身の一矢はその身体を真っ直ぐ貫く―――直前。
『雷槍』
詠唱中の魔術を中途省略して無理矢理解き放ち、地下通路に発生した濃紫の雷が飛来する矢ごと冒険者パーティーを飲み込む。
『避雷!』
ディーノの叫ぶような対抗魔術が、パーティーを護る。
戦闘は第二段階へと移行していた。
互いに初見の相手としてぶつかり合うのではなく、相手の手札を認知し、それを踏まえての立ち回りを双方がとっている。化かし合い、欺し合い、手札をどこでどう切るかを探り合う神経戦だ。
冒険者側はミスを互いがカバーする形。対する敵魔術師側は、ただの一つのミスもなく戦闘機械のように動き続ける。
「さて、それで戦況はいかがでしょうか?」
まるでスポーツ観戦のような軽い口調で、エストは僕にそう聞いてきた。
エストの出で立ちは、黒装束……異端審問官のものではなく、審問騎士団の団長としての服装だ。動きやすさと隠密性に長け、それでいて急所を革で護っているそれは十分に実戦に耐えうる性能がある。
手には細くて波打つような刀身を持ち、複雑な紋様が刻まれた独特な形の短剣。普通の剣は力で叩き斬るか突き刺すか、あるいは技術で引き斬るというのが通常だが、あの波打つ細い刃は軽く押し当てるだけで皮膚を裂くだろう。浅くとも傷つけることを念頭に置いている形状は、毒を仕込むことが前提に見える。
うん、スゲぇ悪役っぽい。あと完全に前線出る気だなこの王女。
「僕らが来る前から膠着状態。相手の魔術をワナとディーノの魔術師二人でなんとか防いでいるが、あの神代の杖の力と意外な近接戦闘能力で前衛陣をいなされてる。特に杖が厄介だな。分かってたことだけど近接職の天敵と言っていい性能だ」
方向感覚や三半規管を惑わす光粒をまき散らすあの杖は、いわば極小の迷いの森を発生させているに等しい。あの杖の効果に囚われたならば、絶対に中心部には辿り着けない様式である。
そしてそれをくぐり抜けても、生半な攻撃は体術で防がれてしまう。実際何度か好機はあったが、全て不発に終わらされているのはさすがと言うしかない。
……もっとも、あの杖で殴られても致命傷にならないところは有利な点だ。棍棒にするには少し軽そうだからな、あれ。
「手練れ五人相手に、魔術師一人でよくやる、とは思うけどな。向こうは本職の魔術行使をひたすら邪魔されるからジリ貧には違いない。しかしワナたちも決定打がない状態だ。特に、彼ら本来の動きができていないのが大きい」
せっかく説明しているのに、エストは僕の方を全く見ていない。視線はずっと敵の魔術師に向けられている。……たしか顔見知りだったか。再会できてさぞ喜ばしいんだろうな。
「あの……本来の動き、とは? リッドさんも皆さんがまともに戦っているのを見るのは初めてですよね?」
レティリエのこの質問は、すまないが愚問と断ずるしかないな。
たしかに僕があのパーティーと行動を共にしたのはあの遺跡調査の時が初めてで、あのときは彼らの戦闘を見る機会なんて……狼を追い払った時と、最後の乱戦くらい? うん、参考になりそうにない。
けれど見なくても分かるよ。
「ワナのパーティーだぞ? 絶対に他が詠唱時間稼いで、破壊魔術でドーンが基本戦術だろ。というか他になにができるんだあの女」
まるで見てきたかのように光景が目に浮かんだようで、表情が曇るレティリエさん。そうだよねそんな顔になるよね。ワナが今やってるのって本質的にはサポートだもんね。
「メイン火力がいつもと違う戦い方してるから決め手に欠ける。前衛は足止めと牽制がやたら得意なので、致命傷は喰らわないが与えられない。結果として時間ばかり過ぎていく。あんな綱渡りみたいな攻防がここまで長く続くのは、ヤツらの普段の戦い方が歪なせいだ」
そしてその歪みの大元がワナ・スニージーという異才の魔術師である。
破壊魔術しか使えない弊害だな。普通の魔術が使えれば普段のパーティー単位での戦術の幅も広がって、今回の戦闘でももっと上手い立ち回りができたかもしれない。なんて残念な女だ。
「ですがそのおかげで、増援が来るまで保たせられたのです。素晴らしい働きですよ。心よりの賞賛を送りましょう」
こんな状況なのにエストは珍しく上機嫌だ。まあ式典抜け出したにも関わらず、ドレスから着替えてる間に終わっちゃいましたとかはあんまりだもんな。
今だって雑談に興じるフリして、美味しいところを横取りする算段をたてているんだろう。
……ふむ。しかし彼女の武器は短剣か。少し難しいな。狭いから前衛は渋滞するし、向こうの杖が厄介だ。
「一番綱渡りなのはディーノかな。相手の次手を読んで、行使してくる魔術に最適の防御法を選び続けてる。あの敵を相手に魔術戦はなかなかできることじゃない。後で頭でも撫でてやったらどうだ?」
「いいですね。そのときはあなたが提唱したことを念押ししましょう」
やめろぶん殴られる。
「だが、一番安定しているのもディーノだ。なにせ事前知識の差が違う。あいつが防御に専念していれば、多少のミスはカバーできる。一方で一番役に立ってないのは前衛の二人。要所で注意を引くくらいの働きしかできていない。そしてワナの魔力弾は驚異だが、マナを乱すことが主目的なために速度を優先し威力を減らしている。……つまりこの状況で、向こうにとって最も驚異なのは―――」
「ティルダ」
エストがそう言ったのと同時、敵の魔術師が聞き取れないほどの音量で魔術を行使した。
詠唱は破棄。使用する魔力は最小限で、最速かつ最高率のそれは、爪先ほどの風の刃となって前衛戦士の間をくぐり抜け、ハーフエルフの女に迫る。
第三段階だ。削り合いに入った。
「……っくぅ!」
ティルダが苦悶の声をあげる。
弓の弦が切られ、その反動で短弓が暴れたのだ。右手の人差し指の中程から親指の付け根にかけて流血していた。
「やはり向こうが一枚上手ですね」
「有利だと思ってたんだがな……」
「まだ有利でしょう。ですが、有利は勝利ではありません」
含蓄深いなエスト。どっかで痛い目見たりしたのか? ……なんて言ったら毒の短剣で刺されそうだから言わないけど。
「言ってる場合ですか。加勢すべきでは?」
呆れた物言いをしてきたのはモーヴォンだった。正論だな。
「そもそも、なぜそこまで冷静に観戦していられるんです? いつ死人が出てもおかしくないように見受けられるのですが」
「冷静に作戦を立ててるんだよ。この王女様は」
「そうですね。ですが進言はごもっともですので、そろそろ行きましょうか。エルフの坊や、わたくしに身体強化の魔術をお願いできますか?」
ニコリと優しげに微笑むエスト。
そんな顔できたんだな君。見た目が結構柔らかい感じだから、その方向のが良いと思うぞ。腹黒さが透けてるのは仕方がないにしても。
「あ……はい」
……ポーカーフェイスしてるが、今なんか変な間があったな。
もしかしたらモーヴォン、これくらいの年齢の女性が好みなのかもしれない。




