遺跡
神殿のような、厳かさを感じる建造物だった。
森の大きな木々には隠れるが、それでもこの世界にしてはかなり背が高く、やたらと面積がある建物。ごつごつとした粗い切り出しの石造りで、外面はツタに大部分を覆われていた。
壊れて開け放たれた大きな扉から、皆で中に入る。採光の配慮はされていないらしく、屋内は暗かった。
魔術師たちが魔術で明かりを灯すと、広い空間が浮かび上がる。
切り出した石の床と、多くの柱が支える石の天井。円形の柱にはたいまつ掛けが革紐で固定されていたようだが、その多くは朽ちて床に落ちていた。
だだっ広いホール。それがこの遺跡だった。
「一応、奥には部屋もある。荒らされていて、めぼしいものは何も残っていなかったがの」
ガザンが一団の皆にそう説明した。
「神殿でしょうか?」
ディーノが第一印象そのままに、誰にともなしに聞く。
するとドロッド教室の他の生徒が、口々に意見を述べた。
「らしく見えるが、神体がない」
「盗まれたのではないか?」
「見ろ。中央だけ柱が避けている。あそこに何か置かれていたのでは?」
「奥に行けば何か分かるかも知れない」
「みなさん、焦らないように」
気がはやって先行しようとする生徒たちを、ドロッドが止める。
「ここは遺跡です。見通しはいいですが、柱の裏に何か隠れているかもしれません。床にトラップが仕掛けられているかもしれません。好奇心旺盛なのは喜ばしいですが、安全面では冒険者の方の指示に従うように。……そうですよね、ガザン殿」
冒険者のリーダーとして話をふられたガザンは、重々しく頷く。
「前回とて隅々まで見てはおらんし、見落とした罠があるかもしれんからの。儂らが警戒しながら先に行くから、後をついてきてくれ。まずは、中央の柱がない場所でよいな?」
「ええ、それでお願いします」
冒険者の陣形が少し変わる。森ではドゥドゥムが先頭だったが、今度はガザンが先頭だ。ドゥドゥムとティルダは少し後ろに下がっている。
「ガザンはトラップに詳しいのか?」
新しい陣形を見て、僕はワナに聞いてみた。金属鎧のドワーフが遺跡の罠の対処をするのは、少し意外だ。
「そりゃあ、ドワーフは石工とか大工とかも凄いからねー」
彼女は得意げに胸を張って、どや顔で答える。
「そっかなるほど。建築技術的に変なところがあったら分かるのか。すごいなドワーフ。……でも、魔術関係の罠はどうするんだ?」
「一番頑丈だし」
「人身御供かよ」
だめだこいつら。道中で薄々分かってたけど、冒険者のくせに遺跡とか完全に素人だ。
「……ま、ここに罠なんてないだろうけど」
僕は近くの円柱を見上げつつ、そう呟く。
「魔術陣があるぞ!」
「ああこら、先に行くなと言っておるに……」
何か見つけたのか、ドロッド教室の生徒たちが先走る。虚を突かれた冒険者が止める間もなく、中央へ向かってしまう。彼らは遺跡によほど興奮しているようだ。ディーノまで走っている。
見れば、たしかに中央の床に魔術陣らしき模様があった。
大きな二重の円と、それを取り囲むように小さな円が四つ。方角は東西南北。
「上にもある!」
一人が叫ぶと、皆がいっせいに上を向く。つられて僕も見ると、床のとほぼ同じ魔術陣が天井にあった。……小さな円の配置は、東西南北より少しだけズレている。oh……。
「立体魔術陣だ!」
「意味は……ええい、単純すぎる。式もない。扉のようではあるが……」
「天上の音階か? だとしたら術式は隠匿されて……」
「いや、それでも基礎は同じだ。魔術陣の構成を見れば意図は読める」
「黒線は黒曜石だ。魔素濃度が高くて半分魔石化してる」
「立体魔術陣だぞ。天井の高さを計測しよう」
「その前に床の魔術陣の採寸をしたい。円同士の比率が……」
魔術師たちはてんやわんやだ。新しいオモチャを見た子供のように目がきらきらしている。分かるよその気持ち。
「ふわー……みんな凄いなぁ」
魔術師のくせにワナは完全に傍観者だ。君、完全にあのノリについていけてないよね。
「ワナ、あの魔術陣は調べたのか?」
「え、面白い模様だなって思ってたけど?」
こいつが一番ダメだ。分かってたけどさ!
本当に、よくそれで何もないって断言したよな……。
冒険者の他の三人も唖然として様子を見守っている。自分たちが見過ごした模様がここまで注目されるとは思っていなかったらしい。
まあわりと単純な図形だもんな。これで文字でも書かれていれば、まだ注目したんだろうが。
ダメな子たちに呆れながら、僕は柱をコンコン叩く。石造りだからか、経年劣化はそこまで酷くない。
とはいえやっぱ、ところどころ傷んでるな。
「さて、リッドさんはどう見ますか?」
ニコニコと楽しそうにイルズが近寄ってきた。面白がってるなこの神学者。
「……イルズさんは分かってるんでしょ? というか、ここがどういう場所かは最初から分かってましたよね?」
「ええまあ、国からある程度は聞いていましたので。とはいえ実は事情があって、副学長様にも詳細は話していませんが」
事情? やっぱ怪しいなこの男。もはや真っ黒レベルだ。
「それは初耳です。副学長は了承したんですか?」
「自分で調べたいので何も言わないでくれ、と。逆に頼まれてしまいました」
イベント気分かよ。
チラリと見ればドロッドも、生徒たちに混じって楽しそうに調査をしていた。あの爺さんイキイキしてるなぁ……。
「……少し拍子抜けです。遺跡は、ですが」
先の問いに答える。イルズは糸のような目を見開いた。だいぶん驚いたようだ。
「もう分かったんですか? 全部?」
「全部かどうかは知りませんが、おおよそ。魔具造りの錬金術師は、呪文や動作主体の魔術師より魔術陣に詳しいので。……あと、僕の話は聞きましたよね?」
ほぉう、と。
イルズは感嘆の息を吐いた。
「なるほど。我々神学者とは違う目線ですか。やはり勧誘したいですね」
「いえ、僕は錬金術師でいいです」
少なくともイルズの口利きでは職替えしたくないんだよなぁ。こいつ絶対異端認定一歩手前だよ……。
僕はイルズとの会話を打ち切って、視線を移す。魔術陣の方ではなく、その反対側。
レティリエは僕らとは少し離れたところで、うつむいて落ち込んでいた。声をかけたかったが、あまりに沈んでいて躊躇ってしまう。
きっと、だけれど。
あの話は本当に極秘の事柄だったのだろう。国家機密として口止めされていたのではないか。
彼女は後天的に勇者になった。勇者とは生まれつきで選ばれるものではなく、何らかの方法で変転するものなのだ。
そしておそらくだが、その方法こそが、神聖王国フロヴェルスの秘密なのだろう。
勇者とは神の腕に近しい存在である、とイルズは言った。
神の腕。創世記において世界を創る手伝いをしたとされる、人族の原種。
このセカイのコトワリを弄くり回し、好きなように変革できる権限を持つ者。
そんなものを一国家たる神聖王国フロヴェルスは管理し、秘匿していたということか。……背筋が寒いにもほどがある。
「ゲイルズ君! ちょっと来てください」
呼ばれて振り向くと、ドロッドがニコニコと手招きしていた。生徒たちも調査の手と口を止め、僕を見ている。
エリートたちが頭を寄せて議論する場など近寄りたくなかったが、呼ばれた以上はそうもいくまい。返事して中央へ向かうと、ドロッドは床の魔術陣を指で示す。
「この魔術陣について、錬金術師としての君の意見を聞かせてくれませんか?」
どうやら行き詰まっているらしかった。……もしかしたらドロッドはもう答えが分かっていて、講師としてあえて黙っているのかもしれないが。
しかし、副学長はともかく生徒たちの態度が最悪だな。
錬金術師風情に分かるものか、とか。
せいぜい笑いものにしてやろう、とか。
時間の無駄、的な視線を感じる。
自分たちに分からない物が、僕なんかに分かるはずがない、と高をくくっているのだ。
さすがにイラッとくる。エリートとはいえ専門分野は違うだろうに。素人どもめ。
「意見を言ってもよろしいのですか?」
確認すると、彼らから露骨に敵意が湧き立った。
「もちろん。そのために君を連れてきたのです」
なら、遠慮なく。
「この遺跡ですが、勇者の遺跡ではありませんね」
僕は肩をすくめて、そう言ってやった。
「魔術陣について尋ねたはずですが?」
ドロッドはニコニコ顔のまま、眼光だけ鋭くなる。恐いんだよなぁ、そういう顔芸。
「大いに関係あります。順を追って説明しましょう」
気がつけば、全員の視線が集まっていた。
ドロッド組は元より、冒険者組やイルズも注目している。レティリエも近くに寄って、こちらを見ていた。
「まず、先ほどの発言の語弊を訂正します。もしかしたら勇者はこの遺跡に立ち寄っているかもしれません。その場合、ここは勇者の遺跡と言うことはできるでしょう。ですがここは決して、勇者のために用意された遺跡ではない。……なぜなら、この遺跡は神代より後の建造物だからです」
視線を意識して、少し声を大きくする。ちょっとした演説のていだ。
そういえば、だけれど。
この一団の中で、もっとも浮いた存在が僕である。なんで連れてきたの? と誰からも思われているのが僕だ。
だからこういうとき、皆の興味を引くのは仕方がないだろう。……なのでまあ、せっかくだし存在意義くらいは主張しとこう。
「神代の魔法は、今の魔術とは違います。神や神の腕は、天上の音階という今の人族には使えない呪文を使用し、大規模な奇跡をいくつも起こしました。勇者のために用意された遺跡には、すべてこの天上の音階が使われています。ですが、ここにはそれがありません」
「しかし、天上の音階は隠されているものです。勇者が扉を開くときにだけ光を帯びて浮かび上がる、と多くの伝説の序章で語られています。なのになぜ、この魔術陣に天上の音階が使われていないと断定するのですか?」
副学長の反論に、僕は当然で単純な答えを返す。
「簡単です。仮に天上の音階が使われているのなら、たかが扉ごときに、ここまで大規模な立体魔術陣は必要ない」
「ああっ、そうか!」
ドロッドが大声で叫んで立ち上がると、近くの柱にすっ飛んでいく。……あれ、ホントに分かってなかったの?
彼の教室の生徒たちはまだピンと来ていないようで、自分たちの師の豹変に目を丸くしている。驚くよね。僕も驚いてる。むしろ若干引いてる。
「柱だ! この柱です。これの円がすべて魔術陣……立体魔術陣の役割を果たすんですね! なるほどこの配置、確かに魔術的な規則性がある。ゲイルズ君、失礼ですが話の続きを引き継がせてもらっていいですか?」
講義したいんだな……根っからの講師か。
どうぞ。僕がやるより上手いだろうし。
「それでは、講義を引き継がせていただきます。まずは先ほどの神の腕の話をしましょう。みなさん知っていると思いますが、人族の原種である方たちですね。彼らは世界を創り終えその役目を終えると、多くの力を失ってしまいました。天上の音階も使えなくなってしまいます。人族の祖として繁栄するにあたり、それらの力は不要なものとされたのです」
あー、そこからかー。ガチ講義が始まっちゃったな。
ワナさんはよく聞いとけよ。
「しかし子孫たちの中には、かつての力に近づこうとする者がいました。彼らは天上の音階の原理、即ち魔力の理を不完全ながらも解析し、自分たちでも使えるように編纂を始めたのです。つまり我ら魔術師の始まりですね。……といっても最初期は、どちらかといえば魔術より、錬金術の方が近い。彼らは一番はじめに、魔術陣の組み合せでマナを操る方法を発見したからです。これは言葉や文字より、絵の方が理解しやすかったからだ、といわれています」
ドロッド講師が目配せしてきたので、僕は頷いておく。
「はい。ですので、錬金術師である僕は気付きやすかったのです」
「我々魔術師も魔術陣は使いますが、用途はあくまで補助ですからね。錬金術師のように一から十までの独立機構を構築することは、まずない。まして式も使わず陣の数と配置のみで意味をもたせるだなんて、それこそ今の時代では酔狂ものな技術です。我々が分からなかったのも当然でしょう。これはもう、ゲイルズ君の知見の素晴らしさを称賛するしかありません」
ドロッドの生徒たちが唸る。
自分たちが分からなかった謎を解かれたのは悔しいが、こっちの専門分野だと知れば納得せざるを得ない。まして師のお墨付きとならば、ぐうの音も出ないというやつだろう。
とはいえ、これは専門性の違いだけの話だ。僕が最初に気付いたのは、たまたま詳しい分野だったというだけである。ドロッド爺さんならもう少し時間かければ分かっただろうし、ことさら称賛されることでもない。
「話を戻しましょう。さて、原始的な魔術を得た彼らですが、その目的はかつての先祖の力に近づくことでした。神の腕と同じことをしたい、ということですね。なので彼らはまず、祖先のまねごとをした。具体的に言えば、勇者の遺跡を造ろうとしたのです」
ドロッドは愛おしそうに柱を撫でる。遙かな過去に思いを馳せ、陶酔しているようだった。
ハルティルクの副学長ともなれば権謀術数の妖怪というイメージがあったが、今の彼を見ていると、もはや史学好きの爺さんにしか見えない。本当はこっちの顔が本性なのかも、とすら思えてくる。
「しかし原始的な魔術ではあまりにも効率が悪い。神の腕をまねるにも、同じことなどとうていできません。けれど彼らはこう考えました。効率が悪くて同じことができないなら、単純に仕掛けを大きくして、足りない分を補ってしまえばいい、と」
「それは……なんというか」
ドロッドの近く……最初から柱のすぐそばにいたティルダが口を挟み、言い淀む。
「すっごく頭が悪いね!」
元気よくその続きを口にしたのはワナだ。
よし、ちゃんと話についてこられてるな。さすが副学長の講義だ。
「そのとおり。とても頭の悪い結論なのです。かつては指先一本でできていたことを、大規模な力ずくで再現してなんになるというのでしょう。しかし、彼らはそうした。そこにどんな理由や思想があったのかは分かりませんが、きっとそうすることが彼らにとって大切なことだったのです。そして、傍目には愚かで無意味に見えても、それを積み重ねた歴史があって今の魔術がある。これもまた事実なのです」
「……つまり、この神殿のような遺跡は、すべてが魔術陣ということでしょうか?」
ディーノが躊躇いがちに問いかける。
話の内容は理解したが、目の前のこれがそうと言われても、なかなか受け入れられないのだろう。それだけこの遺跡は大きい。
「はい。とても貴重なものなのでよく見ておくように。こういった遺跡は数が非常に少ないですからね。時代は陣はあっても式はない、魔術歴の最初期のみ。そして立地は霊脈の上限定です。それより後世の魔術師がこの土地の再利用を考えていたら、それこそ跡形もなく壊されるか改造されてしまうかで、こんな完璧な形で残っているなんてことは……」
「あ、改造はされてますよ。ここ」
うっかり言ってしまって、またもや注目を集めてしまった。ドロッドなんか凄く驚いたうえに落胆して憤慨している。貴重な遺跡になんてことしやがるって顔だアレ。
ごめん、犯人はあなたも知ってる人です。
「改造というか、大部分は補修ですけどね。経年劣化で魔力の通りが悪くなっている部分に手を加えた跡があります。そしてそれとは別に、新しく付け加えた陣も。アレです」
僕は天井を指さす。先ほども見上げた、床にあるのと同じ魔術陣。
「アレ、遠目だし床のと色が似ているから分かりにくいですが、黒曜石じゃないですね。後の時代の技術で円形に加工した魔石です」
ドロッドたちは遺跡全体が魔術陣とは気づいてなかったから、柱の補修跡も見逃していた。
後から手を加えた者がいることに思い至らなかった。
だから、天井の魔術陣が時代的にあり得ない理論であることも、考慮の外だったはずだ。
―――まあそもそも、あんなクッソ変態理論を一目で見抜けるのは僕ぐらいだろうしな。
これでも一応、ヤツについては誰よりも調べたという自負がある。
「この遺跡、発動条件はかなり厳しいはずですから、効率化のために加えたのでしょう。小円が床と少しズレてるのは……ああ、副学長は分かってもらえたようですね。はい、螺旋術式の構想だと思います。あえてズラした同形魔術式を同一陣内に置くことで共鳴させ、共振を起こし、本来なら嫌うべきブレをわざと呼び込んで、一つの魔術陣を連続して何度も起動させるよう誘導するやんちゃ理論。あまりに繊細な調整が必要なため、歴史上でも真に使いこなせたのはただ一人」
僕はこの冗談が通じる相手の数を数える。ディーノとワナ。そしてドロッドとイルズ。
四人もいれば上等か。
「二百年前の勇者パーティの一人、薄羽杖の大賢者ハルティルクです。……父が貴重な遺跡を傷つけてしまったようで、申し訳ない」