決断
そもそもの話、だ。
ハティータスの計画の最終目的に心当たりがある時点で、この日この時刻が最も危ういのは分かっていた。式典の場に警備を多く割かねばならず、どうしても城の他の場所が薄くなるからだ。
ハティータスはこちらが気づいていることを知らない。だから深読みは意味が無い。
対策はしてきた。ただし不十分ではある。
ククリクからの手紙を受け取った日、ナーシェランは僕の問いに答えなかった。さあ、何の話でしょうかとしらばっくれた。
たとえ勇者の仲間にも、国の最高機密には触れさせない。見上げた意識の高さで、だからこそ彼は信用できないが信頼できる。融通のきかなさは立ち位置の変わらなさを意味するが故に、僕らさえ変わらなければ裏切りの心配は無いからだ。やはり僕らのバックボーンは彼がいいのだろう。
だからこそ、ここしかない。
「魔王殿を警戒するならば、勇者はここを動けません。ハティータスという狼藉者はこの状況下を作ることで最大の障害を排除し、王城内にてなにかよからぬことをしでかす企みでしょう。……しかしそれは、勇者さえ行けば敵の目論見は潰せるということ。ナーシェラン王子、どういたしますか?」
僕はあえて判断を委ねる。ここの決断も彼にとっては実に悩ましいところだ。なにせ王位継承の票が動きかねない。
ここの判断を誤って失敗すればいきなりケチがつくわけだからな。
悪意ある狼藉者を許さぬべきか、それともお集まりいただいた貴賓たちの安全を重視するべきか。この場ではナーシェラン王子の下で動いている以上、それはもう僕らの判断で決めるべきことではない。
「…………」
ナーシェランはすぐに答えられない。
普通ならハティータスは兵に任せ、ここには魔王に対抗できる勇者を置くべきである。しかし相手は凄腕の魔術師で、人形を使って遠隔で嫌がらせしてくるような輩だ。捕らえるならば今が千載一遇。なのに割ける戦力は少ないとくれば取り逃がす可能性も無視できない。
そしてここにいる魔王軍の戦力で、マトモに戦えそうなのは青年一人のみ。さらに魔王本人はよく知っている人物である、とくれば戦闘になる可能性は低い。しかし貴賓たちの安全確保は軽々しく放り出せるものでもなく、もし魔族が暴れたとなれば責任問題は免れない。
失敗するわけにはいかない。
「なるほど。どうやらボクたちは、この招待状の差出人にはめられたようだね!」
周囲に聞こえるよう、ククリクが声を張り上げた。
なんてわざとらしいんだ。どうせここまで予測して、あえて顔を出したのだろうに。
「ねえ魔王さま、魔王さま。これってどういうこと? 人族に魔族が侮辱されたということでいいの?」
ゼファン、と呼ばれていたルグルガンによく似た少年が、ククリクに負けない大きな声で魔王に聞いた。なるほどそうくるか。
しかし、こっちはわりといい役者だ。なかなかの子役になれるかもしれないな。
「いいえ。ゼファン、しっかり覚えておきなさい。人族はひとくくりではありません。この場合は、あの招待状の差出人が我々を侮辱したと言うことでしょう」
微笑みを浮かべながら、僕の同郷は子供に諭す。
なるほど上手い運びだ。それはこの場全ての者へのメッセージで、つまり立ち位置の表明である。人族社会にある程度の理解があることと、現時点でフロヴェルスに悪印象を抱いていないことを同時に伝えている。
で、台本はどう続くんだ?
「あア、そレはいけません。ソレはいけませんネ、魔王様。私は王を護る者としテ、魔王様に浴びせられタ侮辱だけは許すわけにイキマセン」
―――テメェが一番大根なのかよルグルガン。お前もっとガンバレよ。そういうの一番器用そうな顔してるじゃないか!
なんなのお前? なんでそんな知的系イケメンのくせにいきなりカタコトしゃべりになっちゃうの? 決められた台本持つと途端にポンコツになるアドリブ芸人なの?
「……黙りなさいルグルガン」
今代の魔王殿……それ台本じゃなくてダメ出しだろ。
「たしかに我々は侮辱されました。恥は雪がねばなりません。ですが、ここは他国の地。それも王城の中ともあれば、勝手をして良いはずはないでしょう」
なかなかやってくるな。さすが元神聖王国の王女。
誇り高く、理性的で、そして立場をわきまえることができる。それが今代の魔王であると、今まさに神聖王国の重鎮たちが目にしている。
王女ネルフィリアを以前から知る者は混乱しているだろうが、混乱しているが故に不用意なアクションを起こせずただ見守ることしかできない。タチの悪い冗談を見させられている気分だろう。
そういうデモンストレーションか。この状況を最大限利用してきているな。
遠路はるばる来てくれたし当然だが、戴冠の儀の後になにかするつもり満々なんだろう。
「では、このボクから提案をしよう。フロヴェルスの王子殿、この魔王軍最高幹部の一人にして学徒ククリク、魔王軍の代表兼人質として、勇者と共にハティータス・クメルビルスなる咎人の捕縛に協力したい!」
やってくれる。やってくれた。
やりやがった。
侮辱だの恥だのどうでもいいくせに、なんなら逆手にとって利用する気でいるだろうに、もっとずっと安全なやり方ぐらいあっただろうに。
白い女は敵地のど真ん中で、わざわざ勇者の前にその身を差し出す。
「……クソ女」
僕は思わず悪罵を漏らす……。分かってはいる。分かってはいた。そういう相手だと予測できてはいた。
息をするように禁忌を犯すような相手だ。魔術陣を芸術の域まで完成させる相手だ。筋金入りの術士に違いない。
いや相手の自称を尊重するなら、筋金入りの学徒か。
魔族軍の目的なんて知らない。けれどこの女の目的は分かった。リスクなど目に入らないほどのリターンはたしかにあるだろうさ。
学徒。僕の敵の在り方はそれに尽きる。
「お兄様。どうやら魔族の方々は、私たちの敵を同じく敵と見なしている様子。ええ、彼らの心情は理解できます。王への侮辱は臣や民への侮辱と同義ならば、不埒者には必ずや制裁を加えねばなりません。そしてもし貴賓たる魔王殿を侮辱した咎人を取り逃がせば、神聖王国の威信までも底まで落ちるでしょう」
白いドレスのネルフィリアが壇上に語りかける。
―――魔族も人でしょう。……そう、あのウルグラの夜に前魔王に言い放った女が、人族と魔族に違いを見出さない特異点が。アノレの門下、僕の弟子が。
真剣な表情で、己の望みのために一歩を踏み出す。
「神聖王国第三王女ネルフィリアは、彼らの提案を受け入れるべきだと愚考します」
周囲に見られぬよう、僕はこっそりと溜息を吐いた。ほら見ろ、ネルフィリア姫さまにおかれましてはやはり真性の大馬鹿者でいらっしゃった。
……勇者と魔族との共闘か。ああ、悪くないな。人族と魔族との歪な関係を憂う彼女にとって、それが実現すればたしかにささやかな前進になるだろう。
後も先も、過去も因縁も見えていない。真っ白な彼女だからこそ、フラットなネルフィリアの視点だからこそ、あっさりと踏み越えられる一線。
まったく。本当に、まったく……好き放題やらかすよな、どいつもこいつも。
ナーシェランの気持ちを考えてやれよ。ほら、厳かな顔を保ち続けてはいるけど、内心は絶対しかめっ面してるぞ。
「―――僭越ですよ、ネルフィリア。現在は王位空白であり、あなたは継承権四位とはいえ、重要事項の臨時決定権はあくまで王位継承権第一位の当方にあります。あなたには、この場での発言権を許した覚えはありません」
厳しい面持ちで、ナーシェランは壇上から言い放った。ネルフィリアがビクリと萎縮するほどに、貴族や司教たちですら静まりかえるほどに冷たい、いままで聞いたこともない頑とした声。
へぇ……やるじゃないかナーシェラン。本当は王様なんてなりたくないくせに、立派じゃないか。
「魔王殿。事情は把握いたしました」
それは、大国の首長たる者の……己の背に全て負うことを、覚悟した者の声音。
「そちらの提案を受けましょう。……勇者レティリエ・オルエン。ククリク殿と共に、ハティータス・クメルビルスなる罪人の捕縛へ向かってください」
大切な妹のやらかしの責任まで全部、背負いなすったか。




