来訪
当然だが、僕らのあずかり知らぬところでも状況は動いている。誰もがそれぞれに事情を抱え、意思を持って行動する。
僕には、そいつらは自由意志の権化に見えた。
「わあ、もう始まっちゃってる! ちょっと遅れたね。ごめんごめん、慣れない服に手間取っちゃって!」
警備の兵士をすり抜け元気いっぱいな声を出したのは、褐色の肌とサラサラな銀髪の少年だった。まだ子供らしく、幼い顔立ちに似合う声変わり前のテノールが響く。
「こらゼファン。強行突破はやめなさい。我々はあくまで招待を受けてここに来たのですから」
大して怒ってもいない様子で諫めるのは、その少年と同じ褐色の肌と銀の髪の青年だ。ロムタヒマ貴族の正装をバッチリ着こなしているが、あの一癖も二癖もありそうな笑みには見覚えがある。
邪眼族のルグルガン。あの塔でずいぶんやらかしてくれた上級魔族の筆頭。先の子供は血縁だろうか、顔の作りがよく似ていた。
「そうそう、ボクたちにはこの場に参列する権利がある。ほうら、招待状だよ。どうぞ確認してくれたまえ」
わざわざ大きな声で警備兵に権利を主張しているのは、矮躯の白い女だ。こちらもロムタヒマの正装姿だが、女性用のドレスではなく男装だった。日光からアルビノの肌を守るためかつば広の帽子を被り、この暑いのに黒の外套まで羽織っている。
レティリエが驚きに絶句していた。僕は引き笑いのような表情で固まってしまった。
三人の内の、見覚えのある二人があまりにも危険な人物だったから……ではない。それはそれで非常に重大事だったが、それどころの話ではなかった。
「え、ええー……?」
間抜けな声を出したのはネルフィリアだ。あからさまにドン引きしていたが、無理もない。捕虜の経験がある彼女ほどあちらの事情に詳しいわけではないが、こんなの僕でも有り得ない案件だと理解できる。
ソレはこんな場所に来てはいけない人物だった。
カツン、と大理石の床が鳴る。恐ろしく繊細なレースをあしらった、漆黒のドレスの裾が揺れる。
四人目の人物。大きな羽根飾りの帽子を目深にかぶった、あまりにも美しいアッシュブロンドの髪を腰まで伸ばした女性。
その女がただ歩くだけで、歴史が動くような錯覚を覚えた。その存在感に誰もが視線を釘付けにされた。
「ああ、魔王様。大変だよ、差出人たるハティータス・クメルビルスなる人物は罪人ゆえ、この招待状は認められないと、そんな無慈悲なことを言われてしまった!」
芝居がかった声でククリクがわめく。声が笑っているのは、どうせ端から予想済みだったからだろう。
なんにしろ、その言葉は周囲がざわめくに十分だった。情報量が酷すぎる。ハティータスの名もそうだが、その前になんと呼びかけた役職名が明快すぎる。
「そうですか。では誠心誠意、お願いしてみましょう」
若く涼しげな音域の声でそう答えた女性は、優雅な所作でその帽子を脱いで素顔を晒す。
それだけで、その場の誰もが息をのんで声を失った。この場の誰もが知っている顔だったからだ。
なるほど。魔族になっているだろう、とは聞いていたが、どうやら彼女の肉体のベースは元の素体を……って、そんなことはどうでもいい。
「隣国の支配者として、そして今代の魔王として、戴冠の儀を祝福しに参じました。誇り高きフロヴェルス王家の皆様、どうか参列のご許可をいただけませんか?」
魔王と名乗った人物はあくまで来訪者として、壇上のナーシェランとエストに語りかける。その顔は……僕の隣にいる弟子とうり二つで、けれど放つ雰囲気は明らかに異質で。
初めて目にするもう一人の同郷の暴挙に、僕は頬を引きつらせることしかできなかった。
「魔王、って言ったのか?」「まさか、冗談だろう?」「そもそもあれはネルフィリア様では?」「いや、ネルフィリア様ならあそこに……」
場内がざわついていた。神聖な式典中であるからか、ざわめきは決して大きくはならないが、収まりもしない。誰もが混乱中で、異常な事態だということだけが皆の共通認識で、だから正しい判断が分からない。
ただただ遠巻きに、現れた四人を眺めるだけだ。
褐色の子供は、皆の注目を浴びていることを意識してか胸を張ってみせる。
青年の方は一見柔和な笑みを浮かべながらも、油断なく周囲を警戒しているのが分かった。
白い矮躯の女は招待状を見せびらかすように、顔の高さで掲げている。
そして……魔王を名乗った女は、壇上にいるナーシェランとエストへ懐かしそうに視線を向けていた。
今、その女は素顔を晒し、魔王を名乗った。
その上で、隣国の式典を祝福するために参列を願い出ている。
とりあえず、状況は分かった。
つまり、あちらさんはハティータスの野郎に招待を受けて、わざわざこの式典にやってきたらしい。もちろん他にも目的はあるのだろうが、この場にいる理由は理解した。
正直に言えば……ククリクがこの近くに来ていると知った時点で、僕もナーシェランも警戒はしてはいた。あの日から城内はさらに警備を強化されている。特に今日は厳重だ。フロヴェルスの偉いさんが大勢集まるから。
魔族がここを攻めれば、神聖王国は大打撃を受けるだろう。そんなことは分かりきっていて、ナーシェランもちゃんと警備を二重三重に張り巡らせたはずである。
「たった四人で乗り込んでくる……それも、子供つきで正面から、か」
もはや呆れてしまって、ぼやくことしかできない。
忍び込もうとしたのなら、わざわざ用意した警鐘の結界に引っかかるか、警備が阻んだだろう。もっと大人数で来るなら、城門が騒ぎの場になったのだろうか。
けれどこんな油断を誘うメンツで正面から来たなら、あの魔族の青年―――ルグルガンが招待状を確認する兵に邪眼でちょいと幻術でも見せてやれば、あっさり通れるのではないか。
どうすれば良かったんだろうなぁ。……というか、なんで僕はククリクに常識を期待したんだろうな。
あいつは人族の事情なんか知ったことじゃないだろうし、絶対こっちが嫌がるところを的確に突いてくるヤツだって分かりきってるのに。敵だから当然だけど。
誰も、動けないでいた。
ナーシェランは久方ぶりに会う妹の姿に唖然として固まり、エストも珍しい間抜け顔を晒して突っ立っている。
魔族が攻めてくるかもしれないからといつでも動けるようにしていた僕らですら、あの意味不明な四人をどう扱って良いのか測りかねた。
敵対の意思は感じられない。とてもじゃないが戦いの格好をしていないし、武器すら持っていない。
だからこそ、困る。対応が心底困る。手番を渡されているのが、非常に困る場面だ。
おそらく最も困っているのはナーシェランだろう。この申し出を承諾するか、拒否するか。それはこの戴冠の儀の結果にまで直結するはずだ。
教会は魔族に対して狭量だ。神の意に反する存在として滅すべしと教義を構えている以上、神聖なる戴冠の儀への参列許可は断固反対の立場をとるかもしれない。
貴族は誇りを重んずる。特に伝統ある古い貴族ほど格式を重視するが、それは投票権を使用する大貴族の全てが当てはまる。彼らは正式に名乗りを上げ少数で乗り込んできた相手を、敵とはいえ無下にすることはできないのではないか。
仮にこの場での戦いを選んだ場合、誰が見ても文句なしの完全勝利でなければならないのも悩みどころだ。大きな被害が出る、あるいは逃がしてしまう、なんて事態になったら、判断を下したモノの責任問題にもなろう。―――そして、相手だってさすがに無策では来ていないはずだ。
ナーシェランは動けない。同じく壇上にいるエストも同じくだ。それでも今代の魔王が判断を求めているのはこの二人で、判断するのに最も相応しいのもその二人だろう。
僕はレティリエを見る。彼女は驚愕と焦燥の入り交じった表情で、ただ一点、今代の魔王と名乗った女を凝視していた。
―――お姫様との思わぬ再会と、この場をなんとかせねばならないという焦り。けれど頭は真っ白でどうすればいいのか分からない、と。手に取るように分かるな。仮にこの場での戦闘になった場合、彼女は戦えるのかどうか。……無理だろうなぁ。
どうすればいい? 僕は自問するが、ろくな回答が浮かばない。
仮に戦闘になった場合、ヒーリングスライムの壁で被害をどれだけ抑えられる? 全力でやれば避難のための時間稼ぎくらいはできるか? 可能性は低いが伏兵を考慮するなら、ミルクスやモーヴォンは避難誘導に動いて貰った方が得か? あの魔王を殺すことはレティリエには無理だろうし、であるなら捕縛の必要があるが、前魔王であるゴアグリューズの予想では今の魔王は魔族に改造されてるはずで戦闘能力については未知数で……。
逡巡の間。……誰もがそこから抜け出す解を見つけられぬ内に、たった一人だけ魔族たちの前へ歩み出た者がいた。
姿勢正しく、足取りは軽やかに。止めるにはあまりにも自然すぎて、手を伸ばしたときにはもう遅くって。
今度は魔族たちが息を飲んだ。王家の紋章が入った白のドレスを身に纏う、美しきアッシュブロンドの髪の少女。
「ようこそいらっしゃいました、今代の魔王殿。神聖王国第三王女、ネルフィリア・スロドゥマン・フリームヴェルタと申します」
迷いもなく進み出た彼女は、完璧な淑女の所作で一礼する。この場の全ての注目が集まる中、ネルフィリアは笑顔すら浮かべていた。
周囲のどよめきも意に介さない、一見豪胆にも見えるその笑みを見た僕は、思わず頭を抱えたくなった。ああいう表情に良くない心当たりがあったからだ。
アノレ教室で何度も見てきた。過去の嫌な記憶がいくつもフラッシュバックしてくるほどに。
あれは……アレは、後先を何一つ考えていない顔だ。
こうすることが正しいのだ、とか。こうするべきなのだ、とか。そんな考えがあって動いたのでは、きっとない。
そうしたいと感じたから。ただそれだけの、心のままに動いた者特有の清々しい笑顔。羨ましいほどの馬鹿者の笑み。
僕はウルグラで、ゴアグリューズを追い詰めた少女の姿を思い出していた。
「フロヴェルス王家はあなた方を貴人として歓迎します。どうぞ、最前列へお越しください」




