彼方からの手紙 2
当然だが、僕たちが把握できない場所でも状況は動いている。
表面が平和でも、戦争中でも、たとえ人族の全てが根絶やしにされたとしても、変わらず星は回る。ちっぽけな僕らの視界に映るのは世界のほんの一部分でしかなく、千里眼を持たぬ身では壁一枚向こうで起きている事象すら認識することはできない。
だから僕らのあずかり知らぬところでなにがあったたとしても、驚くようなことではない。
「まず前提として、魔族側にとってもハティータス某は邪魔者で厄介者で消えてほしい存在である、と僕は推測している。理由はこれから説明していく」
場所を移すのも馬鹿らしく、僕は廊下を歩きながら推測を披露していた。やる気なさげに後頭部で手を組んでいるのは、集中しすぎた反動の鈍頭痛を誤魔化しているからなのだけど、王城だからかちょっと無作法に見えるようですれ違う者が眉をひそめている。
悪いな、今はマナーだの作法だのに気を遣ってる気分じゃないんだ。
「まず手紙の内容だが、凄く簡単に言えばこういうことだ。敵の本拠地に攻め込んでみたら面白いモノを見つけたよ、と。せっかくだからどういう内容のモノか教えてあげるね、と。まあその程度の事柄だったよ」
「……えっと、その程度、ってなんだか非常に重大な話をしてませんか?」
雑な説明をなんとか理解しようと、シワを寄せた眉間を揉むナーシェラン。まあ内容的にはセンセーショナルで反応は分からなくもないが、結果がともなってないからな。
「その程度なんだよ。わざわざ向こうがそんな情報を寄越してくるってことは、こっちで敵を追い詰めろ、と言ってるわけだ。つまり魔族は大本命のハティータス本人を取り逃がしていると見ていい」
魔族が殺してくれてるならそれはそれで楽できていいのだが、その場合こんな手紙なんか寄越しもしないだろう。
敵の本拠地を突き止めた魔族……おそらくククリクを褒めるべきか、襲撃から逃げおおせたハティータスを褒めるべきかは判断つきかねる。
ただ、今回は完全に魔族側に上をいかれた感があるな。僕らはハティータスの居所を突き止められていないのだから、諸手を挙げるしかない。
「……さて、ではなぜ魔族がハティータスの本拠地に行ったか、という話だが、それは最初の前提の推測に戻るわけだ。つまりなんらかの理由で敵対しているからだ、と推測ができるわけだな。」
「敵対って、その理由は?」
ワナが聞いてくるが、それに僕は肩をすくめた。
「向こうが意図的にこちらへ渡す情報を制限しているわけだから、そこは特定できない。昔から確執があるのかもしれないし、今回の案件で新たな悪縁が生まれたのかもしれない。……ハティータスの経歴では少なくとも二十年ほどは神聖王国内で活動していたようだし、後者の方が可能性は高いかな。そしてそれなら、なにかちょっかいかけたのはハティータスの方だろう。いくら特級の魔術師であっても、魔族側には一個人でしかない相手に接触する理由がない」
「まあ、その点については当方も概ね同意ですが」
「あ、でも魔族はこの国に淫魔の間諜を送り込んでいたはずだし、そのときに接点があったとしたら……」
「いえそれ初耳なんですが」
……あれ? 言ってなかったっけな。前魔王関係の話はややこしくなるから秘密にしてるんだったか。
ナーシェランはがっくりと肩を落とす。
「王になったときの仕事が増えました。……いえ、今のうちから対処しなければ」
「嫌そうな顔するなよ。得意分野だろ?」
「別に得意なわけでも……それ関係の分野なら当方よりエストの方が得意ですね。勝った暁には仕事を押しつけましょう」
この兄妹って殺人未遂の被害者と加害者だけど、それはそれとしてやっぱり兄と妹で遠慮とか無いんだよな。どんな精神構造してるんだろ。
「ま、この二組が敵対している細かい理由は分からない。分からないものは考えても仕方がないわけだ」
「推測でしょう? ハティータスと魔族がなんらかの協力関係にある可能性は?」
「可能性として排除しきれないが、ではなぜこの手紙を寄越したのか、という話になる。これはまず間違いなくハティータスのアキレス腱だ。協力者の害になる情報を僕らに教えるなんて、つじつまが合わない」
「手紙の内容がでたらめで、こちらの混乱を狙ったものの可能性は?」
ナーシェランの懸念はもっともだ。僕の推測はわりとガバくて、精査しようにも方策がない。だから説得力も生まれない。
事実、僕はこの問いには反論できない。だから留意しておくべきなのは当然だが……そんな安い手を使う相手ではないんだよな。
「そもそも、共通の敵だから一時的に協力しよう、と? 魔族が?」
声には困惑が含まれていた。
魔族とは邪悪と同義だ。特に神聖王国にとっては不倶戴天の敵といって過言ではない。魔族は邪悪であるが同時に研究対象、という認識も強い魔術大国出身の僕ですら違和感があるのだから、戸惑うのも無理はないかな。
ただ協力という点は解釈違いだ。
「いや、ククリクがそんなことを言うとは思えない。単に僕らを利用した方が合理的だと考えてるんだろうさ」
不思議な感覚だが、今回ククリクが僕を信用したように、僕もある意味でククリクを信用している面がある。
アレは冗談は言っても、都合が良いだけの幻想など抱かない。そんな下らない不合理を許せるような精神構造はしていないはずだ。
だからこれは塩を送られたとかそんな馬鹿な話であるはずがない。向こうに利益ある行いに違いなく、でなければおかしいとすら考える。
解け、と言われた気がしたのだ。
この手紙こそが設問であり、すべて答えが用意されていると感じたのだ。
「……なるほど。無条件に協力はできないが利益は計算できる。ならば取引はできるかもしれませんね」
それはどうだかな。相手は魔族、すなわち人族とは価値観からして違う相手だ。取引がマトモにできるとは思えないが……。
いや、できるかもしれない相手が現魔王なのか。なら彼にとっては縋りたくもなるのだろうな。なにせその現魔王こそナーシェランが最も殺したくない相手なのだろうし。
「ねえ、あたしに手紙を渡した女の子が、そのククリクって子なの?」
ワナのその問いには、むぅ、と呻った。
「手紙を渡してきた女性の外見的特徴を教えてもらえるか?」
「小さくて、髪の毛と肌が白くて、目の色が珍しい赤だったよ」
「うんククリクだな」
「あと無邪気な笑顔がすっごくかわいらしい子だった」
「違うかもしれない」
笑顔は笑顔でも、無邪気ではないよアレは。邪気たっぷりじゃん。かわいらしさなんて欠片も感じなかったぞ。
一度だけ相対した限りでは、自己主張の激しい笑い上戸という印象だ。こちらに向ける高揚した挑戦的な視線は、見た目の矮小さには不釣り合いな自信が垣間見えた。
「その子、魔族なんだよね? なんで神聖王国の王都にいるの?」
「そんなこと僕に聞かれてもな……高位の魔術師ではあるだろうから、そもそも本体じゃないかもしれない。幻影や使い魔……あのハティータスの人形みたいなものを使った可能性もある」
殺害される危険性を考慮し、自分の劣化コピーを造って使い魔にしていた女だ。危機管理能力は十分。まさかこんな敵地の真ん中に来るとも思えないが。……仮に来ていたとしたなら、準備万端で来ているのだろうかな。嫌だな。
「さっきも言ったとおり、情報が少なすぎて魔族側の状況は掴めない。今後はそちらも注意を向ける必要はある。……が、魔族としてもこの手紙を送りつけた時点でこちらが警戒するのは当然予測しているだろう。せっかく意識外の方向から奇襲できるチャンスだったのに、それをフイにしたうえで大それたことをするなんて考えにくい。とりあえず今は目先のクソボケ人形野郎だな」
「ハティータスと我々を争わせている間に、漁夫の利を手に入れる気かもしれませんが?」
「仮にそうだとしたら、魔族の狙いはなにかな? ―――いや、魔王の狙いはなんだろうかな、ナーシェラン?」
問いかけてみると、ナーシェランは押し黙って考え込む。
もし魔族がフロヴェルス近辺で暗躍しているというのなら、そこにはなんらかの目的があるだろう。そして現魔王はフロヴェルスの元王族であるのだから、その目的物は国家機密レベルの可能性があるわけだ。
「それに関しては心当たりがない、と言っておきましょう」
そうか。あるのか。
なんかいっぱい心当たりがありすぎてどれかなー、的な顔するのやめろよ?
「それより、結局その手紙の術式はどんな魔術に使われるモノだったのです? それを聞かない限りは、ゲイルズ氏がここまで語った推測にどうして至ったかが分からないのですが」
露骨に話を逸らすな。……と言ってやろうかと思ったが、話は戻っただけだな。横道に逸れていたのだから、大人しくしておこうか。
僕は手紙を改めて懐から出すと、そこに記載された術式の一部を再度確認する。
間違いなく、それはかつてあの遺跡で見た術式だった。
「ただの人体コピーの製造術式だよ。以前見たモノとは対象が違っているが」
言葉の意味を理解して表情を歪めたのは、ナーシェランよりワナの方が先だった。
遺跡の最奥にたどり着いたときに見た光景はショッキングだったからな。報告書に目を通したくらいの王子様よりは思い出すのが早いだろうさ。
「さて、ナーシェラン。ところでだが、この城の地下にはなにがあるんだったかな?」




