彼方からの手紙
「あ、いたいた! リッド、捜してたんだから!」
城内に戻るとすぐ、遠間から聞き慣れた声がかけられた。妙に落ち着くというか、気の抜ける声だ。これは僕だからそう聞こえるのだろうが、どれだけ張り詰めていても警戒するのが馬鹿馬鹿しくなるような音である。
視線を向ければ黒いとんがり帽子が落ちないように押さえながら、パタパタと走ってくる姿が見て取れた。
―――今回は敵方なんだけどな。向こうは学院、ひいては間接的に国を挙げてエストのバックについているのだから、この状況下であまり無意味に接触するのはよろしくないんだが……。まあこの少女にそういう細かなことを期待するのは間違っているか。
「ワナ、城内を走るんじゃない。あと形式上敵方でも王子に挨拶はしておけ?」
「あ、っとと。おはようございます、ナーシェラン殿下」
「はい、おはようございます。ワナ・スニージーさんですね? お噂はかねがね」
ナーシェランは完全に外向きの、それも対淑女用の微笑みで応対する。
そういえばこの男もそうとう美形だったな、と改めて思い出すほどの完璧さだ。オマケにフルネームまで覚えられているとくれば、そこらの乙女ならばコロッと恋しそうなくらいの王子様っぷりである。
「ええぇ、噂って……リッドのことだから、どうせいい話なんかしてないでしょ?」
この娘の思春期っていつになったら来るのかな……。昨日見た感じ、ディーノやドゥドゥムのどっちともまだ進展とかなさそうだったし。
「安心しろ。そういう噂話はレティリエからだ。……それで、なにしに来たんだ? 探してたってことは用があるんだろ?」
「あ、そうなの。実はさっき庭園の方を散歩してたら、手紙を預かっちゃって」
「手紙? 誰に?」
誰に、とは聞いたが、まあ分かりきっているよな。宛先はナーシェランだろう。隣のご本人も辟易した顔をしていらっしゃるし、もう何件か同じようなことがあったのかもしれない。
昨日の今日で旗色は変わった。エストが苦しい立場になるのは誰しも予想できることだから、今のうちにナーシェランに媚びを売っておこうと考える者が出たっておかしくはないはずだ。
あるいは、劣勢をくつがえさんと毒針でも仕込んでいるかだな。まあ、この第一王子がそんな安い手に引っかかるとは思えないが、一応僕が検閲しとくか。
「誰って、リッドへだけど? 他に誰がいるの?」
他に誰がいたんだろうかな……。うん、たしかにワナって、例えばナーシェランやネルフィリア宛だったとしても本人に直接届けそうな危うさあるよな……。
「いや、誰もいなかった。……というか、僕宛? 誰からだ?」
「ふふーん、かわいい女の子からだよ。しかも、愛しのリッド君へ、だって! ほらこれ!」
「………………は?」
すげぇ、まったく心当たりがない。
ワナが蜜蝋で封じられた手紙を差し出してくるが、たしかにそこには、愛しのリッド君へ、なんて女性っぽい文字で書かれている。けれど完全に無理だ。なに一つ信じられない。
脳内で知り合いの女性の顔を一人一人思い浮かべるが、とりあえず嫌われてはいないだろう相手なら片手が埋まるくらいはいても、そんな手紙を出しそうな相手はいない。トラップの香りがプンプンするぜ。
「おや、ゲイルズ氏にもついに春が来ましたか。いやあ、羨ましいことです」
「うんうん、前は引きこもって錬金術で理想の女の子を造るんだ、とか馬鹿なこと言ってたのに、まさかリッドがこんな手紙貰うようになったなんて。あたし嬉しくって走り回って捜してたんだよ!」
この二人って自身の恋愛にはひたすら興味ないくせに、なんで他人の恋バナには食いついてくるのかね……。うぜぇ。
「ナーシェランへ媚び売るために、外堀を埋めようとしてきたに一票」
どうせそんなところだろう。お相手は貴族の息のかかった侍女とかその辺だろうか。
端から見て、ナーシェラン組でそういう手が通じそうなのは僕だろう。レティリエやエルフ姉弟にもそれぞれ粉かけてくるヤツはいるかもしれないが、あの三人に比べれば一番与しやすいと思われるんじゃないだろうか。
大変だな、政治屋。
「有効な手ですね。これでゲイルズ氏が籠絡されてくれれば最上級の待遇をするところです」
ナーシェラン的には、僕をこの国に縛り付ける理由になるならなんでもいいんだろうな。嬉しくない。
「あ、でもでもリッド、ちゃんと身の回りのコトも考えるんだよ? 浮気とかしちゃダメだからね!」
「たしかに、その辺りについては細心の注意をはらっていただきたいですね」
コイツらなに言ってるんだ。
「安心しろ、僕にそんな気を遣うべき相手はいない」
そう言ってから溜息を吐いて、手紙の封を開く。人通りの多い廊下の真ん中だが、どうせナーシェランには検閲させるし、中身は空々しいテンプレ文章だろうからここで開けてしまっていいだろう。下手なポエムとか載ってたら笑いの種にできるんだが……。
「―――……おおう」
中に入っていた書簡を一目見て、そんな呆れかえった気分は綺麗に吹き飛んだ。予想外すぎてビックリした。
「? なにが書いてあるんで……お、おお?」
僕のリアクションを不審に思ったナーシェランが横から覗き込んできて、そこに書いてあるモノに驚く。
あからさまにちょっと引いてるけど、まあ気持ちは分かるな。だだ甘い恋文を期待していてこんなモノ見せられたら、僕でも面食らう。
「なにこれ? こわ!」
同じく横から覗き込んだワナが素直な感想を漏らす。
三つ折りにされていた手紙には米粒よりも細かい字がびっしりと、隙間もないほど全面に羅列されていた。四隅まで埋め尽くされているほどだ。これはヤバい。段落も余白もない文章で恋文とか、読む前からサイコな香りがするぞ。
「これは、また……強い情熱を感じますね」
言葉選びが大変だなナーシェラン。
「……ああ、たしかに情熱を感じるな」
僕はおざなりな受け答えをしながら、とりあえず文面に目を通す。
それは、恋文などではなかった。
魔術式だった。
脳が急速に覚醒するのを感じた。ガチガチガチと思考のギアが強制的に上げられていく感覚に舌打ちする。内容が恋文などではないことなど、最初の一行で理解していた。
視線だけで細かい文字を追っていく。周囲の声や音がただの雑音となって遠ざかり、真っ暗な水中へ潜るように外界から己を切り離す。
現実の些事などすべて投げ出して、息を止めて術式に対峙する。ただひたすら、視界から入ってくる情報を精査して頭の中で組み立てる。
つまり記載された術式の理解には、そのレベルの集中が必要だった。
―――オジサンはね、レティリエ・オルエン嬢ははたして、本当に勇者にふさわしいのか。今一度それを問う者なのだよ。
―――オジサンなら、お嬢さんを勇者という呪いから解放し、元のただの少女に戻すことができる
―――いくらオジサンがドロッドの小僧より上とは言っても……
―――瘴気とは、なんぞや?
―――しかしその在り方に敬意を払う。
―――自分が間違っていることを証明したいのだよ。
「ファック」
思わず悪態が漏れる。予想外にパズルのピースが埋まって、けれどたどり着いた答えには中指を立てた。
よく分かった。
アレがどれほどイカレているのか、ようく分かった。
分かったからもう怒りも失せた。
突発的に湧いた苛立ちは即座に哀れみへと変わり、同情にすらなってしまって、僕は口をへの字に歪める。自分が酷く情緒不安定になっているのは自覚して、それも仕方ないなと諦めた。
よしオーケー。なるほど了解した。情状酌量の余地をくれてやろう。敬意を持って裁決をきめてやる。あなたは望み通り完全否定での死罪がお似合いだ。
僕は溜息を吐いて、手紙の裏面を確認してみる。当然のように白紙で、まあ書く必要もないよなと再度息を吐く。
「どうせ差出人は君だろう。悪趣味な」
他に誰もいないのでそう結論づけた。状況的にどれほど常識外だろうと、こんなモノを僕宛に送ってくる相手など一人しかいない。僕は手紙の向こうにいる女へ迷惑そうな顔をしてやった。
なにが愛しのリッド君へ、だ。
君の愛はどうせ、ろくでもないネジクレ方をしてるだろうに。
「ああクソ……残念だな。ああ、これは残念だ」
最終的には心の底からそう呟いて、僕は意識的に現実へと浮上する。頭を軽く横に振ったが、意外にも暗澹たる気分にはならなかった。
残念だと本気で言ってみはしたが、漏らした言葉にのせた感情がそのまま空気へとけて、霧のように消えてしまったかのようだ。
まあ多分だけど、僕にとってそれはその程度のモノだったのだろう。
「ゲイルズ氏? なにが書いてあったのですか? 普通の文面ではなさそうですが」
ナーシェランに問われて、やっと僕はここが王城の廊下の真ん中だということを思い出した。
すれ違う偉そうな人たちが怪訝な目でこちらを見ているのが分かって、僕は肩をすくめる。
「リッド、たまに周りが見えなくなるクセ抜けてないね。いいけど、こんなところでなるのは止めた方がいいよ」
「ああうん、そうだな。ちょっと端に寄ろうか」
幼馴染みの指摘はもっともだったので、僕はとりあえず二人を連れて端に寄る。広い廊下だから通行の邪魔にはなってないけどね。悪目立ちするからね……。
ホントこのクセ、直した方がいいな。
「手紙の内容だが、恋文じゃなかったよ。これ全文が魔術式だ」
説明の仕方に迷って、とりあえずありのままの事柄を口にすると、二人がビクッと身構える。
「ば、爆発したりとかないよねっ?」「危険ではないのですか?」
ねぇよ。
「リソースも起動式もないのに発動するもんか。そもそもこれはほんの一部の抜粋だ。本来の術式量はもっともっと大きいモノだよ」
ナーシェランは魔術に対しての対抗知識は持ってるだろうし、ワナなんてまんま魔術師なんだけど、どうしてこんな紙切れ程度を怖がるかな……。
前者はビビりで後者は知識不足か。疑問なんてなかったな。
「そういえばだけど、ワナ。いつ上級魔術師になったんだ?」
「へ?」
「帽子。黒って上級の証だろ? 前は中級ですらなかったのに、この短期間でどうしたんだ君」
ワナは才能も実力もあったが、術士としての階級は最低位で止まっていたはずだ。
座学と魔力調整のダメさで試験は全敗。そのうえ冒険者なんてやってるから論文も出さず、恵まれた素質からの破壊魔法ぶっ放しが唯一の芸では、魔術の最高権威であるハルティルク魔術学院では初級すら抜けられない。
力はあるんだけどね。頭がないんだよね……。
「……師匠ニ特訓シテモラッタノ」
目から光を消すな。
「あのバッドラックメイカーに? 馬鹿か。師匠がやる気出した時なんて全力逃走が安定だって分かりきってるだろ。どうせ散々酷い目にあったじゃないか?」
「他ノ教室ガミッツ潰レタヨ?」
「他人に迷惑かけるなよ」
まああの人のことだから、もののついでで気に入らないトコ巻き込んだんだろう。喰らい合いで負けたトコなんか同情する気にもならないしな。
「ゲイルズ氏、ご友人との雑談はそのくらいに。結局、その手紙はなんだったのです? なにかただならぬ雰囲気で読んでいましたが」
内輪ネタが分からなかったからか、ナーシェランが話題を元に戻す。
たしかにこんな話は彼がいないところですればよかった。とはいえ、少しだけ安心できたのも事実だ。師匠が腰を上げてワナを鍛えたのなら、彼女はきっと大丈夫だろう。
僕は手紙をひらひらと振って、ナーシェランの問いに応える。
高度な魔術式の一部を抜粋した写し。それだけで十分だと挑発しているのだと理解できたし、同時にこんな術式の一部分でこの意味が通じる相手など僕くらいなものだから、誰に検閲されてもかまわない暗号になっている。
そうだな。ある意味でこれは恋文のようなものかもしれない。
彼女はたったこれだけで僕がすべて理解できると信用して、こんな手紙を寄越したのだ。
「これの差出人はククリク。魔族側でもっとも危険な学徒からの、僕を利用する気満々な手紙さ」




