王位継承者
別段、深い考えがあるわけではなかった。
女王様になるなら進言に耳を傾けるも仕事だぞ、とか上から目線で言う気も無いし、君のこういうところがダメだからちゃんと直そうな、なんて頭の悪い説教したいわけでもない。そもそもこの女にはなにを言っても無駄だ。
……そうだな。僕は、意図があって言葉を選ばなかったのではない。そこだけはハッキリさせておきたいところだ。
僕は単純に、この女の顔色をうかがいたくなかった。
「協会と仲のいいヨズィア伯爵の懐に隠れてた以上、ハティータスとやらは君の噂を知っているだろう。有象無象に埋もれるようなら期待外れ、なんて面白い言い回しだ。つまり君にはでかいことを期待していて、それの善し悪しは伏せているってわけだからな。……―――ああしかしこうなると、おもしろい、そして重要かもしれない推理がたってしまったな。ハティータスの狙いはフロヴェルスへの打撃というわけだ」
ナーシェランは現在までの既定路線をそのまま往くだろう。
マルナルッタは私欲に走るかもしれないが、そこまで邪悪ではなさそうだ。
ネルフィリアは上手くやれるかともかく、善人ではある。
「もし仮にフロヴェルスにいい感情を持っていなくて、滅ぼしてしまいたいとすら考えているのならば、次期王で面白いことになりそうなのはダントツで君だと考えるだろうな。ああ、君ならたしかに、フロヴェルスを終わらせてくれるかもしれない。―――むしろ、この千年王国を終わらせられるのは君くらいなんじゃないか?」
「本当に無礼な男ですわね。わたくし、この距離でしたら即座にその首を掻き斬れますわよ」
エストの目と声が怜悧になる。氷の手で襟首を掴まれたような、ゾクリとする感覚。さすがエスト、殺気の質が違う。
なんだか少し、笑えた。あの遺跡でお相手したときのことを、今はっきり思い出した。
懐かしい。あのときの僕は、殺すなら殺せという気で相対していた。
けれど今は、そんな気にはならない。それが少し、笑えた。
殺されるくらいなら殺し合おう。屈服する気が微塵もなくて、殺気に粟立つ肌がおかしかった。
「ロムタヒマ王都の手前にあるチェリエカという町で、僕はフロヴェルスへの憎悪で動いたことがある」
告白に、エストどころかナーシェランの顔までが驚きの顔をした。そうだよな、君には言ってなかったよな。
「レティリエを殺そうとした、あるいは見殺しにした国。それが僕にとってのフロヴェルスという国だった。だからロムタヒマ王都侵入作戦を決行するとき、魔族との戦場に投入して、囮役でもやらせてやろうと思ってね」
僕は中庭を見回す。美しい花が咲き誇り、木々が枝を伸ばし、大理石の彫刻が並ぶ。
この場で憩う者がいて、この場を手入れする者がいて、こんな中庭でも多くの者が居場所にするのだろう。
「滅びればいいと、思っていたさ」
後ろ歩きに一歩さがって、あえて二人を視界に入れた。
さて、僕はどんな顔をしているのだろうかな。今でもけっこう、この辺は赦していないしな……。
とはいえ、この国の多くの人間に罪はない。ナーシェランおよびロムタヒマ戦線の軍にも罪はなかった。
罪があるのは、今は亡き勅命を下した王。およびその勅命を受けた者。そしてその内容を知っていた者たち……くらいか。
ま、さすがに国ごと潰したいとまでは、今は思ってないさ。
「あのときは結局、僕の思惑通りになった。……が、戦場に向かったのは反吐の出る罪人ではなく、ただの気のいい馬鹿たちだった。ま、戦うのが仕事の兵士だから向こうだって文句はないだろうが、少なくともあの感情で動くのは間違っていたよ」
息を吐く。感情ごと吐露するのはいいな。周りの視線を気にしないのであれば、とりあえずスッキリする。
「そんな僕だから、相手の感情は分からなくもない。―――マルナルッタじゃなくわざわざ君を選んで推したのは、君が最も王に相応しくないからだろう。そしておそらく、それ自体には意味が無い。ハティータスとやらの本当の目的は別にあるはずだ」
「なぜ、そう思うのですか?」
「ヨズィア伯爵のところで正体を明かした理由がない。あれでかなりナーシェラン側に傾いたからな。それでも出てきたってことは、君を女王にする計画の成否は二の次、という動きに思える」
エストはベンチに座ったまま僕を見上げ、僕はその視線を受け止める。
「なるほど。では、わたくしは利用されているだけと。そうおっしゃるのですね?」
「そのとおりだ」
「……まあ、分かってましたけどね」
ふ、と。その瞳から力が消えた。瞼を閉じて顔を逸らし、消沈したように俯く。
そのしおらしい反応が意外で、僕は信じられないものを見たように二度ほどまばたきし……―――それが隙となった。
「ッシ!」
「おぐっ?」
空気を斬り裂くような鋭い息音と共に、拳が鼻っ柱にとんできたのである。
完全に意識外の攻撃で無様に尻餅をつき、痛みに顔を手でおさえるとぬるりと血で濡れた。鼻血が大量に出ていた。
「あなたには以前、鼻を折られましたからね。ええ、いずれその命で払わせるつもりでしたが……気が変わりました。これで赦してさしあげましょう」
目がチカチカしてよく見えないが、エストが立って僕を見下ろしているのが分かった。クッソさすが異端審問官長……というか、裏組織である審問騎士団の長。体術でかなう気がしない。
「ええ。わたくしは利用されているだけ。そんなことは分かっているのです。どう考えてもこの事態はおかしいですから。……それを誤魔化すようであれば首を掻き切るつもりでしたが、正直に口にするのであれば、非常に残念ではありますが殺すのはやめてあげましょう」
「……いや、待て。それじゃなんで殴る?」
「それはそれとしてムカつくからです」
この女……っ。
「リッド・ゲイルズ。一つ、わたくしと取引しなさい」
嫌そうに、心底嫌そうにエストは提案する。……そういえば昔、彼女と取引したな。
共に世界を救おう、と約束したんだったか。
「承諾するならば、ええそうですね。欲しいものを一つくれてあげましょう」
「……それは、なんでも?」
「わたくしのできる範囲でなら」
「取引内容を聞こう」
即答すると、横で見ていたナーシェランが変な顔をした。……ああうん、ごめん。君の報酬には飛びつかなかったもんな、僕。
取引の内容はとてもエストらしいもので、思わずドン引きしてしまった。まあ僕らに損のある内容ではなかったため、即断で頷いたわけだが。
ホントに大変だなディーノ。ワナたちもガンバレよ、って感じだ。これ僕のせいじゃないから。
「アレは、昔からいったいなにを考えているのか……」
頭痛がするのか、ナーシェランが眉間を揉みながら呟く。
エストは取引が成立してすぐにこの場を去った。自分が利用されているだけだと感づいていた彼女は、元々その話だけをしに来たのだろう。まったくもって精神に悪い女だ。
今の僕らは中庭のベンチで男二人、日照りに晒されながら座っている。……ちょっとヒーリングスライムさん、鼻の治療はやくしてくれないかな? これかなり遠慮無くやられて重症っぽいけど、治さないと人前に出るの躊躇うからな?
「僕の幼馴染みも言っていたが、エストは単純なのさ。思い立ったらそうしなければ気が済まない。そしてそのうえで―――すさまじく性格が悪い」
なんで実のお兄さんへ妹さんの説明をしてるんだろうね、僕。
「あの女は信用できないが、分かりやすいよ。なるほどたしかにディーノであれば、善王へと操る……なんてことも可能かもしれない」
僕だったら絶対嫌だが。ホントに嫌だが。もうできれば今後の人生で関わりたくないレベルで嫌だが。
けどまあ、ディーノならもしかしたらできるかもしれないから、もし彼女が女王様になったらせいぜい頑張ってほしい。大丈夫君ならできるから。
「させませんよ。この国の王は当方がなります」
ナーシェランは溜息のようにそう口にする。僕はそんな彼の様子を眺め、ふと気になって聞いた。
「君は王になりたいのか?」
なんの気なしに発した問いに、眉間を揉む手が止まる。
彼は目を細め、口を歪めた。目をそらす横顔が、一瞬、五歳ほど老けたように見えた。
「いいえ、全然」
そうか。……そっかー。
今、マジな声音だったな。思わずドン引きするほどに。
僕以外に人がいなくてよかったよ。
「君も、エストも、いずれ国のためにレティリエを殺す可能性がある。だから僕としては、二人共に失脚してもらってネルフィリアに女王をやらせるのが一番なのかもしれないな」
「そういうわけにもいきません」
深く、深く息を吐いてから、ナーシェランは姿勢を正して背を伸ばす。
そう在らねばならないのだと、胸を張るように。
「王とは、なりたいからなるものではありません。エストはそれを勘違いしていて、ネルフィリアはそれを理解していません。見込みがあるのはマルナルッタくらいですね。―――王とは、ならねばならぬから、なるのです」
なるほど損な性格してるな。
ていうかマルナルッタ姉ちゃん見込みあるのか。
「民のことを考えて自分で腰を下ろすか、民に縛られるかでやるのが王様だ、と知り合いの元王様は言っていたな」
「ほう、あなたの知り合いに王族がいるとは知りませんでした。それも元王とは。ええと、ルトゥオメレンではないですよね? 先代がお亡くなりになって十五年はたっていますから……」
そこはツッコまないでくれ。
「とにかく、君はその前者ってことでいいか?」
「そうですね。たとえ民に望まれていなくとも、当方が王位継承するのが最も民のためになると信じています」
僕はその受け答えを聞いて、それから自分の鼻の具合をたしかめる。血は止まったし、痛みも引いたな。もうヒーリングスライムはとっても大丈夫だろうか。
「君の王道がいつか間違ったら、勇者パーティーが相手になるからな?」
ナーシェランの顔が強張る。
彼はレティリエが間違ったなら、命に代えてもそれを止める、と言っていた。なら逆もあるだろう。いくら彼が優秀でも、王となった後、間違った道を選ばないという保証はどこにもない。
フロヴェルスの王位継承権第一位は、噛み締めるように瞑目してから、
「そのときは、よろしくお願いします」
こちらがたじろぐほど真摯な声で、そう言ったのだ。




