エストという王女
「ハティータス・クメルビルスという神学者と初めて会ったのは、わたくしが異端審問官の長になる前のことになります」
中庭に設置されたベンチにハンカチーフを敷いて座る、というのはまあ淑女の所作なのだろう。が、こうして実際に見るとちょっと驚いてしまう。
今まで旅してきた中でそんなことする女子いなかったぞ。というか前世でも見たことない。なのに君がそういうことやるのか、エスト。
「……なあ、ナーシェラン。ハンカチーフを敷いて座るのって普通なのか? レティリエやネルフィリアも本来はああいう座り方するのか?」
「貴族の女性ならまあ、普通ですかね。ドレスが汚れるのはまずいですから。ただ今のエストは異端審問官の制服なので、アレは単にクセですね」
「話に集中しないなら止めにしましょうか? それとこの服は特注ですので下手なドレスより高価なのです」
それ経費から出してるんだろうなぁ、と漏れそうになった言葉をなんとか押しとどめる。せっかく気まぐれで情報くれるといっているのに、へそ曲げられて終了してしまうのは惜しい。
というかそうか、僕が会ってきた女性って基本的に旅装か仕事着か普段着だったもんな。そりゃあんな座り方なんてしないわけだ。
……いや、ドレス着てても地べたに平気で座りそうなの何人かいるから、やっぱり育ちの差だわこれ。
「端的に言えば、ハティータスは我々異端審問官の協力者でした」
「……協力者?」
意外な関係性に、思わずそのまま返してしまった。エストが知っていると聞いて、異端審問官のブラックリストに載ってるんだとばかり思っていたが。
「ええ、彼は異端狩りには協力的でした。というか、王国や教会に協力的だった、と言いましょうか。神代のさまざまな遺跡に赴いて教会に有益な論文を多く執筆し、学者の横の繋がりを生かして教えに背きそうな持論で研究している者の情報を横流ししていました。それでも学者間では警戒されていませんでしたから、そうとううまくやっていたのでしょう」
イルズの師匠とは思えないな。あの細目、異端認定に片足突っ込んでたろ。
「国と教会に媚びを売りつつ、さらに仲間まで売ってたわけだ。神の教えと真実の歴史を天秤にかけ、真実に傾けるのが神学者だろうに。学者としてもゲス野郎だな」
「それはどうでしょうか。当方は異端審問官の仕事をすべて把握しているわけではありませんが、罪の重さはピンキリですからね。論拠がまだ薄い内かつ流布前ならば異端認定ではなく注意勧告となり、せいぜい短い期間の拘束と少ない罰で済みます。前任の異端審問官長でしたら少なくとも表の顔は寛大でしたので、命拾いした学者も多かったのでは?」
僕と同じくベンチには座らず立ったまま、ナーシェランが所感を述べる。……お手本みたいな罰っする方の意見だな。司法に対しての姿勢が庶民とは違う。
たしかに異端認定されれば最悪死罪だが、注意勧告といっても結局は罰を与えるうえに研究題材を取り上げるのだから、学者たちはそうとう恨んでるはずだ。早めに見つけてあげた優しさに感じ入る者はいないだろう。
「お兄様の言うとおり結果的に助かった者は多かったでしょうね。ですが、あの男は仲間の学者のためにそうしていたわけではないでしょう。アレからは他者など利用することしか考えていない者の匂いがします」
「それはさぞ気があったんじゃな……いやなんでも」
ジロリと睨まれ、慌てて口を押さえる。ヤッベー。完全に口が滑ったヤッベー。
エストは額に青筋を立てながらの笑顔をこちらに向ける。あの、目が笑ってないというか獰猛な肉食獣のそれなんだけど、王族ってそんな顔していいの? マジ恐い。
「変わりないようですね、リッド・ゲイルズ。その礼を失した態度、ふざけた言動、暗いくせにヘラヘラした表情。ですがそのすべてが仮面で、その内には吐き気を催す汚濁が詰まっている」
…………驚いた。思わず表情が消えたほどには、驚いた。
「他人に興味あったんだな、君」
思わず素で返すと、エストは溜息を吐く。
「もちろんですとも。異端審問官は面接官ですもの。人の仮面の裏を覗けずして、務まりはしません」
そう言ってエストは僕の顔を再度のぞき込む。見透かすように、射貫くように。
「―――……いいえ。前言を撤回します。少しは変わりましたか」
言われて、数度まばたきした。
さらに続けられた言葉には、苦笑してしまった。
「つまらない男になりましたね、リッド・ゲイルズ」
僕は肩をすくめる。他の者ならともかく、まさかエストに言われるとは思わなかった。
けれど彼女が言うからこそ、それは真実なのだろうと思う。
だって、エストは僕に世辞を言う義理なんて無いはずだから。
「ま、いろいろあったからな。カドくらいは取れたかもしれない」
「面白くありませんね」
本当に心底つまらなそうにしているのはなぜだろうか。分からないが、こちらが理解するのを拒否するように、彼女は話をぶった切って元へ戻す。
「面白くないと言えば、まさにハティータスはつまらない仕事ばかり寄越す御仁でした」
……まあ、いいけどさ。
しかしつまらない仕事か。大きな事件になる前の、細々としたタレコミだよな。
それはまあ、たしかに君にとっては面倒なだけの仕事だろうね。地味で地道な業務だったんだろうな。
心なしか目から光が消えてるのは、当時を思い出したからか。
「まあありがたい存在ではありましたよ。異端審問官はいつも切羽詰まってますからね。―――そもそもフロヴェルスは異常で、そして限界なのです。教典は都合良く作られ、勇者は必ずフロヴェルスから排出され、今や世界の中心とはこの国といっていいでしょう。ですがそれは人の世の話。神の世界の真実はどこか別のところでじっと明かされるのを待っています。ええ、彼は役に立つ御仁でしたとも」
ほほう、ありがたいと来たか。一応職務に対しての責任感とかそういうのはあったんだな。
「ですが好きになれない男でした。こちらを利用しようとしているのは匂いで分かりましたが、隙は絶対に見せなかった。笑ってみせることもありましたが、表層だけ。本質的にアレは誰も彼もを嫌悪していた、と感じます」
「嫌悪か」
「ええ、嫌悪です」
人を小馬鹿にしたような態度をとる人形だったか、コミュニケーションは上手そうだったよな。人嫌いならそれこそ山にでも引きこもれという話だが
「そんな彼が、わたくしにこんな話をしたことがあります」
エストは実の兄であるナーシェランをちらりと見て、それから僕へと視線を向ける。
「―――もし君がまだ王になりたいのであれば、しかるべき時に協力しよう。ただし、有象無象の王に埋もれるような女王にはなるのであれば期待外れだ。君にはフロヴェルスの歴史において、初代フィロークにも劣らぬ名を残す才があると信じる。……あのときは軽く流して終わったのですけどね」
どうだか。
褒められるのに弱い君のことだ。素っ気ない対応してるつもりで、フフンと得意な顔をしてるの見透かされてたんじゃないか?
「ははぁ、なるほど。初代にも劣らぬ名ですか」
分かりやすく渋面なのはナーシェランだ。彼は僕へと視線を向けると、口をへの字にして小さく首を横に振る。
僕は軽く舌を出して応えた。
「浅学たる僕には王の器なんか量れないけどな。もし君がこれから王になったとして、歴史に残る『善王』になる可能性はないわけじゃない。ナーシェランにはできない『善い治政』を、君なら実行できるかもしれない。そうだな、たとえば汚職している役人の徹底撲滅とかどうだ? 千年王国のフロヴェルスはそうとう腐敗してるんだろう?」
「まあ……そういう側面はないわけではないですけども。しかしそれは難しい問題が……」
「ほらこの調子だ。どうせ大貴族が絡んでるとか昔からのしがらみがどうとか言い出すんだぜ。そういう事例のせいで民が苦しんでるのにさ。……けど君はそういうの関係ないだろ? そういうのを一切合切関係なく切り捨てて、国の腐敗部分を取り除くなんて『善政』やったら、痛快な物語になってフロヴェルス最大の『善王』として後世まで語り継がれたりするんじゃないか?」
某歴史ドラマみたいにな。勧善懲悪の物語は古今東西で好まれる娯楽だ。
まあ、仮にこの女が女王になったとき、ディーノが頑張って『善王』に誘導するそうだから、多少の援護はしてやらないとな。ちょっと強調しすぎたけど。
うん。僕は彼女が善王になるなら、この方向しかないと思う。政治腐敗の汚物には人格腐乱の汚物をぶつけていけ。ガンバレよディーノ・セル。
「あら、面白い意見ですね。そういう仕事ならばわたくし、とても適性があると思いますわ。あなたの勧めなのはシャクですが、覚えておきましょう」
そうしてくれ。君がこんな誘導でどうにかなる気は全くしないがな。
「ですが、後の話はどうでもよろしい。今はあの男の話です。端的に言って、狙いは何だとおもいますか?」
「気になるのか?」
「ええ、もちろん」
気になるのか。自分に益のある事柄なら裏まで深く考えない手合いだと思っていたが。
しかし、狙いね……。
「あの人形は、自分が間違っていることを証明したい、と言っていたな。そして、その証明する役を今代の勇者にしてもらいたいらしい。……つまり、そのハティータスとかいう男は自分が間違いを犯すと宣言しているようなものだ」
「……それは、わたくしが王になるのが間違いであると?」
エストの視線が鋭くなる。僕はそれをただ受け止めた。
恐いな、本当にこの王女様は恐い。下手なことを言えばこの場でだって殺されかねない。
「そうだな。僕は間違いだと思う」
空気は読まなかった。
「仮に君が初代フィロークと同じくらいの名を残すとするなら、それはフロヴェルスを終わらせた者として残るんだろうさ」




