牢屋
悲報。イルズが投獄された。
「いいかい、イルズ・アライン。君には黙秘権がある。また、供述は法廷で君に不利な証拠として用いられることがある。そして君は弁護士をつける権利がある。君が弁護士を経済的に雇えないなら、公選弁護士をつけてもらう権利がある」
ヨズィア伯爵の件から一夜明け、朝が来て、僕とナーシェランは王城地下の牢屋に放り込まれたイルズと面会に来ていた。
監禁されて一晩過ごしたせいか憔悴した知人へお決まりの四項を述べ、檻越しに語りかける。……暗くてジメジメしたいかにもな地下独房だ。魔術学院の地下以外にもあるんだなこんなとこ。
「ええっと、弁護士とはなんなのでしょう?」
ちなみにミランダ警告は完全になにも考えず口から出したのだが、この世界にそんなものは無かった。
「いや、ただの妄言だよ。忘れてくれ」
なんか雰囲気的に言いたくなっただけだからね。本当に意味の無い妄言だよね。反省。
そもそも僕に取り調べの権利はないし。
「思うに、弁護士とは裁判における代弁士のことですかね? 法律に精通する被疑者の味方役のことでしょう。ルトゥオメレンでもたしか代弁士と呼ぶはずですが」
そこなんの意味も無いから食いつかなくていいぞナーシェラン。
「ああ、代弁士の言い間違いだった。困惑させてしまったなイルズ」
「そうですね。今のは失言でしょう。イルズさんには代弁士をつける権利はありますが、選ぶ権利はありませんもの。送り込まれるのはこちらの息のかかった者です。……あ、代わりといってはなんですが、拷問官をつけてさしあげましょうか?」
イキイキとしたストロベリーブロンドのふわふわ髪の女性……エストの笑顔に、震え上がって首を横に振るイルズ・アライン。
エストは黒衣……いつか見た黒装束ではなく、職務用っぽい黒色の正装を纏って嗜虐的にイルズを眺める。右側が黒で左側が白の天秤の形をしたブローチを胸につけているが、あれはたしか異端審問官のマークだったはずで、帽章としてあしらわれた金の三本線は長官の意味だったか。
その様子に、僕はこめかみを揉みながら息を吐く。
なんでこの女ここにいるの?
イルズ・アラインの投獄理由は簡単だ。
彼は今回の黒幕と思われる人物の弟子、つまり最も近しい者だった。また幻覚によって人形を本人と思い込まされ、操られてもいた。
よって、もしかしたらまだなにか仕込まれていないか、という懸念をなくすためである。
あの場にナーシェランがいたのが彼にとっては幸いで、あの一連の流れは演技には見えなかった、という理由で基本的にイルズは疑われていない。
……実はモーヴォンが魔術で幻術を破ったのも効いていて、彼がきちんと幻術の影響下にあったことはエルフの少年が証言している。僕が殴って解かなくて良かった、ということだ。
つまりはまあ、彼はほぼ無罪になることが確定している。……まあ王族を危険に晒したのであるから、通常なら本人に全く自覚がなかったとしても罪に問われそうなものだが、勇者の知人であったというのも彼の幸運だろうかね。
敵に操られ本来処罰されるはずであったイルズ・アラインだが、勇者レティリエが彼の無罪を求めたため、心広きナーシェラン王子はそれを受け入れた―――というわけだ。後の美談にされるなこれ。
ま、その流れはまだ、一切イルズに説明されていないわけだが。というか、それを伝えに来たところを絶賛現在進行形で邪魔されているわけだが。
「異端審問官長としてエスト・スロドゥマン・フリームヴェルタが被疑者イルズ・アラインに事情を聴取します。あなたには師ハティータス某と共謀しナーシェラン王子、ネルフィリア王子、そして勇者レティリエとその仲間を陥れた嫌疑がかかっています。また同様に、ヨズィア伯爵への強要罪の疑いも持たれています。これよりいくつか質問を行いますので、正直にお答えください」
僕とナーシェランを押しのけ、ニコニコと笑顔のエストが檻越しにイルズの前へ立つ。
うん、あの笑顔久しぶりだな。柔和なのに中身が透けて怖気が走る感じ。
「なあナーシェラン。先に来てたのは僕らだよな?」
「ですがこういう場の権限は実は、エストの方が強いのですよね。あれで審問官の長ですから」
後ろでコソコソと話し合う僕とナーシェラン。ちなみにこの部屋にはあと一人、立会人の兵士がいるだけだ。
来るまでに他の牢の前も通ってきたが、ここには他の罪人も囚われている。王城の地下ということで衛生面には気を遣っているようだが、暗く、狭く、湿っていて、怨嗟やうめき声が聞こえ、ギラギラした視線がとんでくる場所だ。
……郊外にある罪人の収容施設ではなく、わざわざ王城の地下に囚われている犯罪者って相当ヤバいのが集まってそうだよね。まあ基本は一時留置の仮置き場か、貴族や政治犯なんかのワケあり案件だろうけど。
こちらの残りのメンツにはこんな地下牢なんか見せたくないので、いろいろ言いくるめて留守番させてきたのだが……手続き終えてさあ不安がっているイルズと面会だ、といったところで、単身でやってきたエストが同席を求めたのである。
ホントなんでここにいるんだろう、この女。
「ヨ、ヨズィア伯爵への強要とはいったいなんですか?」
「ヨズィア伯爵は今回の件、すべてハティータスという男に強要された、とおっしゃっているのです。マルナルッタ王女派からわたくしことエスト派に乗り換えたことも、他貴族への扇動も、王族や勇者たちを危険に晒したことも、すべては己の本意ではないと。それが脅迫であったのか、魔術によって操られていたかまではまだ明らかになっていませんが、いずれにせよ強要行為があったのであれば調査の必要はあります」
「わ、私はまったく知りません!」
だろうなぁ。
ちなみにヨズィア伯爵はあの人形の糸が切れた後、のこのこと離れの別館にやってきたのだが、なんか事前に想像していたとおりのお人好しな紳士だった。
彼は事情を聞いてナーシェランに平謝りし、己の無実を訴えている。
曰く、ハティータスを名乗る学者がすべて仕組んだことだ、と。
―――もっとも、真実は不明だ。王族や勇者へ襲撃した者を実際に抱えていたわけだから、尻尾切りして手のひらを返し保身を図った可能性もある。でなきゃ重罪だからな。
ただ、それで状況は動いた。
「今回の件で、エスト派はかなり苦しくなったはずです」
イルズを尋問する妹の背中を眺めながら、ナーシェランが小声で囁く。
「ヨズィア伯爵がこのままエスト派を続けるにしても、今回の件で動きづらくなりました。おそらく旗頭は務まりません。しかし彼が扇動して状況をつくった以上、ここで新しいまとめ役を、といっても上手くいくはずがない。しょせんは欲に駆られた烏合の集ですから、内部分裂が連鎖的に起こってもおかしくはありません」
「水面下で皮算用の取り合いが起こるわけだな。いや、激化するのか。なんにせよ、次期国王の正式戴冠はすぐだ。時間的に向こうが態勢を整えるのは難しい」
「そうですね。だからこそエストは、自らエスト派のまとめ役を担うつもりではないでしょうか」
ああなるほど。というか、それが本来の姿か。
今までエスト派はエスト本人を抜きで盛り上がっていたはずだ。それが本人自ら統率するようになるのであれば、フロヴェルスにおける正常な王権争いになるだろう。
エストはその下準備として、今回の事件の流れを把握したいがためにここにいる、と考えればなるほど理解できるのだろうか。
しかし、そうなると……。
「ですがそうであったとしても、エストに貴族たちをまとめる能力はありません。そもそもアレは社交の経験もほぼないですからね。こちらの有利はもう揺るがないでしょう」
脅すようにイルズを詰問するエストを眺めながら、ナーシェランは珍しく楽観的だ。
エストは子供の頃に兄と姉の殺害未遂をやらかした後、修道院に放り込まれていたんだったか。そりゃ社交界なんて断絶だったろうな。
統率者になるには力もコネも足りていないわけだ。証拠はないが異端審問官長も純粋な能力でなったわけじゃないだろうし、たしかにここから二人の正面対決ならナーシェランが有利にやれるかもしれない。
ただ、その見通しは甘いだろ。
「向こうにはディーノがいる」
僕の出した名前に、ナーシェランは二度ほどまばたきした。
その名の人物を思い出すのにそれだけの時間がかかったのだろう。ナーシェランにとっては挨拶くらいしかしていない相手だからな。
「ゲイルズ氏の幼馴染みの魔術師で、エストのお目付役として来た貴族の子息の彼ですよね? 手強いのですか?」
「手強いね。アイツは積み重ねることを怠らないし、そのくせ思い切りがいい」
「あー……イヤですね」
僕の短い説明で心底嫌そうにするのは、ナーシェランにとっても苦手なタイプだからだろう。
実直で大胆。優秀にして奢らぬ才人。定跡を理解したうえで、勝負所を見誤らぬ相手。そして……単純にスペックが高い敵。それがディーノという男だ。こういう場面においては、まさしく王道の働きを見せるだろう。
有利状況なら相手の勝ち筋を潰して完勝し、不利状況なら針の穴くらいの勝ち筋へ当然のようにねじ込んでくる。これからエストの影響力が強くなれば、おそらくディーノが本領を発揮するだろう。
アイツ、今はルトゥオメレンの代表みたいなもんだからな。その立場をフルで使ってエストのサポートやるとなるとマジ厳しい。正直、ヨズィア伯爵がそのまま旗振ってた方が良かったかもしれないまである。
「なるほど、だいたい分かりました。質問を終わりますね、お疲れ様でしたイルズ・アライン」
定型文のような……というか、実際に定型文なのだろう挨拶をして、エストが牢の前を離れる。
どうやら僕とナーシェランがコソコソと話している間に、向こうの用事は終わったようだ。……エストはニコニコと笑っていてイルズは顔色が悪いが、まあこの二人が顔を合わせればだいたいこうなるだろう。
「さて、兄さん。そしてリッド・ゲイルズ。ここにはもう用はありません。行きますわよ」
振り向いたエストはごく当然のように僕らを誘う。それがあまりにも自然で、あやうくついて行きかけた。
「いや、当方らの用事はまだ終わっていないのですが」
同じくついて行きそうになったナーシェランが一歩で踏みとどまって、いやいやと首を横に振る。
僕たちにはこの哀れなイルズに、彼自身の無罪が決まっていることと、戴冠式が終わればここを出られることを説明し安心させてやるという重大な用事がだな。
「異端審問官の長として、そのイルズ・アラインの師である神学者ハティータス・クメルビルスとは面識があります。わたくしの気が変わる前でしたら、知っていることを教えてあげてもよろしいですよ」
すまないなイルズ。ちょっと急用ができたから行くわ。
どうせ無罪なんだからいいだろ。




