黒幕の館 4
そうか、と思った。
そうだろうな、と思った。
強大な力なんてものは、無くて普通だ。あるのが異常だ。
異常なものをその身に宿すなら、変化するのが普通だろう。まして勇者の力は多くの段階をすっ飛ばした上で、余人が到達できぬ破格の領域まで引き上げる。
変化しなければおかしい。
……そうだな、基本は溺れるか怯えるか、だろうか。
そして力を持つ者はその強さ故に、力に縛られる。勇者とは誰々という個人ではなく勇者であり、人族救済のための機能となる。内からも外からも力持つ者の責任を常に受け続ける。―――そんなもの、呪詛と同義だ。
だから歪んで当然なのだ。ねじ曲がらなければおかしい。
僕が知る限り、歴代勇者たちの勇者になる前のエピソードは、一切伝えられていない。そもそもレティリエに会うまで、勇者が後天的なものだと知らなかったほどだ。
それはきっとフロヴェルスが徹底的に潰してきた成果だ。国家機密を秘匿し独占せしめるために、凄まじい労力を払って隠し通してきた結果だろう。人の口に戸は立てられないというが、ほぼ完璧に管制していたわけだから、感服を通して呆れてしまう。よくやるものだ。
だから推測ではあるのだが、歴代勇者たちもまた、勇者になった後にはどこか歪みができていたのだろう。
初代勇者は王となり、二代目の勇者は王を目指して暗殺され、三代目の勇者は言わずもがなでハチャメチャだった。
僕からすれば、彼らはどこかがおかしかったように思える。だって、王になりたい、なんて子供か馬鹿の妄言だ。重くて堅苦しい礼服に縛られながら、胃の痛む社交に目を光らせ、煩雑な仕事に追われる日々を望むなんて、完全に理解できない。
勇者として世界を救ったのなら、王になどならなくてもたいていのモノは手に入るだろうに。
戦場で他より活躍してしまった兵の話を思い出す。
そういう人物は英雄ともてはやされ、他から一目置かれ、自身も戦場において自分は特別な存在と認識していく。そうして……戦場には自分が必要なのだ、と思い込むようになる。
そうなると悲惨だ。引退し平穏に身を置いても、自分はできることをやっていないのではないか、そのために多くの犠牲が出るのではないか、と焦燥感にかられてしまう。結果、戦場に舞い戻ることとなり……戦死するまで戦い続けるのだ。
これに似た呪いを、初代と二代目の勇者には感じてしまう。勇者なのだから人々を救い続けなければならないと……だから王となるなんてマジメに言って、一人は千年王国を築き、一人は暗殺された。
ソルリディアにはそういう傾向はなかったようだが、彼女も彼女でどこか歪んでいたに違いない。というか、勇者になる前もああいう人格だったらそれはそれで問題だ。歴代最強で最悪の問題児だからな。
「わたしは、そんなに異常ですか?」
勇者の力を持てば、人格が歪む。それが普通だ。
「ああ。とても異常に思えるとも」
だから普通を維持しているように見えるレティリエは、異常なのだと。それはたしかにその通りなのかもしれなくて、この相手が疑問に思うのも分からなくはない。
けれど、我らの勇者様は真摯にそれを受け止めて、応える。
「わたしとて、この力に悩んだときはあります。苦しんだときもあります。この命と共に投げだそうとしたときも、あります」
言葉を考えながらなのか、ゆっくりとした口調だった。彼女らしくマジメで、正直な内容だった。
けれど、なんというか。その声には困惑の色が強い。
まるで……質問の意図がいまいち理解できていない、みたいな? 問われている当事者の彼女は、律儀に人形の問いに応えようとはしていても、答えがなにか分かっていないような。
「けれど、この力を得たことで会えたたくさんの人がいます。その中にはこの力で救えた人がいます。救えなかった人も、もちろんいますけど……まだ救いたい人がいます。……それに、こんなわたしを救ってくれた人も、いるのです」
少女は考えながら、たどたどしく言葉を繋ぐ。
「勇者の力を得て、様々な光景を見てきましたし、いろんな得がたい経験をしてきました。良い記憶ばかりではありません。つらい記憶も多いです。けれど、できることがあり、できるかもしれないことがあり、これからやるべきことがあって、わたしと一緒にいてくれる人たちがいて……ええと」
レティリエは小首をかしげて、いったん言葉を止める。人形は黙ってそれを聞いていた。微動だにもせずに。
「……なにが言いたいのか、自分でもよく分からないのですが」
気づけば、その場の全員の目がレティリエに集まっている。誰も彼もがこの自己主張の弱い、優しくて美しい少女の言葉に耳を傾けている。
それに気づいたのか、頬を染めて少しだけ声のトーンを落としたのが、ちょっとだけもったいないと思った。
「あなたの言うとおり、勇者の力を得た人は変わるのでしょう。わたしもそれは分かります。わたしは、勇者の力を得る前と今では、多分すごく変わっていると思います」
―――つまりは、それは変化の方向性の話だ。
変わるのは避けられない。けれど、変わり方は人によって違う。
いきなり大きくねじ曲がる者もいれば、少しずつ真っ直ぐに変わっていく者もいる。
最初のころが懐かしいな。彼女はたしかに頼りなかった。勇者としてなにもかもが足りてなかった。
今だって頼もしいというわけではないが、けれど僕は誰と比べてもこう言うだろう。
今代の勇者は、彼女がいい。
「…………そうか。良い旅をしてきたな、お嬢さん」
人形から声が漏れた。どこか枯れた老人のような音に聞こえた。
レティリエは微笑む。
「ギリギリの戦いをしてきた旅でした。勇者の力は強大ですが、思い上がるには、わたし自身の力が足りないのかもしれません」
それはあるかもな。
誠に残念ながら、僕らは弱者を圧倒するような戦いは経験が薄い。というか無いかもしれない。
力に思い上がれ、というのは無理だ。力に怯えろ、というのも無理だろう。だって僕らはさらに上があることを知っていて、それに立ち向かおうとしている。
歴代最弱の勇者は、自分がまだまだ弱いということを知っているのだ。
それに。
「彼女は勇者の力を、間違ったことに使ったことがない。変な方向にねじ曲がれ、というのも難しい話だ」
余計かとは思ったが、僕は注釈をつけておく。
人形は最初、こう言っていた。レティリエが勇者にふさわしいか否か、今一度問う……と。
なら、問うて貰おう。見極めて貰おう。勇者であるレティリエには、それを受ける義務がある。
人形ごときがどんな評価を下そうが、僕がやることは変わらないけれど。
「ダメだな、お嬢さん。レティリエ・オルエン嬢。君は勇者になど向いていないよ」
人形はわざわざ溜息を吐くふりまでして、そう告げる。
「君は壊れていなさすぎる。それは人としての強さかもしれないが、勇者としての弱みだ。君はきっと、勇者になりきれず選択を誤るだろう」
もはや声に遊びの色はない。声色は間違いなく同じ人物なのに、ここまで違うのかと驚くくらい、その音の印象は違っていた。
おどけた道化から、深淵に佇む賢者に変貌したかのようで。
おそらくはこれが相手の本性だと、透けて見れた。
「―――しかしその在り方に敬意を払う。おそらく君は歴代のどの勇者よりも、本当の勇者に近い」
……それは、とても冗談を言っているようには聞こえなくて。
「良いな、とても良い。ふさわしい、などと思ってしまうほどに。今代の勇者は想定の数倍は手強いと認識を新たにし、今までの非礼を詫びよう。……そのうえで、君に挑もうと思う」
人形は慇懃に礼をした。
ああ、これは言いたいことを言って切る気だな、と感じて、しかしなにかできるわけでもなかった。
「今代の勇者。君とはもう一度、次は生身で会うだろう。そのときオジサンは君の試練として立ちはだかろう。……それを君が蹂躙してくれることを、心から願う」
敗北を、願う。それはそう言った。―――それでやっと僕は、この相手のことがほん少しだけ、共感できた気がした。
そう、分かる気がしたのだ。この相手のことが、この相手の望みが理解できて、だから……嫌悪と共に、共感した。
「本当のことを言うと、オジサンはね―――自分が間違っていることを証明したいのだよ」
自らのあやまちを正しい者に止めてもらいたい、だなんて。なんて甘ったれで虫が良くて、弱いのだろうか。
そんなもの、かつての僕のように、救えないではないか。




