旅程 3
森の中に入ってしばらく。
狼の群れに襲われた。
「怪我をした方はいますか?」
僕は惨憺たる有様の風景を横目にしながら、一同に聞く。
破壊魔術の直撃を受けて、柔らかな腐葉土の地面にクレーターが空いている。余波で細い木が薙ぎ倒され、そこだけぽっかりとした空間ができていた。
ワナの仕業である。
「やはり現役冒険者は反応速度が違いますね。威力も申し分ない。さすがアノレ君の推薦ですよ。遠慮も躊躇もありません」
うん。さすがセピア・アノレの弟子だよな。遠慮も躊躇もないとこは。
「へへー。ただの獣なら、これだけ派手にやれば驚いて逃げてくからね。他の獣も今の音で警戒するし、しばらくは襲われないよ」
「冒険者の知恵ですね。素晴らしい。遺跡探索が終わったら我が教室に移籍する気はありませんか?」
やめとけ副学長。そいつはあんたの教室粉々にしかねないぞ。物理的に。
戦闘は短時間かつ一方的だった。周囲を取り囲んだ狼をドゥドゥムが察知。ティルダが弓で牽制し、ワナが魔術を一発。それで終わりだ。彼らの優秀さが分かる慣れた連携だった。自然破壊は良くないが。
どうやら怪我人もいなさそうだ。まあ狼は近寄れもしなかったしな。ワナの魔術で吹き飛ばされた枝や石が少し危険に見えたけれど、その辺は彼女もちゃんと計算したらしい。あいつ意外とちゃんと冒険者やってるな。
「……調子に乗りやがって」
低い声でぼそりと、ドロッド教室の生徒が言った。警戒態勢で近くに固まっていたせいで、僕はひそひそ声を聞いてしまった。
「あんな雑な魔術で、得意そうに」「やり方に品がない。恐怖や催眠も使えないのか」「師も世辞がすぎる。なんだってあんなのに」
どうやらワナに敵意の目が向いているらしい。
兆候は、あった。彼らは最初からワナを意識していたのだ。魔術師でありドロッド教室ではない彼女は、彼らにとって負けられない相手なのだろう。
しかしドロッドの生徒たちは現在まで、何もいいところがない。
まあ活躍の場はまだ先だから当然なのだが、ワナが鼻歌まじりに歩く後ろを薬に頼りながらついていくのは、たしかに情けないだろう。
しかも間の悪いことに、ワナはこの旅中で副学長とやたら仲良くなっている。
僕としては失礼しないかメチャクチャ不安なんだが、この二人はなぜか気が合うらしい。おそらくそこにも嫉妬しているはずだ。
「……やれやれだ」
ドゥドゥムの耳がぴくぴくしていた。獣人は耳もいいらしいからな。
ディーノは素知らぬ顔で知らんぷりだ。不器用なやつめ。
「ガザン、ワナを後ろに下げられるか?」
僕はやっと警戒態勢を解いた冒険者のリーダーに、隊列の変更を提案する。
ワナを最後尾に下げれば副学長と引き離せるし、彼らの視界にも入らない。応急処置としては悪くないだろう。
「その方が良いか……。森はドゥドゥムが一番得意なんだが」
「あ、あの二人セットなんだ?」
「別に坊主の考えるような理由じゃないわい。前衛で壁になる儂とドゥドゥムを分ける。野外で目端の利くティルダとドゥドゥムを分ける。これでどうしてもこうなる」
なるほど。それならあの二人はセットにするしかない。
「リアも戦士ですけど」
「アレはなぁ……強いのは分かんだが、妙に素人くさくてな……」
強いけれど素人……? 勇者の力に頼っている部分が大きい、という意味だろうか。
しかし、勇者なのに素人呼ばわりされるほど心得がない、というのもおかしな話だ。普通は教え込まれるだろう。お城にいていろいろ仕込まれたって言ってたし。
僕が首をひねっていると、横合いから感情の薄い女性の声が割り込んだ。
「リアは斥候もできますよ」
ハーフエルフのティルダだ。どうやら僕らの話が聞こえていたらしい。
「道中、頼まれてコツを教えていました。スジはかなりいいです。この森はそこまで危険もないですし、後尾なら任せてもいいでしょう」
「むぅ……お主が言うなら確かだろうが、前は三人欲しいぞ」
「なら前にガザン、ティルダさん、ドゥドゥム。後ろにワナとリアってことになりますね」
僕は出てきた条件をまとめて、結論を出す。
ワナを下げたいがドゥドゥムは前に置いときたい。しかし前三人、後ろ二人の数割は崩したくない。ガザンは危険察知ができず、ティルダは前衛になれない。
全部満たすなら、これが答えだ。
「リアは角山猫に気づけるか?」
そういえば、ワナはこの森で角山猫に跳びかかられたんだっけか。
猫科は音も立てず至近距離に忍び寄ってくるから、森の中で気づくのは狼より困難だ。
「大丈夫でしょう」
ガザンの問いに、ティルダは頷く。そして少し躊躇した後、付け足した。
「これはこの依頼とは関係ない話ですが、彼女には自信が必要です」
……どうやら、ティルダはレティリエを気にかけてくれているらしい。僕の知らないところで、女性の絆ができつつあるようだ。
「関係ないどころか、成功率を下げかねん話だな。……だが、後進の育成も役目か」
ガザンは渋面だったが、仕方なさそうに豊かな髭を撫でると、一行の代表であるドロッドの方へ歩いていった。
「呼び捨てでいいですよ」
ドロッドに隊列変更を申し出るガザンを眺めていると、まだ隣にいたティルダがそんなことを言ってきた。ええ……いきなり何?
「年上でしょう?」
外見的には同い年ほどに見えるが、相手はハーフエルフだ。下手すりゃ副学長くらいの歳でもおかしくない。
それに女性だし、呼び捨てはちょっと抵抗あるんですけど?
「そうですね。二十です」
マジか。めっちゃ若いやん。
「パーティで一人だけ敬称を付けられるのは、居心地が悪いのです」
「そうだったかな」
そらとぼけるが、たしかに僕は、ガザンもドゥドゥムも呼び捨てするようになっている。
この一行だと、信頼できる男ってあの二人だけだからな。昨日の部屋割りの件もそうだが、気持ち的に少し頼ってしまっていたかも知れない。
しかし別段、彼女だけ敬遠していたわけではないのだが……。まあ、向こうが気になるならいいか。思ったより年上じゃなかったしな。むしろ前世の分足したら僕の方が上だ。
「分かったよティルダ。じゃあ僕も呼び捨てで頼む」
「はい。ではリッド、互いに呼び捨てる仲になったところで、あなたにお話があります」
あ、ここから本題なのか。
「怪我の治癒ができるというのは本当ですか?」
「あまり大きな声で言わないように。他教室のやつらにはできる限り隠したい」
声を抑えて注意する。幸いにも、ドロッド教室組が気づいた様子はない。
ティルダは首を傾げながらも頷いて、声音を小さくした。
「見て分かると思いますが、我々のパーティには治癒師がいません」
「あれも稀少な才能だからね。むしろ、冒険者パーティにいる方が珍しいんじゃないか?」
「そうですね。ですが、いたらいいと思うことは多いのです」
スライムの情報を漏らしたのはワナだろうか。でもあいつ、意外と口だけは堅いからな。レティリエかもしれない。
「……分かった。怪我したらワナを介して僕を呼ぶといい。元手がかかるからタダとは言えないけど、友人価格で診ようじゃないか」
それくらいなら、と思ったが、ティルダは不満のようだった。
「冒険についてきてほしい時もありますが」
「それは勘弁してくれ。僕はワナと違って、冒険より研究したい派でね」
「実は、知識を担当する人物も足りません」
本来ならワナが担当すべきなんだよなぁ、そこ。
「言っておくけど僕は戦闘できないし、仲間にしても足手まといになるだけだぞ」
「弓なら教えられますよ」
「けっこうだ。他にいいのを見つけてくれよ」
なんなんだこの人。わりと静かなイメージだったのに、こんなグイグイくる人なの?
「人間は嫌いでして」
……そういえばドゥドゥムもそんなこと言ってたな。
嫌な相手に背中を預けられないのは当然だ。好き嫌いが激しいなら、便利なのを探すのは苦労するだろう。
「僕も君らが嫌いな人間だ。何も変わらないさ」
「例外はいます。ワナやリアのように。……リアが、あなたを褒めていましたよ」
レティリエが?
「とても優しくて、凄い方だと」
ばかばかしい。
「それは彼女の勘違いだ」
「そうでしょうか?」
「そうだよ」
過大評価に頭痛がしてきた。僕は右手を額に当て、溜息を吐く。
あの勇者、致命的に人を見る目がないらしい。
僕みたいな性悪の小物、どう間違えたらそんな評価になるのだろう。
「ティルダ、前に行くぞ。さっきの話どおりに隊列変更だ」
ドロッドとの相談を終え、ガザンが戻ってきた。どうやら小休止は終わりのようだ。
ティルダは何事もなかったかのように前へ行ってしまう。
僕も何事もなかったかのように荷物を背負いなおした。
レティリエとワナが最後尾にやってくる。
六日目。昨夜はついに野営した。焚き火を囲みマントに包まって寝るなんて、前世も含めて初めての経験だった。ちょっと楽しかったまである。
とはいえ慣れない野宿ではさすがに、十分な休息が得られたとは言いがたい。森を歩くのは平地より消耗するし、薬の効果も限度がある。そろそろ体力的にキツくなってきた。
頬を伝う汗を袖で拭う。荷物が重い。足がだるくて痛い。この世界の靴は重いな。
「ワナ、あとどれくらいで着く?」
「もうちょっともうちょっと」
残りの距離を知りたいのだが、ワナは何度聞いてもこれだ。彼女に期待するあたり、自分がそうとう疲労しているという自覚が積もるだけである。
「大丈夫ですか? つらいようなら、休憩を申し入れますが」
肩で息する僕を、レティリエが周囲に視線を配りながらも気遣ってくれた。
昨日最後尾を任されてから、移動中の彼女はずっと警戒を続けていた。肩肘が張って疲れそうだが、ティルダの言葉が耳に残っているので、あえて僕は何も言ってない。
「大丈夫さ。そこまでするほどじゃない……まだね」
僕は強がりで笑ってみせる。正直、一番最初に音を上げるのはかっこ悪いから絶対ヤだ。
救いなのは、疲れているのが僕だけじゃないってところだろう。
ドロッドもさすがに疲労が蓄積してきたようで口数が少ないし、その生徒たちは僕と同じくらい肩で息をしている。ディーノだけはまだ背筋が伸びていたが、さっきこっそり僕の薬を飲んでいたの、ちゃんと見てたからな。
逆にまだまだ顔に余裕がありそうなのはイルズだ。
細身で体力があるようには見えない彼だが、足場の悪い森の中でも苦もなく進んでいく。何らかの訓練を受けているというより、単純に歩く旅に慣れている感じ。昨夜の野営の時も冒険者に負けない手際で働いていたし、どうやら本物のフィールドワーカーらしい。
そしてもちろんではあるが、冒険者の四人は平気そうだった。
ガザンなんか分厚い金属鎧をガチャガチャいわせてるのに、歩調が全然乱れない。すげーよドワーフ。体力の固まりだ。マジ憧れる。
「レティリエは大丈夫なのか? 疲れてない?」
気遣ってくれたお返しに聞き返すと、彼女は微笑んで頷いた。
「ありがとうございます。ええ、わたしは大丈夫です」
強がりでもなんでもなく、彼女は汗一つかいていなかった。
皮鎧を着込んで帯剣もしているのに、涼しい顔だ。さすが勇者、というところか。
「そうか。君はすごいな」
森の濃い匂いが鼻につく。柔らかい地面と、ごつごつした木の根が足の感覚を徐々に徐々に奪っていく。視界を邪魔する幹や枝葉の向こうでガサッと音がして、びくっとなった。小動物が隠れていたらしい。
レティリエは周囲に気を配っていた。責任感の強い彼女は任された仕事に注力していた。
だから、会話に油断したのは仕方がないことだろう。
「すごいのは勇者の加護ですよ。こうなる前のわたしでしたら、きっとリッドさんと同じくらい疲れていたでしょう」
危うく聞き流してしまいそうなほど、迂闊な開示で。
パズルのピースの、その大きな一欠片が、埋まった気がした。
「こうなる……前?」
はっとして振り向いたレティリエと目が合う。
僕は心底驚いていた。
勇者伝説は数多く存在するが、勇者自体のことは分からないことが多い。その存在は謎に包まれている。
神聖王国フロヴェルスには、勇者の秘密が隠されているという噂もあるが……。
「君は、生まれたときから勇者ではなかった?」
違和感ならあった。
料理や掃除の腕前。傷痕のない綺麗な身体。強いが妙に素人くさい、というガザンの評価……。
ザァ、と。木の葉を揺らし、風が吹いた。
「遺跡だ! 着いたぞ!」
歓声が上がる。