黒幕の館 3
僕は正直なところ、イライラしていたのだと思う。
何者かも分からない相手。
顔も見えない相手。
安全圏から嫌がらせしてくる相手。
強い相手なのは理解できる。人形に施された術式の完成度から見て、本体の魔術技量はそうとうなもののはずだ。
だがいくら今代は弱いとは言っても、一人で勇者パーティーを相手できる魔術師など……少なくとも人間にはいないだろう。いるとすればエルフの王か、あるいは最上級の魔族か、というところだ。
だから相手は出てこないのだろう。隠れて嫌がらせするのだろう。それは正しい選択で、だからこそイライラするのだ。
……いや、それだけではない。それだけではないのだと、認めよう。
僕はきっと、この相手のことが嫌いだった。
離れの建物は、外から見れば少し古そうに見えた。
雪国でもないのに斜角のキツい屋根は、何十年か前に流行った建築様式だったはずだ。この世界では珍しいガラス窓は、くすみや気泡を誤魔化すための色模様が入れられている。褪せたレンガはところどころひび割れ、補修された跡があった。
けれど中に入ってみれば、外観のとおり古びてはいない。玄関ホールから毛足の長い豪奢な絨毯が敷かれ、真新しいシャンデリアが吊り下げられている。
黒いズタ袋顔の人形がそのシャンデリアの真下でキザったらしく指を鳴らすと、渦巻くように明かりがともる。
それはまるで、観劇の舞台のようにも見えた。
「ただいま戻りました、師匠。言われたとおり、ナーシェラン王子とネルフィリア王女、そして勇者パーティーの皆様をお連れしました」
絶句する僕らを置き去りに、白髪細目の神学者イルズ・アラインは人形に向かって頭を下げた。
「うむ、良い働きをしてくれたねイルズ。我が弟子よ。お礼に伯爵からもらった珍しい果物をあげよう。最近、ダジルアスラの一地方で栽培され始めた種でね、これがなかなか甘くて美味いんだ。甘党の君はきっと気に入るよ」
「本当ですか、ありがとうございます。ですがそれは、お客人の皆様の分もちゃんとあるのでしょうねぇ?」
「ハハハ、それについては心配要らない。オジサンの出す食物を彼らは食べないよ」
和やかに師弟の会話をする二人。……まあここで出されるとしたら毒だろうから誰も手はつけないが、それはそれとしてその珍しい果物に僕とナーシェラン以外の全員がちょっと興味持ってるからヤメロ。
「……イルズ、説明しろ。これはどういうことだ?」
「はい? なにがです?」
僕の問いかけに、首をかしげるボケ白髪。よし分かった殴る。
「いや待ってくださいゲイルズさん。これ幻術ですよね? 彼は幻術にかかってますよね? そんな荒っぽい方法で解除しなくても自分が解きます」
僕の行動が予想されていたのか、殴ろうとした腕を掴んで制止してくるモーヴォン。―――やるな。この類の幻術のもっとも単純な解除方法と、僕がそれを迷わず選ぶことを瞬時に見抜きやがった。
モーヴォンが呪文を唱える。わずか二小節の簡単なもので、それはすんなり効果を発揮した。
「ええっとエルフさん、これはいったいなんの魔術を……え、あれ? なんで師匠が人形に?」
「なあイルズ。君、知らないうちに黒幕に操られるクセでもあるの?」
とりあえずイルズの肩を掴んで後方に下がらせる。僕が知る限り、彼に戦闘能力はないはずだ。
僕とレティリエが前、ミルクスとモーヴォンがその後ろで、最後尾にナーシェランとネルフィリア、イルズである。……こんなことなら護衛騎士にも何人か着いてきてもらうべきだったな。屋内であまり大人数だとかえって動きづらいという判断で馬車においてきたんだが、この相手が居るとなると本体捜索の手がほしいぞ。
「あの人形はわたしたちの敵なのです。今まで計二回我々を襲撃されました。おそらく同一人物の仕業で、キメラなどの魔物をけしかけられてもいます」
「はい? え、嘘?」
レティリエの説明にイルズはさらに困惑するが、次第に顔が青ざめてくる。
まあこの男が加担してたとは思えないけど、知らないうちに師匠が王族襲撃者やってたとなっちゃ血の気も引くわな。
「あー……なんか思い出した。イルズと最初に会った時、副学長に友人の弟子って紹介された気がするな。そうか、ハルティルク魔術学院副学長のご友人で、魔術師か。そりゃそうとうな腕があってもおかしくないな」
やれやれ、僕は息を吐く。ようやくだが、やっと敵の仮面の下が垣間見えた。
予定外だが、ここから追って詰めていけば後顧の憂いを断てるだろう。
「イルズ、師匠の名前。あと、外見の特徴と出身地と魔術の腕の度合いは?」
「え……ええっと」
「当方もお聞きしたいですね。是非」
ナーシェランが重ねて聞くと、イルズはひっと身を震わせて口を開く。
「し、師匠の名はハティータス・クメルビルス。白髪交じりの濃い緑の髪に口髭の、初老男性です。出身地はルトゥオメレンのどこかと聞いたことがありまして、魔術は火付けや明かりを見たことがあるくらいで……」
「弟子にも魔術技量を隠してたか。……てことは、誰にも実力を見せたくなかった理由があると」
「それが今回のためであるなら、長期計画犯ですね。まあキメラや人形を用意している時点で準備期間が長いのは分かってましたが、王都に居を構えているとは」
「わざわざ王都にいたってことは、この土地に用があったってことだろうかな。ヨズィア伯爵に取り入った経緯が知りたいところだが」
「こうなると伯爵が大勢引き連れてエスト派に鞍替えしたのも、偶然で済ませるのは少々躊躇われますね……」
僕とナーシェランで推理を進めるが、ことごとく意見が合うのがなんかヤダ。ほんと思考回路似てるんだな僕とこの男。
一応だが、魔術師が身分を隠して都に潜伏し続けるというのは、たまにある話だ。ルトゥオメレンでは魔術師の地位が確立されているから聞かないが、他の国……特に魔術に対して偏見が強い地域では、魔術師とバレると人里に暮らすのも難しい場合がある。
ただそういう例は辺境の話が多い。フロヴェルスの王都でそこまでの偏見を持つ者は……いないとは言わないが、魔術師であることを公にしても差別まではされないだろう。
「で、ハティータスとやら。本名も外見も、出身まで割れたわけだが。そろそろ諦めて顔を見せる気にはならないか? 今ならナーシェランが慈悲をくれるかもしれないぞ」
僕が善意で勧告してやると、人形は人間らしく額の部分に手を当て、大げさに天を仰ぐ。
「ハハハ、いやいやまだまだ。お忘れかな? イルズに君たちをここへ案内させたのはオジサンだよ? もちろんここまでは織り込み済みだとも」
そうか。そうだろうな。
ここは敵地で、敵の本拠地。そのうえで非戦闘員がこちらに三人もいるのは少々厳しい状況だ。……まあ王族男子のナーシェランはそこそこ戦えるだろうし、イルズをこちらの数に入れるのもどうかと思うが、レティリエならこの数え方をするだろう。
「だが安心したまえ。君たちを倒す気は前回で失せた。よってオジサンはオジサンの当初の目的を果たすことにするとも。なに、わずかな差異でしかあるまいさ」
イラ、とした。
意味が分からない思わせぶりなことを匂わせるのはいい。そんなものは阻止してしまえば問題ない。
けれど、そちらからケンカを売ってきたくせに簡単に引き下がれると思うな。
「おや、弱者の戦いをされるのは慣れていないかね?」
顔のない人形は見透かすように、クツクツと笑った。
わざわざ振り返ってみなくとも、僕らがここに生きているのは奇跡だろうと思う。
ギリギリの綱渡りをしてきた。勝つときは辛勝で、負ければ見逃されて、引き分けも歓迎した。
けれど、マトモにやれば勝てる相手に纏わり付かれたことはない。
なるほどそれは弱者の戦い方だ。何度かぶつかって相手の情報を集め、隙を探す。それを僕らはされている。
つまりは、攻略されようとしていた。
そして、無理と判断されて放り出されようとしている。―――それは正しい判断だ。個人を特定できる情報が見つかった以上、これ以上は向こうが傷口を広げるだけだろう。
「君たちは勇者パーティーだ。強いのは当然。いくらオジサンがドロッドの小僧より上とは言っても、さすがに一人では荷が重い」
凄い大言吐くね。ハルティルク魔術学院のトップを小僧呼ばわりして、自分が上と豪語するか。別に信じてやってもいいが、自己申告しても君の実力は変動しないぞ。
「しかしオジサンは正義の味方気取りでね。無関係の人を巻き込むとか、知り合いを人質にとって脅すとか、非人道的なことはあまり好まないのだよ。よってそうそう卑怯な手も取れない。いやぁ、そういう手法は今代の勇者にはとても有効に見えるだけに残念だ」
この人形がなにを言っているのか分からない。なにがしたいのかも分からない。
おしゃべりなくせに、迂遠に過ぎるせいで真意がまるで見えない。
ストレスが酷い。けれど、最初の時のように問答無用で制圧しても意味が無い。相手がいつでも通信を切れる以上、好きに喋らせた方が情報が得られる分得ではある。……それをやるのもこれで二度目だ。
「ま、そんな理由は実は枝葉なのだけどね。本当は、勇者殿に惚れてしまったので嫌われたくないだけなのだが」
それは手遅れだ。
「すみません、ちょっと……どう反応したらいいのかわかりません」
「うん、聞き流せばいいんじゃないかな」
マジメだよなうちの勇者様。ていうか相手が不真面目すぎだろ。いい加減にしろ。
「ところで、そろそろ本題に入っていいかね? 君たちも雑談をするためにわざわざこんな処へ来たわけでもあるまい?」
いい加減にしろ。
「いやいやいや、当方らをここへ呼んだのはそっちでしょう?」
「ああ、そうだったそうだった。やはり歳には勝てないね。では本題にいこう。そろそろ伯爵の来る頃合いだろうから、ややこしくなる前に逃げておきたいし。……さあ、そこのアルケミスト」
指名は僕かよ。前回と前々回は歯牙にもかけなかったくせに。
「イルズより君の話は聞いている。勇者の仲間として、また真理に片足を踏み入った者として、問うておくことがある」
表情など無くとも分かるほどに、声の調子が明確に変わった。
ふざけた口調から、鋭い槍の穂先のような硬質を秘める声音に。
けれどそれでもなお、人形の向こう側にいる相手の顔には、不敵な笑みが浮かんでいるのだろう。
「これは数多の魔術師が挑戦し、けれど突き止められず諦めるか、あるいは命を落としてきたまさしく賢者の命題だ。まあもっとも、あの遺跡で世界を造り替えた君であるなら、辿り着けない問いでもないのだがね」
人形はそう前置きして、それを問うた。
「瘴気とは、なんぞや?」
僕は目を細める。
「……………………」
少し、沈黙を置いた。問いかけへの答えを探すためではなく、相手の真意を測るためだ。―――だが相手は人形で、残念なことに表情の一つも読めやしない。
「自分が答えましょう。瘴気とは、魔界を構成する複合魔素です。強力な破壊力と不可思議な性質を持ち……」
「ああすまないエルフ君。これはそういう表面的な問いではないんだ。君は分かっていないだろうが、これは正しく勇者の仲間への問いなのだよ」
「な……っ」
モーヴォンが表情を歪める。
まあそうだろう。今の答えは魔術師の仲では酷く模範的なもので、だからそんなつまらない回答など相手は求めていない。
けれど少年は引き下がらなかった。人形の向こうに居る相手を睨みつけ、さらに口を開く。
「それは歪みより湧くもの。矛盾を孕み両立するもの。あちらより出でて、こちらを汚染するもの。むしばみ造り替えるが故に―――」
「誰かの受け売りを得意げに語るのは子供か道化のすることだよ、少年」
つまらなそうに、人形はそれすら切って捨てる。それですら前提であると。
……しかしそうか、モーヴォンがあの闇猫を召喚できたのは、やはりある程度サリストゥーヴェに瘴気の性質を聞いていたからなんだな。
そしてそれを僕に隠してたんだな。教えてくれればちょっと楽できたとこもあっただろうに。
まあ研究成果は術士の財産だから、そうそう他人に見せることはない。今モーヴォンが口走ったのだって、ほんのさわりだろう。
悔しそうだけれどグッジョブだモーヴォン。どうやら、相手は問いかけの答えをちゃんと持っているらしい。瘴気の研究家で、僕らから瘴気の知識をかすめ取りたいとかセコいことは考えてないわけだ。
しかし、そうか。勇者の仲間に問いかけているのか。この相手は。
なんだコイツ―――いや、誰だコイツ。
こんな問いを発していい者って、ゲームだの漫画だのだと物語の中枢に関わる重要キャラくらいだと思うが。
「強力な魔素。ただし、聖属性で打ち消せるもの。聖属性が聖属性と呼ばれるゆえん。すなわち、勇者の力の秘密を逆算できるもの」
目を細めたまま、僕は答える。モーヴォンが息をのむのが分かった。
瘴気属性の魔素の真実など、これに比べれば踏み台に過ぎない。いかにサリストゥーヴェが生涯をかけて解明しきれなかった課題だろうとも、終着はさらにその先にあるのだ。
勇者の力の秘密―――それはすなわち、神の腕の正体。
世界創造の力の、真実である。
レティリエがチラリと僕を見た。二、三回まばたきした。
僕が悪びれもせず横目で見返すと、彼女はクスリと微笑んだ。
「…………なんだ。面白くもない。せっかく少しだけマジメに助言してやろうなどと気を回したのに、オジサンの余計なお世話だったか」
人形は心底つまらなそうにそう言うと、悲嘆に暮れたように肩を落とす。
そうして、人形はレティリエに向き直る。
「今代の勇者よ。その男は君が道を間違ったとき、君と相対し戦える者だ」
「―――ええ、そうでしょうとも」
レティリエは頷く。その声は、どこか誇らしそうにさえ聞こえた。
けれど。
「だが彼が道を間違えたとき、君にとっては最悪の敵となるだろう」
僕はため息を吐く。ハイハイあんたの言うとおり。勇者の力を解明せんとするということは、そういうことだ。
それは勇者に対抗する方策の模索であり、裏切る準備であり、そして世界改変の力を手中に収める可能性である、と。
もし僕がそれを解明した上で欲に負け、レティリエを裏切って勇者の力で好き放題できるようになったら……ああ、そのときは本当の意味で魔王になったりできるかもしれない。そうなったら凄いな、異世界転生者全員魔王とか面白いな。
けれどレティリエは首を横に振った。
「そのとき、わたしとリッドさんが敵として相対することはあり得ません。仲間が間違いを犯すならば、正しい方向に導くのが勇者の役目でしょう」
……やれやれだ。なんて甘っちょろい勇者だろう。僕的にはむしろ、そういう時はサッパリと物理的に首を切り落としてほしいものだが。
ま、レティリエにそんなことができるはずもなし。せいぜい自分で気をつけるとしよう。
「―――……歴代最弱の勇者、か。なるほどたしかに、と言ったところか。しかし前回も感じたが、驚くね」
黒いズタ袋の人形の声は、もはやおちゃらけた様子など完全に抜けていた。
表情は相変わらず分からない。顔がないのだから分かるはずがない。けれどなんとなく、真っ直ぐレティリエを向いているそれは、少しだけ気圧されているようにも見えて。
「今代の勇者よ、気づいているかね? 君の精神の異常性に」
人形は人の手ではどうしようもないほどでかい化け物でも相対するように、レティリエへ語る。
「人の心はそんなに強くない。強固でもない。状況によってたやすく変わり、流され、影響される。良くも悪くもね。なあ今代の勇者……レティリエ・オルエンといったかね? 強大な力を得た者は、もっともっともっと当然のごとく人格を歪めるのが普通なのだよ。なのになんで君は、勇者の力なんて破格なものをその身に宿しながら……そんな清らかな人のままの心でいられるのだい?」




