黒幕の館 1
旅中と違い、馬車は二台だった。街中であまり大人数で行動するのは憚られたのかも知れず、また居残り組には仕事が与えられたのかもしれない。
隙間もない幌のために景観を楽しむことはできなかったが、移動速度と時間でだいたいの距離は分かった。そこまで離れていないが、歩きで行くのは躊躇する程度。
「それで、ここが黒幕さんのお家かしら?」
馬車から出てのびをしてから、ミルクスはその建物を見上げた。……見上げたというか、眺めたと言った方がいいか。
「ミルクスさん、まだ乗っていてください。到着はしましたが、屋敷の近くまでは馬車で移動します」
ナーシェランが馬車の中から声をかける。
止まったのは一時的なものだったらしく、同じく降りかけた僕が先を見ると、使用人が格子状の門を開けているところだった。広い敷地のせいで屋敷は門から遠く、なるほどここから歩くのはウンザリするな。
「人間は乗り物が好きね。あたしはこれ、窮屈で嫌いなんだけど」
いっそ歩いてついて行きたそうにしていたが、ミルクスは素直に乗り込む。
僕らはナーシェランに連れられ、黒幕さんの本拠地へとやってきていた。……黒幕さん、というのは、茶会のときにエストから聞き出した今回の騒動の主導者らしい。
ミルクスが先走って馬車から飛び出してしまい中断していたが、今ちょうどその黒幕さんについて話していたところだ。
「それで、黒幕さんがヨズィア伯爵らしいというところまで話しましたよね。今まさに彼の敷地に入るところですが」
ナーシェランが説明を再開するとほぼ同時、馬車が動き始める。敷地に入るところから、入ったところに状況が変わる。
「ヨズィア伯爵といえば、元々はマルナルッタ側の穏健派です。というのも、少なくとも当方の認識では、彼はマルナルッタを女王にしたい者というわけではありません。どちらかというと政治にはあまり興味がない人物なのです。マルナルッタ側に所属しているのも、アレの嫁ぎ先の血縁であるため……という印象しかないですね」
「そういう方なら、あまり積極的なタイプではなさそうに聞こえますが」
モーヴォンが相づちを打つ。そろそろ彼も人間社会の七面倒くさい事情に慣れてきたようで、瞳には辟易とした理解の色が宿っていた。
しかし……そういえばマルナルッタ姉ちゃんはもう結婚してるんだったな。なるほど、なら嫁ぎ先とその縁者は姉ちゃん派で固まりそうだ。貴族って政略結婚とかやるし、血縁は大事にする印象がある。
というか。
「なあ、ナーシェランが今ピンチなのって、君がまだ結婚してないってことも原因としてあるんじゃ……」
「当方は結婚するなら純愛でと決めていますので」
馬鹿なのかな?
「それはともかく。ですからヨズィア伯爵が黒幕であるのは意外でした。マルナルッタならならともかく、エストに鞍替えしてまで物言いの旗振り役をするほどの欲は感じませんでしたし、人柄も温厚な方です。エストと関わりがあるという話も聞いたことがありませんし」
当然のように話を元に戻すナーシェラン。こいつ面の皮厚いよな。
しかし純愛ね……その身分だと冗談でも言えない言葉だと思うんだが。王族なんて政略結婚が運命だろ夢見がちか。
「あの……よろしいですか?」
声がした方を見ると、おずおずと手を上げるレティリエの姿があった。……君の立場的に自国の王族が二人居る中で発言するのは勇気がいるだろうけどさ、勇者なんだからもう少し堂々としてもいいんだよ?
「オルエン家はヨズィア伯爵と懇意にさせていただいてますが、政治的な派閥に加われと誘われたことはないはずです」
「ほう、オルエン家は伯爵とどんな繋がりがあったんですか?」
「伯爵はセーレイム教の敬虔な信者でありますので、神事の時によく父と顔合わせしていたのがきっかけと聞いています。わたしはあまり話したことはないのですが、父から聞く限りの印象では、ナーシェラン様の言うとおり政治にあまり積極的な方ではない気がするのですが」
なるほど政治屋じゃなく宗教家さんなのか。フロヴェルスは宗教の国だから、宗教家として力を持ってる貴族もいそうだよな。
しかし……レティリエがこういうと言うことは、王族ではなく貴族の目線から見ても、意外な人物ってことね。これは違和感が強まるな。
ナーシェランはウンウン頷いて、レティリエの発言を吟味する。
「ヨズィア伯爵家はマルナルッタ派であるならば三指に入るほどに階級の高い貴族なので、旗振り役として不足はありません。ですので、もしかしたら彼は名前を利用されているだけで、本当の黒幕はマルナルッタのいる公爵家だったり……はないですね。神輿に担ごうとしているのは当のマルナルッタではなくエストなので、さすがに公爵家はノータッチの気がします。そもそもマルナルッタの夫は野心とは縁遠いですから」
「そうですね。あの子はそういうことを企まないでしょう」
……んん? なんかネルフィリアの相づちおかしくなかった?
「今マルナルッタ王女の夫をあの子って言った? 君より年下ってこと?」
「あ、はい。たしか十三歳のはずです」
「マジか。大変だな政略結婚」
「いえ、あの二人は恋愛結婚でしたが」
…………は?
「マルナルッタ王女はいくつなんだ?」
「アレは二十二ですね。九つ差です」
僕の素朴な疑問に、ナーシェランが答える。
そうだよな、エスト以上ナーシェラン以下だからそのくらいだろう。
「たしか、本当は私の婚約者になるはずだったんですよね? よく知りませんが」
「そうですね。ネルフィリアの婚約者として決まりそうになったのが、先方が七歳のころだったでしょうか。ところがマルナルッタが、自分は赤ちゃんのころから目をかけていた、などと世迷い言をのたまい、強引に婚約を成立。翌年に結婚しました」
別世界の話を聞いてる気がする……そうかここって異世界だったんだな。
他国の王女が誰と結婚したかとかさすがに知らなかったけど、つまり十七歳のころに八歳の子供と結婚したのかマルナルッタ姉ちゃん。この世界でもそうそうない事例だぞそんなの。
「なおあの愚妹曰く、かわいい男の子最高! とのことで」
ただのショタコンじゃねーか。
「将来は自分好みのダンディなお髭の紳士にするんだ、とも仰ってましたね、マルナルッタ姉さん」
逆光源氏計画までやる気か。
「まあいろいろ問題はありそうでしたが、二人とも幸せそうですし恋愛結婚と言えるでしょう」
言えねーよ。……言えねーよ!
最悪じゃねーか。ショタコンに政略結婚という大義を与えてローティーンに手を出させてしまったわけだろこれ。
ていうか、ナーシェラン的にはこれ恋愛結婚のくくりでいいのかよ。なら君もワンチャンスあるかもしれないけど倫理観どうなのさ。
「妹の結婚に関する騒動は今でも語り草です。普段はマイペースで怠け者で顔を洗うのも面倒くさがるような女ですが、あのときばかりは父ですら舌を巻く手腕で立ち回り、婚約から結婚まで周囲の制止が入いる間もなく最短で駆け抜け……当時の我が家族は皆思ったものです。アレを次期王にしてはならない、と。エストですら心同じくしていましたとも」
なんか……すごいどうでもいい方向にすごいな、マルナルッタ姉ちゃん。ちょっと予想以上だ。
「フロヴェルスの王族には変人しかいないのか?」
僕が聞くと、その場の全員の視線が集まる。ん、なんだどうした?
「一応聞きますが、それは当方も入っているのですか?」
「師匠、私もフロヴェルスの王族なのですが?」
僕は多分、このとき凄い変な顔をしていたと思う。だってこの二人スゲぇ意外そうだもん。
ああそうか、だからレティリエやエルフ姉弟が、本人前にしてよく言えるな、的な顔してるんだな。
僕はなるほどと頷いて、至極真面目な顔をして、二人に向き合う。
「君ら、自分がマトモ枠と思ってるのか?」




