神聖王国の罪科
「俺は師からある程度の権限を渡されてきている。エスト王女にはハルティルク魔術学院の後ろ盾がつくと思ってくれていい」
ディーノはそう前置きした。
ハルティルク魔術学院がつくって、あそこ魔術大国ルトゥオメレンの犬じゃないか。実質ルトゥオメレンがついているようなもんだ。貴族であるディーノの身分も、それを裏付けている。
内政干渉にならないギリの建前って感じで嫌らしいな。
「ナーシェラン・スロドゥマン・フリームヴェルタ。あの王子はなかなか優秀らしくてな。ルトゥオメレンとしては、あまり次期国王になってほしくないらしい」
「……そんな理由か」
告げられた理由に、思わず舌打ちする。偉い様の希望というやつだ。そんなことしてる場合じゃないというのに。
ルトゥオメレンとフロヴェルスは友好関係だが、だからこそ外交の機会は多い。ならば国益のためにも、できれば外交下手な者が王になった方が都合がいいのである。
相手をするなら政治に関してやり手のナーシェランより、エストの方がやりやすいだろうさ。
「俺はナーシェラン王子を直接は知らなかったが、自国内の低評価とは裏腹に他国からは高評価を受けている印象だ。堅実で隙がなく、二手三手先まで読んだ差配はルトゥオメレンの高官も一目置く。実際、王になれば手強いだろうというのも分かる御仁だよ」
「……まあ、優秀なのは僕から見ても分かるくらいだからな」
「それは貴様が近くで見ているからだろうがな。―――言ってしまえば、彼はトラブルを起こさないようにするのが得意な人間だ。居れば物事がスムーズに動くが、致命的な事態になる前に解決してしまうから、とにかく実績に派手さがない。地味な功績を積み上げても自国民には見逃され、直に相対する他国からは疎まれる。それがあの王子の役回りだ」
ああ……心当たりあるなぁ。僕、実際に会うまでナーシェランのこと軽く見てたし。なんか胸が痛いぞ。
「しかし、だからってエストはないだろう。君も彼女の性格の悪さは知っているはずだ」
「俺だって思うところはあるとも」
あるんだ。ワナの足をクロスボウで撃たれたときは憤怒の形相だったもんな。
「だが、アレは分かりやすい」
ディーノはお茶を飲み干してカップを置くと、すぐさま部屋の端で控えていた侍女が給仕しに来た。幼馴染みの金髪碧眼は僕が見たこともないような笑顔で礼を言って、侍女の頬を紅潮させる。
そして給仕が終わって離れていくのを見送って、こちらに振り向いたときには不機嫌そうな真顔に戻っていた。
顔芸か。
「エスト王女とは学院で、最も仲の良い学友として、付き合っていたのだが……」
「恋人だったのか?」
「監視役だ。ふざけるな」
「冗談だ。続きを頼む」
冗句も分からない幼馴染みに、僕は肩をすくめてやる。ちょっと本気で嫌そうだったな今の。
まあ相手が相手だからさもありなんだ。
「彼女はとにかく行動原理が単純で直線的という印象だ。それでいてただの馬鹿者とも言い難いのだが、その辺は俺にも上手く説明できないから省こう。言葉で完璧に説明できる者など居はしない」
「誰の言葉だったかな、今の」
「神話の神の腕同士の対談だ。言葉を司る神の腕が、言葉を最後まで創らなかった理由の一つ」
「ああ、そうだった。それで他の神の腕が困ってしまって、見かねた風を司る神の腕が言葉を流れ変わるものに……って、すまない。続けてくれ」
「変わらんな貴様は。まあいい。とにかく、彼女は己の欲望に単純だということだ。これは悪い意味でもあり、良い意味でもある」
ディーノはため息を吐いてから、眉間にシワを寄せてそう言った。
「あの神学者のイルズ・アライン氏は、彼女が王になるため兄と姉を暗殺しかけたり不審死に関わっていると話していた。まあその辺りは悪い意味に換算しておこう」
「まあ実際、誰がどう見ても悪事だからな」
「だが俺が見たところ、エスト王女は権力そのものには執着していない」
……ほう?
「どういうことだ?」
いまいち意味が分からず僕が聞くと、ディーノは少し目をそらした。
どうやら言葉を選んでいるらしく、思案する時の下唇を噛むクセが出ている。……懐かしいな、マジで。子供の頃から変わってないでやんの。
「―――つまるところ、彼女は王をやりたいのではなく、王になりたいんだ。己が誰よりも上であるという証、すなわち玉座に着いて下々を見渡したい。そういう御仁ということだろう」
「ああ……くだらねぇ」
思わず片手で目を覆って、抱いた感想をそのまま漏らしてしまった。
もう本当、そういうのいいから。今ってそれどころじゃないから。魔族が攻めてきて人族滅亡だってあり得る危機的状況にそんなので足を引っ張るのホントやめてほしい。
「別に、そういう志自体は卑下するものでもないがな。理由はどうあれ、誰かより上の立場になりたいという想いは向上心につながる最も分かりやすい欲だ。―――こいつにだけは負けたくない、と思う相手の一人や二人、貴様だっているだろう?」
まあ、そう言われれば分からなくはないが。
僕にだって、負けたくない相手や負けられない相手はいた。だからそういう気持ちが分からないと言えば嘘になる。
エストはそういう感情を、己以外のすべてに向けていると考えれば……いや分かんねぇなそれ。規模が大きすぎて僕の器じゃ想像もできないわ。あいつ器でかいな。
「で、つまりエストは向上心の塊ってことか? 暴論過ぎるだろ」
「そうでもないさ。彼女の溢れんばかりの欲望の矛先を、善王と呼ばれることに仕向けてやればいい」
……そうとう無茶言ってないか?
「できると思ってる?」
「俺次第だと言われたな、師匠には」
「彼女が女王になったら、君は外交大使にでもなるんじゃないか? 良かったな田舎貴族、出世街道だ」
「有り得ないとは言えないのがな……」
苦々しい顔だな。そうとう嫌なんだろう。
けれど自身の感情を二の次にして動けるのがこの男だ。そんな理由で手抜きはしないだろう。
「できなくはない、と思っている。さっきも言ったが、エスト王女は権力にはあまり執着がない。……というか、おそらく彼女に政治はできないしやる気がない。仮に王になったら、自分は椅子に座って細かいことは他者に丸投げする気だ」
「その光景が目に浮かぶようだ……」
「彼女はあくまで方向性だけ決める者。王になっても、ふんぞり返る以外で特にやりたいことがない。であれば、暗君より善王になる方が彼女にとっても良いに決まっている。ああいう御方だ、歴史書にも良く書かれたいだろう」
単純な話、陰で悪口言われてるよりチヤホヤされた方が気分いいもんな。
しかし、エストだぞ……。そう上手くいくかね。
「君はどう思うんだ? 彼女はフロヴェルス王に適任だと?」
「思わん。できればナーシェラン殿にやってもらいたいところだ。そもそもルトゥオメレンの偉い方々もどうかと思う。兄が手強そうだから妹を応援する、という根性が好みではない」
「ルトゥオメレンはいまいち外交下手だからな……フロヴェルスとは国力も差があるし」
世知辛くて悲しい事実だよなぁ……。僕らの故郷の国力は並なんだよ。国土も広くないし、軍事も大したことなくて経済もそこそこ。魔術以外はわりと並以下なんだ。
だから対等に外交できるよう、フロヴェルスの国力を少しでも削ぎたいというのは理解できる。
「僕ら勇者パーティとしては、ナーシェラン王子が次期王になった方が都合がいい。そっちはうまく手を抜いてもらえないか?」
迷ったが、直で頼んでみる。
こちらは人族の存亡をかけて戦う勇者パーティだ。この件ではこちらの言い分の方が正しいだろうと思うが。
しかしディーノは首を横に振った。
「貴様も分かっていると思うが、エスト王女はルトゥオメレンにあまりいい印象を持っていない」
まあ遺跡の件を考えれば、印象最悪だろうな。鼻っ柱に思いっきり頭突きしたし。
「だから危惧するのは、我々がなにもしないままエスト王女が王座に即くことだ。その場合、彼女は間違いなくルトゥオメレンに対して逆恨みの政策をするだろう。そういう事態に備えるためにも、彼女には恩は売らなければならん」
なるほど、それが一番の理由なのか。
面倒くさいな。ルトゥオメレンの偉いさんはナーシェランを王にしたくない。ディーノにとってはナーシェランが王になるのはかまわないが、エストが王になる可能性がある以上は恩を売っておかなきゃならない。
「順当にナーシェランが王になれば問題ないだろ?」
「それが順当かどうかは怪しいな。低評価ではあっても第一王子だけあって、ナーシェラン派は王位継承者で最大派閥だが……ロムタヒマ戦線にはナーシェラン派ですら派兵を渋っていたと聞いている。貴族の過半数が参加していなかったはずだ」
「ナーシェラン派から寝返りが起きるかもしれない、か? 今から慌ててエスト派に行っても、得られるのは一番下っ端の席だ。少し考える頭があれば愚行と分かるはずだが」
「なにも得られないよりはマシだし、引き抜きで好条件を提示される可能性もある。たとえばロムタヒマ戦線では大した報償は与えられないが、別の件で便宜を図る……といったな」
そうか。ナーシェランには勝算があるようなことを言っていたが、情勢は悪いらしい。……まあ、でなきゃ僕らの協力なんか仰がないか。
であればなおさら、ディーノは手を抜けない。困ったな。
「つまり今回、僕と君は敵同士か」
「そのようだ」
ディーノは不服そうに肩をすくめる。こんな内容で敵対しても面白くないよな。しかもエストの味方だし。
貧乏くじは向こうだ。同情するが、同時に頭が痛い。ディーノは手強いぞ。こいつの優秀さは疑いようがない。
「ゲイルズ」
改まった真剣な声でディーノに呼ばれ、僕は片方の眉を上げる。
「実は、もう一つだけ俺たちがエスト王女に肩入れする理由がある」
彼はそう言うと、チラリと隣の大テーブルに視線を向ける。―――その先にいたのはレティリエだった。
「これはスニージー嬢たち冒険者組にも共有してもらっている認識で、彼女らが今回の件で協力してくれている要因の一つだ。貴様には話しておいた方がいいだろう」
真面目くさった声音は密やかに。今度は王族たちのテーブルへと視線を向けた彼は、底に座る三人ともを汚物を見るような目で覗く。
明確な嫌悪を、僕にしか分からないよう瞳に映す。
「エスト王女は留学中、フロヴェルスのスキャンダルを交換条件に待遇改善を……いや、亡命を申し出たことがある。まあ、それは情報の証拠が足りず利用価値がつけられなかったため、お流れになったがな」
ディーノ・セルはお茶を飲むフリをして口元を隠した。読唇術すらも警戒するように。
「―――神聖王国は過去に、二代目と三代目の勇者を謀殺しているそうだ」
呼吸が止まるかと思った。
「俺たちはエスト王女に、王になったときそのような愚行をしないことを条件に協力している。また、そのようなことが起こった場合は勇者の力継承の秘密を含めたすべてを公にし糾弾すると脅してある。―――だから、俺たちはエスト王女の味方としてここにいるんだ」
それはつまり、レティリエのためか。
「ゲイルズ。貴様がそちらの都合で動くのはかまわない。ロムタヒマ戦線を攻略するための最適解は、やはり現在まで戦線の指揮を執っていたナーシェラン殿が引き続き軍を動かすのがいいに決まっている。……だが、ナーシェラン王子は信用できるのか、今一度確かめろ」




