王墓
「思ったより落ち着いていたな、城内は」
霊園は王城と隣接した土地にあった。
共同墓地になっており、墓参りの一般人も見受けられる場所だ。もっともそういう人々は別に喪服など着ていない。ドレスコードが必要なのは奥にある王家の墓のみだ。参拝するには当然、相応の身分も必要だが、僕らは王族の客なのであっさり通された。
「それが歴史と格式というものです。つまりは国としての経験ですね」
歩きながらの僕の呟きに、隣のナーシェランが答える。
一般人たちの墓がある場所と、王墓の場所は離れているようだった。墓守の許可を得て奥へ続く道へ踏み入り、手入れされた木々の横目に整備の行き届いた石畳を歩いていく。
「王を失うことも、継承者で揉めることも、フロヴェルスは何度も経験してきました。千年の歴史がありますからね。であれば今回のこれもなんら特別なことではなく、この程度のことで慌てふためくなんてみっともない。あのエストが本命の一人として参戦しようが、城内は粛々と機能しますとも。……皆の内心は穏やかではないでしょうが」
「ああ、そういう建前を通さなきゃならないから、余裕っぽく振る舞ってるだけなのか」
「それが格式というものです」
歴史ある国ってやだなぁ。こんな時に慌てふためくこともできないなんて。
いつかその格式という重荷を背負ったままズブズブ沈んで、溺死したりしそう。
「そんなことより、男性陣はあたしたちの格好になにかないわけ?」
いつもの頭に被っている毛皮も脱いで、黒のワンピースを着せられたミルクスが自己主張する。
仕立てが良いが装飾は少なくて、だからこそ長袖の裾が控えめな花弁のように膨らむラインが美しく見える服だ。膝下までのスカートは少女の活発な印象とは離れているが、布地は軽そうで動きづらそうな感じはなく、それが彼女らしいと思った。
チェリエカでも町娘の服を着ていたが、やはりエルフだけあってなに着ても似合うなこの娘。
ただ、さすがにこういう場でそういうことを言い出すのはどうか。
「いや……たしかに普段とは違う格好だけど、喪服だぞそれ」
「あら、喪服だから見なくていいなんていうのなら、着替えの部屋に置いておくのは一種類にするべきね。何着もあって選ぶのに苦労するほどだったのよ?」
「うっそ、男の着替えは一着出てきただけだぞ」
たしかに女性陣は三者共に違う装いをしていて個性が出ているが、そうか選んでたからあんなに時間かかったんだな……。僕らサイズ測られてこれに着替えてくれって言われただけなんだけど。
「男性の喪服なんてどれも同じようなものですからね。貴族は細部にこだわって刺繍したりしますが、その程度です。貸し出し用なんてそう何種類も用意しませんとも」
貸し出し品の男女格差にナーシェランが苦笑する。その辺も前世に似ているな……ところでなんでナーシェラン王子の服は僕らのよりずいぶん豪華なんだ? 金糸の刺繍とか喪服に必要? あと君だけ白銀のストールみたいなの巻いてるの違うくないか?
「王族は見栄がありますからね。それに当方は教皇に連なる者であり、司祭でもあるのです。この服装は喪に服す者として、この肩掛けは司祭としての装いになります。ああ、司祭として参加するのであれば、ちゃんと白の衣装を身に纏いますよ」
「そういえば、神父も葬儀の時は白い衣装だったな……あまり見たことないが」
セーレイム教の葬儀に参加したのって、幼い頃に近所の年寄りが亡くなったときくらいか。
「そういうことです。まあ当方のことはいいでしょう。リッド氏、女性の方々がお待ちですよ」
「ええ……? 喪服の感想言うのって難易度高くない?」
そもそも普段の服装だって感想とか言うの苦手なんだけど。錬金術師にそういうの期待しないでくれない? というか、そういうのは君のが得意だろう。
視線で助けを求めるが、ナーシェランはニコニコと楽しそうに微笑するだけだ。おもしろがってるなコイツ。
モーヴォンはと言えば、肩をすくめただけ。そういう色気あることに関与する気は無いらしい。
僕は頭をボリボリ掻く。こういうの気恥ずかしいから嫌なんだが、催促されたのならせめて思ったことくらいは口にすべきだろうか。
「ミルクスは黒も似合うんだな。その髪色には合わないと思ったが、余計な色や装飾がない分地の良さが際立つ。自分で選んだのか?」
「ええ。これが一番動きやすそうだったわ」
「見た目で選んだんじゃないのかよ」
だったら感想なんか求めないでくれよ。
「ネルフィリアは……君、王族だったんだな」
「どういう意味でしょうか?」
笑顔が恐いからやめてくれ。
彼女もまた喪服には違いなかったが、さすが王族用ということなのか、一目で仕立てが違うと分かる。
落ち着いているが光沢のある黒の生地に、銀糸の刺繍は華のあしらい。黒ダイヤの首飾りは主張しすぎず、しかしよく見れば庶民の手の届かない代物なのは明白だ。
それらの黒色に、アッシュブロンドの髪と白い肌がよく映える。―――こういう正装をしていると、この娘は本当に血筋が違うのだなと実感させられる。なんでこの子、僕の弟子なんてやってるんだろうね。ちょっとビックリするくらいの世間知らずだからか。
「いや、君はあまりそういう服装をしないからな。見違えたよ。フォーマルで煌びやかなドレスなんかもっと似合いそうだ」
そう言って微笑んで見せると、我が弟子は若干引き気味に胡乱な目をした。
「師匠はなんというか、褒めるのに慣れていないのですね。本心をそのまま伝えてるだけなのに、これでいいのだろうか、と迷っているからどこか嘘くさく感じる……」
「ほっとけ」
「そしてそれを見抜いてそのまま流すミルクスさん、実は慈愛の塊なのでは?」
「もう。そういうのは気づいても言わないものよ、ネルフィリア」
人の心の内を見通すのやめてくれない? 世間知らずのくせにそういうスキルだけ偏って持ってるのなんなのさ。
あとミルクスさんは気軽に追い打ちしない。
「それで―――レティリエ」
僕はその話題から逃げるように最後の一人に視線を移し……そして逸らす。
うん、まあ最初に見たときから分かってた。分かっていたから最後に回したし、こうして順番がきてもちょっと困る。とても言いにくい。けれどことここに至って聞かずには居られない。
「それは、使用人用の喪服では?」
「あ、はい。わたしは城勤めでしたし、いまだ私物も保管されて……」
たまに思うんだけど、勇者の自覚ないんじゃないかなこの娘。
手入れされた林道を進んでいく。
王家の墓は神聖な域に封じられるべきもので、一般人は立ち寄れないらしい。だからここを歩く者なんか少ないだろうに、見える限りの木々がすべて整っている。そのせいか風通しが良く感じるし、林そのものに清潔感があった。
……ただ、エルフの森とは別方向の綺麗さだな。あちらは樹木の健康を保つための世話だが、こちらは見た目を重視している。植生の種類がまとまっているし奔放に曲がりくねった木がないから、少し人工的に見えて、だからエルフの姉弟は不満顔だ。感性の違いがもろに出てそう。
僕なんかは都育ちだから、これくらいのヌルい自然の方がリラックスできるけどな。この世界に来て実感したことだけど、ガチな自然って人間に厳しいし。
ここを一般公開したら王家の墓の参拝散歩コースとして人気が出るかもしれないが……まあ無理だろう。墓荒らしがおきるかもしれないし、まかり間違って神聖王国の王族が不死族化してるのを目撃したら、口封じで殺されかねない。
いや、もしかしたら墓下には城への秘密の抜け道があってそれを隠す意味で一般人の目に触れないようにしているとか……と冗談で考えて、立地的にあり得るな、と思ってしまった。
まあ僕なら出入り口は墓じゃなくて林の中に作るが、このヒラメキは大人しく黙っていよう。仮に本当に抜け道があったとき、すごく気まずいからな。
霊園の奥に据え置かれた王家の墓は見上げるほどに大きかった。が、意外なことに一つだけだった。
歴代の王とその配偶者の名が掘られた白い大理石のプレートが石の台座に並べられているのだけれど、個別に墓があったりはしない。初代であるはずのフィロークすら同じ大きさのプレートで扱われているのが印象的だ。
「フロヴェルスの王たちは皆、等しくここに名を連ねて眠るのです。王とは国の機能であり機構そのもの。すなわち国の礎に他ならず、その功績の大きさなど関係ない……というのが、もはや誰が言い出したかも分からない伝統でして」
ナーシェランの解説は手慣れていた。ここに初めて来る者にはおなじみの説明なのかもしれない。
墓の中くらいは平等に、ってことかね。よく分からないが、言い出したのは比較的無能だった王様なんじゃないかな。八百年前の再建から何代か後くらいの名前も知らないところが怪しいね。
「暗殺された者と暗殺した者と、同じ墓に入ることもあるのか?」
「ええ、当然。それもまた運命なれば、大局的に見て国に必要な課程であったと解釈できますし。ああ、もちろん理解はしてますが、もし当方だったらと思うと心情的に嫌です」
「だろうな……」
しかし……機能であり機構ね。つまり王とは国を動かすシステムって割り切ってるのか。
どうせ建前ではあっても、伝統としてそういうのが伝わってるのは神聖王国ならでは、って感じがするな。
僕は改めて墓を見上げる。
世界樹の葉が彫刻された巨大な墓石は継ぎ目もなく、一つの岩から切り出されていることが分かる。
ここに眠る者たちは誰であれ、国の礎になった者だという。
別段、真に受けたわけではない。神聖王国の歴史にも隠しきれない不祥事はあるもので、僕もいくつかそれを知っている。己を殺して国のため、なんて者ばかりでないことはたしかだ。
だがまあ……それでも僕は、王を抱くに十分な威容をもって佇むそれに、セーレイム教の祈りを捧げた。
僕はこの国の民ですらないが、国を背負うなんてきっと大変だっただろうと思うから。
他者の人生を担うという立場がいかに重いか、今は少し分かる気がするのは、なぜだろうか。
昔はそんな余裕もなかったからか、あるいは……
「ああー、リッドがいる! レティも! なんでいるのっ?」
霊園に似つかわしくない騒がしい声が響いたのはそのときで、その再会はまったく予想していなかったために油断していて、振り返った僕は目を疑う。
もうすっかり懐かしく感じる魔術学院の正装用ローブと、黒のとんがり帽子。
元気が有り余った声の主の少女は目をまん丸に見開いて、こちらを指さしていた。
「……え、ワナ……さんですよね?」
レティリエの呟きが耳に届き、僕は眉間にシワを寄せて頷く。
あの声を、あの顔を忘れるものか。
彼女はワナ・スニージー。破壊魔術しか使えない、しかし自覚ナシの天才魔術師であり……僕の幼馴染みに違いなかった。




