旅程 2
ゆっくりな旅路とはいえ、三日目ともなれば結構な疲労がたまる。ずっと徒歩だしな。
特にドロッド教室の生徒たちの消耗が顕著だ。
彼らは最初の方こそ歩きながら何事か議論したり、彼らの師におべっかを使ったり、僕や冒険者に蔑みの目を向けたりと忙しかったのだが、今となってはとてもおとなしい。背中が丸まり口数も少なくなって、まるで通夜みたいだ。元々魔術師はインドア派が多いため、体力がないのだろう。
そんな中、一番元気なのはまさかのドロッド副学長だった。老齢とは思えない健脚さを見せる彼は今も隊列の一番前で、同じく元気いっぱいなワナと笑い合っている。あそこめっちゃ心配なんだけど大丈夫かな……。
「なあディーノ・セル。ドロッド講師はなんであんなに元気なんだ?」
荷馬の首紐を引くディーノはドロッド教室組の最後尾を歩いていた。つまり僕のすぐ前なので、少し歩調を速めればすぐに追いつける。
今まで意図的に避けられてきたが、道も半ばだ。そろそろ子供じみた意地に付き合うのは終わりにしておこう。
「体力強化の魔術だろうな。もっともあの魔術は長時間の発動はかなり難度が高く、元から体力がなければ効力も弱い。若い頃フィールドワークに明け暮れた、という師でなければできぬ芸当だ。無論、魔術師ではない貴様には縁もない話だが」
こちらから話せば答えてくれるけど、イヤミは忘れない、と。
依頼した側だからあまり邪険にはできないが、彼個人としてはやはり、僕の同行を納得していないようだ。
「君はまだ平気そうだな。君もその魔術を?」
「まさか」
聞いてみると、ディーノは鼻で笑う。
「素だ。俺は貴族生まれだからな。幼少より剣も仕込まれたし、狩りもする。このぬるい行軍程度でへばるものか」
「……あー、なるほど。ごもっとも。たしかに冒険者の方々も出発時となんら変わらない。疲れてるのは部屋にこもりっきりの運動不足たちだけか」
そういえばイルズもわりと平気そうな顔して歩いてるよな。この探索隊の発案者なら遺跡に詳しいだろうし、フィールドワークが主の学者かもしれない。
「そういう貴様も部屋にこもりっきりの運動不足のはずだが、余裕がありそうだな」
咎めるように指摘してくる幼なじみに、僕はわざとらしくニヤリと笑ってやる。
「錬金術にだって、疲労回復の薬品くらいはあるのさ。……というかそういう系はこちらの独擅場だ。せっかくの旅行ってことで、今回は学院の売店で手に入るやつより相当強いのを調合してきてね。自分でもいい出来だと思ってるよ。なにせドロッド教室からの前金と示談金で、贅沢に素材をそろえられたからさ」
疲労や体力の回復などは、魔術師は不得手だ。
理由は怪我治療と同じ。人体に相当な理解を持ったうえで複雑な術式を組まなければ、悪影響が出かねない。
その点、薬はいいよな。魔力を帯びた栄養ドリンクだもん。今回は保存と携帯性を考えて丸薬だけど。
「用意がいいというか、ずる賢いというか……そういう知恵だけは回るな、貴様は」
「自分に自信がないだけさ。劣等感があるから万全を期したいと考える。君の優秀な先輩方と違ってね。……多めに用意しておいたから、彼らにも配っておこうか」
「彼らが施しなど受け取るものか。まして錬金術師からでは」
「プライド高そうだもんな。だから君にこっそり渡すよ」
僕は鞄から丸薬の容器を取り出すと、自分の分を少しだけ別の容器に取り分け、残りを全てディーノに押しつけた。最悪全員に配るつもりで持ってきたから、量は十分ある。
「君が気を利かせて用意したと言えばいい。連中は喜んで受け取るさ。君の株も上がる。旅は順調になる。いいことずくめだ」
「……貴様、俺にそんな嘘をつけというのか?」
声を抑えたってことは、反発しつつも最適解と理解しているな。
なら説得は簡単だ。理詰めで押して、少しこっちが折れてやればいい。
「遺跡は獣道くらいしかない森の中だそうだ。こんな街道で足が鈍くなるようじゃ、先が思いやられるってもんだろう。……僕だって依頼されて、役に立ちに来たんだ。できることがあるのに傍観するのも居心地が悪い。手柄の横取りが嫌なら、僕に命令して造らせておいた、ってことにしてくれないか。それで僕の腕も評価されるだろう」
ディーノはしばらく無言で、僕と丸薬の容器を交互に睨む……が、やがて大きく溜息を吐くと容器の栓を抜き、丸薬を自分の口に一粒放り込んだ。
革袋の水筒を取り出し、水で喉に流し込む。
「これで効果があれば、検討してやる」
僕は肩をすくめてやった。たしかにディーノからすれば必要な試験だ。全然効かなかったら笑い者だもんな。
「お好きに……した後か。配るのは次の食事時かな」
「自信家め。そういうところが気に食わん」
「これは自分の身体で試験済みだからなぁ」
ちっ、と舌打ちする音。
そして、ディーノ・セルはこちらを見もせずに……言葉だけで踏み込む。
「貴様、何を企んでいる。言え」
見通しやがった。
「……なぜそう思う?」
動揺を隠しつつ僕が聞くと、彼はなんの不思議もないように、当然のごとく述べる。
「まだ速度は落ちていないからな。貴様なら、もう少し疲労が顕著になったころが恩の売り時、などと考えるはずだ。それに、今の光景は魔術師嫌いの貴様好みだろう。何もなければ、ギリギリまで出し惜しみするに決まっている」
「別に魔術師が嫌いなわけじゃないが……鼻につくエリートどもはたしかに。そうか、僕の性格の悪さがアダになったか。それは仕方ないな」
ホントに仕方ないなこれ。
仕方ないから、本心を片方語るか。
「単純に遅れたくないのさ。できるだけ早く着きたい。だから彼らの間抜けで足止めなんて、まっぴらごめんなのさ」
レティリエは遺物を持ってロムタヒマへ向かわなければならない。ゆっくりしている時間はない。もちろんこれは言えない。
だから、それとは別に。
「今回、なぜ僕が呼ばれたのか分からないが……僕が役に立つかもしれない遺跡ってことは、錬金術関係の何かがあるってことだろう? なら僕だって興味はある。こんな下らないことで、魔術師なんかに足を引っ張られたくないね」
四日目の日暮れに辿り着いたのは、国境近くにある町だった。
交易路の途中に形成された宿場町で、泊まる場所だけには困らない土地だ。
ドロッド講師は宿を見つけるなり、空き部屋だった六部屋を全部押さえた。まともな屋根の下で寝られるのはこの街で最後なので、しっかり休息を取れるよう配慮したらしい。
ちなみに僕は即断で冒険者男性組との三人部屋を希望した。
放っておいたらイルズとセットにされかねないからな。あの白髪細目神学者と一晩一緒にいたら、脳内が中二病に染まる自信がある。それだけはなんとしても避けたい。
そうして今、僕は三人部屋の片隅で簡易的な(ほぼ気休めの)結界を張り、魔視鏡の映像を睨んでいる。
もちろん見ているのは球形立体魔術陣だ。魔王が持っていた、という魔石である。
今までの三日間は大部屋だったので、魔術師の目があって取り出すのは憚られた。そして明日からは森の中なので、もう野宿が決定している。今日はコイツを解析できる最後にして唯一の機会だろう。
とはいっても……これについてはほとんど、終わっているんだけど。
「坊主はいったい何をしとるんだ?」
ドワーフのザガンが背中越しに聞いてきて、僕は哲学の時間に入る。
何をしているのか。本当に、何してるんだろう。
解析はほぼ終わった。立体魔術陣の構成はほとんど暗記している。この四日間、歩きながら考えに考えて、なんとか瘴気の結界に対抗するアイディアもひねり出した。
やり残しは一つだけ。隠されたブラックボックス。
しかしそれは、あまりにも拍子抜けなものだと途中で分かった。ほとんど余興に等しい。製作者のジョークで隠されたオモチャの宝箱。
開けたところで、どんなものが入っているかはもう分かっている。開けるための合い言葉さえ分かっている。
……だというのに、僕はそのブラックボックスを開けていない。
「見ています」
結局、僕は端的にそう答えた。
宿の部屋の片隅に陣取り、床にあぐらをかいて、ひたすらに魔視鏡の映像を睨み付ける。それが今の僕の姿で、これはそれ以上でもそれ以下でもない行為である、と僕は認めるしかなかった。
「気色の悪い……」
狼獣人のドゥドゥムがこちらに聞こえる声で漏らす。
気持ちは分かる。僕だって他人が同じことをしていたら気持ち悪がる。
「これは術士にとっては芸術品ですからね。目の保養にしているんですよ」
「「嘘つけ」」
適当に言い訳してみると、二人共から非難された。
「保養でそんな険しい目つきになるものか」
ドワーフが呆れたように言って、
「お前のニオイは淀んでいる。虚言ばかり吐いていると己の真実が見えなくなるぞ」
狼獣人が嫌悪を隠さず助言してくれる。優しいじゃないか。
僕は二人のルームメイトを振り返り、親指で魔視鏡の映像を示す。
「良かったらお二人も見ますか? 僕の解説付きで。わりと面白いですよ」
「いらん」「必要ない」
二人同時の拒否。そうだろうな。彼らは戦士のようだし、これの素晴らしさは分からないだろう。
ううむ……困った。彼らにはレティリエを匿ってもらっている恩があるんだよな。はぐらかしてばかりじゃ、さすがに失礼かもしれない。
一応、説明はしとくか。
「こいつはリアさんの所持品でしてね。元は彼女の最大の敵が持っていた魔石です。僕はこれの解析と対策をお願いされました」
「……アレのか。ふん、小僧。一つだけ言っておくぞ」
「どうぞ」
「あまり首を突っ込むのはやめておけ。小僧には荷が重い」
じり、と胸の内の棘が熱を持った。
「…………」
僕は奥歯でドワーフの言葉を噛み締める。
あるいは。
僕に、この肉体の年齢通りの若さがあれば。前世の記憶など持ち合わせていなければ。自分の限界をとうに知っていなければ。
何か、言い返せたのかもしれない。
魔術も使えず、腕っ節も全然で、今もたかがオモチャ箱の前で逡巡しているような……矮小な器であるなどと。
それくらい、とっくに分かっていなければ。
「心配しなくても、適当なところでケツまくって退散しますよ。身の程くらいは知ってるつもりです。……ま、できることくらいはやっておきますけどね。でないと……」
あるいは。
僕が、年齢通りの若さであれば。前世の記憶など持ち合わせていなければ。彼女の立場と心境を推し量ることなどできなければ。
こんなところでクソヤロウな笑みなど、浮かべなかっただろう。
「たった一人に責任を押しつけてへらへら笑ってちゃ、いざ世界滅亡となったとき、そいつを呪って無様なスラング吐き散らすはめになるでしょう? せっかくの機会です。こういうのは一枚くらい噛んでおくのがいい。自分の責任なら死ぬ間際の悪罵だって、まだしもマシになるってもんだ」
棘は冷えている。氷のように。
どこもかしこも同じだ。責任は押しつけて、安全圏から文句を言って、失敗したら徹底的に追い打ちをかける。この世界だって何も変わらない。
護る価値などない、ゴミの掃きだめだ。
「……小僧。思った以上にひねくれておるな。本当にワナの馴染みか?」
ドワーフは髭に覆われた口をへの字に曲げて、胡乱げにこちらを見やる。
ま、十六のガキの言いぐさじゃないよな。
「もちろん。互いに呆れあう腐れ縁ですとも。そういえば、彼女はどうです? 普段から迷惑かけてませんか?」
「迷惑はかけられとるよ。いつも厄介ごとを持ち込むのはワナだ」
「幼なじみとして申し訳ない」
「今回のようにな。……まさか、勇者を連れてくるとは思わなんだ」
「あ、それは主に師と僕のせいです」
ドワーフはやれやれといった調子で溜息を吐く。おいおい、なんだよもう疲れたのか。まだまだキャッチボールは始まったばかりだぜ?
「あいつはよくやっている。動きがいいし、とっさの機転も利く。攻撃魔法の腕前はそうとうだ。攻撃以外が使えないってのは、どうかと思うがな」
投げやりに椅子に座った獣人が、手すりで頬杖をついて補足する。
ああ、うん。それも困ったもんだよね。
「ワナは適性がとんがってるからな……ええと、普通の人は魔力を水差しに貯蔵しているとイメージしてくれ。傾ければチョロチョロと適量だけ注ぐことができる。彼女はそれがデカい瓶だ。たくさん貯められるが、傾けるとダバァってなる。だから細かい魔術との相性が非常に悪い」
魔術を覚えたての頃は大変だった。制御できない魔力が破壊をまき散らした。主に僕が酷い目にあった。
「……初耳だ。ワナはそんな話、一度もしなかった」
僕の説明に、ドゥドゥムが目を丸くして驚く。
そうだろうな。そういう言い訳をいちいちするやつじゃない。
「破壊系の魔術は消費魔力がそのまま威力になるから、注ぎ口が大きいのも才能だけどね。特にワナは、火力を出すだけなら天才の域と言っていい。……けれど、甘やかすのはやめてくれよ。あの欠点は克服できるんだ。彼女が火種の魔術を使えるのは知っていると思うけど、あれは訓練でできるようになった芸当でね。真面目にやれば、ちゃんと他の魔術も使えるようになるはずさ」
不可能ではなく、単純に苦手なだけ。
魔術が使えない僕とは違う。
「向き不向きの問題なのか。性格だと思っていたが」
「もちろん性格もだよ。雑だろ、彼女?」
ドゥドゥムが黙る。やはり冒険時も安定安心のワナさんらしい。いや安心はできないな。
「君たちがワナの仲間で良かったよ。一見荒っぽいけど、一緒に旅してみると理知的で慎重なのが分かる。君たちでなければ、あいつは命がいくつあっても足りてないんだろう。……どうか、これからも彼女をよろしく頼むよ」
僕は床にあぐらをかいたまま頭を下げる。すると、狼獣人は訝しげな声を出した。
「なぜお前が頭を下げる」
「? 幼なじみとしてだけど?」
「そうか。ワナの魔法はパーティに必須だ。あの火力があるから、見上げるほどデカい魔物の討伐もできる。お前に言われなくとも、護るとも」
なんとなく、だけれど。
僕はガザンへ目を向ける。ドワーフは微妙な顔で小さく頷いた。アイコンタクト完了。いいオモチャが見つかった。
「ところでドゥドゥム。君は魔術師が嫌いだろう? あるいは人間が」
「……なぜそう思う?」
「見てれば分かる。これは事実だから言うけど、獣人はルトゥオメレンだと地位が低い。種族的に魔術を扱うのが苦手なせいでね。特に魔術師はでかい顔で君らを嘲る。……すまない。半人前の身で代表はできないが、一人の術士として謝らせてくれ。そして、僕たちに嫌悪感を持ちながらも今回の依頼を承けてくれたこと、心より感謝している」
「報酬が破格だっただけだ。オーガも討伐したから、もう大した危険もないしな」
僕が真正面から謝罪と謝辞を伝えたからだろう。照れ隠しか、気持ち早口でまくし立てるドゥドゥム。
「けれど、そんな君が、ワナにだけは好意的に見える。魔術師で人間にもかかわらず、ね」
「それは……あいつは他の魔術師と違うだろう。何も考えてない」
「そうだね。ワナは細かいことなんか気にしない。それが悪いところで、いいところだ」
「ティルダだって認めている。ハーフエルフも人間とエルフ両方からのけ者にされるが、ワナにはそんなもの関係ない。関心もないようだ」
「彼女もか。なるほど、ワナが君らのパーティにいる理由が分かった気がするよ。君らがワナのことを認めて、好きでいてくれてるんだな」
「好……他の人間よりマシなだけだ!」
わぁ、分かりやすい。
「そうかな? ……そうだ。好きと言えばこの隊には昔、ワナに告白したヤツがいてね。ディーノ・セルってヤツだけど分かるかい?」
「なんだと……! どいつだ?」
「荷馬を引いてる金髪だ。田舎貴族だけど、僕とワナとはちょっとした縁があって幼なじみ。同世代で一番の才能を持つ優等生さ」
「あいつかっ。一団の中で二番目に気に入らないニオイのするヤツだ」
「まあ告白したっていっても、あんまり気取った言い方したせいで、ワナには伝わってなかったけどね。あれはディーノ、かわいそうだったなぁ。勇気出したのに」
「ッハ。お貴族サマらしい話だな。あの女に回りくどい言い回しが通用するものか」
うーん、楽しい。ワナってモテるなぁ。
あまり意識したことがないけど、ワナってけっこう可愛い顔してるしな。明るくて誰とでも分け隔て無く接するし、あの満面の笑顔にコロッといっちゃう男は多いのかもしれない。
「……ちなみに、この一団で一番気に入らないニオイがするのはお前だ」
不意の糾弾。
ドゥドゥムの一段重くなった言葉に、僕は真顔になる。マジかよ副学長より上か。
「お前が他の魔術師と違って、獣人もハーフエルフも軽く見ていないのはニオイで分かる。それでも、俺はお前が一番気に入らない」
ほぉう。獣人は他者の感情まで嗅覚で読み取ると聞いたことがあるが、なかなか精度が良さそうじゃないか。
「……理由は?」
「お前は俺たちもあの魔術師どもも神学者も、一緒くたにして他人としか思っていない。そして、お前は他人が嫌いだろう。卑屈でいじけた、劣等感の塊みたいなニオイだ」
僕は笑ってやった。笑い飛ばすことはできなかったけれど、笑ってやった。
異世界転生者だが、前世の記憶は大して役立てず。
魔術師の子に生まれても魔術は使えず。
いびつな人工生命に縋って罪を重ねる、無様な引きこもり。
おうとも。他人など大嫌いだ。輝かしい日の下を歩く普通の人間はまぶしい。
異世界転生者である自分は、特別な存在のはずなのに。
ドブを這いずる鼠より惨めだともさ。
「それはそれは、鬱陶しそうなニオイだ。獣人に生まれなくて良かった。自分の体臭で気が狂ってしまう」
「鬱陶しいとも。そんな石っころの前でウジウジ悩む様は特にな。冒険者として言ってやるが、どっちでもいいから決断は早くしろ。時間の無駄だ」
チッ、と。舌打ちする。素が出てしまう。
なにより。
そういう生き方を羨ましいと感じながら、できない理由を並べ立てる自分に腹が立った。