馬車に揺られて
王室御用達、というにはあまりにも無骨な二頭引きの馬車が、なだらかな道を行く。神聖王国への道は巡礼者のために整備されていて、馬車はよどみなく進んでいく。
窓がすべて閉じられているため見えないが、この馬車の前後にも同じ大きさのゴツい馬車がいるはずだ。幌で上手く偽装してあるが、弓矢も魔術も通さない装甲車である。
神聖王国第一王子の護衛としてはこんなものだろう。
……とはいえ、これではとても殴り込みはできないが。
「まあ、軍をまるごと動かせないのは分かる。攻めないにしても、今の状況でロムタヒマの警戒まで放り出すわけにはいかないからな」
この馬車に乗っているのは八人。御者台の二人を除けば六人。
馬車内に固定された二つの長椅子。一番前方側に僕と向かい合って座るのは、ナーシェランだ。ウルグラを出るとき、彼は自分の馬車に僕ら五人を招き入れた。あちら側にはネルフィリアとレティリエが座り、こちら側にはミルクスとモーヴォンが座っている。フロヴェルス組とそれ以外で別れた形である。
御者台とこちら側には仕切りで隔てられているので、大声でも出さなければ向こうには聞こえないだろう
「だけれど、僕らを臨時の戦力として考えるのはやめてくれ。人族相手に殺し合いをする気はない」
会話するため設けられた空間。そう解釈した僕は、まずどうしても必要な釘を刺す。
ルトゥオメレンでレティリエと最初に会ったときのことだ。彼女は自分を追う二十人の黒装束……エスト率いる審問騎士団の刺客を一人として殺していなかった。己は命を狙われているのに、だ。
まあそんな事例を持ち出さなくとも、彼女が人を殺したくないことくらいは分かるか。
「もちろんそんな事はしません。当方とて自国の民と戦いたくはないですからね。期待していているのはレティリエさんの勇者という肩書きです」
ああ、なるほど。正直だな。
「勇者を味方につけて隣に立たせれば、神聖王国の王位継承者としてこれ以上ないハクになるな。そういうことか」
「そういうことです。発言の擦り合わせくらいはさせてもらいますが、あなた方にやっていただきたいことは基本、皆の前で堂々と立っていることと、あとは自分の身は自分で守ってもらうことですね。ついでに当方も護ってもらえれば幸いです」
「きっちり戦力として見られてるんだよなぁ」
まあこっちから武力に訴える気はない、と言質が取れただけよしとしようか。
「今更ですけれど、魔族軍を倒してからではダメだったんですか?」
ミルクスを挟んだ向こう側から、モーヴォンが口を出してくる。彼は馬車に案内されてすぐに右側の入り口近くに陣取った。今は自分の膝に左肘を突き、やさぐれたように左手に頬を乗せている。―――君、なぜか左頬が腫れ上がってるもんな。座る位置的にそこが一番目立たないと一瞬で看破したんだろうな。
「ダメですね。現在の戦線は今更ながら集まる目処がたった増援待ち状態です。ですが戦争に勝ってロムタヒマをまるっと手に入れたとしても、当方としては当然ながらこれから来るような者たちに、手柄も報酬もあまり出せません」
「ああ……そういう」
今の説明でモーヴォンは理解したようだ。ネルフィリアもレティリエも渋い顔をしている。
「え、なに? どういうこと?」
唯一ミルクスだけは分からなかったようで、説明を僕に求めてきた。
「ナーシェランは立場上、今現在ロムタヒマ戦線を支えている者たちを評価したいし、せざるを得ない。―――けれど、噂の第二王女さまが女王になってナーシェランをロムタヒマ戦線の司令官から無理矢理降ろしたとしたら」
「はい。当方は無駄に戦争を長引かせた無能の烙印を捺され、今のロムタヒマ戦線の兵たちは無能の部下となります。そして当方らは隅に追いやられ、新女王の名の下に送り込まれる指揮官と大量の増援が中心となって、壁が壊れてあと一押しとなったロムタヒマ王都に雪崩れ込むこととなるでしょう」
僕の言葉をナーシェランが受け継ぐ。笑って言っているが、笑い事じゃないんだよなぁ。それでいて余裕があるというか、自棄になっていないところがこの男の凄いところだ。改めて格というものを感じさせてくれるね。
まあ冷静だろうがパニックだろうが、崖っぷちのピンチなのは何一つ変わらないのだけれど。
つまり、現状を簡単に言うならこうなる。
「今から増援の兵を出すようなゴミどもからしたら、ナーシェランが失墜してエストが新女王になった方が、美味い汁を吸える可能性が高いのさ」
そしてそう考えて動く数はきっと、結構な数なんだろう。でなければナーシェラン本人が王都へ向かうハズがない。代理人にも任せてられない、と判断しなければならないほどの事態なのだ。
大変だなナーシェラン。
「今までサボってた連中が、自分の怠惰も省みずそのまま第二王女につくわけね。人間ってなんなの?」
「面白いだろ? 人間は誰かより賢く立ち回ろうとすることで愚か者になれるんだ」
「なんでちょっと嬉しそうなのよ」
それはね、僕みたいなクズは他者のクズなとこ見るのが救いだからだよ。
なんかお仲間がいるなーって安心するんだよな。こういうとき。
「それで……ナーシェラン様には、勝算があるのですか?」
「いいえ、ありません」
レティリエの問いには、ナーシェランはしっかりと頷いた。そこ頷いちゃダメだろ。レティリエ面白い顔になっちゃってるじゃないか。嘘でもあるって言うとこだぞここ。
「この段階で立てる勝算なんて皮算用です。滞りなくロムタヒマに攻め込んで魔族に勝って領地をすべて手に入れる、という絵空事より非現実的ですね」
わかった、この空間はナーシェランのぶっちゃけ会場だな。
その絵空事の餌に釣られてたモーヴォンが凄く睨んでるんだけど、君が思ってる以上に敵に回したらヤバい相手だからなそのエルフ。
「ただまあ、相手が相手ですからね。政治で戦う算段ならいくらでも。ええ、それはもう面白いほどに」
ナーシェランの笑みが生き生きしてるぅ……。陰謀家の暗い闘志に満ちた笑みってホンモノがやると怖いんだな。こいつやっぱ僕の同類だわ。
そもそもこの王子、軍動かすより政治やってる方が得意そうだし、ついていけば内政屋の本領発揮が見れるのかもしれない。
「あの、兄様。ちょっといいですか? 正直、エスト姉様が王権をとるのは無理があると思うのですが」
ネルフィリアが顔の位置まで手を上げて、困ったように口を開く。
「私の記憶では、姉様にそこまでの政治力はないというか……そもそも近年まで修道院で修行していて、政治の舞台どころか社交界にすら顔を出さなかった人が、どうしてここまで持ち上げられているのか不思議なのですが」
「ああ、良いところに気づきましたねネルフィリア。そこですよ。まさしくそこです」
末妹の疑問点を、ナーシェランは嬉しそうに褒めそやす。さすがシスコンをこじらせて軍を率いてただけはあるな。妹には激甘そうだ。
「第二王女に寝返った者の大半は第一王女派……つまり、マルナルッタが全力で嫌がったんでしょう。アレはそういう女です。最初に担がれそうにはなったでしょうが、女王なんて責任重大で面倒なこと絶対やりたくない、って逃げたに決まっています」
「ああ……」
それで納得するんだ……マルナルッタ姉ちゃんちょっと興味出てきたな。どんな人なんだろ。
「だから、代わりにエストを立てようとしたのでしょう。ここまで言えば分かりますね。この案件、本当の敵はエストではありません。陰謀の黒幕がいます。……まずは、そこを突き止めましょう」




