緊急事態
「さて、これで皆さん集まりましたね。それでは今後の話といたしましょうか、勇者ご一行様方」
結果として……あくまで結果としてだが、レティリエの機嫌をとる必要はなかった。
宿に帰った僕らを、一目で厄介事を持ち込んできたと分かる人物が待ち受けていたからだ。
「……ナーシェラン、この状況下で他国にまで足を伸ばすとは破天荒だな」
「緊急事態ですからね」
アッハッハ、と快活に笑うフロヴェルスの第一王子殿はどこかヤケクソな感じで、その後ろではレティリエがお茶のケトルを手にオロオロしている。―――どうやら状況と様子を見るに、拗ねている場合ではないらしい。
ていうかどう考えてもナーシェランがここにいるのおかしいだろ。
「軍の方はいいんでしょうか? 最高指揮官なのでは?」
殴られた頬を赤く腫らしたままのモーヴォンが、ぶすっとした口調で聞く。
やっと喋ったな。目を覚ましてからここまで必要最低限以下しか口を開かなかったが、緊急事態という言葉に反応せざるを得なかったのは、ターレウィム森林を領地として貰う約束を交わしているからだろう。
しかし嘆かわしい。王族相手にそんな口調しか使えないなんて、あまりにも不躾ではないか。普段の彼ならもう少し礼節をわきまえているハズなのに、いったい何があったんだろうね?
「ええ大丈夫ではありませんよ。大丈夫ではありませんとも。このままでは置いてきたカヤードが過労死すると思われます。尊い犠牲でした」
未来の話を過去形にするのやめろよ。カヤードだって一生懸命がんばって生きてるんだぞ。
……というかあの砂色髪男、まだ過労死ラインでこき使われてるのか。顎髭の方は街で婚約者と遊んでるだろうに、かわいそうなヤツ。
貧乏くじ担当なんだろうな。
「単刀直入に言いましょう。助けてください」
ナーシェランは笑顔で僕の目を真っ直ぐに見て言ったので、僕はその様子から心底困ってるんだろうな、と直感した。
うん、関わり合いになりたくない。賭けてもいいが絶対にろくでもないことになる。
自分の指揮下の軍隊があるのに、わざわざこちらにやってきてお願いなんてどう考えてもおかしい。
そうとうな地獄が待っているに違いない。
「断ると言ったら?」
「断らせませんとも」
わあ自信満々。この交渉に絶対勝ってみせる、って決意が透けて見えるよう。目が欠片も笑ってないのに気づいちゃって、もうこれ全然勝てる気しないんだけど。
「リッド、わざわざこんなところまで追ってきたんだし、話くらい聞いてあげたら?」
「おお、ミルクスさんはなんとお優しい。このナーシェラン、そろそろ身を固めろと周囲に口うるさく言われ続けながら十年ほど全力で抵抗してきましたが、今は思わず求婚してしまいそうでした」
「あら、そしたら未来の王妃かしら?」
さすがにその婚姻は無理があるだろ。王族にエルフ入れるってどう考えても国家規模の問題になるし。
千年近く生きる種族に人間社会で権力持たせたらちょっとどうなるかわからない。しかも子供も人間より寿命の長いハーフエルフだから、王位継承権とかでももめそうだ。ナーシェランが気にしなかったとしても、周囲が強硬に止めるのではないか。
というかそもそも、ミルクスの外見年齢はこの世界観点から見ても、結婚にはちょっと早いと思うぞ。
「それがそうでもないのですよ。ええ、フロヴェルスでは今、絶賛王位継承争いの真っ最中で」
ミルクスが首をかしげ、モーヴォンが眉をひそめ、ネルフィリアが驚きの表情をする。
事前に聞いていたのかレティリエは驚いていなかったが、とても渋い顔をしていた。
「それは……どういうことなのでしょうか、お兄様?」
ネルフィリアが問うて、僕は心の中で舌打ち。
これ絶対聞いたら後戻りできないヤツだろうに、うかつすぎる。まあ、すでに逃げられそうにない状況ではあるが。
「まずここ数年病床に伏せていた、セーレイム教皇でありフロヴェルス王であるホレイショー国王が死去しました」
―――それは。
「そんな、お父様が……」
ネルフィリアから悲痛な声があがる。
魂ごと人格が変わったせいで戻りにくかったとはいえ、親の死に目に会えなかったのはさすがに辛いのだろう。……そういえば、エストがフロヴェルス王は死にかけだって言ってたもんな。せめて魔族から救出された、って顔を見せて安心させてやる程度の配慮はすべきだったかもしれない。
「まあ、それは別にいいのですが」
あっさりと話題を流そうとするナーシェラン。
いや、いいのかよ。君らの肉親だぞ。それに大陸最大の宗教のトップが死去とか、世間的にも思いっきり重大なニュースなんだが。
「ちょっとナーシェ、淡泊すぎじゃない? 実の父親でしょ?」
「ええ。ですが元々そう長くないことは知っていましたから。それに実は、あの人とはあまり言葉を交わしたことがないんですよね。教皇としても国王としても尊敬していますが、父としてはそこまで」
「ドライね……王族ってそういうものなの?」
「王にとって子は政治の道具ですから。そもそも多忙な方でしたから、会う機会も月に一度あればいい方で。父の顔は額縁で飾られた肖像画で覚えたくらいです。なので王の訃報に悲しみはしても、肉親の死という実感はあまりないのですよ。これは兄妹みな同じでしょう」
ああ、これはミルクス王妃の線は完全に消えたな。ありえない、って顔してるもん。
「それはともかく、問題は王の死をきっかけにして、当方の留守をいいことに敵勢力が大きく動きを見せたことです。……いつまでもロムタヒマ攻略に手間取る当方の資質を疑問視する、という名目ですね。いえ、これは本心でもあるのでしょうが」
「壁は壊れて、あとは人数集めて雪崩れ込むだけだってのに? ……って、ああそういうこと。ナーシェランが勝った後だと言い出せないもんな。ここしかないってタイミングだ。王様の死因を調べておけ」
「無駄でしょう。夏で痛みやすいですから、すぐに埋められてしまいます。当方が帰るまでには、おそらく」
きな臭い話だな。フロヴェルス王の死のタイミングが偶然だったとしても、敵勢力とやらの手際が良いのは事実。通信技術があまり発達していないこの世界で勢力ごと大きく動いたのなら、事前に示し合わせていたと見るのが普通だろう。
「それで? 君から王位を簒奪しにきた妹は誰だ? まさかのネルフィリアか?」
「な、わたしがそんなことするわけがないではありませんか!」
僕の冗談に過剰に反応する弟子。……いやまあ、捕虜の立場から魔王にまでなるようなカリスマ姫派閥がいて、勝手に動き出したってセンもあるにはあるだろうが、可能性は低いだろう。そもそも王位継承権が低いしな。
フロヴェルスは男女で王位継承権に差がつくことはないが、四人兄妹の末っ子である彼女の継承権は四位……いや、三位か。あれ? 結構高いな?
まあでも、本命は第二位の人物だろう。
「ならマルナルッタ王女かな」
僕はその人物の名前を口にする。
フロヴェルス王の第二子にして長女、マルナルッタ・スロドゥマン・フリームヴェルタ。
直接会ったことはないが、名前と噂は聞いている人物だ。特に抜きん出た才気をもたないが、ナーシェランと同じくエストに殺されかけた時は意外な精神の頑健さを見せたという女性。ちなみに既婚者。チェリエカで話題にのぼった時は、王位簒奪になど興味ない人物だと聞いたが……現在の世界情勢的にフロヴェルスの玉座とは、大陸のトップが座る椅子だからな。
「いいえ違います」
しかしナーシェランは首を横に振って否定した。
……おい待て。ってことは、消去法で残る人物は一人しかいないぞ。
「マルナルッタも関与している可能性はあるのですがね。今回動いたのは彼女の派閥の者たちですので。当方も驚きましたよ……彼女の派閥の者たちが一斉に鞍替えして、声を上げたのです。新国王は、エスト……エスト・スロドゥマン・フリームヴェルタにするべきだ、と」
その話を聞いて最初に思い浮かんだ感想は、そいつらバカなのか、ではあった。
思い返すピンクブロンド髪の女は、今振り返ってみてもやはり鼠の腐乱死体のような性質で、そっか元気にしてたんだなぁと思ってみても全然感慨のようなものが湧いてこない。あの女、あれからどうなったんだろうね。
とりあえず、ドロッド副学長の責任問題を問いたいなこれ。
ナーシェランは僕を真っ直ぐに見て、皮肉気に笑う。
「悪夢でしょう?」
「本当にな」
「助けてください」
僕は本当に本当に嫌だったけれど、またアレと会うとか絶対嫌だし素で正面から刺されそうとすら思ったけれど、いったいなにがどうなってこうなってるのか全く分からなかったしなにができるかも知らなかったけれど。
それでも、これ見逃したら絶対ろくでもないことになることだけは、手に取るように分かった。
「承った」
だから僕はそう答えたし、レティリエやネルフィリアからも異議はでなかった。
エストと面識のないエルフ姉弟は顔を見合わせて、そしてモーヴォンが一歩前に出て問う。
「……それはつまり、これから攻略目前のロムタヒマを放っておいて、フロヴェルスに向かうということですか?」
そうだよ。
「愚かでは?」
そうだよ。




