旅程 1
学院正門に集まったメンバーを見て、僕は唖然とした。
正確にはその中の一人の姿を見て固まった。
「なんで旅支度なんてしてるんですか?」
「それはもちろん、ワシも現地に赴くからですよ。ゲイルズ君」
いつもの魔術師然としたローブ姿ではなく、動きやすそうな軽装にフード付きマントを引っかけ、頑丈そうなブーツを履いたドロッド副学長は楽しそうにそう答えた。
元気だな爺さん! たしか七十近いはずだけど、それってこの世界じゃだいたい死んでる年齢なんだが。
「いやあ、フィールドワークは久方ぶりですが、やはり心が躍るのを抑えられません。学究とは実物を己の視野に入れてこそだと思いませんか?」
「……いまだ先人の足跡に学ぶので精一杯ですので」
超浮かれてるなぁ。こんな人だったのか。ディーノ含めたドロッド教室の生徒たちがすでに疲れてる気がするんだけど、きっと止めたうえで無駄だったんだろうなぁ。副学長が学院放っておいて大丈夫なんだろうか。
まあいいか、他教室だし。
「おう、坊主がワナの古なじみか。話は聞いとるよ、此度はよろしく頼む」
野太い声がやや下方から聞こえて振り向くと、でかい戦斧を背負ったドワーフが腕を組んでいた。うわすっげ、と思わず魅入る。
豊かな髭を蓄えているが、ドワーフだとおそらく中年くらいか? 背は低いけど身体の全部が太くて厳つくて、金属鎧も相まって重量感が半端ない。トラックの激突くらいなら受け止めてしまいそうだ。
「魔術師一行の護衛なんぞ初めてだが、何か問題があれば坊主に言えとのことだ。期待しているぞ」
「おおっとそれは初耳なんですが、言ったのはワナですね? いいでしょう、彼女に任せるくらいなら引き受けますとも。僕はリッド・ゲイルズ。あなたは?」
「ガザンだ。坊主、苦労していそうだな」
「ははは、幼なじみがご迷惑をかけているようで申し訳ない」
お互いに察し合い、握手を交わす。ゴツくてでかい手だ。かっけぇ。
面倒ごとは押しつけられそうだが、気の合う仲間ができたのは収穫だろう。ワナの仲間なら確実に敵じゃないしな。
「それで、そちらの方々がお仲間ですか?」
僕はガザンの後ろに控える三人へと目を向けると、髭のドワーフは頷いた。
「ああ。ティルダにドゥドゥム。それと……リアだ」
弓を持ったハーエルフの女性、槍を持った狼獣人の男性、剣を腰に佩いた人間の女性の順で紹介される。
リアと呼ばれた女性と目が合うと、そっと頷かれた。魔具で顔の印象が変わっているが、彼女がレティリエなのだろう。……というかそんな合図なくても分かるわ。ワナのパーティ異種族しかいねぇ。
「ティルダさん、ドゥドゥムさん、リアさんですね。ワナの幼なじみのリッド・ゲイルズです。旅は不慣れなので迷惑をかけるかもしれませんが、よろしくお願いします。……ところで、ワナはどこに?」
本来なら彼女が皆に仲間を紹介するべきだと思うのだけど。
「その、ワナさんは……先ほどうかがったら、荷物をまとめるのを忘れていたと大慌てでして……」
僕の質問には、リア(レティリエ)が、申し訳なさそうに答えてくれた。あの女……!
「やあリッドさん。お久しぶりですねぇ。いえ、そこまで日は空いてもいませんでしたか。とにかくこのたびは多忙の中、無理を聞いていただいてありがとうございます」
僕が現役冒険者の幼なじみに憤っていると、今度は絶賛黒幕候補の白髪神学者が寄ってくる。
「イルズ・アラインさん……。いいえ、お礼を言うのはこちらの方です。このような探索に呼ばれることは、学究の徒としてこの上ない名誉ですよ。半人前の身ですが、お役に立てるよう力を尽くさせていただきます」
「そう言っていただけるなら、とても嬉しいことです。よろしければぜひ道中にも、神学と錬金術について意見を交換させていただきたいのですが」
「ははは。え、ええ、時間があればぜひ」
勘弁してくれ……。
ドロッド教室講師ブラウノート・フィル・ドロッドと、その生徒が五名(ディーノ含む)。
神学者イルズ・アライン。
錬金術師リッド・ゲイルズ。
そして護衛の冒険者五名(ワナ含む)。
総勢にして十三名が集まり、遺跡探索隊は出発した。
……もちろん一番浮いてるのは僕で、さっきからドロッド組のエリートたちからの視線をチラチラ感じるが、僕は完全に黙殺態勢に入っている。
場違いなのは知ってるけど、呼んだのは依頼主と君らの親玉だ。せいぜいふてぶてしく堂々としてやろう。
他には背中に大量に荷をくくりつけられた荷馬が二頭。荷物の中身は見ていないが、食料や野営具の他に、調査用の魔具なども積んでいるはずだ。
その馬たちの首紐を引くのはドロッド組で一番若い二人で、一人はディーノである。貴族の出のくせに雑用を引き受けているあたり、あっちの教室は縦社会が徹底していそうだな。アノレ教室とは大違いだ。
目的地には徒歩で向かう。荷には衝撃に弱いものもあるので、そこまで急げないとのこと。そのため普通なら片道四日の距離だが、今遠征ではその道程に六日をかける。また、場合によっては多少の遅れも考慮に入る。
……鈍い足並みだ。レティリエは焦れるだろうけど、堪えてもらうしかない。
「簡単に勇者の遺跡と言っても、いろいろな種類があります」
ドロッド講師が青空講義を始めたのは、果樹の畑が広がる道の中途、ぽつぽつとしか民家が見受けられなくなった辺りで休憩を取った時だ。
「最も多いのは、単に勇者が訪れた場所という意味での遺跡ですね。洞窟などに棲み着いた魔物や魔族を倒しただけでも、近隣の住民が遺跡と銘打ってしまうのです。勇者の伝説を調べ足跡を辿るのには有用ですが、調査で得られるものは少ない」
勇者に関する伝承学では、わりと基本の内容だ。
僕にとっては今更な話だし、優秀なドロッド教室の生徒も同様だろう。学者のイルズだって知らないはずがない。そして、遺跡荒らしのプロでもある冒険者にとっても、ある程度は分かっている内容だ。
皆が知っている知識。だが同時に、今のうちに確認しておくべき内容でもあるのだろう。これから向かう場所について、意識を共有するために。
……ところでなんで、ワナさんは興味津々な感じで聞いてるんですかね?
「次に、勇者が探索した遺跡が挙げられます。特に勇者の遺跡として重要度が高いのは、神や人類の原種たる神の腕が、勇者のために用意したものですね。そういった遺跡を巡る冒険譚には有名なものも多く、勇者が必ず通る洗礼試練とも呼ばれます。一種の儀式にも近い感覚ですね。もちろん神代のものですので、調査して得られるものはとても多い」
大きな木の根っこに腰掛けたドロッド講師は、木漏れ日を浴びながら楽しそうに講義を続ける。
この爺さん、もしかしたら本当に久しぶりの旅行に浮かれているのかもしれない。ストレス多そうだもんな、学院の上の方。
「そして最後に。神によって勇者のために用意され、しかし未探索の遺跡。これは現在も数カ所確認されていますが、火山の火口にあったり、湖に沈んでいたりとほぼ攻略不能です。ただ、もしかしたらまだ発見されていない遺跡も存在するかもしれませんね。もしこれを調査できれば素晴らしいですが……勇者にしか解けない封印が施されているでしょう。残念ながら、先達の魔術師にその封印を突破できた者はいません」
ドロッド講師は魔術師を代表するつもりか、ふがいなさそうに肩を落とす。
謎があったら挑むのが術士だからな。僕だってそんな扉があれば開こうとはするだろう。少なくともなぜ開かないかくらいは解明しようとする。
ただ、この探索隊は決して大仰な調査隊とは言えない。この人数と装備から勘案するなら、いくらなんでも三番目はないはずだ。そしてもちろん、うまみの少ない一番目でもない。
「我々が今回向かうのは、探索済みの遺跡という話です。といっても、いまだ正常に遺跡が稼働している場合、何か貴重な物が得られるかもしれません。隅々までじっくり調べれば、取り残しを拾えることもありえます。しかし、そういった場合は危険も残っているでしょう」
うきうきと語るドロッドはそこで皆を見回し、笑顔で宣言する。
「遺跡では皆さんの命の保証はできません。もちろん安全には最大限の配慮をしますが、危難というものは必ず避けられるものではない。ですので全員、覚悟だけはしておいてくださいね」
「勇者の遺跡という言葉は、神学者としてはあまり好んで使いたくないのです」
苦手意識からなるべく避けるように立ち回っていたのだが、さすがに総勢十三名ぽっちの団体で旅の間ずっとは難しい。相手がこちらと話したがっているならなおさらだ。
出発して二日目の道すがら、隊列の後ろの方を歩く僕の隣に並んできたイルズは、そんなふうに話を切り出した。
「だってそうでしょう? 勇者がどう関係しようと、神代の遺跡であれば、それは神代の遺跡です。勇者自身が建設したわけではありません。つまり名称がまったく正確ではないのです。それに広義になりすぎて、もはや情報がほとんど得られません。勇者の遺跡と言いながら、何代目の勇者が関わったのかすら分からない」
「ああ……それは確かに」
学者としてはもっともな憤りだと思う。実際、勇者の遺跡は定義がかなりてきとーだからな。細かく調べたい側からすれば、やりにくいことこの上ないのではないか。
「しかし、市井で広まってしまっている言葉を正すのは難しい。知識人を中心に呼称を改める意識を広めようとはしているのですが……ハルティルクの副学長様には、まだご理解いただけていないようです」
「専門家以外が相手なら、誰でも知ってる言葉を使った方が理解しやすいですからね。この場には冒険者の皆さんもいますし、ドロッド副学長はあえてわかりやすい言葉を選んだのだと思いますよ」
僕の心のこもらない慰めに、イルズは「そうでしょうか……」と肩を落とす。
僕は学者じゃないし、正直どうでもいい話題だ。―――ホントにマジでどうでもいい話だよなこれ。
まあでも、痛々しい論文に触れなくていいなら、こういう話題を続けるのに異論はない。なんならもう少し掘り下げたいところだ。イルズの立ち位置を探りたいからな。
さりげなく隊列を確認する。
僕とイルズの後方に冒険者のガザンとティルダ。前方にはドロッド組が固まり、さらに前の最前列をワナ、ドゥドゥム、そして変装したレティリエが歩いている。護衛が前後に分かれて警戒する形だが、どうやら冒険者組はレティリエの実力を信用していないらしく、彼女は常に前の三人組の方で行動していた。
距離は空いている。なんとなく今から話すことは、あの少女の耳には入れたくない。
「これは勇者の遺跡ではなく、勇者そのものの話ですが……僕としては、伝説上で語られる勇者の在り方には違和感を感じます」
異世界から来た人間として、端的な印象を述べる。
神学者は興味深そうに、ほう、などと相づちを打って、僕に続きを促した。
「神の遺した様々な試練を乗り越え、武具や加護を得て強くなりながら、魔族に対抗していく者。そして最後には魔王を倒し、世界に平和を取り戻す選ばれし超人。伝説にある勇者とはそういう存在です」
昔は、そういう存在に憧れたこともある。この世界に転生する前の話だけれど。
けれど、一回目の人生ですでに気づいていた。僕はそんなものにはなれないし、なったとしても簡単に重圧で押しつぶされるだろう、と。
そういう存在として選ばれることは、呪いに等しい不幸だと思う。僕や……レティリエのような人間なら、特に。
「勇者にしか持ち得ない力。勇者のために用意された遺跡。勇者でしか打倒し得ない魔王の存在。この世界は、勇者を中心に回りすぎている。いびつですね。気持ち悪いほどに」
「勇者とは絶望を切り裂く一条の光です。魔に脅かされ、為す術もなかった人族を憂いた神の慈悲ですよ。―――おお、暗雲は悪夢より出でて光を蝕み、長き汚濁の両腕を広げる。埋め尽くす貪欲な闇に天の光輪は一粒の種を落とせし。その果肉は聖なる灯火なりて希望の明星を……」
「なぜ勇者は一人しかいない?」
僕は聖典の一節を遮り、責めるようにイルズに問うた。気持ち悪さの原因はそれだ。
「それは……」
「人間の一人一人は大きな力を持ちません。魔族や魔物、ただの獣と比べたって、弱い生き物といっていいでしょう。だからこそ助け合い、知恵を働かせ、それを積み重ねる。それが人間の本来の強さです」
前世でも、今世でも、人間の本質は変わらない。
人は弱く、だからこそ強い。
「そして、ならば。神は少しずつであろうと、皆に力を与えるべきだった。一人に強大な力を与えるのであれば、勇者は人間である必要がない。そうは思いませんか?」
「……たしかに人間という種の強みをそうとらえるなら、勇者は突出しすぎているのでしょう。ですが、別の見方をすれば理はあります。人間を護るなら人間であらねばならず、人間は戦える者ばかりではない。ならば力を与えるべきは限られる。どうせ限られるなら、最もふさわしい一人に与えるべきだ、と」
暗い炎が、心の奥の棘を炙る。
そんな下らない理が答えなら、この世界は欠陥品でいい。
あの少女は、都合良く造られた人工生命に、自身を重ね見たのだ。
「そして神は勇者にすべての責任を負わせ、邪悪の対処を丸投げした。神は自らの手で魔界の浄化という根本解決を行わなかった。なぜしなかったのでしょう。イルズさん、神学者としての見解は?」
僕は前を向いたまま、彼の表情を見ずに問う。
そろそろ異端認定されてもおかしくないラインだ。熱心な信者なら怒り出す頃合いだろう。
イルズ・アラインは少しだけ沈黙し、やがて大きく息を吐き出した。
「やはりあなたは、神学者としての素養がある。聖典に疑問を持ち、神の怒りを怖れず神を糾弾する。真実を解き明かすために。……ええ、神学者イルズ・アラインとしてその問いに答えさせていただきます。おそらく勇者は、神の腕に近しいのです」
僕は唖然とした。そうするしかなかった。
だって、そんなの……欠陥品どころの話じゃない。
「神の腕、ですか? ……世界創造を手伝ったとされる、枝分かれ前の原種。人族のオリジナル……?」
「ええ。文献では世界創造の時、戦いの役割を与えられた腕はいなかったでしょう?」
「そりゃ、敵がいなけりゃ必要ありませんからね……なるほど」
つまりは、余っていた権能だ。
勇者とはただ強力な加護を与えられた人間ではなく、神に戦いの役割を任され、神の腕に先祖返りした者だと言いたいらしい。
なるほど、なるほど……なるほどだ。ならば納得せざるを得ない。神はすでに、役割を与えた。側近たる神の腕に仕事を任せた。勇者など後からついた俗称にすぎないとしたら……神は、すでに最大限に干渉した後なのだ。
そして、そう考えれば『勇者のために用意されたとされる遺跡』が扉を開けるのも分かる。勇者だから入れるのではなく、神の腕だから同胞の造った遺跡を利用できる、と解釈ができる。
神の腕。人族の原種。世界創造の権限を分与されたモノ。
「フロヴェルスの神学者として、の見解で間違いないですか?」
「いいえ、神学者イルズ・アラインとしてです」
「仮に、その仮説が正しいと仮定するなら……神の腕がまだ、すべて役割を終えていないとするならば。この世界はまだ、創造されている最中となりますが?」
にこり、と白髪細目は笑った。
「リッド・ゲイルズさん。やはり、あなたは素晴らしい。神学者に転向しては?」
「処刑されたくありませんので」
この神学者、そうとうヤバいライン踏み越えたな。縛り首レベルだろこれ。