異世界を覗くとき、異世界もまたこちらを見ている
「ミルクス」
エルフの少年が双子の姉の名を呼ぶ。それだけで意思疎通が終わったのか、少女の方はため息を吐いた。
「あたし、あれ嫌なんだけど」
「お願い」
モーヴォンはミルクスを振り向きもせずに、こちらを見やる。
僕と、ゴアグリューズ。―――二人の転生者を双眸に収め、エルフの魔術師は夜闇に立つ。
双子の姉はその様子を眺めてから、一度だけ僕へと視線を送り、そしてモーヴォンへと歩み寄ってその背中に両手で触れる。
「ありがとう」
少年の礼の言葉は、始まりの合図。
ズシ、と空気が重くなる。僕でも感じられるほど、あの双子に周辺のマナが呼応した。
「……なんだアレ? おい雑学王、解説」
ゴアグリューズが怪訝な声を出す。僕は二人のそれを見て、背筋の毛が逆立つような感覚を味わっていた。
頬を冷や汗が伝う。引きつり笑いしか出ない。マジでこれ成立するの?
「……互いのオドの流れを繋いだんだ」
あれは記憶にある。僕もサリストゥーヴェにやられた。一方的な掌握だったが、あれとそうは変わらない。相手の了承を得るか否か。ただそれだけの違いでしかない。
違うのは、双方の関係。
「魔素は魂より生じ、魂は魔素より産まれる。―――双子のあの二人は、同じ魔素から産まれた魂を持ってる!」
男女だから当然の二卵性双生児。互いに性格はずいぶん違い、得意分野も真逆。
しかし本質的に、あるいは本流的に、二人の魂は同じ色彩の可能性が高くて……ならば今の二人は、もはや同化に近い。
「それで? 普通より効率が良いってだけでこうなるか?」
右手の人差し指で鼻を押さえ、いぶかしげに双子を見るゴアグリューズの声には、余裕が消えている。
そうか、お前の嗅覚が警鐘を鳴らすほどか、これは。
「回転速度が上がってる。魔力量だけじゃなく、エンジンも倍力になった感じか。おかげで掌握するマナの量も段違いだ。しかもあの状態、僕なら―――」
ツゥ、とエルフの少年が指で空中に円を描く。
両手で一つずつ、淡く発光して浮かぶ真円は空中で静止し、さらにその内に指を走らせると式が書き足され、簡易的な魔術陣となる。
「ミルクス、維持よろしく」
「ああもう! いいわ、こうなったらとことん付き合ってあげる」
モーヴォンの要請をミルクスが悪態混じりに請け負い、その返事がある前にはもう、少年は次の魔術陣の作成に取りかかっている。
やっぱりか、やっぱりそういうことやってくるか。
「―――僕ならミルクスを、増設メモリとして使う」
次々と魔術陣が書き上がっていく。完成した陣の維持はミルクスに任せ、モーヴォンは術式の構築に全力を注ぐ。
双子の魂の親和性、エルフという種族の知力と魔力量、そして何より……互いの信頼関係が必須の、この二人にしかできない連携。
こんなの、それだけで魔法の域だ。
さっきのミルクス主体の戦い方もそうとう厄介だったが、メインとサブを入れ替えるだけで全く違う戦闘方法になるのか、この二人。
『巨腕』
命じる。振り上げた僕の右腕にスライムが纏わり付き、一際多量の魔力を吸い上げられる。
重さは一時的な非実体化で誤魔化し、疑似神経を五指に搦めて操って、星光を透かすヒーリングスライムは大木がごとき体積の『腕』と化した。
あの双子の術式はヤバい。完成させれば止められる保証などない。そんな予感がする。
あるいは、本当にゴアグリューズを一撃で倒せるのかもしれない……そんな気すらしてしまい、それなら素通りさせてもいいのではと自問すらした。
―――が、僕を射貫くモーヴォンの視線が、それを許してくれそうにない。
ターレウィムで出会って。
チェリエカで過ごして。
ウルグラまで旅して。
きっと、これは義理や情なのだろう。
もはや背後の前魔王のことはどうでもいい。
防げるものなら防いでみろ、と挑んでくるあの目を無視できないくらいには、僕は……彼に真摯でありたかった。
「おおおおらぁっ!」
思いっきり腕を振り回す。巨腕が連動して動く。右から左へ薙ぎ払う。
あらゆるものを飲み込むように。回避不能のそれは大波に等しい。
双子はなにも妨害がないことを前提とした、悠長な多重魔術陣の構築中。戦闘中にそんな無防備を晒すなんて、愚の骨頂と言わざるをえない。
反応もできぬままに、巨大な粘体が二人を飲み込む。
「見せすぎですよ、いい加減」
ぐにゃり、と。スライムで構築された巨腕が歪む。流れをねじ曲げられる。
「ヒーリングスライム。他者に生命力を分け与える人工生命。ただしその在り方は疑似的なものとはいえ妖精に近い。……妖精の扱いなら、自分だって負けてはいませんよ」
モーヴォンがゆっくりと片腕を動かすと、それに合わせるように粘体が流れる。ぽっかりと、双子の居る場所だけ巨腕が避けるように弾かれる。
クッソ、そうか……僕の近くで何度も見せたうえ、僕よりよほど妖精に対して深く理解している相手!
しかも―――ミルクスの話が本当だとしたら、彼は僕を術士として強く意識している。であればおそらく、僕と対峙したときのことも当然想定しているだろう。
「特化するしかない人は大変ですね。オンリーワンな活躍ができるかわりに、対策されればやれることが激減してしまう。……ただ、それでも主導権まで奪えないのは屈辱です。なんて厄介な構造ですか」
そりゃそいつの術式、前世の知識ありきで組んでるからな。この世界の住人にはそうそう解けやしないだろうさ。
しかし……やってくれる。まずい、これはマズい。妨害の手段がない。ヒーリングスライムが通用しなければ僕にうてる手はない。
向こうに対応できないほどの物量で飲み込むか、あるいは殺す気で速度と危険度を上げるかすればいけるかもしれないが……前者は僕にもヒーリングスライムにも限界があるため実質不可能で、後者は論外だ。
「どうした、リッ君。本気でやらないと礼儀を失するぞ」
「お前らの流儀なんか知るか」
僕は魔族でも戦士でもない。殺し合いと書いてコミュニケーションとルビ打つような馬鹿げた人種じゃない。
殺さぬために戦うのだ。相手を殺したくないと思って、なにが悪い。
「決めた。受けきる」
手動操作でスライムを呼び寄せる。己の周りに集め、疑似神経を指先に絡める。
モーヴォンの指先が踊り、魔術陣ができあがっていく。ミルクスがその維持を担当していく。
それを、読み取る。
「……それは使えないんじゃなかったか?」
陣の一つに、見紛うハズもない、サリストゥーヴェの術式を見つけて、僕は相対する二人にクレームを入れた。話が違うし殺しにきてる。
……殺しにくるのは当然か。彼らの目的はあくまで観客を巻き込んで殺すこと。殺意の塊のような最大火力に決まっている。
「知っていたんですね。ええ、使えませんよ。正確には制御ができません」
笑いながら。己が全力を出していることに高揚しながら。全力以上を出せることに歓喜しながら。
少年は準備を終える。
「ですが、礼を言います。あなたに学ばせて貰いました」
最後に仕上がった魔術陣は、僕が飽きるほどに見慣れたそれで。
人工生命の、鋳造術式で。
閃くように最悪の完成系が見えた。
「―――……………………待て、それは嫌な予感しかしない」
「待つものですか」
モーヴォンが詠唱を始める。空中に浮かぶ魔術陣が魔力を通された順に励起していく。
一気に脳の温度が冷めた。マズいしヤバい。あれは確実に脳内麻薬出てる。ハイになってゲラゲラ笑いながら押しちゃいけないボタンに指を添えるアレだ。端的に言ってイカレてる。付き合ってられない。
けれど、あの呪文を妨害する手がない。
「机上論術式展開。疑似魂魄作成。霊核構築。構造情報入力。其は、こちらとあちらをうつろう者。揺らぎと狭間の住人。魔素の意思を汲む者―――其は瘴気」
なんの遠慮も無く魔力を吸い上げられたのだろう、ミルクスが膝を突いた。脂汗を流して荒い息をしている。……それでも魔術陣の維持を続けているのか、両手はモーヴォンから離れない。
すべての魔術陣に魔力が通り、詠唱が完了して、術式が完成する。
「召喚。疑似妖精シュレディンガー」
闇色の猫が、空に顕現した。




