相対
『マニュアルオペレーション』
分裂したスライムの片方はそのままにしたまま、もう片方に疑似神経を形成して手動操作に切り替える。事前プログラムの命令より速度は劣るが、自由度はこちらが上だ。
心を凍てつかせる。余計なことは考えるな。機械のようにやるべきことを遂行しろ。
「なあリッ君よ、楽しいか?」
「楽しいわけあるか」
精神を乱すな。集中を切らすな。
―――膝を、折るな。
「楽しめよ。仲間を助けるために身体はってよ。自分にできることを全力でやってよ。今のお前、最高に輝いてるぜ?」
「後ろに居るのがお前じゃなかったら、まだアガるんだろうけどな!」
軽口なんか右から左へ流せ。悔恨も苛つきも頭の片隅に追いやって、間断なく向かい来る矢と魔術の処理に専念しろ。
相手が誰かは分かっても姿は未だ捉えられず、座り込んだハンデがいるせいで打って出るわけにもいかない。
竜の女王からの賜り物を頼りに、豊富な魔力で燃費の悪いスライムをぶん回す。そんな冗談のような戦い方で、ひたすら防衛に専念するしかない。
一発でも後ろに漏らせば終わりのデスゲーム。ただし賭ける命は襲撃者。
「そういえば―――こうして戦うところを見るのは、初めてか」
変化射ちによって多角から飛来する矢はすべてピンポイントでゴアグリューズに向かう。
一撃の威力はそこまででもないが、驚くべきはその正確さ。この状況下で、鏃はすべて急所を狙っている。時折挟まれる明かりの魔術の目眩ましもこの状態ではかなり厳しい。
多彩な魔術で嫌がらせと支援、そしてこちらの手を防いでくる術士も手練れだ。術の手数と種類が多くて対応に追われ、突破口を探すこともできない。
しかも今はサポートに徹しているが、さっきの炎弾を見るに攻撃が苦手なわけでもあるまい。つまり余力を残しつつ不安要素を消す戦い方を選んでいるわけで、正直嫌すぎる。
エルフの里での一戦では、潜伏からの狙撃と後方での側面警戒に徹していた。それも完璧にやりきったのは見事であったが……こうして直に見ると、相対すると分かる。
この二人は、強い。
「けれど、このバカには届かない」
「おい、今ナチュラルにバカっつったか? 余裕なくて本心漏れたな?」
後ろの男はバカだが、ただのバカじゃない。なにせ前魔王。
いくら天才級とはいえ、勇者でもない少年少女に討ち取れる相手ではない。
ひたすらに魔力を消費し、スライムを操って防いでいく。僕にはこれしかできず、守備こそ僕の役割だ。
想定ならばとっくに枯渇している頃合いだが、いまだに僕の内から湧き出る魔力は尽きないようで、それだけが救いではあった。
……少し不安になるな。こんな無尽蔵の魔力製造、どう考えても普通じゃない。もしかしたら勇者級だぞこれ。本当、僕の中になにが入っているんだろうな。あの女王からの賜り物ってだけで、とんでもないものってことは分かるけどさ。
「も一度言うけどよ、楽しめよ」
雑音がうるさい。酷く癪に障る。
「最初に会ったときも今も、お前は肩肘張りすぎなんだよ。余計なもん背負いすぎてがんじがらめで余裕がなくて、だから要らないことまで考えすぎて肝心の眼が曇ってるときた。だから好きな絵の一つも見つからねぇんだ」
チェリエカで見た鏡の男を思い出す。はらわたが黒い炎で灼かれるようだ。
「自分の心にもっと従えよ。本当はどうしたかったのか自覚してみろ」
「―――黙れっ!」
叫んでいた。抑えきれなかった。言わせておけば好き勝手言いやがって。
「僕は、お前らとは違う」
怒りに絞り出した言葉は、心の底からの本心で。
「好き勝手やりやがって、散々乱しやがって! いいよな最初から力なり地位なり持って転生したヤツは、そりゃ楽しいだろうさ! 転生は運命だから世界に対して役割がある? 持ってる者の勘違いだそんなもの!」
口に出せば止まらなかった。なにもかも知ったことかと声を張り上げる。
「けど、お前だってちゃんと楽しいことはあったろ?」
……―――思い浮かんだのは、一つや二つじゃなくて。
「まあたしかに、俺らはお前とは違う」
夜闇は暗く、思考はまとまらず、心は獰猛な獣のようだ。
正解など知らない。間違っていてもいい。間違っているだろう。
けれどコイツだけは気に入らない。
「俺たちは変えることを恐れない。世界の在り方の岐路で、当然のように自分で舵を取る。お前の言うとおり、俺たちは世界のために何かをやれると信じているからだ。―――たしかにこう言葉にすると、病気だよな」
今更か。そんなこと、最初に会ったときに分かっていたよ、異世界の迷い子。
「知っているか? 臆病なやつしか、本当の勇気は出せないってな。―――だからきっと、俺たちは間違っている。……っと」
ゴアグリューズはなにかに気づいたような声をあげる。
彼がなにに気づいたのか、僕も分かっていた。
「攻撃が止んだな」
「ああ。多分、弾切れだ」
僕は頷いて周囲を確認する。夜は静けさを取り戻している。
これがひたすら防衛に徹した僕の、最後の希望だった。
言うまでもなく当然だが、矢は無限ではない。
地面に落ちていたり、スライムの中に沈んでいたり、防いだ矢の数はかなりの量になっていた。おそらくすべて射尽くしただろう。―――よくよく考えれば、市街地でこれだけの矢を携帯して歩くのは不自然だ。わざわざ戦闘を見越して来たのだろう。
これはとうとう、ネルフィリアが漏らしたのかもしれない……と。
くらり、と立ちくらみがした。
「大丈夫か?」
「問題ない。さすがに魔力を使いすぎただけだ」
言いながら、少し違和感を感じていた。
魔力不足という感じとは違う。もっとこう、胸の奥がざわめくというか、背筋の毛が逆立って冷や汗が流れる感じというか。
「……へぇ、表層が剥けて本性が垣間見えたな。なーんかおかしいと思った。さすがにダブルソウルってだけでその魔力量はねぇし。お前の中に居る魂、人間のじゃねぇんだろ」
「だろうな」
「ダブり分を抜いて、空いた隙間に無理矢理ねじ込んだのか。転生者専用の裏技だな。思いついてもマジでやるかよ普通」
「これは僕がやったわけじゃない」
バグニスローリディオ、だったか。千年ぶりの共闘だとか言ってサリストゥーヴェが呼んだ名は。
名前がついている以上、誰かではあるのだろう。そしてこれだけの魔力を生み出す以上、人間の魂ではないのだろう。それくらいは予想している。
けれど、今はそんなこと、どうでもいいことだ。
「やれやれです。思っていた以上に厄介ですね。そのスライム」
「あ、こらモーヴォン!」
距離を保って物陰を移動しながら、ついに今の今まで姿を見せることのなかった襲撃者が……木陰から身を表したからだ。
「ヒーリングスライム。魔力で構成する自在に操れる粘体。なるほど自由度が高く、それ故に対応範囲が広い。こうして敵対してみると、相手にするのが嫌になりますね」
姉の制止も聞かず、モーヴォンは堂々と歩み寄ってくる。
仕方なくミルクスもその背を追うが、短弓は弦をほどいて腰に戻していた。本当に矢を射尽くしたのだろう。
二人は僕から十歩の距離を保って、止まる。相対するように。
「……敵対、という気はないんだがな」
「敵対でしょう。自分たちが狙っているのはゲイルズさん。そこの観客に向かうのは流れ矢です」
ゴアグリューズとのやりとりは聞こえていたか。そりゃそうだ。声を抑えてなんかいなかったし、ミルクスですら聞き耳の魔術がつかえるんだから、聞こえていないはずがない。
しかし、そうか。なら状況説明は必要無いな。
「僕がここにいる意味は理解しているな?」
「ええ。その男とおしゃべりでしょう?」
「僕が全部の矢を防ぐのはなぜか、理解できているか」
「勘違いしないでください。自分は止めた側です」
ミルクスがバツの悪そうな顔をする。……そうか、最初のは何の魔力補助も受けてなかった。だから僕の腕も吹き飛ばなかったんだな。
イライラしながら様子見してたら、挑発されてプッツンして、それをモーヴォンが止められなかったと。
この二人らしいな、とても。
「ミルクス、気は済んだか?」
「ええ。頭も冷めたわ。後であんたを問い詰めるだけで終わらせてあげる。……腕は大丈夫?」
「ああ。問題なく動くし、これなら自分で治せる」
諦観と共に頷き、そしてこちらの腕を気にしてくる彼女は、たしかにもうある程度の冷静さを取り戻しているように見える。
殺そうとした相手の力量を知りながら、気づかれているにも関わらず奇襲にならない戦闘を始めてしまった愚行。僕への誤射と、暴走のような全力斉射。そして弾切れ。……そこまで揃ってやっと、彼女は我に返ることができた。それほどまでに自分の里を滅ぼした元凶への憎しみは強いのだろう。
おそらく今も、かろうじて抑えられているだけだろうが。
やれやれだな。どうやら一件落着らしい。かなりしんどかったがなんとかなった。
実際問題、この二人が本気で僕を殺してもいいと考えて戦っていたなら、多分僕はここまで捌けなかっただろう。
ミルクスは変化射ちや曲射ちを多用しつつ僕の背後を狙わねばならなかったし、モーヴォンも派手な攻撃魔術を控えざるをえなかった。
僕にはゴアグリューズというハンデがあったが、向こうにも僕を必要以上に傷つけられないという縛りがあったわけだ。
ゴアグリューズは動かず成り行きを見守っている。あれで言葉に責任を持つタイプだ。僕がすべて防げた以上、彼は僕らが帰るのをただ見送るだろう。……ああいや、彼の方が先に帰るかも知れないが。
「まあ、自分はまだですがね」
ザワ、と広場の生物が一斉に殺気を放った気がした。
散在する樹木が、敷き詰められた下草が、戦闘の余韻に静まりかえった小鳥や虫までもが、こちらに視線を送ってくるような。
「なにを言っているの、モーヴォン。やめなさい」
ミルクスが止める。だがエルフの少年は、僕を真っ直ぐに睨み付ける。―――ゴアグリューズではなく、僕を。
ああ、そうか。そうくるか。
時と場所を考えろ。
「ミルクスは散々暴れて気が済んだだろ? けれど自分はまだだ。だから、今度は自分の番。といっても魔術を一つだけだ、付き合ってよ」
「あんたね。こんな逃げも隠れもできない場所で……」
「一撃であれを殺せばいい」
モーヴォンの周囲の景色が歪曲し、細かな紫電が走る。ほぼサポートに徹していたのはそれが狙いか。温存して、最後に一つぶちかますつもりだった。
「一つでも届けば、己が狙われたものとして迎え撃つ―――そうでしたよね、そちらの観客さん? ということは流れ矢の一撃が届くまで、あなたはそこを動かない。ええ、言葉遊びだとは思いますが、一応確認しておきましょう。あなたは魔術に巻き込まれても、一度だけはそこを動きませんか? 首を横に振るならどうぞ、そのときはこのまま帰ります」
むちゃくちゃだ。本当にただの言葉遊びの揚げ足取り。
今から必殺の一撃を放つが動かず受けろ、という宣言。
けれど、未だに地面にあぐらを掻く男がどう答えるか、僕は手に取るように予想できた。
「やってみろガキ。俺に傷の一つもつけれたら、そのときゃ全力で相手してやるよ」




