襲撃者
これが最善だった。そのハズだ。
―――怒りません。
僕はこうするべきで、だからそうした。
―――ですが、傷つきます。
必要ならば、何度だってそうするだろう。
―――すまない。傷ついてくれ。
けれど、僕は間違う。どうしようもないほどに。
衝撃に腕が跳ね上がり、突き抜ける激痛に声を上げてうずくまる。左腕の肉の中に異物が埋まる感覚が気持ち悪くて、嫌な汗がどっと吹き出した。
矢が貫通するってこんななのか。これは前世でも知らなかった。
「ヒュゥ。大変だな、普段の行いの悪いやつはよ。人の恨みを買ってばかりいるから命なんて狙われる」
肉に潜り、骨を削り、僕の腕を貫通した状態で止まった矢。
ゴアグリューズはその矢の先を握り、親指で鏃の部分を簡単にへし折ってから、矢羽根の方に握り変えて一気に引き抜く。
刺さった時よりも酷い激痛にさらに悲鳴が漏れそうになったが、歯を食いしばってうめき声を漏らすだけで耐えた。チクショウ、せめて何か言ってから抜け!
「恨みがましい眼で見るなよ。早く抜かないと筋肉が締まって抜けなくなるし、せーのでかけ声したら力が入ってかえって痛いぜ」
「善意かよイラつく! そもそも狙われたのはそっちだろうが」
「お、俺が狙われたってことでいいのか?」
そう悪戯っぽく笑った僕の同郷は、ペン回しのように鏃を落とした矢をくるりと回して見せる。―――見せつけるように。
「俺ってこの都だと、しがない低級冒険者でしかないからよ。命を狙ってくるヤツって、一組しか心当たりないんだけどな」
細く短めの、取り回し重視の短弓用の矢弾。別に、それ自体は大した特徴があるわけではないが……それと同じものを扱う人物を、知っていた。
「見覚えあるんじゃねーの? この矢」
………………ファック!
腕の痛みも無視して、僕は矢が飛来した方向を振り向く。クッソ、夜闇でなにも見えない。
「どうする、俺がやろうか?」
その声音の響きは軽いのに、背筋が寒くなるほどの凄惨さが含まれて。
「……そこに座ってろ」
この状況に引きつり笑いしかできなくて、懐の結晶を引っ掴む。闇に目をこらすが人影は確認できず、そもそも彼女なら樹木などの遮蔽物に身を隠しながら移動することなど容易いはずで、弓矢相手にこの場所は圧倒的に不利すぎて。
ヤバい。ヤバいヤバいヤバい! 最悪だ。これは最悪の展開だ。こんな展開は予想していなかった!
ゴアグリューズが笑った。酷く楽しそうに笑って、どっかとその場にあぐらを掻いて座って、酷く嬉しそうに声を張り上げる。
「さあさあ、どうした! まさか今の腑抜けた一矢で終わりということもあるまい。あの程度で復讐を果たそうだなどと片腹痛いぞ!」
「煽ってるんじゃねぇよこのボケ魔王!」
チクショウ、なんでこんな……なんでこんなことになる!
間違ってなかったハズだ。最善を選んだハズだ。これが一番、合理的な選択だったハズなのに!
『開け!』
夜の闇に叫ぶ。夜も賑わう都だが、篝火がない場所だからか人の気配がしない。そういう場所を選んだのだ、ということに今更気づいたが、時はすでにずっとずっと前から遅かった。
いくつもの風切り音が聞こえて、間に合えと祈る。
『肥大!』
僕から大量の魔力を喰らって、見上げるほど巨大化したヒーリングスライムが幾本もの矢を受け止めた。
この男の相手は僕が適任だ。
他の人員はリスクが増すだけ。
だから一人で来た。最悪でも、死ぬのは僕一人で済むように。
「俺はこれでもよ、人を見る目はあると思ってるんだわ」
『迎撃!』
新たな風切り音に合わせて、僕はヒーリングスライムに事前プログラムしていた命令を飛ばす。
変化射ちによって常識では有り得ない軌道で飛来する矢を、自動操縦によって触手を伸ばしたスライムが受け止める。
―――以前は疑似神経を形成して直接操っていたせいで操作速度を出せなかったが、今は違う。
これもエルフの里で学んだことだ。
これは妖精だ。ならば僕は手動操作するのではなく、命令すべきだった。本当にあの里では勉強させてもらった。
その成果をこの相手に使用することになるなんて、皮肉にもほどがあるが。
「もしお前が仲間に俺に会うことを言っていれば、とりあえずレティは止めるだろうし、一人じゃ来させないだろ。少なくとも、相当もめるだろうな」
ざわ、と地面に生える草が伸びた。植物のくせに意思でもあるように蠢き、足に絡みつこうとして―――
『喰らえ!』
ヒーリングスライムに命令する。蠢いた粘体が僕の足ごと地面を覆い、伸びる草の魔力を食い荒らす。草の異常成長が止まる。
どんな魔術だろうが、魔力が切れたならば中断するしかない。誰にでも分かる理屈で改めて説明するまでもない単純な理論。
これくらいの魔術ならば消せる。
けれど……そうか、もう一人もいるのか。ケンカしていたくせに。
「だからお前、仲間になにも言わずに出てきたんだろ? 適当な理由つけてさ。で、どうも様子がおかしいって思った仲間が捜してみたら、魔族の俺と楽しそうにデートしていた、と。そりゃあ怒るわなぁ」
遠隔系魔術の効果が薄いと悟ったのか、魔術のブーストを受けた矢が有り得ない威力でスライムの巨体の半分を爆散させた。
追加で魔力を喰わせて補充する。その間にも別の角度から矢が飛んでくる。歯を食いしばってヒーリングスライムにべた踏みさせて、防衛範囲を広げる。
―――どこまでだ。どこまで、僕の魔力は保つ?
「ああ、ところであのエルフの二人ってもしかしてよ、俺か魔族をメチャクチャ恨んでたりしねぇ? さっきからすっげぇ殺意が匂うんだよな」
「お前がばらまいた魔族に故郷を滅ぼされてりゃな!」
だから隠して来たんだよ!
『障壁!』
再度放たれた、さっきよりも数段威力の上がったブースト付きの矢を、スライムを結晶化させて受け止める。爆散する結晶が月明かりに煌めいて、ダイアモンドダストのように舞い―――その先を睨めつける。
この攻撃を待っていた。僕は新しい結晶を掴み出す。
『捕縛!』
命令しながら、ヒーリングスライム結晶をぶん投げた。僕の魔力を吸い取った粘体が空中高くで網状に散開し、遠間にある木陰を樹木ごと包み込もうと伸び広がる。
これだけの威力を出すなら変化射ちはできないだろうし、魔術も触れるほど近くでかけているはず。つまり二人の位置は矢が飛来してきた直線方向。
また反動も大きいはずで、ほんの少しだが次の動作に遅れが出る……ことを期待する!
煌々と燃える、展開した網状よりもなお大きい炎弾が。
ゴウッ、と夜を薙ぎ払う。地上から空へ落ちる流星のように、スライムを跡形もなく空中で蒸発させる。
―――クッソ、そうか。最初の一矢を僕に当ててしまったからか、こっちに向けては攻撃方法を慎重に選んでたんだな。
脳内で対策を構築しなおす。とっくに全力で必死だが、もう二段階想定を上げる。アレも受け止められるように。
『増殖』
さらに魔力を与え、巨大化したスライムを分裂させる。より対応範囲を広げるために。
ただ……本気を出していないとはいえ、あの二人相手にどこまで僕が―――
「ハハハ、いい顔だな。本気でガチなガチの顔だ。大盤振る舞いの全力全霊ってやつだ。つーか、さすが勇者の仲間、さすが俺の同郷! この縛りで人間で、ここまでやれるのかよ。すっげぇ、すっげぇなお前。―――……その調子でガンバレよ。俺に一つでも届けば、俺が狙われたモノとしてヤツら迎え撃つぞ」
山吹色の明かりの光球が目の前に発生して目を眩ませた。
酸だか毒だかの魔術でスライムの表面が変色して崩れる。
真上からの曲射が直接ゴアグリューズを狙う。
合間合間に差し込まれる精神干渉が鬱陶しい。
『檻よ!』
叫ぶように命令する。
スライムが結晶化しながら箱状を形成し、ゴアグリューズを覆い隠す。矢を受け止め、魔術をハジき―――内側から、片手で薙ぎ払われる。
この野郎!
「楽しようとするなよ。あんな半透明の幕越しじゃ見物しにくくなるだろ?」
「必死なんだよこっちは!」
「さっきも言ったが、お前はククリクと似てるんだ」
こっちが死ぬ気でやってるのに、座ってるだけのヤツはずいぶん余裕で雑談してくれるなぁ!
「お前は人の心が分からない」
それはまるで、判決のようだった。
僕の心の底に沈む棘がどうしようもなく痛む。
「自分の目的にしか興味がないのも、自分のことで精一杯なのも、自己犠牲精神の旺盛なやつも、本質的には自己中ってことで一緒なんだ。自分勝手で、他人の心をないがしろにして、それが最善だと思い込んで疑わない。だからお前はこう思う。―――多少怪しい単独行動しても、どうせ自分のことなんて、仲間たちは放っておくだろう」
ああ、クソ。認めてやる。認めてやるよゴアグリューズ。魔族の王だった者。歴代最悪の魔王だった男。
「あいつら、お前を心配して捜してくれたんだろ? いい仲間じゃねぇか」
いっそ羨ましそうに言ってから、転生者は断言する。
「この状況下で悪いのは、お前だけだよ」




