前魔王と美術館
きょとんとした表情をして。
眉根を寄せて睨んで。
目をそらして口をへの字に曲げて。
うつむいて両手で顔を覆った。
「は、恥ずかしい……」
耳まで真っ赤じゃねーか。
「やっべ、なんかめっちゃ恥ずかしい。いや、実はお前がなに言いたいのか、いまいちよく分かんねーんだけど」
「分からないのかよ」
どうしようもないヤツだなこいつ。なんか軽蔑されてるってことしか分かってないのかね。
まあ、一から十まで説明し直してやるほどお節介ではない。元々余分なのだし、伝わらないのならそれでもいいさ。
「なあ、リッ君よぅ……」
「なんだよゴアちゃん」
いまだに両手で顔を隠したまま、黒髪の青年は嘆く。
心の底を震わせるように。
「……俺は、そんなに哀れか?」
そうか、そこだけに反応したのか。愚問に過ぎる。
「羽をむしられた蛾のようだ」
いいだろ、抉ってやるよ。
僕にお前を殺すことはできないが、その精神をバラバラに解体してやる。
「転生者である自分には、さぞ大層な役割があるんだろう。―――そんな世迷い言、よくも大真面目に信じられる。成功も失敗も全部を運命のせいにしたいだけだろ? そうだよな、元は人間で今は魔族で、しかもその性格だもんな。お前、人間と魔族の両方の事情が理解できるうえで、しかもどっちも嫌いになれないんだろ。……それじゃたしかに、なにが正解かなんて、どうしたって分かるはずがない」
それがコイツの不幸だ。単純で前向きな精神構造のくせに、解決できない悩みと迷いを強制された。
同情してやる気はないが、そこは地を這う虫のように哀れんでやるよ。
「だからお前は自分を機構化した。自身に肩書きと役割を与えて、それに沿うように行動することにした。分からないから、自分の答えを出さなかった」
転生者。魔族。魔王。
この男は特殊な肩書きをもつが、ナーシェランのように使いこなしているのではない。ネルフィリアのように重荷にしているのでもない。
従っているのだ。奴隷のように。
「お前自身は、何がしたいんだ?」
鬱陶しいと感じる理由はそれだ。
自我の塊のような男のくせに、大事なところに自身の意思がない。レティリエが教えてくれるのに期待しているだのと言っていたが、そんなのただの思考放棄でしかない。
ふざけすぎだろ。
「楽しみたい」
よし言い切ったな。地獄に落ちろ。
「せっかく異世界に来たんだ。隅から隅まで楽しみたい。珍しいモンいっぱい見たいし面白いコトはたくさんやりたいしいろんなヤツとつるんで散々バカやりたいし前世の世界じゃ有り得なかったスッゲェなにかをいくらでも体験したいしこの世界の全部喰らい尽くしてやりたい!」
「お、おう……」
大きな声出すな美術館だぞ。
「魔王は楽しかった」
その男は。
「貴重な経験だった。この世界でしかできないことだった。けっこう頑張ったし、それなりに褒められることもしたし、みんなチヤホヤしてくれた。夢中になったさ。毎日俺は魔王なんだ、って誇らしかった」
この世界で、ゴアグリューズという名を受けた男は。
「……けれど、俺は姫さんやお前とは違う!」
音が響くほどに、奥歯を噛み締めて。
握りしめた拳から、視界を歪曲させるほど濃い可視の瘴気が滲み出て。
ま……まてまてまて、このまま暴れ出すのはマズい!
「おい、やめ……―――」
「あー、スッキリした」
一人で勝手に納得して、ケロッとした顔で脱力した。
……もうヤダこいつの相手。
「お前、自分勝手とか自己中心的とか言われるだろ……」
「なんで? 言われたことない」
「物忘れが激しい、は?」
「それは自覚してる」
あっけらかんとしやがって。
「思考回路どうなってるんだよ。どうして動くのか分からないオカルトなプログラムか? どう考えてもマトモに動くはずないのになぜか正常動作しちゃって製作者も頭を抱えるヤツか? やめろよ壊れたとき直せないから」
「お前の言ってることってワケわかんねーことあるけど、今のって分からなくていいヤツだよな?」
「僕とお姫さまと、お前とでなにが違うんだ?」
「つか、そろそろ他見に行かねぇ? なんで俺ら美術館にきて長々と雑談してんの?」
「そういうとこだぞ」
話に飽きたのか、ゴアなんとか氏は椅子に座ったまま背伸びをして、軽いかけ声と共に反動をつけて立ち上がった。
はぁ……と、ため息を吐く。まあいい。元々話は美術鑑賞が終わった後の約束だ。それにかなり脱線してたのだから、今の話を続ける意味も無い。僕のせいでロクに見物できなかった、とごねられても面倒だ。
精神的にどっと疲れた気がしつつも、諦観の念で腰を上げる。
『俺の力はギフトだからな』
……一方的に切り上げたのに、一方的に再開するのか。本当にコイツは。
しかも前世の言葉って、本気で誰にも聞かせたくないヤツじゃないか。
『本来の俺は、もっとちっぽけなクソガキなんだよ』
一瞬、夜の草原を幻視した。
珍しくミルクスと見張りすることになった、あの焚き火の揺らめきを思い出した。
―――レティは、凄いのは勇者の力であって自分じゃないって言ってたわ。
なるほど。
コイツから凄みを感じたことはあっても、威厳を見ることがない理由が分かった。
この男は転生者で、元はただの人間で、転生した身体は預かり物だと思っていて、もしただの人間だったらなんにもできなかっただろう、と思っていたら。
たしかに、レティリエと同じ病を抱えるのだろう。
―――本当、イラッとするな。
『バカ言え。僕のが小物に決まってるだろ』
「うっわ、それイラッとするわー殴りてぇ」
普通に死ぬからやめろ。
勇者関連の絵や彫刻、紋章や装備品の模造品などを眺めた後は、魔物の絵や剥製が並ぶ通路へと出る。
魔物と言っても瘴気に侵された邪悪なものばかりではなく、普通よりも魔素量が多い動植物を総じて魔物と呼んでいるので、中にはこれはただの獣カテゴリでいいだろ的なやつもゴロゴロいる実に懐の広い分野である。つまり分類分けが非常に雑だ。
まあ術士的な視点で見れば、魔力を使った能力などを持たなくとも、良質な素材が採れれば魔物だからな。ミスリル糸の繭の虫も魔物カテゴリだったはずだが、繭以外はただの蛾だし。
ただしここに展示されているのはコモンではなくレアなようで、しかも美術館らしく美しい魔物が揃っている。特に幻と謳われる青弦鳥の完璧な剥製なんて―――
「やっぱ生きてねぇとつまんねぇな。次行くぞ次」
次に行ったのは陶磁器の展示された大部屋だった。白磁が多いが、青磁など色つきもある。
陶器は一般的にも使われる器だが、この辺りにあるのはやはり色の透明度が違うし絵付けが鮮やかだな。それくらいしか分からないけど。
たしか前世にあったドイツ発祥の有名な陶器ブランドは、錬金術師が白磁の製法を見つけたのが元だったか。……あれの残念な逸話、同じ錬金術師の名を負う者としてちょっと同情するよな。
「ハイハイ綺麗綺麗。次行こーぜ次」
次に行ったのは宗教画のコーナーだ。
神や神の腕が天上の音階を駆使して世界創造を行う絵や、最後の神の腕が様々な姿の子孫たちに戒律を授ける絵、そして人族が犯した最初の殺人や、小鳥から歌を教えてもらう様子など様々な絵がなんでいる。
これ、本当かどうか分からないものも多いけど、基本は実際にあったことなんだよなぁ。……いや、あったこととされている、が正しいんだが。
この世界で神話は歴史だ。前世のそれのように、考古学の見解と矛盾するものではない。むしろこの世界の神学者は考古学者とそう変わらない。フロヴェルスの神学者イルズ・アラインもそんな感じだったしな。
ただ、歴史はたびたび解明される。
英雄が大罪人だったり、大罪人が英雄だったり、大罪人がもっとヤバい大罪人だったりなどと、新しい事実が分かるごとに主流の説が変化するのが歴史だ。
勇者が神の腕だ、ということもいずれ歴史に刻まれるべきであり、だからこれらもすべてが真実であると信じすぎてはならない。
「あー、人族のカミサマたちね。俺にはチープな茶番にしか見えねぇ。次だ次」
次に入ったのは前衛美術というヤツだった。おいマジか。なんてもん発展してるんだ。
さすが芸術国家ウルグラである。こういうのってわりと迷走の産物で、思想とか特殊な技法とかなんやかやで前世だと……―――
「意味分かんねー。次」
コイツ美術鑑賞向いてないなっ!




