ヒーリングスライム
「あ……ああ。もう数がなくてね。遺跡探索で必要になるかもしれないし、今のうちに補充しとかないと」
思考を意識的に振り払い、ヒーリングスライムの魔術陣を確認する。
……まだ終わらないな。魔素構築を実体として安定させる過程は時間がかかる。今回は大きめに作ってるから余計にだ。
「使っていただいて実感しましたが、この魔具は素晴らしい。怪我を治療できるのは治癒術だけだと思ってました。……錬金術を学べば、わたしにも使えるのでしょうか?」
「勉強なんてしなくても使えるよ。ヒーリングスライムは誰でも使えるように造ってある」
僕の言葉でレティリエが固まった。息まで止まったようだ。
「……はい?」
しばらくしてやっとのことで絞り出した声が、それ。どうやらよほど驚いたらしい。
「魔具は術師にしか使えない、というのは大間違いだ。たしかに普通の魔具は、呪文……言の葉に魔力を乗せる技法が必要になるんだけどさ。でもそれは起動や停止を含めた、操作関係の式を省略してるだけに過ぎない。面倒くさがらず一から十まで式を組んでやれば、魔具ってのはただの合い言葉で使用できるんだ」
ま、声に魔力込められない特異体質だから、仕方なくそうしてるんだけどさ。
僕は作成済みの結晶を取り出して、レティリエに手渡してやった。
「『結晶解凍・ヒーリングスライム』って言ってみなよ。それで起動する」
百聞は一見にしかず、だ。
レティリエは素人だからな。口で説明するより体感してもらった方が早い。
「ええと……『けっショゥカイトゥー・ヒーリんスラィム』?」
おおっと計算外!
「うん、ごめんダメだ。発音が全然なってない。起動しないわ」
……こっちの世界の人間に日本語喋らすのがまず無茶振りだったか。いやヒーリングスライムは英語だけど。
「今のは僕が悪かった。誤作動しないよう、合い言葉は特殊な言語を使ってるんだ。けどちょっと設定を弄れば、普通の言葉でも使えるようになる」
「……それはつまり、誰でも治癒魔法が使えるということでしょうか」
「語弊はあるけれど、大雑把に言えばそうなるかな。だいたいあってる」
「それは……とてもすごいのでは?」
「ああ、とてもすごいよ」
僕は頷いてやる。実際、量産体制を整えて売り出せばかなりの利益が出せるだろう。怪我で苦しむ人が救えるし、病気だって体力勝負なヤツなら治せる。やったぜ歴史的革命クラスの大発明だ。世界中の人を幸せにできるぞ。
「すぐに普及させるべきです!」
「ダメだ」
手をガシッと掴んで詰め寄るレティリエに、僕は毅然と返答する。ところで近い。あとそんなふうに手を握られるとドキドキする。
「なぜですか? どんな理由が?」
「こんな形してるけど、これは人工生命でね。ナマモノで、イキモノなんだ」
レティリエの顔に困惑が浮かぶ。
僕は彼女が手が緩んだ隙にするりと逃れると、スライムの結晶を手にして掲げた。
「生物の管理には手間と金と知識が必要だ。結晶化で冬眠させちゃいるが、完璧な停止ってわけじゃない。少なくとも二日に一回は正しく世話しないとすぐに劣化する。それで効きが悪くなるだけなら別にいいんだが……悪くすると傷口が腐って壊死したり、歪めて治して取り返しがつかなくなったりするかもしれない」
他にも理由はあるけど、商売的な話はまあいいだろう。
教会の治癒術士から反発されるとか、上手くやらないと利権を学院の上層に掠め取られるとか、そういう話は彼女に言っても詮無いことだ。
「つまり、まだクオリティが低いんだ。せめてもう少し管理しやすくして、安全性を高めないと不幸になる人が出る。理解できたかな?」
あと、単純に燃費も悪すぎだしな。説明面倒だから言わないけど。
「……はい。残念ですが、たしかに危険です。でも、改良はし続けているのですよね?」
「もちろん」
僕は頷く。しかしお茶を一口飲んでから、でも、と続けた。
「ただし難しい課題だ。元々が破綻した生物だからね」
「破綻……ですか?」
レティリエが訝しげにその単語を復唱する。
破綻。そう、破綻だ。
神の創りたもうたイノチに挑み、僕は一度敗北した。完膚なきまでに。
けれど僕は、その負けを認めなかった。ただ負けることを良しとしなかった。
犯した間違いを利用することで正当化したのだ。無駄ではなかった、などと。
それは、僕の罪だ。
「こいつの治癒は、生命力の譲渡なんだ。自分の命を分け与え、他者を元気にする。己を犠牲にして他者を生かす。つまり、最初から死ぬために生まれた生命ってことさ。……そんなもの、破綻してないはずがない」
死ぬことを役割として、生命を造る。
そんな、あまりにも愚かで冒涜的な行いが、僕の研究の本質だ。
「僕の実験第一号は、小さな人型だった」
余計なことを口にしている自覚はあった。
少なくとも、この少女に話すような内容ではない。
「寿命が少ないのは分かってた。それでもせめて、できる限り長生きさせてやろうと思ってた。せっかくこの世に生まれてきたのだから」
僕は告白を止めることができなかった。
「けれど、そいつは僕が想定したよりずっと早く死んだ」
自己満足の懺悔だと分かっていても。
「生きようと、してなかった」
僕は視線を身体の向きごと移動する。
記憶よりずっと綺麗に片付いた工房内は今、耳が痛いほどに静かだ。棚の薬品の瓶が、調合器具が、椅子や机までもが僕を苛み睨んでいる。
命を弄ぶ不届き者、と。
レティリエの顔など、恐ろしくて見れない。
「生きたいと願ってなかった。腹が減っても、怪我をしても、身体のあちこちが動かなくなっても、命が尽きる瞬間まで無感動で……一度たりとも、長らえようとしなかった。当然だ。生存本能っていうのは、生物が気の遠くなるほど長い時間をかけて獲得したものなんだから。形だけ模倣した人工生命に備わっているはずがない」
言葉にできない涙の味を覚えている。胃液の味も、血の味も。
僕は手の内にある結晶へ視線を落とす。
失敗から生まれた、決定的に間違った、破綻した人工生命。
ヒーリングスライム。
「それで僕はコイツを思いついた。生きたいと思っていないなら、生命力を費やす性質を持たせられるのではないか、と……いいや違うな。そういう性質を持たせてもいいだろう、と。そう、考えたのさ」
命の搾取を前提とし、目的とした生命鋳造。
生きることを望まない生命を、殺すために生産する、なんて。
我ながら弁明の余地なく、クソヤロウの発想だ。
「劣化せず長期生存させるなんて、ヒーリングスライムには矛盾した課題なんだよ。命を惜しまず消費するよう造ってあるんだから」
僕はうつむいたまま、手の中の結晶を眺める。それくらいしかできなかった。
胸中を後悔が渦巻いている。
こんなことを勇者に、レティリエに話してどうするというのだ。
許されることでも期待しているのか。仮にもこれに命を助けられた相手なら、否定はすまいと。
結果を人質に過程を見過ごせなどと、なんと卑怯で卑屈で、惨めなのだろう。
「……わたしは、難しいことは分かりません。ですが」
しばらくして、レティリエは言葉を紡ぐ。
「ヒーリングスライム、でしたか。この子たちには、少し親近感を感じますね」
それは完全に予想の外な言葉で、僕は顔を上げた。
「他者のために尽くし、己の生命を惜しまず、奇跡のように人々を救う」
愛おしむように、諦めるように、自嘲するように。
「勇者もきっと、そういう存在なのでしょうから」
ああ、チクショウ、と。歯がみする。
それは違う、と言えなかった。どうしても言ってやれなかった。
僕の知っている勇者は、まさしくそういうモノだったからだ。