捜し人
―――それで、私はこの魔術でどなたを捜せばよろしいのですか?
ウルグラの首都に僕らが到着したのは夕刻だったが、驚いたのは人の賑わいと、街路に設置された明かりの多さだった。
暗くなっていく空へ抗うように灯されていく篝火が夜を拒み、町は寝静まることなく夜半までざわめき続ける。ここまで乗せてくれた御者の話では、ウルグラの首都では毎日のことだという。
夜にここまで明るい街の景観というのは、祭りでもなければ有りえないことだ。少なくともルトゥオメレンでは、首都のソナエザだってもっと暗かった。
建物のいたる所に色とりどりの旗が連なり、通りには篝火に寄り添うように装飾品や輝石、似顔絵描きなどの露天が並び、石畳にすら配色と彫刻がなされている。
夜でも賑わう街は、他の都で暮らした僕には酷く異質に見えたが……同時によく似た光景に覚えもあった。
ならばこの都には、この篝火が届かぬ場所に夜より暗い闇があるのだろう。
―――君がよく知っている人物さ。僕らも面識はあるが、探査の術式で特定できるほどつながりはなくてね。だが、君なら大丈夫だろう。
御者と二頭の馬に別れを言って宿を探し、食堂で会話どころか視線すら合わせようとしないエルフ姉弟を尻目に腹を満たしてから部屋に戻り、僕はネルフィリアだけをもう一度食堂に呼び出して探査の術式を使わせた。
対象が近ければ近いほど、探査は正確になる。
だいたいの位置を把握できて、僕はすぐに席を立った。動くなら早いほうがいい。
「なぜ、皆さんに秘密にするのですか?」
宿を出ようとする僕の背中に問いが投げられて、立ち止まりネルフィリアを振り向く。
アッシュブロンドの少女は安物の椅子に座り、テーブルに広げた探査の魔術式に視線を落としたまま、顔を上げなかった。
―――探査の魔術の性質上、簡単な呪文で対象の特徴などを入力してもらうことになるが、心配することはない。探査は卜占魔術が基となっていてね、この術式は先生の直伝なんだ。……だから普通とは違って、良くも悪くも、強く輝く者は引っかかりやすいようにできてる。君と彼の縁なら間違いなく発動するだろう。
「理由は聞くな、と言ったはずだがね。お弟子さん」
最初にそういう契約を交わし、僕らは師弟になったはずだった。彼女は喜んでそれに応じたはずだが……どうやらこの短い間に、少なからず心境の変化があったらしい。
「レティリエさんやミルクスさん、モーヴォンさんになぜ秘密にしなければならないのか、理由を伺ってはいけませんか?」
「君は弟子だからな。師匠の判断にはできる限り従うべきで、理由はそれで十分だろう」
これは師の判断であり、口を噤むだけをできないと言う弟子はいない。……だがネルフィリアは反抗的な目をこちらに向けてきて、僕はため息を吐く。
「ただまあ、それは通常の師弟関係なら、だ」
この短い間に、分かったことがある。彼女は術師に向いていない。
「特別扱いしてやろうか、王女様?」
意地悪く聞くと、ネルフィリアは泣きそうな顔をした。大した実力もないのに特別扱いされてしまうことが悔しくて、声にならない嗚咽を飲み込む。……ほら、やっぱり。
彼女は術士に向いていない。才能ではなく、人格的にだ。
この少女の人格はマトモすぎる。それこそ、彼女の生い立ちを考えれば奇跡的なほどに。
「……一応忠告しておくが、術士であればここは喜んで特別扱いしろ、なぜか教えろ、と飛びつくべきだ」
余計な世話を焼いているな、と自分自身に呆れて、誤魔化すように前髪をかき上げる。
ネルフィリアが言葉を失って瞬きし、僕はその澄んだ瞳から目をそらした。
術士に向いている例として分かりやすいのはモーヴォンだ。
特に先日の件は顕著である。エルフのくせに森の一部を開拓して畑を作ろうなんて、普通なら考えつきもしない。
農業は人類の犯してきた自然破壊の中でも、最大規模を誇る。
木を伐り倒して根を掘り起こし、広大な範囲を真っ平らにしてから土壌を改造し、都合のいいように作り変える。自然と共に生き森を同胞とするエルフが、どうしてそんな悪行を良しとできるのだろうか。
―――その答えは優先順位に他ならない。
それは判断の機械化であり、美学や誇りのようなものだ。
術士は叡智に携わる者として、余分を廃し下らない固定観念を打ち壊し、効率化を突き詰める努力を怠らぬ覚悟を自らに課している。
つまり術士というヤツは、目的のために最適な手段を選ぶ、という課程を尊ぶのである。
必要だ。だからやる。必ずやる。どんな障害があろうと取り除く。
叡智とは不可能を否定してきた積み重ねであるが故に、躊躇と蒙昧による敗北だけは喫してはならぬ。
なにがなんでも結果をもぎ取る、それは破綻にも似た覚悟。
「王女という立場や肩書きは、君という人間の本質ではない。本質にしてはならない。あくまで君はネルフィリア・スロドゥマン・フリームヴェルタであるべきだ」
偉そうに。
僕はいったいなにを言っているのか。こんな当然のことを。
「君はネルフィリア・スロドゥマン・フリームヴェルタであり、王女という肩書きは君に付属しているだけのモノにすぎない。たしかにそれは希少で貴重だが、そんなものに支配されるのは馬鹿げている」
思えば、この師弟関係はあまりに奇妙だった。
かたや転生者。前世という経験値を持ち越してこの世界に生まれ落ちた者。
かたや転生者の被害者。産まれる前に身体の主導権を乗っ取られ、己が歩むはずだった人生を他人事のように眺めてきただけの、いきなり世界に投げ出されてしまった本物。
しかも僕と彼女、肉体年齢は同じ十六歳だというのだから、この関係の歪さは端から見れば異様にすら映るだろう。
「王女という肩書きは道具と思え」
だからなのか、僕と彼女は本質的には他人だが、どうにも責任感を感じてしまうのだ。同郷が迷惑をかけた最大の被害者なんて、さすがに突き放せなくて困る。
こんなことしている場合ではないのだと、分かっているのだが……どうやら僕も、実は術士に向いていないのではないか。
「あるモノは使え。そして使いこなせ。……そしてこれも肝に銘じておくといい。君には一般人という肩書きは無い。無いものは使えないのだと、認識しておけ」
はたして彼女にどこまで理解できるのか、理解できたとしてどこまで納得できるのか。
そこまではもうどうでもいい。彼女は術士になんてならなくていい人間だ。余計なことを言い過ぎたまである。
「王族であることを利用するのは、恥ずべきことではない、と?」
「ナーシェランなら葛藤もしないだろうさ」
あの兄ちゃんはむしろ、王族権限フルに使って無茶振りしてくる手合いだろう。笑顔でニコニコしながら月の残業二百時間とか要求してくるタイプだ。しかもナーシェラン自身はそれ以上に働きそうで厄介すぎる……うん、正直ネルフィリアにはああなってほしくないな。ナーシェランレベルが増殖とかマジで悪夢。
「……では、なぜなのか教えてください」
まだ惑いはあったが、ネルフィリアはハッキリとそう口にした。
それを見た僕は頷いて、答える。
―――ネルフィリア・スロドゥマン・フリームヴェルタ。魔族に囚われていた王女。これから僕の弟子になる術士。君に人捜しを頼みたい相手は、僕の知る限りにおいてこの世界における最悪の危険人物。
「そんなの、全滅のリスクを避けるために決まってるだろう」
―――君を攫った男。前魔王だ。
魔族は無血革命を成し遂げ、新魔王は決闘することなく即位し、前魔王は姿を消した。……そう、ネルフィリアは言っていた。
あの野郎は一切の声明なく、理不尽に己を追放した者たちの元から、ただ立ち去ったのだ。
魔王とは魔族で最も強い者がなるという。多くの種族があり多種多様な価値観を持つ魔族にとって、強さとは絶対的な格付けの指標だ。
事実として、あいつは砦一つを壊滅させ、最上級魔族を遊びながら倒すとかいう規格外の力を持っていた。また、瞬間転移なんて大魔術を単独かつ無詠唱で使用するなんて馬鹿げたチートも披露してくれた。
神出鬼没で高機動な、凄まじい戦力を保有する個人。
たとえば暗殺。
たとえば破壊工作。
たとえばゲリラ戦。
どれだけ堅固な陣を築こうが易々と中心部に達し、反撃しようとしても逃げられ、四六時中の警戒を余儀なくされる悪魔のような相手。
アレの能力を把握したときは頭を抱えたものだが、この状況では一つ疑問がある。
前魔王なら一人でも魔族軍の脅威になれるのではないか。
もしそうであるなら、なぜ彼は無言で魔族軍を去ったのか。そして、魔族軍はなぜ彼をただ放逐という名の野放しにしたのか。
どう考えても無視できる要素ではない。特に前魔王のあの能力にあの性格とか、不確定要素に過ぎてクラクラしてくるほどだ。なにを考えているのか分かったものではない。
前魔王が今、いったいどこでなにをしているのか……確かめる必要があると感じて、そして間の良いことに、探査の術でヤツの位置を特定できるネルフィリアをしばらく連れ回す口実までできた。
あとは簡単。居場所を特定して、足を運んで、観察する。……接触するかどうかはケースバイケースだ。僕だって命を惜しむくらいの分別はするようになったからな。あんな危険物へ気軽に近づくほどバカじゃない。
そうして今。僕は一人、魔王の拠点だろう場所にやってきていた。
「よっしゃぁ、気分いいからもう一回やんぞ。テメェら杯を掲げろ!」
時刻は夜。夕食時には遅いが、酒を飲んで騒ぐならまだ解散には早い時間。
店先に飾られた看板に頭痛がして、意を決して歩み入ると、僕はあっさりそいつを目視する。
「さっき教えたとおりにやれ。いくぞ! ―――この美しき芸術の国に!」
この時間にもかかわらず満席に近い酒場の中心で、その男は椅子の上に立って声を張り上げていた。
比較的若年層の冒険者たち―――彼がいるテーブルのみならず、その周囲にあるテーブルを囲う者たちすべてが、この美しき芸術の国に! と復唱して各々の杯を掲げる。
「その下のクソ汚かった下水道と、ついにそれを掃除しきった俺たちのクソ尊い労働に!」
どっと馬鹿笑いが起きる。これには枠の外で飲んでいる者も苦笑いしていた。
僕は足を進める。
野郎はさらに声を張り上げる。
「そして、俺たちのEランク冒険者昇級に!」
取り巻く若い冒険者たちが心の底から嬉しそうに声をそろえて。
盛り上がりはまさに絶頂を迎え、そいつは音頭と共に杯を掲げ―――
「カンパー……おぐぶへぁ!」
あまりにイラッとした僕は、思わずその隙だらけな尻へ蹴りをぶち込んでいた。




