師弟関係
困ったことになった―――というのが真っ先に浮かんだ感想だ。
兄弟子として後輩の面倒を見ることはあっても、弟子などとったことはない。欲しいとも思わない。現状では重荷でしかない。
そもそも……彼女がなぜそんな選択をしたのか、何も分かっていない。
「先生と生徒と呼び合う関係と、師匠と弟子と呼び合う関係。この違いを君はどう認識している?」
僕は羊皮紙に魔術陣を描きながら、相手に問いかける。……驚くほど繊細なアッシュブロンドの髪を持つ、フロヴェルス王国の第三王女に、だ。
時刻は夜。ナーシェランはとっくに帰還し、他の三人もそろそろ就寝する頃合い。
場所は僕の自室。より正確に言えば、この廃村にて勝手に使わせてもらっている廃屋の一室。
光源は油に紐を浸した灯り皿が二つのみ。木窓も閉めきって音も静かに、薄暗い空間で僕と彼女は二人きりで対峙する。
「講義がより専門的な分野に及ぶ、ということでしょう。私ではまだ力不足であることは分かっていますが、どうか……」
「違う」
何も分かっていない答えを返すネルフィリアは、いっそふてぶてしいほどの態度だ。
気弱な性格だと思っていたが、いざ思い切ると頑として己が意を押し通す気概があるらしい。言葉を遮られ否定された今も、形のいい唇を引き結び瞳に堅固な意思を宿している。
「師弟関係とは強い責任が発生する間柄だ」
魔術陣を描くペンを止めず、僕は明確な違いを言葉にする。
ナーシェラン王子は妹の弟子入りを聞いて、小考の末に了承した。僕に責任を負わせ縛り付けたい彼にしてみれば、妹の希望は渡りに船だったのだろう。
とはいえ、さすがにロムタヒマ再侵攻の時は留守番を条件にしていたが。……準備期間は一ヶ月。たったそれだけで現状から戦える魔術師に育てるのは無理がある。
「先生と生徒の間柄ならまだ他人だが、師弟となれば身内だ。弟子の失敗や不祥事は師が責任を負うことになる。魔術学院ではそれが嫌で、教室は持っていても師弟関係は限られた者しか結ばない、という講師も多かった」
僕が紹介しようとしたオケミス教室もそんな感じだ。多くの生徒を受け入れ汎用的な講義をする反面、専門的な分野には手を出さず個別指導などもあまり行わない。
ネルフィリアが緊張するのが分かった。話している間も、僕は羊皮紙に術式を書き加え続ける。
「ではなぜ、師は弟子を持つのか。これにはいくつか理由がある。何だと思う?」
「継がせるため……ですか?」
「それが最も分かりやすい理由だな」
僕はインクに薬品を少量くわえ、濃度を変えて次の術式を書き始める。この術式は難しくはないが、細かい。
「師は弟子を後継者として育て、弟子は師を超えるために学ぶ。これがごく一般的な関係性だ。だが、君が成りたいのは魔術師であって錬金術師ではない」
「ですが、ゲイルズ師の師匠は占星術師です」
「僕はまだ師と呼ぶことを許していない」
幾秒の沈黙があった。僕は顔を上げなかった。
「……すみません」
その謝辞が聞こえ、僕は改めて口を開く。
「弟子の功績は師の評価になる。弟子の名が売れれば、その師の名も売れるんだ。先ほどのように弟子を持たない主義の講師が講義だけはするのも、これが大きくてな。生徒の中に成果を出しそうな者がいれば、そこでしれっと師弟関係を結ぶというやり方さ。数を打てば当たるをやりたいが、個々に責任を持ちたくはないわけだ。……他の導師に有望株を横取りされることも多いが、講師としては気楽ではある」
灯り皿で燃焼する油が良くないのか、その匂いが鼻についた。炎の揺らめきが少女の美しい顔を曇らす。
「―――さ……才能があると、言ってくださいました」
「実力は無い」
現実は非情だ。
彼女はいずれ魔術師として大成する可能性はある。だが、今の彼女は無力に等しい。仮に魔術学院へ行ったとしても、弟子として迎え入れるところは……フロヴェルスの王女という肩書き目当てか、よほど物好きな教室だけだろう。
「魔術における師弟とはドライな関係だ。弟子は師から盗み、師は弟子を利用する。互いに与え合うことで関係性が維持されるわけだ」
僕は羊皮紙から顔を上げ、ネルフィリアを直視する。その表情は……捨てられた子犬を連想させる。
彼女は己の無力さを痛感するほどに分かっているのだろう。僕に与えられるものなどないと、だれよりも理解しているはずだ。
「君は僕の錬金術を継ぐ気も無く、また将来性も不明。才という不確かなものに縋るしかない三流以下の術士だ。僕が君を弟子にする理由はない。というか、学院で落ちこぼれだった僕が弱冠十六歳でなぜ弟子をとることになっているのか不思議で仕方がない。……しかし、だ。フロヴェルスの王子ナーシェラン・スロドゥマン・フリームヴェルタの推薦であり、君が王族である以上、僕が君の希望を無下に断ることもできない。分かるか?」
美しい顔が悔しそうに歪む。脅しはこんなものか。ナーシェランが置いていった以上、少なくともこれから一ヶ月は共に過ごすことが確定している。
調子に乗ってもらっては困る。歴代最弱の勇者パーティである僕らには、無力をわきまえない姫の面倒を見る余裕はない。
―――けれど僕だって、この異世界転生の被害者に同情心くらいは抱いてはいる。
そして何より、彼女には利用価値があった。
「だが、弟子の使い道は他にもある」
俯いていたネルフィリアの顔が上がる。
「魔術師は自分の目的のため、弟子を人手として使うことがある。実験の助手であったり、調べ物をさせたりな。師が研究に専念できるよう、身の回りの世話をするのも弟子の仕事の一つだ。ま、神聖王国のお姫様にそんなことはさせられないが……」
僕は彼女に向けて、完成した魔術陣の羊皮紙を差し出した。
「君にしかできない仕事には、一つ心当たりがある。やってみるか?」
「……はい!」
その返事は、こちらが驚くほどに嬉しそうで。
「これは探査の魔術式だ。君にはある人物を捜してもらう。……もっとも、君は会いたくないかもしれないが」
その喜色が鈍るのに、そこまではかからなかった。
「ウルグラ王国に行こうと思う」
レティリエが作ってくれた朝食を食べながら、僕は三人に提案する。僕の横でネルフィリアが浮かない顔をしていたが、見ないフリをした。
「ナーシェ王子の準備ができるまで待つんじゃないの?」
自分で狩ったウサギの肉を飲み込んでからそう聞いたのはミルクスだ。
チェリエカの町ではスズの古着をもらったりして着飾っていたが、最近はエルフの狩人然とした格好しかしていない。今も頭に獣の皮を被っているのを見ると、森で生きてきたころと同じ狩猟採取生活に完璧に馴染んでいるようだ。
「フロヴェルス軍の準備には一ヶ月ほどかかるらしいからな。その間、ずっとこの廃村に居続けるのは無駄だろ? 幸運にも今までは無かったが、ロムタヒマの王都に近い分、魔族が襲撃に来る可能性だって高いんだ。ナーシェランと会談ができた今、もうここにとどまる意味はないさ」
「ん、それもそうね。あたしはいいわよ、人間の町ももっと見たいし」
ミルクスはこの生活に慣れてはいても、愛着はないらしい。……というか、町に対する好奇心があるのか。
まあ田舎者だもんな。
「ウルグラとはどういう国なんですか?」
「メリアニッサの故郷」
モーヴォンの問いにそう答えてやる。……今、一瞬だけ表情が変わったな。すぐに隠れたけど。
「音楽、舞踊、絵画、造形。服飾に建築に料理まで、芸術で栄える小さな隣国さ。ここからなら十日もあれば首都まで行けると思う。元は周囲の小国同士で連盟を組んで大国に対抗していたが、何年か前にロムタヒマの属国となって……今は複雑な立場だな」
「それはそれは、亡命者でごった返していそうですね」
こっちはこっちで、田舎者のくせによくそこまで頭が回るなと舌を巻く。驚くべき飲み込みの早さだ。ついこの間まで、百以上の人数を一度に見ることもなかっただろうに。
彼の言うとおり、向こうは治安が悪くなってるだろうな。そこは要注意ではある。ここより危険ということもなかろうが。
「観光でしょうか?」
「そう思うか?」
「いいえ」
レティリエの疑い深い声音に問い返すと、彼女はあっさり首を振った。だいぶん僕に毒されてきてるな、この娘。
「あの場にいた幻術の魔族について調べ物をしたいんだが、勇者さまと王女さまを連れてチェリエカに戻るのもな。……それに、あそこはただの宿場町だから情報収集には限界があるだろ? 小国でも首都になら魔術学院がある。なんとか資料室を覗くことができないか、と思ってね」
これは半分本気で、半分は嘘だ。本命の目的は別にある……が、それはそれとして必須要項でもある。
銀髪で褐色肌の、魔術が得意な魔族。ネルフィリアに聞いてみたが、あの男の種族については知らないようだった。
魔族は異様なほど種類が多く、僕もすべてを把握してはいない。だがあの外見的な特徴が種族的なものであったなら、資料さえあれば絞り込むくらいはできるだろう。
あの無詠唱の魔術行使には、対策の一つも立てなければならない。上手く相手の種族が分かれば、弱点の一つくらいは見つかるかもしれない。
「もう一人の方はいいんですか?」
「あっちは多分、調べるだけ無駄だ」
当然の問いには、苦々しく返すしかなかった。
「体色的にアルビノっぽかったし、外見で絞り込もうにも小柄で細身くらいの情報しかない。調べようにも手がかりが少なすぎるし……そもそも個の力を重んずる傾向の強い魔族において、あの存在はどう考えても突然変異だからな。アレの厄介さはそういうのを超えたところにある」
ホントどうしたもんかなアレ。ほっといたら絶対まずいんだけど、何やってくるのか分からないから対策とか立てようがない。
ただ戦闘はからきしらしいから、見つけたらとにかく最優先デストロイだな。
「それで、いつ出発するの?」
「今日、昼前には出発したいが……どうだ?」
ミルクスに聞かれ、僕はレティリエに目で問いかける。
窓の外は晴れていていい陽気だ。絶好の旅立ち日和である。いつでも発てるよう荷物はみんなまとめているはずだし、あと心配なのは……。
「保存食は用意してあります。国境の町までは保つでしょう」
本当に優秀だな、うちの勇者様は。




