釣り餌とエルフと第三王女
「…………」
黙ってしまった。沈黙してしまった。なぜか言葉が出なかった。
ナーシェランだけではなく、レティリエやモーヴォンもこちらに注目している。別室ではミルクスとネルフィリアも聞き耳の魔術で聞いているだろう。
それに酷く焦りを感じた。
胸の奥の棘が冷たく自己主張する。あざ笑うように。
何か言わなければならない。そんな強迫観念に似た何かに襲われて、けれども頭は真っ白で。
オマエハ、ナニヲモトメテ?
「………………あ」
何も考えられない。何も思いつかない。それでも早くなにか言おうと焦燥し無意味な声を出して、その無意味さを誤魔化すために舌を回した。
「あー、ああ。欲しいもの、か。必要なものではなく。ふむ、そうだな」
―――混乱していた。混乱しているのを隠したかった。なぜそれを隠したいのかも分からなかった。
分からないが、酷くみじめに感じた。
「例えば、何を出せるんだ?」
みぐるしい。
何も思い浮かばないからって向こうに提示させようだなどと、見え見えの小狡い賢しさだろう。時間稼ぎどころか、恥の上塗りにしかなっていない。
「地位」
ナーシェランの即答には、びくりと身が震えた。
「名誉」
至極真面目な顔で、冗談の気配など微塵も感じさせず。
「富」
用意して当然と、彼自身が心底から思っているらしくて。
「領地」
その瞳は、僕の心奥を見通すように。
「そのすべてを、爵位と共にいかがでしょう?」
ハ……、と。乾いた笑いが漏れた。
爵位と来たか。頭痛がするね。
「貴族様になれ、と? いくら何でも報酬額が高値すぎやしないか」
「壁の破壊によってすべての状況が好転しようとしていますからね。リッド殿はこの戦争の一番の戦功者となるでしょう。そして、そもそも貴族とは武勲を立てた者の家系なのですから、そういった者に爵位を与えるのは当然です」
「それはきっかけに過ぎないよ。事態が好転するのは、厳しい中で諦めず粘り続け、また勝負時を見誤らなかった王子の手柄だろう」
「そのきっかけが用意できないから、当方は半ば途方に暮れていたのですよ。―――そうですね。まだ皮算用ですが、領地はチェリエカを中心でどうでしょう?」
―――思えば、ルトゥオメレンを旅立ってからここまで、そういう類の報酬とは無縁だった。
単純に余裕のない旅をしてきた。
エスト率いる審問騎士団の装備を売り払って旅費を作った。バハンでは氷雪の剣やよく分からない力を女王に賜った。エルフの里でサリストゥーヴェの研究室をあさったこともあったな。
結構いろいろ手に入れてきたが、それらはすべて旅に必要なものだった。それ以上の余分など、僕らは望むことすらなかった。
だから、埒外の報酬に戸惑うのはしかたない。
「いずれ接収する予定の、まだ誰のものでもない土地。なるほど、チェリエカはたしかに新しい貴族に与えるにはもってこいかもな」
僕は仮想の未来に心を馳せてみる。
知らない町じゃないし、立地的にも悪くない。なにせ交通の要所の宿場町だ。しかも中心、というからには、周辺の村などもオマケしてくれるかもしれないな。上手く運営すれば結構な稼ぎが期待できる。
なによりあそこにはスズやヘイツもいるのが大きい。帰る場所のないミルクスやモーヴォンも、安心して住まわせることができるだろう。
僕は安堵を感じながら、微笑む。
「分不相応だ。第一、貴族なんてガラじゃない」
断る理由が簡単だったから。
「ふむ、かなり頑張ってみたつもりなんですがね」
ナーシェランは難しそうな顔で腕を組み、むぅ、と唸る。
「では、それに伴侶も付けましょうか」
「……伴侶ぉ?」
素っ頓狂な提案に、思わず変な声音で聞き返してしまった。
伴侶ってあの伴侶? 結婚相手? なんで食玩の菓子みたいなノリでそんなの付いてくるの?
「ええ。一人目の妹はもう結婚してしまっているので無理ですが、二人目の妹なら」
「それクッソ事故物件じゃねぇか!」
「ですよねー」
あっはっは、と笑うフロヴェルスの王子様。なに笑ってんだお前、今ガチで鳥肌がたったぞこっちは。
二人目の妹ってエストだろ。異端審問官長にしてフロヴェルスの裏側の組織、審問騎士団の長。ネズミの腐乱死体のような性格のクソ女。
自分を暗殺しようとしたような愚妹を押しつけようとしてんじゃねぇよ。
「では、本人の承諾ありきですが、三番目の妹はいかがでしょう?」
―――……それは、ネルフィリアのこと、だよな。
マジか。何言ってるんだこの兄ちゃん。ていうかこれ本人に聞き耳されてるんだが、すげぇ返答に気を遣うぞ。
あとエストには承諾とる気なかったんだな。だろうね。
「いやいやいや、常識的に考えて王族と一般人が結婚できるわけないし」
「英雄ですから大丈夫でしょう。それに、妹の夫なら高い爵位を贈れますから」
「英雄じゃないし、そもそも爵位が要らないんだよ」
はぁ、とため息が漏れる。
なんか妙な流れになってきたな。しかも微妙に話が通じていない気がする。
……多分だけどナーシェランは王族だから、感覚が一般人と違うんだろう。
地位、名誉、富、領地、そして王族との婚姻だなんて、いかにも貴族が欲しがりそうなラインナップだ。
まあ結婚云々に関してはネルフィリアもエストもワケあり物件というところが大きいのだろうが、それでも王族には違いない。政略結婚の道具としての価値は現在でも十分にあるはずだし、おそらく最上級の報償として考えているのではないか。
けどそんなの、僕のような小物に渡されても正直困るんだよな。
「というかだな、彼女は今それどころじゃないだろ。ただでさえ本人、今の状況に困惑してるんだ。あまり負担をかけさせるな」
「そうでしょうか? 結婚となれば留学でなくても城の外で暮らせますし、相手がリッド殿なら事情も知っている。少なくとも、前と違うという目に怯えることはないでしょう? 彼女が平穏に暮らす未来としては、意外と悪くないと思いませんか」
さらりと言ってお茶に口を付けるナーシェラン。
ああ、そうか……なるほど、それはネルフィリアの第三の選択肢としては悪くないかもしれない。
この世界だと十五、十六なら普通に結婚する歳だし、政略結婚なんて相手を選べないのが常だ。しかも住む場所が元ロムタヒマ領のチェリエカなら、以前の彼女を知る者もいないだろう。
意外と考えた末の話か。
けど、相手が僕ではあんまりだ。かわいそうでとても頷けないね。
「まあ今は妹に承諾をとっていませんし、無理強いはしませんよ」
僕の感情を読み取ってか、こちらが何か言う前にスルリと取り下げるナーシェラン。……さすが王族、読心術は一流だな。
けどそれ、ネルフィリアが承諾したら無理強いするって言ってないか?
「ふむ……しかし困りましたね。どうやらこちらの提案には、あまり魅力を感じていただけないようです。高い爵位は重荷に思われる、ということでしょうか。たしかに他国の人間がいきなり公爵になっては、他の貴族のやっかみに晒される可能性はありますが」
「いや、そもそも貴族が嫌なんだが」
ていうか、いくらなんでも公爵は高すぎだろ。王族のすぐ下だぞ。
……あれ? でもネルフィリアの夫ならそうなるのか? 王族だもんなネルフィリア。貴族階級の詳しい制度なんか、僕の人生に関わると思ってなかったから分かんないんだが。
「ではあまり爵位の高くないところで、男子のいない貴族の婿養子はいかがですか?」
ダメだコイツ話通じてねぇ。
「あのな、だから僕は貴族になる気はないって……」
「フロヴェルスの片田舎にオルエンという男爵家がありましてね」
Oh……ここで知ってる家名が出るのか。やっぱ貴族の産まれだったんだな。
「ちょ、ナ、ナーシェラン様っ?」
「爵位は高くないですが、誠実で信用に足る良い家系です。興味があれば王家が仲介しますが?」
今まで黙っていたレティリエ・オルエンさんが慌てて抗議するが、ナーシェランはどこ吹く風だ。
王族って空気を読む力も一流だけど、それを無視する力も一流だからな。レティリエ、いざとなったら殴って気絶させないとダメだぞそいつ。
「あまりうちの勇者様を困らせないでくれ」
「これは失礼を」
僕の苦言に、あっさり引き下がるナーシェラン。だが謝罪の言葉とは裏腹に目は笑っていて……なんとなく悟る。
だんだん分かってきたが、もしかしなくてもからかって遊んでるだろこの男。―――冗談でもこちらが頷いたら、本当にその通りにしそうで怖いけど。
「それでは、宮廷術士はどうでしょうか?」
いまだに目を白黒させているレティリエを横目で悪戯っぽく笑いながら、ナーシェランはそんな提案をした。
「宮廷術士?」
ここまでの流れからはうって変わった単語に、思わずそのまま聞き返す。ちょっと想像できるくらいの役職になったじゃないか。
「フロヴェルスには治癒術師は多いですが、魔術師は少ないですからね。まあリッド殿は錬金術師だそうですが、どちらにしろ貴重には違いありませんし……その手腕はそうとうなものと見ました。きっと重宝されるでしょう」
「城勤めしろと?」
「爵位は欲しくないようですので。それで地位と名誉、そして富を与えられます」
そりゃ、神聖王国の宮廷術士ならハクがつくだろうな。給金も研究費も多そうだ。
「言っておくが、僕にそんな実力はないよ。それにお国のために研究なんてまっぴらだ」
肩をすくめて首を横に振る。条件はいいと思うが、自分がそんな場所で働くなんて考えられない。
僕に似合うのはもっと暗く、ジメついた小汚い場所だろうさ。
「謙遜も虚偽も美しくないですよ、ゲイルズさん」
刺々しく口を挟んだのは、エルフの少年だった。
「婆ちゃんの術式を使える時点で、ゲイルズさんの能力は折り紙付きでしょう。その点で謙遜されたらエルフの立つ瀬がありません」
うんざりとした表情で、モーヴォンは一歩前に出た。……交渉は僕がやると事前に打ち合わせておいたはずだが。
まあ、言いたいことは分かる。あの秘奥はエルフでもそうそう使える術式ではない。僕だって、サリストゥーヴェが僕の魔力を操って行使して見せたからこそ、なんとか理解が追いついたのだ。―――逆に言えば、それが無ければ僕の手には負えなかっただろう。それくらい高度な術式なのである。
「いいじゃないですか、宮廷術士。ぴったりだと思いますよ」
「どこがだよ。似合わないことこの上ないぞ城勤めなんて」
「似合う似合わないで断るような条件ではないと思いますがね」
ぐ、と言葉に詰まる。たしかにその通りなんだが。
モーヴォンはこちらを冷たく一瞥して、今度はナーシェランに向き直る。
「ナーシェラン王子も、あまり彼をいじめないでください」
「いじめたつもりはありませんよ。報酬の話です」
「この人は異常者なんですから、そんなものは受け取りませんよ」
……ひどいな。言葉の刃鋭すぎだろ。
「戦い方なんて知らないくせに身の程知らずに命を懸けて、なのに自分の功績を意地でも認めない。だから余分は決して望まず、それでいて善人でも偽善者でもない。もちろん聖人なんてありえない。打算だらけなのに与えっぱなしで、けれど自己満足にも浸らない。この男はそういう類の、理解しがたい異常者です。気持ち悪い」
ホントにひどいな!
「それでいて普通を装おうとするから、断り方も歯切れが悪いんですよ。うっとうしいったらないですね」
僕は頬を引きつらせつつエルフの少年を見やる。
チェリエカの町から感じていたが、モーヴォンってちょっと僕に当たり強いよな? なんか知らないけど目の敵にされてる感があるぞ。他の人にはもっと温和なのに。
「素晴らしい。身内からの容赦のない評価ですね。少しリッド殿のことが分かった気がします」
嬉しそうに拍手するナーシェランに、氷の刃のようにモーヴォンは告げる。
「貴方が欲しいのはゲイルズさんですよね?」
……何言ってるんだお前?
「負けに来た、というのは嘘でしょう。貴方が提示したものはすべて、責任が伴う品だ。気前よく負けるフリして過剰と思われるほどに与えて、フロヴェルスに縛り付けるための釣り餌です。違いますか?」
「…………」
神聖王国の王子が黙る。笑みは崩さぬまま、エルフの少年の瞳を覗く。
モーヴォンの口調は確認のそれだった。沈黙は肯定に等しく―――少年がテーブルに片手を突いて、至近距離でナーシェランの瞳を見つめ返す。
「サリストゥーヴェの術式なら自分も使えます。この男の代わりになりませんか?」
―――そうか。これまで人族が為し得なかった、瘴気属性の魔術行使。
香水の魔女が生涯の大半をかけて研究した成果であれば、価値は計り知れない。たしかに……王国として何がなんでも確保せねばならない、と考える可能性はある。
「なりませんね」
ナーシェランは座ったまま、ニコニコと笑って見せた。
奥歯が軋む音がここまで聞こえた。エルフの整った顔が屈辱に歪み、己を軽んじた王族を睨み付ける。
が、その視線はするりと躱された。
「いずれ一国を担う者としては、リッド殿のように無欲ではいられません。当方はどこまでも強欲でなければ。なにせ民たちの命も生活も、未来の希望もすべて我が身に背負うわけですからね。そのために当方は、欲しいものはすべて手に入れます。……ええ、貴方だけでは足りません。もとより全員を迎え入れるつもりですから」
「…………」
しばらく互いに見つめ合って、はぁ、とモーヴォンは息を吐く。
「魔族からロムタヒマを取り戻したあかつきには、自分も領地が欲しいですね」
「おや、欲しい場所があるのでしょうか?」
「ターレウィム森林のすべてを」
「いいでしょう」
即答か。モーヴォンくんビックリしちゃったよ。まさかこんなあっさり通ると思ってなかったんだろうな。
まあ、あの地はそもそもロムタヒマ領であっても、人間の支配区域ではなかっただろうし。危険が隣り合わせの税収無き辺境。広大とはいえ惜しむほどの価値はないと判断したってところか。
「……ではいずれ自分の王となる御方に、忠言を一つ」
王族のやり方にすっかり毒気を抜かれて、どこかやさぐれた面持ちになったモーヴォンは、無遠慮に僕を指さす。
「下手に小細工するより、正面から頼むべきです。それでこの人、魔族の大群を一人で足止めしに行くくらいはしますから」
「お前マジそういうこと言うのやめろよ……」
ねぇこいつの中で僕の立ち位置どうなってるの? 言葉の棘が全然隠れてない上、向こうにどうぞどうぞって差し出されてる気がするんだけど。
なんか気に障ることしたっけか僕?
「なるほど、たしかにそれは盲点でした。……ではリッド殿。改めてお願いします。すべてが終わったら、どうかフロヴェルスに来ていただけませんか?」
……つまるところ、おいしすぎる話には案の定だが裏があったわけだ。
ナーシェランの目的はサリストゥーヴェの術式を扱える術者の確保、そして独占。
城壁を崩すどころか消し去れるような攻城兵器の可能性を、他国に渡すわけにはいかない、という王族として当然の思惑。
でもあれ、周辺の瘴気を喰らって破壊力に変える魔道具だから、普通の城壁に投げ込んでもあんな結果にはなんないんだけどな……。
まあ、今後の研究次第ではそういう使い方もできるかもしれないし? でも相手は勇者がいるから無理矢理捕まえるのも苦労しそうだし? ちょっと高値払っても最悪よりはマシだし?
大変だよなナーシェラン。
いまだロムタヒマ攻略の最中だっていうのに、最愛の妹が魔王になったとかワケの分からない事態なのに、もう終わった後のことまで考えなければならないなんて。
「……生き残ったらな」
深い嘆息と共に、そう答える。そう答えるしかない。
僕にそこまでの価値があるとはついぞ思わないが、下手に断れば審問騎士団を差し向けられて始末されかねない。
そもそも、王族の頼みを無碍に断れるような精神構造はしてないんだ、僕は。
「ゲイルズ先生がフロヴェルスに来ていただけるのでしたら、それほどに心強いことは他にありません」
突如響いた透き通ったその声は、奥の部屋から。
扉が開く。細く白い指が木のノブを握っていた。アッシュブロンドの髪がなびく。堅い足音を立てて少女が入室する。
今後をどうするかも決めかね、兄と会うことすら怯えて隠れていたネルフィリアは、スカートの端をつまんで優雅に一礼する。
「はじめまして、お兄様。お元気そうで。こうしてお会いすることがあるとは、以前は考えもしませんでした」
その笑顔は……なんというか、なんだろう。
妙に、迫力があって。
え、何? なんか怒ってないこの子?
「え、ええ。はじめまして、なのでしょうか? ……あれ? 別人、なんですよね?」
なるほどそうか、魔王ネルフィリアはこんな感じか。
ていうかお兄ちゃん座ったままのけ反ってるし、気圧されてるみたいなんだけど、もしかして以前はそういう力関係だったの?
「お兄様。私、これからどうするか決めました」
ネルフィリアが額に青筋が浮かびそうなとびっきりの笑顔で部屋内を見渡すと、レティリエやモーヴォンが後退る。何で本能的な恐怖を感じてるんだ君ら。いや僕もなんか寒気がするけど。
後から入ってきたミルクスが訳知り顔で、あーあ、と呟く。ちょっと半笑いなのムカつくんだけどマジなんなん?
「ゲイルズ先生の勧めにより、私は魔術を修めることにします」
豊かな胸に手を当てそう宣言した彼女の顔は、どこかやけっぱちのようなところがあったが……それでも、固い決意を感じさせて。
「そうか。いいんじゃないか」
僕が頷いてやると、ネルフィリアはニコリと微笑む。
「私は占星術師セピア・アノレの門下である錬金術師リッド・ゲイルズを師とし、彼の行く先へ同行しながら教えを請おうと思います」




