方針と準備と、そして不安要素
部屋へ戻るとレティリエの膝で、いかにも魔具っぽいイヤリングをくわえた黒猫が撫でられていた。のんきに喉なんか鳴らしやがって。
黒猫は僕とワナを認めるとテーブルに上に飛び乗り、イヤリングを置く。インク壺に前足を浸してから、羊皮紙をポンと踏んだ。インクが踊り出す。
『―――ドロッド教室の優秀な魔術師数名と、リッド。そして護衛の冒険者。それが副学長に助力を求めた、神学者イルズ・アラインの希望だそうだ。ちょうどいいのでワナも推薦しておいた』
「すごい、魔法みたいです」
「……うんまあ、魔術だからね」
目を輝かせて感動するレティリエに、思わずツッコむ。
猫がインクを踊らせて文字を書くなんて、たしかに女の子が憧れるメルヘンでファンシーな絵面だ。童話に出てきても不思議じゃない。
ゴメンね、全然かわいくないのしか使えなくて。
『―――リッド、イルズについてパターンはいくつ考えられる?』
名指しの問いに、僕は脳内で整理しながら指折り答える。
「一つ、レティリエとは完全に別口。二つ、レティリエを助けるために派遣された専門家。三つ、レティリエを追っていた者たちの関係者。ざっくりと分類するなら、イルズ・アラインはこの三つのどれかでしょう」
『―――可能性が高いのは?』
「三です。一は偶然が過ぎる。二なら遺跡を目指す前に合流しようとする。レティリエが遺跡を目指していることを知っていて、先に遺物を押さえようとしている、と考えるのが自然でしょう。少し違和感がありますが」
『―――違和感の理由を』
「イルズが単独で動き、かつドロッド副学長に助力を請うている点ですかね。二十人からなる刺客を動かしながら、そんな行動を取るのは不可解です。遺物を見つけたとしても、所有権で揉めるでしょうし」
『―――第四の可能性もある。レティリエの味方ではなく、敵の仲間ではなく、しかし関係がある』
新勢力の可能性か。混沌としてるな。とはいえ、そこまでの考察には情報が足りない。
なんにせよ希望的観測はよした方がいいだろう。こういうときは最悪の展開を考えて、できる限りの対策はしておくべきで……。
「難しいこと話してるけど、結局よくわかんないってことだよね?」
「そうだね。ちょっと黙ってようかワナ」
「無駄な考察好きだよね、リッドも師匠も。趣味でしょこれ」
「無駄じゃない! 状況整理と予測想定で対応範囲を広げてるんだ!」
「敵だって分かったら戦えばいいじゃん」
Oh……脳筋。さすが破壊系の魔術しか使えない異端児は違う。
コイツいつもどうやって冒険してるんだろ。命一個で足りてる?
『―――まあ、ワナの言うことも一理ある』
ねぇよ。
よしんばあったとしても強者の論理だよ。僕がマネしちゃいけない。
「ところで師匠ー、この綺麗なイヤリングは?」
ワナは考察には完全に飽きたようで、黒猫が持ってきたアクセサリを指先でつまんで眺めた。
細緻な蝶の装飾と、それが掴む琥珀色の魔石が揺れる。
僕もそれは気になっていた。見るからに魔具だが、さすがに見ただけでは用途が分からない。
『―――私が普段使っている、顔の印象を変えるマジックアイテムだ。レティリエはこれを使って、ワナの冒険者パーティの一員として探索に同行するといい』
……普段使ってるのかよ。どうりで学院内でもめったに見かけないはずだよ。
まあ、星詠みの魔女の普段使いなら性能は高そうだが。
『―――そして遺物を掠め取ってやれ。これはあのいけ好かない副学長に、一泡吹かせる絶好の好機だ』
「私怨混ぜていい状況じゃねぇぞバッドラックメイカー」
魔術陣に調合液を垂らす。フォン、という静かな音と共に、液体が空中にとどまった。魔術陣が正常に起動し、ヒーリングスライムの情報が媒体液にインストールされていく。
それを見てから、僕は身体の向きを変えた。机の上の魔視鏡へと視線を移す。スライムは放っておけば完成するので、魔石の解析に移行する。
マルチタスクだ。時間が限られた以上、有効に活用しなければならない。
魔視鏡で映す球形魔術陣を部分的に拡大しつつ、魔石の構造を精査していく。式と式をつなぐ行間に、設定の調整機能に、起動順路に。つけいる隙がないか逐一確かめていく。
芸術の域だ、と。
僕はこれをそう評価した。他の術士だって感銘と共にそう評するだろう。
しかし解析が進むにつれて、僕の感想は少しずつ変わってきている。
この魔石に使われている技術は高いが、式自体はけして理解不能なものではない。むしろ明快すぎるほどだ。特殊なものとはいえ、結界を張るだけだからな。当然といえば当然である。球形魔術陣を採用することで強度も効率も理論上の最大値を実現しているが、ただそれだけなのだ。
この魔具は確かに芸術品なのだろう。
これを製造した術士は凄まじい技術を有するのだろう。
しかし実用性という観点から見れば、やたら無駄が多く感じざるを得ない。リソースに対するリターンが少なすぎるのである。こんなのどう考えても、ちょっといい魔石を使い潰した方が効率的だ。もったいないお化けが束で出てくるのではないか。
えんぴつ削り機を動かすためにスパコンをフル稼働させるような暴挙。これではまるで、球形魔術陣を使いたかっただけとしか思えない。
採算の度外視。
偏執的なまでのこだわり。
つまりは……。
「芸術家なんだな、君は」
魔術陣の向こうに居る、名も知らぬ術士に語りかける。
最高品質が必要だったのではない。製作者が妥協を許さなかったから、おのずと品質が最高になったのだ。これはそういう類のちぐはぐだ。
もちろん、メリットもある。
短期では非効率的ではあるが、長期的に何度も使うのであれば分からなくもない。余分なほどの強固さはトラブルのリスクを緩和する。最大限まで高められた効率はメンテナンスも不要だろう。それに……不届き者からの妨害を受けにくい、という点は見過ごせない。
つけ込める隙の見当たらない魔術陣に歯がみする。
遊戯盤の向こうに座る顔の見えない相手を睨み付ける。つまりこいつは、僕にとっては最高に厄介な相手だ。
それでも完璧な術式など存在しない。僕は慎重に精査を続けていく。一つ一つ紐解けば必ず崩せる。僕はそれを知っている。
「……これは?」
そうしてやがて、僕は一つの異分子に辿り着いた。
見過ごしてしまいそうな、埋もれた少量の塊。明らかな歪み。この芸術的な魔術陣の中にぽつんと存在する、小さな小さな違和感。
式と式の間に隠された、しかしこうして探せば確かに存在する、極小のブラックボックス。
ソースコードはカーテンもかけてなかったくせに、わざわざ迷彩化してまで隠したいものがあるらしい。
思わず笑みが漏れた。久しぶりの血湧く感覚だ。心が躍る。
この相手のことだ。どうせ一筋縄ではいかないのだろう。
それでも、完璧な魔術式など存在しないのだ。
「ハッカー舐めるな」
解析を開始する。
「楽しそうですね」
コトリ、と小さな音を立てて、机の上にティーカップが置かれる。上質なお茶のいい香りが、術式の深奥から現実へと僕を引き戻す。
「レティリエ。結界の中に入るときは声をかけてって言ったろう?」
疲れ目を軽く揉んでから、僕は振り向いて文句を言った。
レティリエは近くの椅子に腰掛けながら、柔らかく微笑む。
「はい。何度か声をかけてから、踏み入らせていただきました」
だろうね知ってた!
没頭すると周りが見えなくなるからな僕。題材がいいからなおさらだ。
「……お茶、ありがとう。そっちは休憩?」
「ええ。一応の一段落はつきましたので」
周囲を見れば、室内はすっかり綺麗に片付いている。おそらく先に始めた寝室もだろう。マナが乱れないよう結界を張ったここ以外、すべて掃除してしまったらしい。
動けるようになったレティリエは、料理の次は掃除をすると言い出した。ワナは冒険者仲間のところに出かけてしまったし、僕も魔術陣を弄りだしたので手持ち無沙汰だったのだろう。
大きな怪我を治した後、身体を動かすのは大事だ。どこがまだ痛むのか、動きが鈍くなっているところはないか、筋力低下は……まあ今回は関係ないが。とにかく本人が身体の調子を知る必要がある。
そう考えて許可したのだが、どうやらこの勇者様、掃除もかなり得意分野らしい。
「すごいな。酷い有様だったのに、この短時間ですごく綺麗になってる」
「少し片付けただけです。錬金術の道具は扱いが分からなくて困りますね」
心からの称賛だったのだが、レティリエはまだ不満のようだ。もどかしそうな表情で肩を落としている。彼女、わりと完璧主義者なのかもしれないな。あるいは潔癖症か。
「身体の調子は良さそう?」
聞きながら、ありがたくお茶をいただく。まあ、この様子なら答えは分かりきっているけれど。
「はい。どうやら問題なく動けそうです。背中も痛みませんし、なんだかとても調子がいいみたいで。これもリッドさんのおかげでしょうか?」
「君がここに来たときの状態や状況を鑑みれば、単に休息のおかげだと思う。激しく動くと傷口が開くかもしれないから、極力無理は避けるように。……けれど、その様子なら外出もできるだろう。実はさっき、ワナに君の服を頼んでおいた。明日は師匠のイヤリングを付けて、ワナの仲間たちと顔合わせしてくるといい」
レティリエはワナのパーティの仲間として探索隊に紛れこむ予定だから、口裏を合わせてもらわないといけない。出発前に一度くらいは会っておいた方がいいだろう。
「何から何まで……ありがとうございます」
レティリエは深々と頭を下げる。やめて欲しいな。こういうの苦手なんだけど。
善意がないとはいわないが、彼女を支援することは師匠のミッションだ。感謝は師匠にしてほしい。
「……遺跡探索、さ。師匠が勝手に流れを決めてしまったけれど、君はそれで良かったのか?」
居心地が悪いので、僕は話題をずらす。より重要な方面へ。
「どういうことです?」
「明後日に出発する遺跡探索隊は、依頼主イルズ・アラインでドロッド教室主導だ。僕らは……なんで僕まで呼ばれたのかイマイチ分からないけど、単なるお手伝いの立場。当然、遺物を見つけても所有権の主張はできない。師匠は掠め取れと言っていたけれど、正直なところ、よっぽどのことがない限りは難しいだろうね。だから本気で遺物を狙うなら、ドロッド教室の要請を断わって、僕らだけで明日出発した方がいい」
もちろん後々で相当揉めるだろうけど、ドロッド教室から遺跡の場所とか聞いてないし、まだセーフなはずだ。そもそも遺跡荒らしなんて早い者勝ちだからな。
「イルズの思惑は気になるけれど、君の任務は遺物を手に入れ神聖王国に戻ることだろう。優先順位的にも、余計な面倒を避ける意味でも、明日出発するのが最適解だと思うけれど」
レティリエは真剣に僕の話を聞いたうえで、首を横に振る。
「実のところ、イルズなる神学者がどういう方なのか、わたしはあまり興味がありません」
僕は呆気にとられる。場合によっては自分の命を狙っているかもしれない相手なのに、興味がないと来たか。
「ですが彼がフロヴェルスの人間である限り、ロムタヒマ戦線を憂慮している一人であると思います。であるなら遺物は、彼が手にしてもフロヴェルスに届けられるでしょう」
彼女の口調に淀みはない。
「また副学長様も、ハルティルク魔術学院の第二位であるならば、凄まじく聡明な方のはず。魔王軍の脅威は把握しておられるでしょう。これ以上人族の被害を出さないために、フロヴェルスへの協力は惜しまないと思います」
彼女の瞳は澄んでいる。
「でしたら、わたし自身が遺物を手に入れる必要はありません。出し抜くことを考えるより、遺跡探索の成功に万全を期すべきではないでしょうか」
危うい。
このとき僕は初めて、彼女の内面に恐怖を感じた。
彼女は常識人だ。遠慮がちで、控えめで、気品がある。勇者という称号は彼女を目立たせるだろうが、本人はあまり自己主張するタイプではない。
そんな彼女のこの性質を、はたしてどれほどの人間が感知できているだろうか。
この少女は、もしかしたら……。
「ところで、これはわたしの傷を治してくれた魔具ですか?」
レティリエは作成途中のヒーリングスライムを指さして、そう首をかしげた。