客
「……と、ここまでの講義の後にこう言えば、よほどの物好き以外は教室の変更を申し出るんだがな。いかんせん、ここはハルティルク魔術学院ではない」
前世の米軍海兵隊方式の基礎講習を七日間やり終えた僕は、残った生徒の二人に語りかける。
物好きなモーヴォンと、精根尽き果てて机に突っ伏しているネルフィリア王女。うん、なかなか根性あるじゃないか。
「そも、アノレ教室は問題児ばかりを集めたぶっちぎりの最下位教室でな。講義もノルマもほとんどないし、弟子たちが好き勝手やっても師匠はお咎めしないから、そうとうカオスな集団なんだが……だからこそ、毎度勘違いした馬鹿が希望してくるわけだ。ここは楽ができる教室だ、ってな」
そう見えるのも分からなくもない。あの教室は端から見たら落ちこぼれの掃き溜めだ。けして意識の高いエリートが集う場所ではない。
「だが、アノレはそんなヤツらを受け入れるぬるま湯じゃない。あそこは師匠好みの、特化しかできない社会不適合者を意図的に集めた魔窟だった。やりたいことだけを誰よりも究めるという目的を持った者たちが、煩雑な面倒なく魔術学院という施設を利用するための共同体だった。つまり……そんな場所でやっていけるはずもない、勘違いした馬鹿を善意でふるい落とし、他教室へと導いてやるのがこれまでの講義の意図だったわけだ」
そして、それはだいたい僕の役目だった。師匠は面倒がってやってくれなかったからな。
僕はアノレ教室の一期生。ほとんどの弟子たちにとっては兄弟子に当たる。つまりあの教室において、この講義は誰もが通った道だ。
ちなみにその上で、ワナとピアッタは補講が必要だったのだが。
「さて、モーヴォン。君はもういいだろう。アノレ教室へ入らずとも、君には究めるべき道がある」
「ええ。なかなか興味深い講義でした。ゲイルズさんの経歴にも納得いきましたし」
肩をすくめるモーヴォン。基礎とはいえ学院の魔術理論はエルフ魔術の少年にとって新しい知見になったかもしれないが、得るものはあまりなかっただろう。
それでも最後まで受けたのは、彼が魔術に対して真剣であることの表れだ。
どんなものでも血肉にする。提示された百の内、新しく得られるのが一しか無くとも、その元手の一が千に膨らむかもしれないと期待している。
魔術は気づきの積み重ねによってその者だけの魔法に昇華することを、このエルフの少年はすでに感じ取っているのだ。
「そしてネルフィリア」
あえて呼び捨てにすると、机に突っ伏していた王女はビクッと反応して顔を上げた。
僕の生徒となるのであれば、甘えは許されない。それを示すためなら不敬も厭うてはならない。
魔術は決して優しくはない。下手に扱って失敗すれば大事故が起きる可能性もある。命を落とすような大惨事だっていくらでも前例があるのだ。
「君は僕らのような社会不適合者ではあるまい。特化せねばならぬほど、才能が偏ってしまっていることもなさそうだ。良い師につき、まっとうに修練すれば一人前の魔術師になれるだろう。そうした方がいい、と強くオススメしておく。……その上で、先ほどの講義を修了したが故に聞くが」
僕は立ったまま、濃い疲労を宿す山吹色の瞳を見下ろす。
実のところ、不思議ではあった。
こう言っては何だが、僕は彼女が魔術を覚えようが覚えまいがどうでもいい。むしろ手間と危険性を鑑みれば、正直遠慮したいまである。
だがあのときの流れでは断り辛かった。多分、嫌って言ったらレティリエが凄く不機嫌になっていた。……ならばこそ、僕はふるい落とす気であの講義をしたのである。
けれど、彼女はそれに食らいついてきた。
なぜ魔術を習得したいのか。そこに何の意味があるのか。
つい先日まで己の身体すら動かせぬ、他者の人生の傍観者でしかなかった彼女の、何がそうまでさせるのか。
「どうするね?」
僕は理由を聞かなかった。それを斟酌する気が無かったからだ。
ネルフィリアという術士に、僕はそこまでの責任を持つことはできない。また、そんな責任を持つべきでは無い。
この先の道を決めるのも、それを歩むのも彼女だからだ。
なので、ただ決意だけを問う。
「私は……」
少女の瞳が揺れる。弱々しく、儚く、不安げに。
僕はただ待つ。
己の意思で何も決めたことがない、まだ何も成したことがない、何も手に入れていない、誰よりも孤独な女を。
ネルフィリア・スロドゥマン・フリームヴェルタは、脅えつつも口を開き、
「リッド、もうすぐお客さんが来るわ」
外から戻ってきたミルクスの報告によって、返答は聞く意味すら無くなった。
人間の斥候。装備が良く練度高し。成人男性の二人組だったが、現在は一人だけ残ってこちらを監視中。
場所は……遠いな。畑と牧草地と小川を挟んだ先、雑木林の中か。よくあんなところから監視なんてできるもんだ。というか、よくあんなところの斥候を見つけられたな。エルフの狩人ハンパねぇ……。
「ミルクス、手振ってやれ」
「嫌よ。せっかく隠れてるのに恨まれるじゃない」
軽口はあっさり拒否された。斥候は見つけても見ないふりとか、そんなマナー聞いたことないけどそっちの世界では常識だったりする?
僕とミルクスとレティリエは、外で火をおこして湯を沸かしていた。一応モーヴォンとネルフィリアは屋内で待機だ。今は講義の復習を仲良くしているはずである。
待ちを選んだのは、他方のアクションを見越してのこと。つまり向こうからの迎えを期待したためだ。
僕の予想が当たれば、相手は十中八九フロヴェルス軍だろう。こちらは歓待の一つもするのが礼儀だろう。
「のんきにお茶の用意などをしていて、いいのでしょうか……」
湯の沸騰を待ちながら、レティリエはぽつりと呟く。彼女にとってフロヴェルスは故郷だが、決して味方ではない。
「ナーシェランはネルフィリア王女が囚われていることを隠していた。それも、そうとう念入りにな。であれば、ここに来るのは秘密を知っている、あるいはバレてもかまわないと判断された少数のみ。何かあっても対処できるし、そもそも王子と僕らの利害は一致している。何も怖がることはないさ」
「おっしゃることは分かりますが、改めてこのような形で迎えるのは、やはり緊張します」
チェリエカの町じゃ顔を隠してたし、正体をバラしたのも町を去る直前だった。
今回は最初からレティリエがここにいると知られた上で、向こうのタイミングで来るのを待っている。可能性は薄いと分かっていても、どうしても最悪の情景が頭をよぎるのだろう。
「もし向こうが大軍で来たら、王女様を人質にして逃げようか」
「それ面白そうね。お姫様を救った英雄から、お姫様誘拐のお尋ね者に真っ逆さま。ネルフィリアも災難が続くわ」
この八日間で、ミルクスはネルフィリアを呼び捨てで呼び合う仲になっていた……わけではなく、ミルクスは最初からネルフィリアのことを呼び捨てにしていた。
多分だけどこの娘、エルフの小さな里しかしらないから、王国というものの規模がいまいち理解できてないのではないか。今ですらチェリエカの町よりでかい都を知らないからなコイツ。
大きな町の長の娘、くらいの感覚だろうか。それも人間という他種族のだ。
ネルフィリアはネルフィリアでミルクスの態度は心地よく感じたらしく、楽しげにおしゃべりしているところなどを見かけるが……そのネルフィリアはミルクスのことをさん付けで呼ぶので、レティリエが毎回苦虫を噛みつぶしたような顔をするの、端から見てると少し面白い。
この前、笑ってたらレティリエに睨まれたけど。
「あっ、ところでミルクスさん。斥候を見かけたのは今日が初めてなのですよね?」
そのレティリエが何かに気づいて声を上げた。
「ええそうよ。それが?」
「でしたら、報告に走る一人は馬を走らせて本隊に戻り、それから人員の選抜と準備を経て出発……ですので、こちらに来るのは早くとも明日頃では?」
「え、なんで最初からみんなで来ないわけ?」
レティリエの疑問に、きょとんとするミルクス。
これは魔術が身近にある生活をしてきたか否か、っていう反応の違いだな。
「わりと初級の魔術に、探査の術ってのがあってね。フロヴェルス軍には宮廷魔術師の女性がいたし、宿で僕らの毛髪とかいくらでも採取できるだろ? 彼女がよっぽどボンクラじゃなきゃ、だいたいの距離と方角くらいなら割り出せるさ。モーヴォンにも隠すな、って言っておいたしな」
「ああ……もうここに滞在していることは知っているのですか。なるほど」
「狩りにも役に立つのよ、探査の術。里の大人たちが獲物がいる場所を探ったりしてたわ」
大人たちが、か。やっぱミルクス自身は使えないんだろうな、探査。
前に明かりと聞き耳しか使えないって言ってたが、それらに比べると探査の術は魔術陣を描いたり対象の情報を入力したりと、術式が少々細かくなる。そういうの苦手そうだもんな……。
まああの距離の熟練斥候に気づけるなら、そもそも必要なかったのかもしれない。狩りに関してはホント凄いからなこのエルフ少女。この廃村に滞在してる間、食料のほぼ全部を調達してくれているし。
「地理把握は基本だからな。ここに廃村があることは分かってるだろうし、先行偵察って言っても危険があるかどうか見てるだけのはずだ。本隊はわりと近くにいると思っていい。心配しなくても、すぐに交渉人が来るさ」
この廃村、食料は全滅だったがその他の生活用品はわりと残っていた。乾いた薪もその一つだ。
僕は元住民に謝りながら火に薪をくべる。燃料が十分あるだけでも、こういうサバイバル一歩手前みたいな生活はかなり楽になる。
「ちなみにだが……誰が来るかもだいたい分かるぞ。カヤードだ」
「それはそうでしょうね」
「当然ね。ラスコーは交渉とか苦手そうだもの。秘密が守れるかも怪しいし」
ここは三人で見解が一致した。
交渉役には顔見知りが適任だから、カヤードかラスコーのどちらか、あるいは二人ともがここに派遣されているだろうことは想像に難くない。僕らとしてもその方が安心だしな。
そしてどちらか一人の場合なら、まあカヤードだろ性格的に。もしラスコーだけだったらカヤードの戦死を疑うぞ僕。
「そこまでご明察なわけね……なあお前ら、もしかしなくともこっちに気づいてるんだろ?」
あの日からまだ十日ほどしかたっていないのに、彼の声がひどく懐かしく聞こえたのは……僕らにとってチェリエカで過ごした日々が、穏やかで安心できるものだったからではないか、と思うのだ。




