魔術の素質
「この七日、よくその安い椅子に座り続けたなゴミムシども! ケツの痛みのご褒美だ、術士の最底辺を名乗っていいぞ!」
術士としての基礎講習を突貫で終え、僕は生徒たちに言い放つ。……たち、と言っても、残っているのは二名だけだ。
「諸君らには学院のロクデナシな諸先輩方のように凡小な術士になる才能がある! オケミス教室への紹介状を書いてやろう。アノレ教室が唯一懇意にしているマトモな教室だ。そこで励めば諸君らにも、十把一絡げ、一山いくら程度の価値は付くだろう!」
ミルクスは開始一時間で逃げだし、レティリエは一日を終了した時点で家事を理由に抜けた。
まああの二人に魔術は必要ない。もちろん使えるに越したことはないが、彼女らには他に伸ばすべき才がある。
「もちろんアノレ教室に残るのも自由だ。諸君らには僕らの仲間になる素質もある。ああ、歓迎はしようじゃないか、初等の基礎も覚束なかった落ちこぼれども! 先ほど術士の最底辺を名乗っていいと言ったが、僕らはその底のさらに下から歓迎しよう! いいか、上に昇るヤツもいれば下に潜るヤツもいるのが術士だ。ゲタゲタ笑いながら汚泥に潜って、バカみたいなオモチャを掴もうとする愚か者どもの巣窟だ。ああはなるまい、と指を向けられる覚悟がある者のみ残るがいい!」
残っているのは、必要も無いくせに物好きで受講を希望したモーヴォンと―――連日の突貫講義が終わって意識が朦朧としているのか、机に突っ伏して目を回しているアッシュブロンドの女性。
フロヴェルス王国第三王女、ネルフィリア・スロドゥマン・フリームヴェルタその人である。
発端は、僕だったと思う。
魔族に襲われたと思われる、名も知らぬ廃村だった。チェリエカの町を出て、僕らが身を潜めた場所だ。
狩りと牧畜、そして野菜畑で生活していたらしいこの村は、食料となるものを喰い尽くされて捨て置かれたらしい。荒らされた家屋や柵の中に遺棄された山羊の骨が痛ましかったが……人間の骨は数えるほどしか無かった。貴重品の類も残されていなかったし、ほとんどの住民は避難したのだろうと思う。
逃げ切れたかどうかまでは、分からないのだが。
そんな場所に、僕ら五人はもう八日間も滞在している。
ネルフィリア姫と共に王都を脱出した僕らは、今後どうするかについて頭を抱えることになった。
なにせ王女は本物だが別人で、しかもフロヴェルス軍にすら囚われていた事実が知らされていない。爆弾級の国家機密である。下手に扱ったらマジでヤバそう。
さらにレティリエが勇者であるとバレてる以上、うかつに戻ることもできない。のこのこ顔を出して、フロヴェルス軍がどう歓迎してくれるのか分かったものではない。
だから、どうするか。―――とにかく状況が混沌とし過ぎて対策どころではない。情報を整理し直す必要があり、それには少し時間が欲しい。
つまり……消極的ではあるが、僕は待ちを選ぶことにしたのである。
「ネルフィリア様。今後の方針を決めるために、いくつかお聞きしたいことがあるのですが」
待ちを選んだ以上、多少の時間はできる。しかし暇では無かった。何せ情報の宝庫が目の前にいるのだ。引き出さない手はない。
僕は救出したネルフィリア姫を質問責めにし、王都の様子や魔族の動向、異世界転生者であるもう一人のネルフィリアの性格傾向などを聞き出した。
―――曰く。王都の人族は三分の一に減らされた上で管理され、労働力として働かされている。
―――曰く。もう一人のネルフィリアに従うのは上級魔族が中心であり、中級、下級魔族とは軋轢が生まれている。
―――曰く。もう一人のネルフィリアは、人族との敵対を望まないだろう。
値千金の情報だらけで目眩がしそうだ。しかもさらに追加して、こんなことまで断言されたから頭痛がする。
―――曰く。前魔王は生きていて、行方不明。
どうやら魔王襲名の儀に決闘も行われなかったようで、そこが中級以下の魔族には不満らしいが、結託した上級魔族が力で押さえつけているとのこと。
またネルフィリアは詐欺同然のやり口で魔王に担ぎ上げられて、酷く困惑していたとのことで……おそらく新魔王さまは現状ノープラン。何か見通しを立てることもなく、いきなり魔王になったらしいこと。
もう次何が起こるか分かんねぇなこれ。
頭を抱えた僕は一端考えることを諦めた。ラーメンのレシピ再現研究とか始めたくなった。あいつ絶対どっかでバカ面さげて生きてるし。次会うまでにある程度進めてなきゃ命に関わるだろうからな、うん。―――などと、そんなことを考えて、思い出したのだ。
あの前魔王が、魔法を使っていたことに。
「魔術を使って見せてくれませんか?」
そうだ。思い返してみれば、これがきっかけだった。姫様に向けた僕の思いつきの提案だ。
「魔術、ですか?」
突然の頼みに、ネルフィリアは申し訳なさそうに瞼を伏せた。
「すみません。私は魔術を使えません。習得しようとしたことはあるのですが、素質が……」
「それは、もう一人のネルフィリア姫の話でしょう? あなたではない」
つい先日まで、彼女に身体の主導権は無かった。だから魔術の勉強をしたのも、それが使えなかったのも新魔王となったネルフィリアで、彼女ではない。
「もちろん、いきなり大きな火球を出せとか無茶は言いません。本当に初心者用の簡単なものでいいですし、こちらで補助もします。知りたいのは……僕が確かめたいのは、あなたが魔法を使えるか否か、それだけです。どうか、ご協力いただけませんか?」
「……あなたも、彼女と同じだとククリクさんが言っていましたね」
一つ、ネルフィリア王女について理解できたことがある。彼女は非常に頭が良く、そして気配りができる人物だ。
今僕たちがいるのは、比較的被害の少なかった廃屋の一室である。そして、この場には僕と王女以外にも三人の人物が同席していた。
レティリエ、ミルクス、モーヴォンである。
話している間もお茶を出したり姫様の体調を気遣ったりと忙しいレティリエはいいが―――理解の大半を放棄した顔で椅子の背もたれを抱いて座るミルクスと、会話の裏まで読み取ろうとじっと耳を傾けているモーヴォンの二人は、僕が異世界転生者であることを知らない。
それを察しているのか、念のために伏せているだけかは分からないが……この姫様は今までの話の中で一度も、転生者、という言葉を使っていない。
僕はこの二人にはバレてもいいと思っているし、会話の中でモーヴォンは何か気づくだろう。この内容では、さすがにすべては隠し通せない。
それでも気を遣ってくれるなら、わざわざ自分から言う理由も無かった。つーかこの混沌とした状況で、さらにややこしいカミングアウトとかしたくないし。
「ええ。僕も彼女と同じ症状で、魔術を扱えません。そして、あなたが今の状態で魔術を使えるか否かで、その原因に少し近づけるのではないか、と考えています。―――これは人族の存亡とか勇者とか魔族とか魔王とか、そんな大きな話しではなくて。僕の小さくてどうでもいい疑問を解消したいという個人的なお願いなので、嫌でしたら……」
「いいえ。やらせてください」
その声は妙に強く、食い気味で。
「私が役立てるのであれば、ぜひ」
「レティリエ、ミルクス、窓を閉めてくれないか。部屋をなるべく暗くしたい」
一枚の羊皮紙に魔術陣を描いてから、僕はそう女性二人に指示した。
「分かりました」
「いいけど、明かりは隙間から漏れてくるわよ」
「でかい穴は布や板とかで適当に塞いでくれ。完全じゃなくていい」
元々丸太を組んだような家屋で、しかも魔族の襲撃のせいか壁に重いモノがぶち当たったような跡があるため、多少隙間風が吹く。完全な闇にできないのは仕方ない。……まあ、薄暗い程度でもじゅうぶんだから問題ないが。
向きに注意しつつ羊皮紙をテーブルに敷いて、その中心に水を注いだ小皿を置く。窓を閉めて隙間が埋められ、部屋が大分暗くなる……天井は仕方ないな。雨漏りしてたもんな、この家。
「モーヴォン、結界を頼む。魔素が安定すればいいから」
「もう終わりましたよ」
さすがはエルフの魔術師、察しがいいな。言わなくてもやってくれるとか、アノレ教室じゃ経験したこと無いぞ。ヤツら話聞かずに斜め上のことやるからな。
とりあえず準備はそれで整った。
羊皮紙に記された魔術式は単純なものだが、起動文以外はすべて書き込んである。つまり起動式の呪文を一言詠唱できれば……声に魔力をのせられれば、後は勝手に術式が起動してくれるという寸法だ。
「ネルフィリア様は魔術を習得しようとしたことがある、とお聞きしています」
それは以前、レティリエから聞いた話だ。
結局使えなかった、と言っていたが、努力したことがあるのなら、それは無駄ではあるまい。
「素養はなかったが、素養がないと判断できるほどには、魔術の修行をされたはずです。それを思い出しながらいきましょう」
姫様は目の前に置かれた魔術陣を見つめながら、緊張の面持ちで頷く。一度深呼吸してから手を魔術陣に翳し、記憶を探るように目を閉じた。
己の内にあるオドを感じること。
己の外にあるマナを感じること。
魔法を扱うには、主にその二つが重要となってくる。感じ取れないモノは操ることもできないからな。……が、人間は魔力を直接感じ取ることはできない。あるいは、ハーフリングやエルフといった魔力に親和性のある種族にも、それは不可能なのかもしれない。
では、魔術師はなぜそれを感じることが可能なのか。
魔素感知、という疑似感覚がこの世界にはある。
多くの不死族が駆使し、ターレウィム森林でレティリエが習得し、盲目のサリストゥーヴェが視力の代わりに使用していたものだ。あれを使う。
つまり……魔力を感知するには、己の内の魔素を認識せねばならない。
「モーヴォン、何でもいい。手伝ってやってくれ」
「……いいですけどね。人間はやはり不便です」
おそらく、エルフにこの段階は無いのだろう。彼らにとって魔力とは、当たり前に隣に存在するものに違いない。
モーヴォンが呪文を発し、指先を使ってマナを操る。―――現れたのは、無数の光。単純な明かりの魔術。
それを、ネルフィリアのすぐ近くに浮遊させる。
「魔力は影響し合います。モーヴォンのこの魔術は無害ですが、近くで発動することで、あなたの体内にある魔素が少しだけ反応します。それは皮膚をほんの少しだけざわつかせたり、温度に変わったり、流れのようなものに思えたりします。感じてください。感じたら、そこをとっかかりに身体の内側へ意識を向けてください」
無茶を言っている自覚はあった。ほとんどダメ元でもあった。
濃い魔力を当てることで体内のオドにさざ波を起こし、それが身体に起こす影響を感じ取らせる……これ自体は基本的な手法だ。学院では初等で行う訓練である。
ただし、それを操作する技術はそう簡単に習得できるものではない。才能のある者でも、この感覚を掴むのに数年はかかる。
僕だってそうだった。己の体内に存在する魔力の感覚を掴むのには、実に三年をかけた。
―――そう。ここまでは僕でもできたのだ。そしてここから、魔力をうまく操ることができなかった。
僕でも、体内の魔力の循環速度操作や、単純な移動くらいならできる。
ただそれより先、そこまでできればできない方が珍しいくらいなレベルの、魔力の出力ができない。身体の外に魔力を出すことができないのである。
だが、仮に……仮にだ。以前まで主導権を持っていたネルフィリア王女様がここまでやっていたとすれば。
そして、その感覚を今のネルフィリアが思い出せるのであれば。
「体内で魔力を循環させて、その流れのまま声にのせるように……」
ネルフィリアが記憶を掬い上げるように呟く。
それは魔力を感じとったその先の、まだ僕が教えていない内容。
レティリエが拳を強く握って、ハラハラと見守っている。
エルフの姉弟は物珍しげだ。魔術の才能が無い、と言い張るミルクスですら明かりくらいは作れるからな、エルフ。こういうのは本当に珍しいんだろう。
僕は王女と魔術陣の変化を見逃さないよう、注視する。
起動の呪文は、短くて。
魔術陣に魔力が流れ。
淡く、ともすれば見過ごしてしまいそうなほど淡く、小皿の水が発光したのだ。




