王女救出
「リッドさん、下がってください」
剣を構える勇者の少女と、腕を斬り飛ばされた褐色の青年は対峙する。
レティリエは油断なく息を整えながら、ルグルガンは痛みと憎悪に顔をゆがめて睨み付けながら。
「ここは、わたしが戦います」
頼もしいな。
先ほどの剣の一閃は、見事と言うほかない。……まあ、僕の動体視力では捉えきれなかったから見えていないのだが。
チェリエカの町で、彼女は暇さえあれば鍛錬をしていた。皆からその様子を耳にしていたし、僕もその姿は何度も目にしている。
少し異常なのではないか、と。そういう声も聞こえてはいた。
剣は重いのだ。ゆっくりと剣を振る修練は、長時間はできやしない。それに身体の動きを識るための修練法は、集中力を切らしては意味が無い。
だから彼女は毎日、精神的にも肉体的にも限界まで酷使していたのだ。
実際に倒れたことも何度かある、と皆から聞いた。―――介抱したはずのエルフ姉弟からはついぞ、その話題は切り出されなかったが。
おそらく、強迫観念に近い感情がレティリエを突き動かしていたのだろう。
魔王の強さを目の当たりにして、少しでもその差を埋めなければならないと焦燥した末に、ただひたすら訓練に没入したのではないか。
正直、僕にそのやり方の是非は分からない。
僕に剣技の知識はない。どうやったら強くなれるのか、という問いには答えられない。
だから何も言わなかった。
彼女の身体を案じるなら、止めるべきだったかもしれない。うろ覚えだが前世の筋トレのやり方などを思い出して、もう少し効率を重視した練習法を教えてやるべきだったかもしれない。
けれど僕は何も口出ししなかった。
彼女はきっと僕の予想を上回る。そう、信じたから。
ならば、僕はレティリエの足を引っ張るべきではなく、彼女に置いて行かれないようにするべきだ。
胸を張って、隣に並べるように。
レティリエに並び立って、自分は彼女の役に立てるのだと言い張るために。
ちょうど、今このときのように。
「ルグルガン」
僕は褐色の魔族の名を呼んで、懐から取り出したそれを軽く放り投げる。
小さな六面体が二つ。それは普段の丁半の時に使っていた、何の仕掛けも変哲もないサイコロ。
……別に、サイコロでなければなかったわけではない。投げるのに手頃だっただけ。何でも良かったから、一番の安物を選んだ。
「受け取ってみろ」
魔族が舌打ちした。口元が笑っている。緩い放物線を描いて、サイコロが彼の顔に命中する―――そのまま通り抜け、カラカラと音を立てて床に転がった。
「え……」
「バレていましたか」
レティリエが驚くと同時、褐色の男の姿がかき消えたかと思うと、元いた位置に現れた。
スライムの槍が刺さった壁のあたりだ。彼はあの場所から一歩も動いていなかった。
「そんな、幻術っ? ですがちゃんと手応えが……」
「なら光学の幻じゃないな。精神に作用する類か。二人同時にとは厄介な」
顔に似合わず嫌らしいじゃないか。魔族らしいといえばそれまでだが。
とはいえそういう幻術は本当に厄介だ。術にかかったまま、そうと気づかず幻覚に危害を加えられると、精神が本当にやられたと勘違いするのである。幻に殺されたなら、うっかりショック死しかねない。
……そして、もう一つ厄介な話がある。
野郎、僕とレティリエに無詠唱で術をかけやがった。
勇者の力を持つレティリエは言わずもがなだが、僕だって女王からの賜り物ですさまじい魔力量を所持している。それをうまく扱えるかはともかく、魔法抵抗力だけは相当なはずだ。
なのに、この魔族はその抵抗をあっさりと貫通して見せた。
恐ろしい使い手なのは明白。
「四と、五ですか。人族では賽子で占いをするそうですね。この場合はなんと占うのでしょうか?」
術を破られたというのに、青年は余裕の表情をしていた。おそらく幻術以外にも手札があるのだろう。
「五と四はグシの半と読む。愚者で半端物を示す目だよ。まさしく君の幻術だな」
「ははは。これでも自信があったんですが、プライドが折れそうですよ。参考までにお聞かせください。なぜ分かりました?」
「指にさっき怪我したはずの切り傷がなかった。それにその傷を見せたとき、あんな凶悪な爪はしていなかった」
ゆっくりになった視界で気づいた違和感だ。今回はそれで分かった。
「それはそれは。先ほどの一瞬で看破されるとは、驚きますね。まあ、勇者にも私の術が効くのが分かれば、それは収穫と……」
「おそらく、最も作り慣れている虚像……あるいは事前にプログラムした術式をそのまま投影したんだろう。拙速を重んじた結果のほころびだ。それがなければ見破るのは無理だった。―――だが、君が術士タイプの魔族だということはよく分かった。なら次は対策できる」
「……なるほど、その観察眼と思考能力が武器ですか。やはり貴方は危険ですね」
ふう、と青年は息を吐いて、首を横に振る。
「しかし、ククリク殿ほどの才覚は感じられません。彼女ならきっと、強大な敵を前にすれば……心を躍らせて笑っているでしょう」
……ああ、そうだろうよ。
僕は異世界転生者。転生前の経験値と転生後のフライング、そして女王からの贈り物でなんとかここに立っているだけだ。
純粋な天才と比べられれば、そりゃ見劣りするだろうさ。
「魔王様に勇者への手出しは禁じられ、さらに危害を加えられない抜け殻殿もいて、この状況で後衛の一人だけを殺害するのは困難。さらに勇者と抜け殻殿の二人は無事にこの都から送り出さねばならず、ならば前線の戦闘が終わり軍が戻ってくる前に解放するべき。……ええ、ここまでですね。どうぞ、お帰りください」
「…………っ勝手な、ことを!」
思案顔で現状を整理し結論したルグルガンに、レティリエが憤る。
僕が攻撃されたことも、僕を侮られたことにも、腹を立ててくれているのだろう。
それはありがたい、が。
「ああ、ここまでだ」
僕はレティリエの肩を叩いて、彼女を諫める。そして、小声でささやいた。
「あの術の得体が知れてない。姫さんもいるんだ、ここは退かせてもらおう」
ギリ、と奥歯を噛みしめる音がここまで聞こえ、しかし僕は彼女の返答を待たなかった。
レティリエは思慮深いし、本質的に戦いを好まない。ここでむやみに突っ込むことはないだろう。
部屋の隅でおろおろと佇んでいるネルフィリアに向き直る。かわいそうなほどにおびえているが、取り乱してはいないのが救いか。
僕は己の胸に手を当て、彼女に一礼した。
「先ほどは失礼しました、ネルフィリア様」
「あ……そ、その……」
「この都よりお連れいたします。後のことは、外で考えましょう」
僕の言葉に、アッシュブロンドの髪の少女はだいぶん躊躇して、それでも最後には頷いた。
エスコートのために手を差し伸べ、おずおずと握られて。
僕は彼女を連れて、扉から退室する。魔族の青年を警戒しながらレティリエが続いて、バタンと扉を閉めた。
王女は危なげな足取りながらも懸命に進み、僕は彼女が転んだりしないようその手を引いた。レティリエは厳しい顔で警戒を怠らなかった。
誰もが無言で、階段を降りていって。
静かで、足音だけが響いて。
塔を降り、教会を出て、都を抜け、壁を越えて。
―――こうして。
僕たちは、王女を救出したのだ。
14連勤て。
というわけでアルケミスト・ブレイブ四章、王女救出でした。いかがでしたでしょうか。
この章はチェリエカの町の謀略戦当時、自分で「これってちゃんと書けてるか?」と自問しながら書いてたのですが、残念なことに自答はできていません。
こういう話は難しいですね。自分の力不足を痛感する思いです。
さて、いろいろと状況が動いた四章ですが、ラストでシリアスをやり過ぎました。ギャグ成分が足りません。足りませんよね? 正直酸欠の熱帯魚みたいに水面で口をパクパクさせてます。なので次はちょっと軽い話が書きたいな、とか考えつつ。
それでは、次章をお楽しみにしていただければ幸いです。




