王女のもとへ
この世界において、塔という建築物は主に二種類に分けられる。
一つは監視塔。敵を警戒し見張りをするために建てられる塔。
多くは防壁の内側に建てられ、外を見張るために建造されることが多い。
もう一つは宗教塔。文字通り宗教事の象徴として建てられた塔。
多くは教会に併設、もしくは教会の一部として建設され、その威容を強調するため高く華美に造られることが多い。
監視塔は確かに見晴らしはいいだろうが、投石器などが開発されているこの世界では、少々危険な場所だ。何より壁の周りは瘴気に覆われているため、人間である王女を監禁するには不都合だろう。
対して宗教塔の方はほぼ都の中心に位置するために安全で、かつ都を見下ろせるように建築されている。神聖王国の王女を捕らえておく場所としても適所だ。
一番見晴らしのいい塔、というのはここでほぼ間違いないだろう。
「近くで見るとでかいな……さすが元大国。宗教にも金をかけてたらしい」
大きな教会から生えるように突き出た塔を見上げて、僕はあきれかえる。
あんな高い塔、この世界の文明レベルでよく建設したものだ。魔術的な技術も使われているのではないか。
「高さは、確かに。ですが荘厳さではフロヴェルスの塔にかないません」
変なところでレティリエが対抗心を燃やす。……いや、そういうのいいから。
ホントに信心深いよなこの娘。
この世界の多くの国で国教にされているセーレイム教は、元締めをフロヴェルスにしているのは共通だが、いくつかの宗派がある。そして、その宗派によって建築様式も少しずつ変わってくる。
どうやらロムタヒマは質実剛健派だったようで、その高さからくる威容に反して、美しさのようなものはあまり感じられない。そのせいか、どこか威圧するような雰囲気すら感じられた。
―――この国がかつて軍事大国だったことを考えれば、だが。
建築技術などの力を誇るのには出し惜しみしないが、装飾に関しては最低限でいい……そんなお国柄の気風があったのではないか。
「ちなみに僕が住んでいたルトゥオメレンの首都にある教会には、塔なんて無かった」
僕たちは小道から教会の様子をうかがう。
教会というものは町の中心部にあるのが普通だ。大きな町だと主教会の他に、各所に点在する分教会があるが、大通りはすべて主教会につながるつくりになっている。
そのせいで、教会の周囲の道は特に広く取られている。大通りがいくつも交差する場所だからな。その間は身を隠す場所もないため、行くならば一気に駆け抜ける他ない。
見つからずに行ける可能性は極小だろう。これはもう陽動がどれだけ成功しているか、というより、どれだけ魔族が間抜けか、という話になってくる。そして希望的観測はしない方がいい。
「塔の無い教会、ですか……。神様は天上におわしますもの。託宣を少しでも近くで受け取るために、司教様たちは塔の上階で祈りを捧げるとお聞きしますが……」
レティリエが目をこらして索敵している。
僕も素人ながら見回してみるが、とくに見張りがいるようには見えない。少なくとも門番はいないようだ……が、でかい建物だ。どこに敵が潜んでいるか分からないし、どこかには敵が潜んでいるだろう。
「ああ、僕もその話を聞いた時は驚いた。宗派はどうあれ、大きな都なら塔のない主教会は珍しいだなんてな。僕はあまり信心深い方じゃないが、ずっとアレが普通だと思ってたからショックだったよ」
「そういう宗派なんですか?」
「いや、二百年前のバカ勇者たちのせい」
つまり、ヤツのせいである。
「二百年前の当時、ルトゥオメレンの聖職者は汚職まみれの腐れ坊主ばかりでな。それにキレたソルリディアが教会を更地にしたことがある」
「……有名な逸話ですね。そうですか、あそこでしたか……」
場所は知らなくても、逸話自体は知っていたか。まあソルリディアの冒険譚は人気だからな。痛快で。
けどその後日談は知らないだろう。だってバカみたいに下らない話だからね。
「その後、腐れ坊主どもは追放され、葉冠の聖女スプレヒル指揮の下で教会は再建されたんだが……うっかり大賢者ハルティルクが噛んだせいで、気づいたときにはビックリドッキリ面白ギミック満載にされててな。キレたスプレヒルが再度更地にして再建した」
「二百年前の勇者パーティって……」
「実際、問題児の集まりだった感はあるな。伝承だとその辺、うまくごまかしてたりするけど。まあそんなわけで、二度も建て直して懐はすっからかん。併設されるはずだった塔は、結局予算不足で建たなかったというオチだ。―――それで、どうだ?」
自分で始めた雑談だが、細かいところまで悠長に話し続けるほど暇ではない。さっさと終わりにして聞くと、レティリエは頷いた。
「多分、見える範囲に魔族はいないと思います」
そして……彼女は続けて口を開く。
迷いを吹っ切るように。
「……大丈夫です。やるべきことを違える気はありません」
雑談で気を紛らわせようとしたの、バレてたか。
王女を救出してしまえば、ここの生き残りの住民たちは絶望するだろう。実際、魔族が彼らをどうするか分からない。
それを理解した上で、それでも王女は救出する。
すでにフロヴェルス軍と魔族軍は戦争に入っている。事と次第によっては、チェリエカの町にだって被害は及ぶかもしれない。
僕らは多くの犠牲を覚悟して、たった一人を奪い返しに来た。犠牲がさらに増えたとて、初志を忘れるわけにはいかない。
僕らは、王女を救わねば一歩も先に進めない。
「王女は魔族との交渉役をやっていたことが分かった。魔都の内部事情に明るいかもしれない。救い出せば有益な情報が期待できる」
それでも、僕はさらに理由を重ねる。
いざというとき、迷わないように。
僕ですら迷いそうだから。
「本当の勇者なら、この地の民は姫様に任せ、先に魔王を倒すのでしょうね」
レティリエは厳しい顔で塔を睨む。……おそらく、正答はそれだ。
王女が捕虜でいる限り、民はある程度の安全を保証される。ならば王女は後で救い出せばいい。それが一番被害が少ないやり方だ。
けれど、僕らは魔王の強さを知っている。危険な思考をする相手だというのも分かっている。
何より、自分たちが実力不足であると理解している。―――まだ。
「……わたしは、誰のために姫様を救うのでしょうか」
その問いは僕に向けられたものではなく、ただ天に溶けていって。
だから僕は何も応えなかった。
「…………おかしい」
大通りを横切り、柵を乗り越え、窓から教会内部に入り込んでしばらく。
違和感は膨らむ一方で、けれどもそれを確かめる気にはならなくて。
「リッドさん、またです。アレ……」
レティリエが指さす方を向く。そこにはセーレイム教の聖印があった。
聖印自体は、特に何があるわけでもない。教会だからあって当然だし、だから当然多く見かける。
問題なのは聖印の隣だ。これまでいくつも発見したが、必ず描かれている落書きがある。
中心に目玉のようなものが描かれた、不自然に歪んだ五芒星。
「なんでわざわざ、聖印の横に……」
不可解そうに、そして不愉快そうにレティリエが眉間にシワを寄せる。信仰を侮辱された気分なのかもしれないが、その意図を量りかねているようだ。
「神を否定したいなら、聖印なんて壊せばいい。けれど聖印は残したまま、執拗に隣に書き足す、ね」
これにどんな理由があるのかは分からない。それを突き止めることに意味があるのかも分からない。
けれどそれでも仮説を立てるとするなら、思いつくのは一つ。
「まあ……意味の付け足しだろうな。お前らの神話にはまだ語られていない部分があるぞ、と主張したいんだろう」
「ふざけていますね」
レティリエが憤る。まあ、魔族にはセーレイム教にケチつけられたくないだろうな。神は世界を創造し、奴らは世界を滅ぼそうとする存在なんだから。
ただ、これは単なる落書きだ。宗教の違う他者に占領されればそういうこともあるだろう。
だから、少なくとも僕が感じている違和感ではない。
「レティリエ、今はそんなものより前方を警戒しろ。まだ、魔族の気配はないのか?」
「はい……まったく」
異様なのはそこだ。―――教会に潜入してだいぶんたつが、魔族どころか人族も見かけないのである。
でかい教会が、がらんどうのように静まりかえっている。廊下を歩くたびに足音が反響するほどだ。忍ぶのが難しく、しかし聴く者もいないとあっては、潜む意味を見いだせない。だがせっかく見つかっている気配が無いのに、油断して堂々と行く愚を犯すのはどうかと思う。
警戒しながら慎重に進む。
広い礼拝堂は避けて、牧師たちの生活区域を通り、神話の要所が描かれた絵画が順番に飾られる廊下を抜け、ついに塔の螺旋階段へとたどり着く。
けれど、そこにも人っ子一人見当たらない。
「絶対におかしい……誘われているのか?」
思わずそんなつぶやきが漏れるほど、拍子抜けだった。ここまで来てしまえば、あとは階段を上るだけである。
「罠かも知れません。ですが……」
「行くしかない、けど」
違和感が収まらない。ここまで、いくらでも罠を仕掛けるのに適した場所はあった。大きな教会だから侵入ルートを見極められなかったのであれば、この塔になにかを仕掛けるのはたしかに有効だろうが……。
なにか、とんでもない見落としをしている気がした。
けれど道は一本しか無い。
僕たちは顔を見合わせて覚悟を決めて、階段へ向かう。上階へと駆ける。
この先にいるはずの、王女のもとへ。
結局。
階段に罠は仕掛けられておらず、各階には誰もおらず、放置された装飾や祭具にはうっすらと埃がつもっていることだけは確認して。
僕は塔を上る途中で、違和感の正体に気づいた。
そう、これはまるで……ここにはすでに、何もないかのような。
この場所自体がもう、放棄されているような。
最上階まで上りきったときには息が切れて苦しくて、僕と同じことを考えているだろうレティリエの表情は険しく……おそらく最高司祭が神の託宣を受ける場所だったはずのその部屋の扉は、焦燥に任せ警戒も忘れて開け放たれる。
そこには……。
「―――レティリエ……さん?」
毛足の長い絨毯が敷かれた、思ったよりも広い、豪華な家具を取りそろえた室内で。
この世界ではひどく高価な、色も歪みも泡もないガラスが填め込まれた、都が一望できそうな窓に手を触れて。
あの広場で見た石像によく似た少女が、驚いたように佇んでいた。




