前夜
「さて、それではこれより潜入作戦の説明に入る」
チェリエカの町から逃げ出した僕らは、一目散に南東を目指した。
ターレウィム森林から出てきたときに見かけた、チェリエカより東の町や村はすべて無人だったためである。
おそらく魔族の侵攻で壊滅したのち、フロヴェルス軍が魔族を追い返したのだろう。そういった場所には痛ましい戦禍の跡がまざまざと残っていた。
僕らは今、王都に近いそんな廃村の一つに身を隠している。住人だった者たちには悪いが、一時の拠点にはもってこいだからな。ありがたく使わせてもらおう。
「その前に、いくつか質問があります」
テーブルを挟んで向こう側のモーヴォンが、顔の高さまで挙手した。
この村で一番マシだったこの民家は、住人が生き残った上で避難したのだろう。ほとんど傷んでいないし荒らされてもいないが、貴重品の類は残っていなかった。
「どうぞ、モーヴォン」
ザアザアの雨の中、ほうほうの体で夜通し逃げた僕らは休息を必要としたが、それでも十分に取ることができた。
今は夕刻時で、刻限は明日の夜明け。明日に備え仮眠くらいは取っておきたいところだが、エルフ少年の質問に答える時間を惜しむほど差し迫ってはいない。
促されたモーヴォンは半眼で、なんだか不服そうに僕を見る。
「まず腑に落ちない点を。ゲイルズさんはもしかして、最初からすべてを打ち明けるつもりだったのでは?」
「え、どういうこと?」
お茶を飲んでいたミルクスが聞き返す。
ああ、その可能性に思い至ったわけか。全部手のひらの上だったと考えちゃったら、そんな顔にもなるよな。
「最初からそのつもりだった、というより、そういう展開は想定していた、というのが正しいな」
僕は指を折りながら、当初考えていた筋道を数えていく。三……いや、四つか。
「単純に騙す。単純に依頼する。正体を打ち明けて騙す。正体を打ち明けて依頼する。……この四つの中から、どれが一番いいかを探りつつ選ぶつもりだった。モーヴォン、なぜ君がそう思ったのか聞いていいか?」
「すべて、同じことだからです」
即答に、僕は頷く。
ミルクスは首をひねり、レティリエは困り笑いだ。……どうやら勇者様、かなり僕のことを正しく認識してきてるな。
「フロヴェルス軍に壁攻略の魔具を渡した時点で、自分たちができることは祈ることだけ。そういうことですよね」
肩をすくめて肯定してやる。
結局、そういうことだ。
フロヴェルス軍に万全の体制で陽動を行ってもらうのには、自発的に作戦行動してもらうしかない。十分な準備期間をもって町の人々の安全を確保し、戦陣を組み、号令の元で全力の戦闘態勢を敷いてもらう必要がある。
そのためにはどうしても、彼らの手に壁攻略の切り札がなければならない。でなければ浮き足立ってしまう。
だから渡した。ガルラの眼球で造ったあの魔具を。
けれど……果たして、あの軍は思い通りに動いてくれるだろうか。
本国からの増援も期待できない状態で半年以上を停滞し、無力感に支配され娯楽に逃げて、士気など見る影もなかったあの軍は……今更壁攻略の切り札を手にしたとして、戦おうとするだろうか。
そんな不安が、どうしても拭えなかった。
騙そうが、頼もうが、打ち明けようが、打ち明けまいが、託した時点で決定権は相手に委ねることになる。
ならば、最もフロヴェルス軍が動く可能性が高い道筋を選ぶ。
そのつもりだった。
「けれど僕は……正体を打ち明けて、騙さず、頼まなかった」
今思えば、愚かな選択だったと思う。
ナーシェランに丁半を仕掛けたのがもう予定外だったし、そもそも僕はほとんど会話もしないうちから、ただ騙すという方策を切っていた。
そう、あれは本当に―――
「……やらかしたよなぁ」
「あ、後悔してるんですか」
頭を抱える僕に、モーヴォンのあきれ声。
「するだろ。あいつら相当ポンコツ揃いだぞ……」
「ええ。正直お酒飲みながらゲームしてるイメージしかありません」
モーヴォンも頭を抱えた。頭痛がするよなー。まああれ、僕らが胴元だったんだが。
自分たちで真似して不和を起こしてたっていうし(計算内だったが)、あんなやつら相手に何の戦略も無しにカードだけ渡してきたのだから、後悔しかない。なんであんなことしたのかな僕。
「わたしはあれで良かったと思いますよ」
レティリエがミルクスにお茶のおかわりを注ぎながら、そう微笑む。
「ナーシェラン様は信用できる方ですし、フロヴェルス兵の皆さんだって、戦いに背を向けるような弱兵はいません」
この娘は、本当に……本当に簡単に人を信じるんだな。
「……不思議なんだが、君は彼らを憎んでいないのか?」
どこか誇らしげな横顔に、僕はほとんど無意識に―――聞きづらかったことを聞いていた。
彼女は一度祖国に捨てられているのだが……。
「あれは王様の勅令でしたし、ナーシェラン様やここの人たちは関わっていませんから」
……そういや、エストが言っていたな。あの遺跡の存在を信じているのは死にかけの王様だけだ、とかそんな感じのこと。
そうか、あの件についてここの奴らは無罪だったのか。
「それに……あれがあったからこそ、頼もしい仲間ができましたので」
「あまり期待するなよ。僕の器は小さいんだ」
辟易したふりで、目をそらす。気恥ずかしくて話題もそらした。
「それで、モーヴォン。他にも聞きたいことがあるんだろ?」
「……はい。まあ過去の話はゲイルズさんも予定外だった、と分かったのでもういいです。他にも聞きたいことはありましたが、それも問わずにおきます。なので、聞くべきことはあと一つ」
多分、すべて僕の予定通りだったって見栄張ってたら質問責めだったな。
「あの術式はサヴェ婆ちゃんが遺したエルフ魔術の遺産です。それをタダで他者に流したゲイルズさんは、どう責任をとるおつもりですか?」
声音の鋭さに、空気が張り詰めるのが分かった。
モーヴォンの視線は殺気まで孕んでいる。おそらくだが、僕の答えが気に入らなければ、この場で断罪するつもりだろう。
女性二人は怪訝顔しているが、術士にとってそれは最大級の禁忌であるのだから。
「……アレはエルフ魔術じゃない。あんなものがエルフ魔術であるものかよ」
「体系的にはそうでしょう。ですが婆ちゃんの術式であるならエルフ魔術です。そしてそもそも、この話にそんな定義なんて意味がありません」
そうだな。重要なのは誰の研究成果で、正式に受け継ぐべきは誰かという話だ。
ガルラの眼球に書き込んだ術式はあのゴブリンの大群との戦いの後、サリストゥーヴェの研究室を検分して見つけたものだ。
彼女は盲目だったせいか、文書による記録などは一切なかったが……幸いなことに、制作済みの魔術式を見つけたのである。
僕はそれを解析して錬金術に落とし込み、発動型の魔具として使用できるよう再構築した。―――それが、ナーシェラン王子に渡した賽の正体だ。
「術式の大部分は暗号化してある。短期間の解析は不可能だ。陽動作戦に使用してしまえば破壊される」
「魔具は二つあります。片方のみが使われ、片方は解析に回される可能性が高い。……それどころかゲイルズさんはむしろ、フロヴェルス軍が出し惜しみしないように二つ用意したのでは?」
見抜いてくるな。さすが香水の魔女の後継。
けれど、それについては僕だって悪いと思っているさ。
「それに、フロヴェルス軍が陽動をしてくれない場合もあるでしょう」
その場合、最悪なことにサリストゥーヴェの遺産を流出させただけになる。
それは本当に申し訳ない話だ。
降参だな。さすがに純度百パーセントで僕が悪い。
「サリストゥーヴェの術式には遠く及ばないが、ヒーリングスライムの術式をエルフに明け渡そう。燃費は悪いが、君らの魔力量ならそこそこ使用できるはずだ」
僕はヒーリングスライムの結晶を一つ取り出すと、指で弾いて飛ばす。モーヴォンは右手で受け止める。
彼ほどの術士なら、サンプルが一つあれば解析できるはずだ。まあ文法がアレだから苦労するだろうが、それはガルラの眼球の方も一緒だしな。
この一ヶ月ほどの間に、僕は気配消しやガルラの眼球の魔具を造る傍ら、ヒーリングスライムの調整と加筆を行っていた。エルフの里で得たヒントがあったからだ。
まだまだ改良の余地はあるし、なんなら少し不安定になったりさらに燃費が悪くなったりもして頭痛がする思いだが、まあいくつかできることは増えている。
けれどそれはサリストゥーヴェがいたから実現したものだ。
―――だから、僕の錬金術師としての数少ない成果だが……エルフになら、渡してもいい。
「いりませんよ、こんなの」
なのに、モーヴォンはヒーリングスライムの結晶を投げ返した。おいコラこんなのってなんだ。
「人工生命……疑似妖精の製造とその消費の術式なんて、婆ちゃんはともかくエルフのお堅い人たちが見たら極刑ものです。細切れにされて森の肥やしです」
「恐いなエルフ!」
「エルフにとって森に発生する妖精は隣人ですが、エルフの全員が妖精を正しく理解できているわけではありませんからね」
いやなんか当然っぽく言ってるけど、それ僕も理解できてないわ。あいつら結局なんなん?
……ていうか、理解できている者にとっては、ヒーリングスライムの在り方はアリってことなのか?
「まあ、けれど気持ちだけは受け取っておきます。術士が半生を懸けた研究成果ですからね。時間にすれば婆ちゃんの半生の百分の一でしょうが、価値は認めましょう」
エルフの長寿マウントがウザいです。時間換算で人間が勝てるわけねーだろこのガキ。
「敵も相手も強大なだけに、今回の場合は酌量の余地もあります。ゲイルズさんにはいずれ責任をとってもらうとして、それまでは貸しということでいいでしょう」
「その辺を落としどころにしてくれるか。なら甘えさせてもらう」
僕は返却されたヒーリングスライムの結晶をしまって、モーヴォンの判決を受け入れた。
でかい借りができてしまったが、術士としては頷くより他に仕方がないからなこれ。
「わたしも一つ聞いてよろしいですか?」
僕とモーヴォンの話が一段落したのを見計らって、小さく手を上げたのはレティリエだ。
頷いてみせると、彼女は不思議そうに僕を見つめる。
「たしかリッドさんは元々、あの壁の瘴気を攻略する方法を自前で用意していませんでしたか? なぜサリストゥーヴェさんの術式を?」
「ああ、それは簡単な話だ」
「ですね。婆ちゃんの術式の方が優秀だっただけのことです」
モーヴォンお前本当に婆ちゃん好きだな!
「その通りなんだけどさ。僕の用意していた術式は瘴気発生の魔具を徐々に浸食して機能不全にするもので……つまり足が遅くてな。今回はサリストゥーヴェの術式の方がいいと判断した。これは説明するより、実際に見た方がいいと思う」
「明日、フロヴェルス軍が魔具を使えばですが」
チクチク刺してくるなぁ……。こいつ性格悪くなってない?
エルフの里にいた頃はこんなに陰湿じゃなかったのに、この短い間で誰に影響されたの?
「はあ……わかりました。とにかくそちらの方が良い、ということですね」
レティリエはまだ納得のいってない顔だが、そもそも大した問題ではないとも認識しているのだろう。
極論あの壁が攻略できるなら、手段なんてどうでもいい話だからな。
「話は終わった? それで、本題にはいつ入るわけ?」
ミルクスが待ちくたびれたように伸びをして、細い首をぐりぐり回す。
うん、術士でない君には退屈な時間だったね。さっさと明日の作戦を聞いて備えたいよね。ごめんね待たせちゃって。
「だ、そうだ。二人とも、そろそろ本題に入っていいか?」
僕が聞くと、レティリエとモーヴォンは頷いた。それを確認し、僕はとうとう明日の作戦内容に話題を移行した。
「まずミルクスとモーヴォンの二人だが、ここで待機だ。潜入作戦は僕とレティリエだけで行う」
ピキ、とエルフの少女の額に青筋が浮かぶ。
「へぇ、ふぅん、そうなんだ。また置いてけぼりってわけ?」
漫画ならゴゴゴゴゴ、とかいう擬音が背景に入りそうなくらい怒りを露わにして、若葉色の髪の少女はテーブルに手を突きゆらりと立ち上がる。おい立つな何するつもりだお前。
「またって……置いてったことなんかあったか?」
「あんたは忘れてるかもしれないけど、魔王の時に経験してるわ」
あれか。
でもそれ僕のせいじゃないし。いや僕のせいかも。いややっぱ違うな。
「その件はノーカンで頼む。あれはどう考えても魔王が悪い」
「にしてもイラつくわよ! 何? あたしたちはそんなに頼りない? そりゃたしかに体は小さく見えるだろうけど、あんたたちより年上だし戦う術だってある。子供扱いで置いて行かれる筋合いはないの!」
まいったな、ガチギレじゃないかミルクス……。
助けを求めて弟君へ視線を向けると、彼もまた僕を睨んでいた。君もか。
「自分たちは……まだ信用されてませんか?」
……そうだな。
チェリエカの町でそういう教訓は得た。他者を信じるということが苦手で、だからいろいろと遠回りしたり深読みしすぎたり不都合が起きたりしたのだと、僕は思い知った。
だからせめて―――この場にいる者たちくらいは信じたいと、思う。
けどこれそういう話じゃないから。
「ミルクス、モーヴォン、よく聞いてくれ」
「何よ」「何ですか」
ほぼ同時に返してくる二人に、僕は今作戦の概要を説明する。
「フロヴェルス軍が西側の壁を攻撃したら、僕らは側面である南の壁から潜入するんだがな。その方法は―――レティリエの身体能力で、あの壁を駆け上ってもらおうと思う」
お茶を吹き出したのは話題の我らが勇者様だ。
「バ―――バカじゃないのっ? バッカじゃないの! あの王子様には散々搦め手使っておいてなんでこんな時だけそんな力技のゴリ押しなのよ!」
ううむ、もっともなご意見だミルクス。たしかに僕もどうかと思う。
「仕方ないだろ。ガルラの眼球に気配消しにヒーリングスライムの強化に丁半にで忙しくて何も用意してないんだ。ていうか忘れてた! はいそうです忘れてましたー! 潜入方法については完全に頭から抜けてたんだよ!」
「バカ! ホントにバカだったのねこのバカ! ああもう最悪、なんでこんなやつに全部任せちゃったかなあたし!」
頭を抱えてヘドバンみたいにブンブンするミルクス。おうなんだデスメタルでも聴いてるのかその苦悶の表情。
「まあそんなわけで、レティリエには同行者を抱えてもらうとして……彼女の腕は二本しかないから、定員は二名。ただし帰りに一人増える予定だから、行きの定員は一名だ」
「……次からはゲイルズさんを信じず、自分も何らかの方策を講じますね」
他者を信じることは大切だぞモーヴォン。
「あの……今の作戦、本気で言ってます? わたしにあの壁を駆け上がれと? 瘴気もあるのに?」
うん、自分を信じるのも大切だぞレティリエ。
「モーヴォンに聞いた千年前の勇者フィロークの話、覚えてるか?」
僕が振った唐突な話題に、レティリエは一瞬だけキョトンとする。
「え? あ、はい。あの大樹を楔にして境界を作ったという……」
「その話だが、重要なのは魔界から出てくるくだりだ。フィローク一行は奥に進むにつれて濃くなる瘴気の対処ができず、勇者の加護でも仲間を護りきれなくなったために探索を断念し引き返す」
話の意味を理解して、レティリエの綺麗な瞳が見開かれる。
「勇者の聖属性……」
「そうだ。瘴気を浄化する聖属性の魔力を持つ君は、よほど消耗しない限り瘴気の影響を受けない。フィロークのように仲間を護るような力の使い方はまだできなくても、君に抱えられるほど近くにいれば、僕もその恩恵に与れるだろう」
「ですが、あの壁を駆け上るなんて……」
「できる」
みなまで言わせず、僕は被せて言い切った。
できる。なぜなら彼女は勇者の力を持つから。歴代の勇者たちも伝承と照らし合わせればそれくらいはできたはずだし、彼女の魔力量からしても無理な話とは思わない。
第一、それくらいできなければゾニや魔王みたいな規格外とは渡り合えないだろう。
そして、なにより……―――
「僕は、君を信じている」




