そして賽は運命を転がす
賭場がざわついていた。
ナーシェランが出した条件は破格で、全員が耳を疑ったほどだ。
「殿下、それは……いかがな……」
ラスコーが声を震わす。おそるおそる、といったていだ。似合わないことこの上ない。
「おや、ラスコー。もしかしてですが、一般兵が王族に発言を取り消せと進言しますか?」
男は視線すら向けなかった。
彼が見下ろすのは一点のみ。僕の目だけだ。
「当方は待ち続けていました。待ち続けることしかできなかった。リッド殿が期待外れであれば、これからもさらに待ち続けるでしょう。あの壁を攻略する糸口を探りながら―――いざそのときが来たとき、最大限の力を発揮できるように」
……それが、この男の凄まじさだ。
この町を、あの布陣を―――この男の目を、見れば分かる。
ナーシェランというフロヴェルス軍の司令官は、この状況下で無駄な被害をできる限り除くことに苦慮し……しかしその実、欠片も壁の攻略をあきらめていない。
「なればこそ、神は当方を見放さぬでしょう。そしてこれが神の与えたもうた好機であるのなら、賽の目ていど当たるはずです……いえ」
ナーシェランは、フロヴェルスの王子は、聖人のように微笑む。
「神に頼らずとも当てて見せましょうとも。なぜならば、我が名はナーシェラン・スロドゥマン・フリームヴェルタ。運命くらい手繰り寄せられずして、王になる気はありません」
分かる。
僕には分かる。痛いほどに。
あれは虚勢だ。この男に当てる自信などあるわけがない。なんなら外れるだろうとまで思っている。
運命になど愛されないと、僕と同じくらいに思い知っている。
それでも来る。それでも来た。
勝負所で踏み込みを躊躇することほど、愚かなことはないから。
何もできないことと、何もしないことは違うから。
光の届かない暗い底の底の最下層から一段一段登ってきた者が、自分を信じられないなんて当たり前な前提で足を止めるはずがない。
「神が居るのならば殺しましょう」
神聖王国の王族の前で、僕は我知らず宣う。
全員が絶句して注目したが、言葉を止める気はなかった。
「運命はこの手で切り開きましょう。世界はこの目で見通しましょう。未知のすべて、つまびらかにして神を不要と断じましょう」
僕には、誓いがある。
あの遺跡で、僕の敵に―――君の相手は僕がすると、誓った。
神を殺すとのたまう者の同胞であると、宣言した。
だから、進む。相手の背に神が居るのなら、立ち向かう以外に方策がない。
「半に賭けよう」
なによりも僕は……この男に勝ちたい。
「賭け品揃い、締め切ります」
僕はツボを持つ手に力を込める。
ナーシェランを見返す。
血潮が熱く滾るのが分かった。
きっと―――彼の言うとおり、僕たちは似ている。
だからこれは同族嫌悪。けれども違いは明確で、そこも絶対に許容できなくて。
しかし敬意を払うには十分なほど、その根底の強さは理解できて。
眩しくはないし、否定したくもないし、なんなら尊重までしてやってもいいけれど。
けれど、これは丁半博打。賽の目だけは絶対だから。
「勝負!」
―――純粋に、ただ純粋に、勝ちたいと思った。
二分の一の当てっこで優劣なんか競えない。
移動するのは賭け品だけで、当人たちの中身の何が変化するわけでもない。
誇りが傷つくことはなく、格が決まることもない。
負けて笑えるのがこのゲームのいいところだ。
技術は要らず、知識もいらず、どこの誰でも気軽に手軽に参加できる。だからこそ、勝っても負けても笑って次の勝負にいけるのが、この博打の楽しさだ。
だから……もしかしたら、明るさを取り戻す過程にあったこの町で、この遊戯はそれなりに貢献してきたのかもしれない。……なんて、そんならしくもないことを、僕は頭に思い浮かべた。
「―――……三と、五。グサンの丁」
ツボは開かれて賽は衆目にさらされ、シュレディンガーの猫は生死を確定させた。
僕は瞼を伏せる。
ゆっくり息を吸って、同じ時間をかけて吐き出した。
「当方の勝ちですね」
「そのようです」
勝利の宣言は静かで、返す肯定はすんなりと。
多分だが、彼も分かっていたのだろう。そう感じた。
「勝ちたかった」
「よい勝負でした」
ククッ、と。笑えた。笑ってしまった。
こんな運試しにいい勝負も何もない。
けれどなぜか心の内で同意してしまって、笑うしかなかった。
「約束だ。カヤード、これを魔術師殿に渡してくれ。こんな賭博の道具、殿下に触れさせるな」
「お、おう……」
僕はサイコロを拾って、カヤードに手渡す。このサイコロは元々渡すはずだった。
勝負が終わったのだから、これ以上僕が持っていていいものではない。
受け取ったカヤードは何か言いたそうだったが、結局は何も言わなかった。
踵を返した彼は王子たちの元へ戻り、僕が言ったとおりに魔術師の女性にサイコロを手渡す。
そして。
「ひっ……!」
短い悲鳴とともに、魔術師が賽を取り落とした。
この場の全員の視線が集まる。
カツン、カツン、と硬質な音を立てて、サイコロが床を跳ねて転がる。
その出目を確認してから、ゆっくりと僕は立ち上がった。
出目は共に朱。一と、一。
―――怪しく光る双眸のような、一ゾロの丁。
「香水の魔女サリストゥーヴェの術式を刻みし、上級魔族の眼球。確かにお渡しいたしましたよ、殿下」
今まで賭博に使っていたそれが何かを、僕は教えてやった。
エルフほど魔素感覚に優れない人間でも、魔術師なら触れれば分かるだろう。こんな禍々しい魔具なんか落として当然だ。
「……それは、どういう?」
「リア」
王子の乾いた問いには取り合わず、僕はレティリエを振り返った。
彼女はただ、微笑んで頷く。すべて分かっていたかのように……あるいは、これが最良の形だと確信しているように。
まったく。今回はなんだか本当にいいとこないな、僕。
「耳飾りを外してやれ」
「はい」
彼女はこちらに歩み寄りながら、言われたとおりにすんなりと耳飾りを外した。
工芸魔法が解け、彼女の素顔が明らかになる。
それを見たナーシェランの目が驚きに見開かれ、僕はほんの少しだけだけれど……胸がスカッとしたのだ。
「ご無沙汰しております、ナーシェラン様。勇者レティリエ・オルエン、今一度この地に戻りました」
僕の横に並び、レティリエは―――今代の勇者は、完璧な淑女の所作で優雅に一礼する。




