仮面の裏側
「良かったですね。ラスコーさん」
満天の夜空の下、宿屋の屋根の上で、レティリエはそう声に出す。
晴れやかな笑顔だ。心の底からあの二人を祝して、彼女は空を見上げている。
あの後、僕らはラスコーを一人残して部屋に退散した。
僕はそれからずっと作業をしていたのだが、どうやらこの三人のうちの誰かはしっかり覗き見していたらしい。
結果はレティリエの言った通りだ。
「見物人がいたら恥ずかしいだろうって事くらい、分かってもいいのにね。あの顎髭も」
自分もついていったことは棚に上げて、ミルクスが肩をすくめる。彼女も顔は笑っていた。
「まあ、いろいろあったが丸く収まって良かったよ」
僕だってまあ、それくらいは言える。
リア充が増えるのは憎らしいが、ラスコーとメリアニッサは知らない仲じゃない。どうかお幸せにと定型文を口にする程度には祝福してやってもいい。
……まあ、でも。
少しばかり罪悪感があることは、認めよう。
そして同時に、揺らぐ気が無いことも自覚しよう。
「レティリエ」
「はい?」
呼びかけに振り向いた少女に、僕は用意していた品を投げ渡す。
暗い中でも危なげなく受け止めた彼女は、それを確認して目を丸くした。
「これは……えっ、あの、これ……」
それは、紐に輝石を通した首飾りだった。
レティリエは慌てた様子で手の中の品と僕を交互に見て、ゴニョゴニョと聞き取れない言葉を口にする。
「凝ったものじゃなくてすまないな。なにせ手造りなもんで」
「手づくっ……!」
「君の魔力を隠蔽する魔具だ」
満天の星空の下、僕はロムタヒマ王都がある方角へと視線を向ける。
「ボルドナ砦では魔王に気配を察知されただろ? その前にも、ミルクスには魔力量を指摘されているし、モーヴォンなんて一目で聖属性を見抜かれてる。つまり君が勇者ってことは、感知能力の高い種族から見れば一目瞭然。隠れても分かるレベルでダダ漏れってことだ。ロムタヒマでは潜入作戦になるから、この対策は必須だと考える」
あの首飾りは最近、本命と同時進行で造っていた錬金術による品だ。
魔石に術式を付加するのは錬金術師なら誰でもできる手法だし、魔力の隠蔽も基本的な結界の式でできるので簡単だと思ったが、設定が予想外に難しかった。
「それを身につけていれば、魔力量と属性を誤魔化せる。ただ、さすがに魔力放出の使用時は隠蔽効果がなくなるから注意してくれ。……まあ、どうしても必要な時は仕方がないが」
剣技が未熟なレティリエの戦闘スタイルは、魔力放出の技が必須だ。
だからとっさの使用時に邪魔しないよう、けれど簡単に壊れないように、結構細かく設定してある。聖属性が一定量を超えると素通しするプログラムとか、わりと自信作だったりする。細かすぎてレティリエ専用魔具になってしまったが。
「魔具……ですか。いえ、ありがとうございます。たしかに有用なものだと思います」
あれ? なんでそんな落胆した声なのかな、レティリエさん。
「あんたね……この流れでそんなの渡す?」
ミルクスがジト目で言ってくる。なんでそんな非難の目を向けられるんだ?
「そんなのとはなんだ。必須アイテムだぞ。僕の分も合わせて、わりと造るの苦労したんだからな」
僕は懐から自分の分の首飾りを取り出す。
「あ、それわたしのと一緒のです……よね?」
「見た目と素材はな。こっちのは君に渡したのより簡素な式を採用している」
レティリエの指摘に、僕は頷く。
……ほら、僕は魔力量は多くても、魔力放出とか使えないしな。全然まったく細かい設定とか必要ないのである。本当に不必要なのだ。なんか悔しいが。
「ああ……それのせいね。どおりで、いつもより影が薄いと思ったわ」
「エルフ視点でのご批評ありがとう。上手くできてるようで安心したよ」
なんだか棘のある言い方されたが、ミルクスに影が薄いと感じられるならば成功だろう。
魔術はあまり使えなくても、彼女だってエルフだ。魔力の知覚能力は人間のそれより高い。……初対面の時にも立証済みだしな。
「まだ本命が残っているが、これで一つ準備が終わった」
僕は首飾りをかける。―――この流れだからこそ、言わなければならないことはある。
「今この町にあるのは、仮初めの平和だ。そして、僕らはそれを壊す」
夜風よりも冷たい、暗澹たる冷気が胸中の温度を下げる。
ここは魔族に支配されたロムタヒマ王都の目前。
どうせ遅かれ早かれ、当然のことだ。放っておいても大した時間は無いだろう。
けれど僕は、僕の意志でこの平和を終わらせる。準備が終わってしまえば、すぐにでも。
「先へ進むために、あの瘴気の壁を取り除き、人族と魔族の戦いを再開させる」
そうなれば、兵士であるラスコーやカヤードは戦場へ駆り出されるだろう。
この町がまた魔族に襲われないとも限らない。メリアニッサやスズ、ヘイツの身にも危険が及ぶかもしれない。
きっと大勢死ぬ。
僕らはその隙に王都へ潜入し、囚われの王女を救出する。
ハ……、と自嘲の笑みが出た。
なんて拙い作戦だ。何一つ割に合っていない。
被害はたくさんで、目的とする戦果は一人だなんて―――こんな作戦を立てるヤツはよほどの無能だろう。
「それだけは忘れないでくれ。いざというとき、躊躇しないように」
それでも、やらない選択は無い。
王女が捕虜になっている状況は、レティリエにとってあまりにも大きい弱点だ。不安材料を解消しないことには、その次へ進めない。
何より、僕には焦燥感があった。
魔族側の芸術家を知っている僕には、急がねばならないという確信がある。何なら手遅れかもしれないという不安まである。
今回の救出作戦は敵地への潜入だ。ならば……瘴気の壁の向こう側で魔族が何をやっているのかだけでも、この目で見れば何らかの情報は得られる。上手くすれば、あの芸術家の動向や目的を探れるかもしれない。
だから計画の変更はない。
僕は必ず、この仮初めの平和を終わらすだろう。
悲しみからやっと立ち直りつつある者を、つかの間の安穏を噛み締める者を、新たな幸せを手に入れた者を。
この手で、再度戦火の地獄に落とすと決めている。
僕らが三人で話している間、モーヴォンは星の位相を描き写していた。
丁寧に、丁寧に、ゆっくりと細かく。指の定規で慎重に距離と角度を測り、できる限り正確に羊皮紙に写し入れて、少しでもズレたらナイフで削って書き直して。
いつもよりずいぶん時間をかけて。
僕の言葉にレティリエもミルクスも黙ってしまって、夜風が抜けて、僕がハアと溜息を吐いて、「そろそろ行こうか」と声をかけたときも……まだエルフの少年の絵は描き終わっていなかった。
「先に行っていてください。自分は描き終えてから降りますので」
レティリエ、ミルクスの順に屋根の上から降りてしまっても……彼は腰を上げず、夜空を見上げながらそう僕に言った。
別に、星の位相の記録は必須ではない。
僕が占星術師の弟子を名乗ったがためにやっているだけのことで、この町での滞在が終わればただのゴミである。
天候のせいで星が見えなかった日だってあるし、多少の歯抜けは大した問題ではないのだが。
けれど、ふと気づいて改めて見上げてみれば……今日の星空はいやに綺麗だったから。
「そうか。分かった」
僕はそれだけ言って、下へ降りる。
窓枠に足をかけ、男部屋の室内に戻ると、ミルクスが待っていた。
暗い部屋で、暗い表情をしていた。
「……聞こえたわ」
そう彼女が言ったので、僕は肩をすくめた。
「何を?」
エルフの少女はこちらを睨むように見て、問う。
「気づいてた?」
「……いいや。さっきやっと」
どうやら同意見らしいので、もうしらばっくれる必要はないだろう。自分の勘に正直に答えた。
「そうよね。あたしも分からなかったから」
双子の姉が気づいてなかったのだから、僕になど分かるはずもない話だ。
思えば、彼は今回の件にあまり乗り気では無かった。
関わろうとしなかった。
けれどそういえば、メリアニッサの部屋に向かう時、ラスコーと並んで先頭を歩いていたのはモーヴォンだった。
いきなり開いたドアが激突して鼻血を出しながら倒れても、続行させたのは彼だった。
メリアニッサのパンチを実況したのも、真っ先にラスコーを慰めたのも。
ラスコーはフロヴェルス軍の監視役で、メリアニッサは僕らの忠告でそれを警戒していて。
誰が見ても、分の悪い勝負だったから。
―――多分だけれど、彼は今回の件、失敗を期待していたのだと思う。
「今日は、星が綺麗だからな」
僕は窓の外をちらりとだけ横目で見て、それから視線を床へ落とした。
今夜の星はきっと、僕などが共に見ていいものではない。
慰めなんて望まれていない。
気づいて欲しくもないだろう。
いつも通りに振る舞って、何事も無いと演じたいはずだ。
けれど今日は丁半の日。
酒場に行けば皆が待っている。ラスコーとメリアニッサも。
「もう少し眺めていたいんだろう」
ミルクスの横を通って部屋を出る。
彼女は心配そうに、窓の外を眺めていた。




