ラスコーとメリアニッサ
「自慢じゃないが、俺は女にはフラれ慣れている」
「それは本当に自慢ではないのでは……?」
前を行くラスコーとモーヴォンが頓珍漢なやりとりをする。たしかに何一つ自慢じゃないなそれ……。
「まあ聞け。だからな、俺がお前らに相談したのは、丁半の仕切りをやってるヤツらってのもあったが……何よりも気軽に背中を押してくれると思ったからなんだ」
「ああ、なるほど。たしかに何の問題もなければ、自分たちはそうしたでしょう」
「だろう? だからリッドは無責任に、君ならイケるよ頑張れ! って言ってくれれば良かったんだよ。占い師なんだからそれくらい分かれって話だよな」
うーん、殴りたい。あの顎髭を摘まんで引き抜いてやりたい。
僕らは宿の階段を登る。目的の部屋は二階にあった。
隊列は、ラスコーとモーヴォンが先頭、レティリエとミルクスが中列、僕が後尾だ。
ついてこい、と言われて、一番腰が重かったのが僕である。
目的地は明白だった。
「俺は最初から決めていたんだ。だから、どんな結果になろうとお前らに責任はない」
階段を上ってしまえば、廊下は大して長くない。すぐに到着してしまう。
ラスコーは一人で先行し、一室の前で立ち止まった。
「そして、お前らがたかだかちょっとシクッたくらいでは、俺にとって何の障害にもならない」
その扉の前で、彼は僕らに笑いかける。
「いいか、覚えておけ。目の前に壁があったらな、迂回するんじゃない。登ろうとするんじゃない。―――まずは、真正面からぶつかって壊すんだよ」
無茶苦茶なことを言って、ラスコーは背筋を伸ばし、襟を正す。顎髭も撫でて整えた。
そして、手の甲で扉をノック―――する直前で、思い直して深呼吸する。
すぅ、はぁ、と二度繰り返し、目をカッと見開いて背を伸ばすと、再び手の甲で扉を―――叩く前に、いきなり挙動不審になってキョロキョロし出す。
どうやら廊下に自分と僕ら以外がいないことを確認したようで、気を取り直すと一度心臓に手を当てて嘆息し、それから手を持ち上げ―――肩に埃などがついていないか確認し、念のためにパッパと払った。
そうしてからやっと、再度手を扉の前へ伸ばし―――その手で再度、顎髭を撫でて整え……
「うぜぇ、はよ行けやチキン野郎!」
やっべぇ素が出た! 中指立ってる! 今まで必死で猫被ってきたのに!
「り、リッドさんっ? いえ言いたくなる気持ちは分かりますけども!」
「ええ。分かる。分かるわリッド。あんたが言わなきゃあたしが言ってたもの」
「さすがラスコーさん、ですね。期待を裏切りません」
僕らの中で一番キチクなのはモーヴォンだな。晴れやかな笑顔してやがる。あの姿見て絶対楽しんでるよこのエルフ。
「いやいやいや、待ってくれ。こういうのは精神集中が必要なんだ。心の準備ってヤツがだな」
総攻撃を受けたラスコーが、身を仰け反らせ顔の前で両手を広げる。馬鹿め、そんなんで精神攻撃が防げるものか。
「だが確かにグダグダしても始まらない。……よ、よし。覚悟決めた。行くぞ」
ラスコーは気を取り直し、再び扉の前に立つ。一度右手の甲を吐く息で温め、強く握りしめた。
……まあ、なかなか踏ん切りがつかないのは、それだけ彼の恋心が本物だということだろう。
格好をつけておいて脱力することこの上ないが、軽い気持ちで向き合っているわけではない、ということだ。
汗ばんだ横顔も、強張った口の端も、震える右手も、たかが宿屋の薄扉がデカい魔獣に見えているかのように脅えている。
彼は、僕らに背中を押してもらいたかった、と言っていた。
本当に軽くでいい。無責任でもかまわない。結果がどっちになっても、後で笑ってくれればそれでいい。
そんな、薄っぺらい助力ですらも欲しかったのだ。
一歩、前へ進む勇気のために。
彼が手を伸ばす。
俺が、お前らを導くべきだったんだ―――そう口にした男の声が、僅かに震えていたことは気づいていた。
フラれ慣れている、なんて嘯いて、すでに決めていた、と虚勢を張って。
何の障害にもならないなんて、笑い飛ばして見せて。
大人として、その背を僕らに見せつけるため……と自分を追い詰めて。
今、愛の戦士は心に炎を灯す。
行け、と胸底の棘が熱を持った。
無骨な手の甲が、扉を叩く―――
「まーったく、さっきからなんだなんだ、人の部屋の前でごちゃごちゃと!」
「ぶげっ」
ガチャリと内側から扉が開いて、すぐ前に立っていたラスコーの顔面にぶち当たった。
突然の出来事に驚いて身体が固まったのか、今まさにノックするぞというポーズのまま、受け身もとれずに倒れる。
……フェインティング・ゴートってやつか。さすが顎髭。
とりあえず、あれだ。―――扉は、向こう側に人が居ないか注意して開けましょう。
「あぁん? あんたたちか、どしたん?」
ボサボサの頭を掻きながら、メリアニッサは僕らとラスコーに眠そうな目を向ける。
昼に歌ってから寝直していたのか、だぼっとした寝間着に上着を引っかけただけの姿である。……つーか普段は露出度高いのに、色気の無いもん着て寝てるのな。新たな一面発見って感じだ。
対するラスコーといえば、ぶつけた顔を押さえながらなんとか起き上がったところである。鼻血出てるけど大丈夫かお前。
「実は、ラスコーさんがメリアニッサさんに伝えたいことがあるそうでして」
……い、いい根性だなモーヴォン! この状況で続行は僕もドン引きだ。双子の姉も見たことない顔してんぞ!
(ラスコーさんはあれで計算高いと思いますよ。監視役であることを告げ口した自分たちが応援すれば、メリアニッサさんの警戒も少しは溶けるでしょう?)
まるですぐ耳元で囁かれたような、モーヴォンの声がした。……お前それ魔術で声届けてるの? あと応援じゃなくて面白がってるだけじゃない?
(やだなぁ応援ですよ。というか、今やめたら彼、次はいつ行くんです? 扉の前であんなにグダグダしてたのに)
すまないラスコー。そのダウンはスリップだ。テンカウントは数えない。審判は続行可能と判断してる。
顎髭あらため鼻血顎髭氏が縋るような目で見てきたが、僕は自分の首を親指で横になぞり、下に向けて見せた。逝って死ね。
「め……メリアニッサ、聞いてくれ」
すげぇマジで行った!
「俺が、君の監視役だったことはこの四人から聞いていると思う。……それは本当だ」
ラスコーは背筋を伸ばして立ち、襟を正してそう切り出した。
おお、正直で堂々としてる。かえって清々しいな。鼻血が出てなければ格好いいぞ。
「……へぇ、それをわざわざ教えに来てくれたのかい。ってことは、うちはシロ判定がでたってことかね? それとももしかして、心当たりはないがクロってこと?」
「そうじゃない。白か黒かなんて、もうとっくに疑ってなんかいなかった」
ラスコーは真剣な表情でメリアニッサの手を取り、告白する。
「俺はずっと、ただ君の歌声を聞いていたくて監視役を続けていたんだ」
おお、上手く気の効いた台詞に繋げたな。
これにはレティリエさんも乙女チックスイッチが入って、口元を両手で隠しながらハラハラしているぞ。エルフ姉弟もワリと高得点つけそうな表情だ。
鼻血男がダサい寝間着姿に言い寄ってる絵面が微妙なことを除けば、悪くないんじゃないか?
「はあ、ありがと。ちゃんとうちの詩を気に入ってくれてたってのなら、嬉しいよ」
あああ鈍感女ああぁあああああ!
なに小首傾げてるんだマジ分かってねぇな。そうだよな今までのわざとらしいアタックも全スルーだったもんな。
ダメだこれ、こいつら全然ラブストーリーにならない。知ってた!
「い……いや、そういうことではあるんだが、違う。俺が言いたいのはそうじゃない」
渾身の告白に気づいてもらえず、必死に言葉を探すラスコー。
頑張れ、超頑張れ。お前分かってるか? ここで行かなきゃ僕の幼馴染みみたいになるぞ。告白したものの気づいてもらえず、けれど本当は気づいていてスカされたんじゃないかと疑ってしまい再チャレンジもできなくて、気づけば何年もズルズルとお友達って間柄に収まるんだぞ。金髪碧眼イケメン貴族のディーノ・セルさんでもそうなるんだよお前ここで行かなきゃ詰むぞ!
「つまり、あれだ。……その」
しどろもどろになる愛の戦士。
暴れ出しかねないミルクスをレティリエが羽交い締めにして、口を押さえる。モーヴォンが複雑そうな表情で下唇を噛んでいる。
―――目の前に壁があったら、どうするか。
迂回すればいい。
それがダメなら、登ればいい。
真正面からぶち当たる? そんなものは思考停止した馬鹿の方策だ。
正攻法に見えて邪道。壁という問に対して、これほど不義理な解答はない。
道をふさぐから壁なんだ。そこは通れないから壁なのだ。
だからちゃんと、ここは何で壊すかを明示すべきである。
破城槌か? 爆弾か? 戦車で突っ込むのもいいな。万全を期すならミサイルくらいは欲しいところだが、あいにく今回の壁は物理じゃどうしようもない。
この場合に必要なのは……―――愛と、勇気。
「君が、好きだ」
男は真摯な声でそう告白し、
「俺と結婚して欲しい」
真正面から、女に求婚した。
そして―――
ふぅ、とメリアニッサは溜息を吐いた。
下を向いてボサボサの頭をボリボリ掻き、それから顔を上げ据わった目つきでラスコーを睨む。
―――そうして、ぐっと右手で握り拳をつくって振りかぶると、ラスコーのコメカミを思いっきり殴りつけた。
え、ええー……。
「イイの入りましたね。意識外からの痛烈な一撃、これには日々鍛えてるラスコーさんも思わずダウンです」
実況とか余裕あるなモーヴォン!
僕ら三人はドン引きだよこれ。君の双子の姉さんは目を閉じて眉間を揉みながら頬をひくつかせてるし、レティリエなんて神様に祈り捧げてるからな。
「人の寝しなに大勢で押しかけて、言うに事欠いて結婚だぁ? いい度胸だね。よちよち歩きのヒヨコ並だよラスコー。みんなの前で調子に乗らなきゃ恋歌も口ずさめないのかい?」
「い、いやいやいや。寝しなって言ってもまっ昼間だし、大勢で来たのにはワケが……」
「問答無用だよこの大恥野郎! 出直して来な!」
言い訳も聞かず、メリアニッサは部屋に引っ込むとバンッと勢いよく扉を閉めてしまった。
向こう側で鍵のかかる音がして、こちらとあちらは無情に隔てられる。物理的に。
「そ、そんなぁ……メリアニッサ……うぅ……」
床に倒れたまま嗚咽するラスコー。うん、泣いていいぞ。
むさ苦しい顎髭男の涙とか見たくないけど、お疲れ。よく頑張った。壁って無理なのあるよね。
「結果は残念でしたが、良い背中を見せてもらいました。参考にします」
モーヴォンが愛の戦士の健闘をたたえる。参考ってそれ、反面教師としてかな……。
「格好悪かったけど、カッコよかったわよラスコー。心配しないで。メリアニッサは後であたしが宥めてあげるわ」
ミルクスは慈愛の瞳だ。
最初は断罪を主張してたのに、今は聖女のような顔つきになっておられる……。
まあ、そういう気分にもなるよな。目の前でああもこっぴどくフラれれば、同情したくもなる。
「ラスコー。酒場に行こうか。一階じゃなく、別の店に。今日は奢るよ」
曲がりなりにも、彼は僕を導くためにメリアニッサへの求婚を決意したのだ。そこは感謝しなければならないし、少々面映ゆいが……少し嬉しかった。
彼は、僕の奥底の淀みに気づいていたから。
気づきながら、触れないでくれたから。
だから、今日のことは僕が笑い話にしてやろう。酒の力も借りて、馬鹿騒ぎして、涙ながらの愚痴を聞いてやろう。
それくらいはしてやってもいい気分だ。
けれど。
「まだ諦めるのは早いですよ」
そう、レティリエは言った。クスクスと微笑しながら。
「……それは、どういう?」
救いの女神に縋るように、ラスコーが聞く。
「……むやみに薄い希望を与えるのは感心しないわ」
「自分もミルクスと同意見ですよ。さすがに酷というものです」
エルフ姉弟がたしなめようとするが、レティリエは微笑んだまま首を横に振った。
「だってメリアニッサさんは、出直して来な、と言っていたじゃないですか」
―――ああ、そういえば。
「もしかしたら言葉の綾で、本当に断られただけかもしれませんが……ラスコーさん。もう一度、もう一度だけ―――勇気を出してみませんか。今度は一人で、自分だけの勇気で、メリアニッサさんに向き合ってみませんか」
レティリエは……今代の勇者は、床に膝をついたままのラスコーに目線を合わせ、勇気を説く。
「人は勇気さえあれば、何度でも前に進めます」
それは間違っている。勇気のみで人は進めない。
が、それをこの場で訂正するほど僕は無粋じゃない。
何より……勇気がなければ、人は一歩だって前に進めないのだ。
「わたしは、お二人が上手くいくことを祈っていますよ」




