曇天の夜空
現在、ロムタヒマの国土はとても特殊な状況にある。
国主である王が魔族によって討たれ、貴族も大半を失い、この国は支配者を失った……にもかかわらず、魔族は王都より西の地を放棄している。
どの国のモノでもない土地だ。当然、どの国も欲しがる。
「本来なら、この町はとっくにフロヴェルスの領土として扱われていなければおかしい。にもかかわらず、フロヴェルス軍は他国の軍隊という形を取り続けている。なぜか。モーヴォン、答えてみろ」
曇天の夜空の下、屋根の上で見えない星を見上げて、エルフの少年は少し考える。
昼間は晴れていたが、夕方頃から雲が出てきた。空はすっかり覆われてしまっている。明日は雨かもしれない。
それでも僕らは、今夜も屋根の上に登った。話し合うことがあったからだ。
「単純に、要らないということではないでしょうか。魔界の境界近く。魔族の支配圏のすぐ隣の土地など、厄介でしかないと考えるのが普通では?」
さすが、境界の森に住んでいたエルフは言うことが違うな。
「残念だが、不正解。この町のように人が住んでいる限り、欲しがる貴族はたくさん居るんだ。落ちぶれて借金まみれのヤツとか、もらえる領地がなくて閑職で口にノリしてるヤツとか、ただのリスクが見えない馬鹿とか、どの国にも掃いて捨てるほどいるぞ」
「……人間って意味が分からないわね」
魔力の明かりに照らされた昼の時と同じ格好のミルクスが、口をへの字に曲げる。外見が変わっても中身はミルクスだよな。
「まあ、さすがに里から出たばかりの君らには難しいか。正解を言うとだな……フロヴェルスはいずれ、この町を含めたロムタヒマ国土を吸収するつもりではあるんだ。間諜を警戒しているのがその証拠だな。魔族が人族共通の敵である以上、他国が間諜を放つ理由は領土問題の他に無いし、フロヴェルス軍が警戒する理由もそこ以外にない」
モーヴォンから聞いた話では、ヘイツは元々ロムタヒマの住民であるらしい。腕を買われて現地契約した鍛冶師なのだそうだ。
フロヴェルス軍の内情にはそれなりに詳しく、そして仲間が捕まる可能性を見過ごせるほど義理があるわけでもない。今回の忠告はそういう事情によってもたらされた。
ドワーフは義理人情に厚いからな。フロヴェルス軍と僕らを天秤にかけて、ずいぶん悩んだだろう。
けれど義理人情に厚いドワーフだからこそ、彼が僕らを謀ることはないと信用できる。
あの兵士二人は僕らの監視役で間違いないはずだ。
「―――ただフロヴェルスは、自分たちはあくまで魔族から人族の民を護りに来たんですよ、というていを貫きたがっている。つまり領地については、王都から魔族を追い払った後、ゆっくり料理しようとしているわけだ」
「なんでそんなことするの?」
「フロヴェルスは神の正義を体現する国だからです」
ミルクスの問いに答えたのはレティリエだ。曇った夜空を見上げているが、落ち込んでいるのが声で分かる。
「フロヴェルスは正義の名の下に戦うことはあっても、欲による侵略はしません」
幾分か強い声で、レティリエは断言する。……縋るような声だな、と思った。
カヤードとラスコーが僕らやメリアニッサを間諜と疑っていることは、先ほど伝えてある。
今思えば、ラスコーのメリアニッサに対する好意はあからさま過ぎた。だが監視役として近くに居るための言い訳と考えれば、納得できないこともない。
あの二人をくっつけようとしたのは間違いだった。そんなふうに自責の念に駆られているのは、普段の彼女を見ていれば分かる。
……だが同時に、あの二人は正義であるはずだ、という想いでそれを肯定しようとしているのだろう。
「そうだな。悪国を滅ぼし民を領地ごと保護することはあるが、侵略戦争を行ったことはない」
「そこに違いはあるのですか?」
「ないよ。やってることは同じだ」
モーヴォンの問いには肩をすくめて答えてから……付け足す。
「だが、戦争に踏み切るまでのハードルは高くなる。自衛や同盟国の救援とかでない限り、まず動かないな。―――そして、だからこそのこの状況だろう。フロヴェルスは侵略に慣れていないし、おおっぴらにやるわけにもいけない。この町は、戦災地として手厚く保護と支援をしておくことで住民の支持を得つつ、いざ領地化したときに他国からの文句をはねのける布石としておく……という思惑によってこうなっているのだと思う」
「回りくどいですねぇ」
その感想はもっともだ。エルフの少年が呆れるのも無理はない。
……だが、さらに一歩踏み込んで考えると、見える景色はがらりと変わってくる。
「だからこそ、フロヴェルスは他国からの間者を警戒するのさ。わざわざ回りくどい方法をやっているし諜報だけなら問題ないだろうが、工作員なんか送り込まれて引っかき回されて、努力を無にされたらかなわないからな」
カヤードとラスコーが治安維持の警邏隊というのは本当なのだろう。
治安は重要だ。住民の安全をマトモに確保できなくては、他国から横言いされる。必要な支援という口実で軍隊を送り込まれれば、戦後の処置に傷が残る。
そしてそれは同時に、治安さえ乱してやれば、いくらでも横言いできるということだ。
「工作員って……カヤードたちは魔族と戦ってるのに、その足を引っ張るの?」
ミルクスが信じられないといった顔をするが、するんだよ人間は。森に住む高潔なエルフじゃないからな。
「今は分裂してしまっているが、滅ぶ前のロムタヒマは周辺諸国を取り込んで大国になった国だ。バハン、ウルグラ、ニルスヴィクなどの国は被支配関係とはいえ、元はロムタヒマだった、と言っていい。―――そして、ならば。いざ支配者のいなくなったロムタヒマ国土をどうするか、となったとき、支配権の正当性は誰が持つのか、という問題になる。……これはモチロンだが、ロムタヒマの貴族だって全滅してはいないものとする」
「そこにフロヴェルスという国が正義の人の顔して入ってきてるワケですね……なるほど。どこから足を引っ張られてもおかしくない」
「ちなみにフロヴェルスは国力としては最大手だが、ロムタヒマ周辺諸国全部を相手取れるほどではなく、周辺諸国にとって神聖王国フロヴェルスにケンカを売ることは、セーレイム教の全てを敵に回すことに等しい」
「頭がこんがらがってきました」
まあ森の中のちっちゃな里に籠もってたからな。国家間の領土問題の話なんて分かる方がおかしい。
むしろここまでついて来てたあたり、さすがエルフの知力だと言うべきだろう。
まあ、これ以上は酷だな。そろそろまとめに入っておくべきか。
「まあ、ここで認識しておくべきなのは一つだ。―――おそらくロムタヒマ戦線の司令官は今このときではなく、魔族を倒した後のことを考えてこの状況を選択している、ということ」
三人の視線が僕に集まる。いったいどういうことなのか、と問うてくる。
ヘイツは、あの二人には気をつけろ、と言った。監視役だからと。
僕は逆意見だ。
「ヌルい。目の前の敵を倒す算段もつかない内から、倒した後のことを考えている。まず間違いなく根が戦人ではない。狡っ辛い政治屋だ」
領地問題なんて、もっと強引にやってしまえばいいのだ。この地にやってきた時点で旗を立ててしまえば、あとはゴリ押しでなんとでもなったはずである。
それをしなかった、ということは、頭が回りすぎたということ。後々の面倒を回避するために、要らない面倒を背負い込んだ。
無意味な。
間諜の監視? 意味などあるものか。文句なんてつけようと思えばいくらでもつけられるんだ。それを全て無くそうだなんて……無くすことができるだなんて、もはや思い上がりである。
いいね、がぜん興味が湧いてきた。
「―――レティリエ。そういえばまだ聞いていなかったが、ロムタヒマ戦線の総司令官が誰か分かるか?」
僕の問いに、かつてロムタヒマ戦線にいた勇者は、複雑な表情で答える。
「……フロヴェルス王国第一王子、ナーシェラン・スロドゥマン・フリームヴェルタ様です」
第一王子……ってことは、エストに殺されかけた兄ちゃんか。
面白い。
「ぜひ会いたいな。話してみたい」
コンコン、と。
屋上から窓枠をつたって部屋に戻った丁度のタイミングで、扉がノックされた。僕らは四人で顔を見合わせる。
来客だが、全員が心当たりなさそうな顔だ。誰かが約束していたわけではないらしい。
「居るよ。誰だ?」
ここは男部屋だ。代表して僕が扉の向こうへ声をかけると、もう聞き慣れた声で返答がくる。
「うちだよー、うち。開けてくれないか?」
「ああ、メリアニッサか。今開けるよ」
レティリエ、モーヴォン、ミルクスの順に、全員の目を見てから、僕は一つ頷く。
ヘイツの話では、カヤードとラスコーの監視対象は僕らとメリアニッサらしい。……つまり裏を返せば、フロヴェルス軍はメリアニッサがスパイである可能性を考慮している。
もちろんそうであると決まったわけではない。が、警戒はすべきだ。
僕は錬金術の術具が隠してあることをしっかり確認して、扉のカギを開く。
―――まず気づいたのは、酒精の匂いだった。
「いよーうリッドぉ、星は見れたかい? 見えなかったろ曇ってるもんなアッハッハ!」
「酒臭ぇ! こら、抱きついてくるな。テメェ今まで飲んでやがったな!」
いきなりくっついてこようとする吟遊詩人を引きはがす。くっそ、今のはいろんな意味でちょっとドキッとしたぞチクショウ。
今日は丁半の無い日だから酔っ払っていてもかまわないが、迷惑行為はやめろダメ女。
「お、みんな揃ってんね。丁度いい。ちょっくら相談したいことがあるんだよ、入っていいか?」
こちらが返答する前に、ずいずいと入室するメリアニッサ。なんだか上機嫌で、変な鼻歌まで歌っている。
彼女は唖然とする僕らを前に、床へあぐらを掻いて座った。
「実はね、うち、一つ気づいたことがあるんだ」
そう語り出す彼女はとても上機嫌で、キタラが手元にあったら一曲演奏しそうな調子だった。
対する僕らには、緊張がはしる。いったい何に気づいたのか。そして、それを僕らに伝えて何を相談しようとしているのか。
「気づいたこと、ですか? 何をでしょうか」
レティリエの声が固い。だが責める気にはならない。
一番マズいパターンは考えるまでも無く、メリアニッサが他国からのスパイで、レティリエが勇者だと気づかれること。場合によっては、錬金術で魔具を作成する傍らに暗躍する計画が全てご破算になりかねない。
「うち、ラスコーとカヤードと一緒に丁半の準備を始めただろ? カヤードは全然手伝わないけどさ」
「気づいたって、ラスコーたちのこと?」
ミルクスが食い気味に聞く。
あの二人が監視役だと気づいたという話なら、それはそれで少し難しい。メリアニッサの立ち位置が分からないし、なぜ僕らに相談をするのかも分からない。
彼女がスパイで僕らを怪しんでいる場合を想定するなら、相談は互いのカードの探り合いになる。が、仕掛けてきた向こうに勝算があると考えるべきだ。
「いいや、違うんだよ。ラスコーは関係があるが、あいつ自身のことじゃないんさね」
メリアニッサは首を横に振る。
ラスコーに関係あるが、彼のことではない……話が見えない。なんだ?
「では、何の話でしょう?」
モーヴォンが聞くと、吟遊詩人の女はニンマリと満面に笑った。
「スズさ」
意外にも、出てきたのは宿屋の看板娘の名前。
誰もが予想だにしていなかったため、三人とも首を傾げたり眉をひそめたりしている。
「うちとラスコーが一緒に居る時に限って、あの娘の視線を感じるんさね。うちが思うに、これはきっとスズがラスコーに恋をしてて、うちに嫉妬してるんじゃないかと―――ん? どしたの、四人とも?」




