丁半の仲間たち
大きな羊皮紙に魔術陣を描き、術式を綴る。焦らず、正確に、意味の狂いを起こさないように。
一つ書き終わって、慣れた手つきでインクの配合を変える。先ほどのよりもほんの少し魔力の抵抗を増やし、しかし一度通れば問題なく流れるように。
インクの配合を問題なく終えてから、僕はさっきの魔術陣に術式を書き足していく。
時間差で発動するような調整は、二百年前の勇者の仲間であるハルティルクが開発したものだ。
平面に立体魔術陣を描くという発想で、当時はかなり画期的な技術として広まった。……が、あまり流行らなかった書式である。
インク配合の調整が難しく、また幾重にも書かれた術式を成立させる難易度が高い。
そもそも魔術師達の多くは魔術陣を補助くらいにしか使わないため、あまり必要が無い。
そりゃ、流行らないのも当然である。……が、好んで使う者もいる。
安いし、一人でできるからな。これ。
発動にはまた別途素材が必要だが、術式構築に必要なのは、紙と魔力に親和のあるインクだけだ。
本気の立体魔術陣となると場所と回路繋ぎと力場調整に四苦八苦するし、建築には人手と時間がかかる。もちろんそっちの方が良い場合もあるが、僕はその方法をとるのは現実的に考えて不可能だ。
呪文を使えず裕福でもなかった僕には、これがもっとも現実的な魔術陣の書き方だった。ヒーリングスライムも最初はこれで造っていた。
とはいえこれ、めっちゃ集中力いるんだけどな……。
「毎日部屋に引きこもりっぱなしでよくまあ飽きないわねあんた。ねぇ、ちょっと聞いてる? さっきから無視してるけどケンカ売ってる? そろそろドツクわよホントに」
めっちゃ集中力いるんだけどな!
「……ミルクス、部屋に入ってくるなら最初に声をかけるように。人間の世界でのマナーだぞ」
「ちゃんとかけたわよ。あんたが気づかなかっただけ。あと、エルフの里でも当たり前のマナーだわ、それ」
そっか、エルフの里でも当たり前か。まあ急に部屋に入られたらビックリするもんな。せめて見られちゃヤバイもん隠す時間くらいは欲しいよな。違法行為の証拠とか。
「? というか、いつもの毛皮はどうした? あと服もいつものと感じが違うような……」
一目で分かる、普段とは違う姿に驚く。
ミルクスはいつも頭から毛皮を被っているのに、今日は珍しく何も乗せていない。短めの若葉色の髪がさらりと流れて、なんだか普通に美少女のようだ。というかエルフなんだから美少女なのは当然なんだけど。
服も機能優先の旅装ではなく、ロムタヒマの女性が普段着にしていそうなブラウスと膝下までのスカートに、だぼっとしたコートという姿。
新鮮な感じだが、正直、らしくない、という率直な感想が浮かぶ。が、しかしこれはこれでちゃんと似合うあたり、顔が良いって得だよな。
「どう? スズに服を貰ったの。もう着れなくなったヤツだからって」
「ああ、お古をもらったのか」
腰に手を当て、胸を張るミルクス。
たしかにこの服、スズが着ると袖とか足りなそうだ。ミルクスは小柄だからちょうど着れたのだろう。
「よかったな、似合っているよ。ちゃんとお礼は言ったか?」
「ええ、もちろんよ」
ふふん、と上機嫌に微笑むエルフの少女。なんだか得意げだが、服装が少女趣味に寄ってるためそういう仕草もかわいらしく見える。
「ただ、君は何かのこだわりがあってあの毛皮を被り続けているのだと思っていたが」
「……別にそういうつもりはなかったけど、正直頭に何ものっけていないのが寂しいわね。スズにこの服装だと合わないって言われたのだけど」
「その服装で狩りに行く者はいないからな。裾とか引っかけそうだ」
毛皮は人の匂いを誤魔化してくれるし、木々の枝から頭を守るのにも被り物は役立つ。狩人としてあの森で生きていた彼女にとって、あの毛皮がないと落ち着かないというのは分かる話だ。
「この町の人、毛皮被ってる人いないものね。もしかしてあたし、変だった?」
「街中では珍しい部類だが、君はエルフだからな。格好が多少目立っても文化の違いで済む。気にしなくて良いだろ」
この世界にはエルフ以外にもたくさん異種人族がいる。人間だって地域ごとに文化が違う。
服装なんて、それこそドレスコードのある場所以外は自由にすれば良い。……目立ちたくないなら別だが。
「それより、リッド。あんたもちょっと来なさいよ。外でみんな集まってるから」
「みんな?」
僕らが開催している丁半は第二回、第三回もおおむね好評に終わり、その一方で僕の作業も一応は順調に進んでいた。
そろそろこの生活にも慣れてきた。特に僕なんかは一日の大半を魔術陣制作に費やすため、ほとんどルーチンワーク化してきている。
ラスコーとメリアニッサも今のところ仲の進展はなさそうだが、幹事の仕事はちゃんとこなしてくれて、運営も楽になった。
問題は無い。全てが上手く進んでいる。
……はずだ。
「……あれは何をやってるんだ?」
宿屋の庭先に出てきてみれば、もう見慣れてきた丁半の主要メンバーが集まっていた。
兵士のカヤードとラスコー。吟遊詩人のメリアニッサ。宿屋の娘のスズ。昼にしては珍しく、ドワーフの鍛冶師ヘイツまでいる。
そしてレティリエとモーヴォンも、同じ場所にいた。
みんなの注目を集めているのはレティリエだ。
彼女は鞘に収めたままの氷雪の剣を振りかぶり―――そのままの状態で止まっている、のか? いや、よく見るとゆっくりとだが動いているな。何だあれ?
「訓練だよ。フロヴェルス兵式のな」
「一番嫌なヤツだ」
僕の声にはカヤードが応え、ラスコーが全然足りていない補足をする。
「こんにちは、リッド。それともおはよう? よく分かんないけど、速く剣を振るためには、遅く振る練習をするべきだって。意味分かる?」
スズが軽く手を挙げて挨拶してくれる。
遅く動く練習……ってことは、あれは素振りの動作をゆっくりやってるのか。
なんかそういうの、前世の漫画か何かで見た気がするな。どんな効果があるんだっけ? 費用対効果釣り合う?
「ちょっと分からないな。剣術はさっぱりだ。カヤード、ラスコー、もっと細かい説明を頼む。まさかうちの剣士さまを騙して見世物にしてるわけじゃあるまいね?」
肩をすくめると、二人の兵士は顔を見合わせた。そして、ニヤリと笑う。
「騙してなんていないさ。……だがそうか、お前でも分からないか。これは気分がいいな」
「ああ、年下のくせに何でもかんでも分かってますみたいな顔しやがって、ついに立場が逆転したぜ」
「君ら実は僕のこと嫌いだったりする?」
僕、君らについては嫌われる覚えないんだけどな。いつも頑張って陽キャラ演じてやってるし。
「流れだよ、流れ」
「彼女から訓練の仕方を聞いてきたんだが、丁半の集いの者に教えるなら、これがふさわしいと思ってな」
にやっと笑ったラスコーの言葉に、カヤードが頷く。
そこにメリアニッサが割り込んだ。
「うちは分かるよ。速く正確に楽器をつま弾くためには、まずはゆっくりしっかりと指運びを覚えなきゃいけないからね」
そう言って、吟遊詩人は超絶技巧でキタラを鳴らす。おおー、っとミルクスとスズとラスコーから拍手が飛んだ。
気分が良くなった彼女はノリの良い曲の演奏に入るが、じりじりとしか動けないレティリエが若干やりにくそうに表情を歪める。
「迷いは鎚を鈍らせ、もたつけば鉄も冷める。このままで良いのか、と疑問を感じたときは実力以下の力しか出せんもんじゃ。どうすればいいか、を探る訓練は悪くないじゃろう」
そう言ったのはレティリエの革鎧を手入れしてくれているヘイツだ。話しながらも手を動かす様子を、隣でモーヴォンが興味深そうに観察している。
……よく彼女が自信を無くしてるの見抜いたな。魔王に全然通用しなくてヘコんでたってことまでは、さすがにバレてないだろうが。
「ま、メリアニッサやヘイツの言った通りだ。ああやってゆっくり動けば、否応なく身体のどこの部分が動いているのか頭で理解する。そしてそれを理解したら、どこを直せばもっと効率よく動けるか分かってくる。身体の動きの流れを、頭と全身で覚えさせる目的の訓練だな」
「あと、意外とキツいから体力がつく。ゆっくり動く方が剣も身体も重く感じるからな」
なるほど。
訓練と言ってもただ闇雲に剣を振るより、どう動けばいいか頭で考えながら訓練した方が実になる。
重力の関係上、速く動くより遅く動く方が負荷が大きくなる。
わりと理にかなった訓練方法だ。
ただこの訓練には、身体の動きの意味を理解できる、という程度の技量が必要だろう。
僕とかがやっても恥ずかしいだけだあれ。
「なあリッド。彼女はフロヴェルス人だよな?」
カヤードの鋭い指摘には、驚きが顔に出ないよう意識した。
「ああ。分かるか?」
「言葉遣いや所作でもなんとなく察していたがな。剣の型がフロヴェルス兵のそれと似ている。……とはいえ兵役したことは無いだろう。退役したにしては若すぎるし、我流らしき動きが目立つ。なにより正規兵だったなら、訓練の仕方を教えてくれなんて言う必要がない。基礎だけ習って実戦で磨いた感じか」
ドンピシャぁ……。
レティリエは姫様お付きの侍女として最低限の護衛術を習得しただけだし、勇者になってからはその力を扱う方法を重視してきた。
そりゃ、我流は入るだろう。彼女に剣の師なんていないから、訓練の方法すら侍女時代の記憶頼り。その上、想定する敵は基本的に人外ときている。
「彼女は知り合いの冒険者パーティの一人でね。いろいろあってパーティを抜けてソロをやるって言うんで、それならと護衛に来てもらったんだ。……こう、予算的に渡りに船でな」
「あまり腕は良くないな」
辛辣ぅ……。
まあ、勇者の力を使えばカヤードやラスコーなんて瞬殺できるだろうが、剣術だけで見ればそういう評価になるだろう。
レティリエの剣技練度は一般兵にすら届かない。
しかし―――だからこそ、彼女が強くなるには、剣の腕を上げることがもっとも手っ取り早い。
レティリエが訓練の仕方を二人に教わったのは、そう考えてのことだろう。
「だが、剣が素直だ。訓練すればいい兵士になれる。いい戦士にはなれないが」
「……それ、どう違うんだ?」
カヤードの評価に、僕は眉をひそめる。兵士と戦士はどちらも戦う者だが。
「好き好んで戦うヤツの方が強くはなる、ってことさ」
「なるほど。ちなみに死亡率が高いのは?」
「好き好んで戦うヤツに決まってるな」
じゃあ彼女は戦士じゃなくていい。
「ところで、君らは暇なのか?」
レティリエがやっと素振りを一回終える。
メリアニッサの演奏にミルクスとスズが飛び跳ねている。
ヘイツが革鎧の手入れのコツをモーヴォンに説明しだした。
それらを横目で見ながら、僕はがらりと話題を変える。
ある程度の信頼は得られたはずだ。そろそろ探りに行ってもいい頃合いだろう。
会話でフロヴェルス軍の現状を引き出す。
「暇って何だよ。これでも仕事中だっての」
「そうそう。町の警邏と治安維持が俺らのお仕事。最近は外から来るヤツも増えてきたしな」
こいつら、昼も夜も必ずここで飯食ってると思ったらそういうことか。
「どう見ても暇そうなんだが……」
「町の住民と交流して好感度を上げるのもお仕事なんだよ」
「剣呑な顔していびり散らしてたら反感買うだろ?」
だれてるだけの気がするんだが……。
まあ、彼らは本来他国の軍隊だ。本国から離れて大所帯が行動するには、現地での物資調達が不可欠である。
そして、調達方法は主に二つ。力で奪うか、対価を差し出して協力を仰ぐか。
短期なら前者でいい。だが長期の場合、後者の方が安定する。
現実的に考えて、現状では後者を選んだ方が得だろう。
それにフロヴェルスは神聖王国だ。神の名の下に度を超した非道は……ああいや、歴史上はむしろ信仰のせいで酷くなった例もあったが、基本は非道なんてしない。
「それじゃ、王都の攻略は君ら以外がやってるのか」
「いや、そっちは今休止状態だ」
…………ほほぅ。すっごい困るな。
「冬を前に引き上げたヤツらが、もう夏だってのに一向に戻ってこない。貴族連中が渋ってやがるのさ。一旦本国へ退いたヤツらなんかに、手柄をたてやすい役なんて回すわけないからな。兵を出しても赤字で終わりなのは目に見えてる」
「それで攻めるには戦力不足なのか。世知辛い話だな」
カヤードの説明に舌を巻く。冬を前に人数が一旦減ったから、いくつかの町の一部に入り込んだとレティリエは言っていたが……人数が戻らないから未だに町に寄生してるらしい。酷いな。
あの都には君らの姫さまが捕まってるんだが。
「ま、壁を破ってもあの瘴気があれば突入できないからなぁ。居たところで無駄飯喰らいが増えるだけだ」
「瘴気か……けどフロヴェルス軍としては、何とかして対策は考えてるんだろ?」
「それは偉いさんの管轄だから分からんね。一応、宮廷魔術師を呼び寄せてるらしいが……兵士たちの噂では、大した役には立ちそうにないらしい」
フロヴェルスの術士じゃあなぁ。ルトゥオメレンの術士でも難しい問題だろうに。
「治癒術師は? たしか瘴気を打ち消す術を使えたよな?」
神への祈りをもって奇跡を起こす治癒術は、フロヴェルスが本場だ。宮廷魔術師よりもそっちのが本命だと思うが。
「簡単な術ならともかく、瘴気を祓う術が使えるヤツは数が少ないんだよ。それに、高位の治癒術師が近づくと凄い勢いで魔族が迎撃に来るらしくてな。まあ、それが無かったところであの濃い瘴気、ヤツらに払いきれるとも思えないが」
治癒術士に対するアラートでも仕込んでるのか。魔族の芸術家さんならやりそうだな。厄介な。
「そうか。そりゃお手上げだな。ここの指揮官も頭を抱えてるだろう。……ああ、そうそう。指揮官と言えば……」
「坊、ちょっと来い」
話の腰を折って僕に声をかけたのは、ドワーフの鍛冶師だった。
「……どうしたんだ、ヘイツ?」
「嬢ちゃんの鎧について相談がある。来い」
いいとこだったのに邪魔をするなよ。それに鎧のことなんて分からないぞ。
とはいえ、呼ばれたなら行くしかない。鎧は命を守るための装備だ。軽視して雑談優先なんてできるはずがない。
僕は話し相手のカヤードに断わってから、ヘイツの方へ行く。ドワーフの隣ではモーヴォンが怪訝そうな顔をしていた。
……なんだ? ヘイツと一緒にいたモーヴォンにとっても、僕が呼ばれた理由が分からないのか?
「……ドワーフとエルフは仲が悪いと言うが、どうやらあれは嘘らしいな」
「エルフは嫌いだわい。ヤツらとはことごとくソリが合わん。……が、子供にまで目くじら立てるのはドワーフの恥じゃ」
子供に罪はないもんな。そもそもエルフに罪は無いけど。
「そんなことはいい。それより鎧の話じゃ。もっと近くに寄ってここを見ろ」
ヘイツは鎧の繋ぎ留めの部分を指す。別に変わったところがあるようには見えないが、何かあるのだろうか。
言われたとおり近づいて、よく見てみる……が、特におかしいところは見当たらない。留め紐が痛んでいるわけでもないし、紐通しの穴が裂けかかっているわけでもない。
「あの二人には気をつけろ」
いったい何だろうと首を傾げていると、僕とモーヴォンにだけ聞こえる声量でヘイツが囁いた。
……僕を呼んだのは、内緒話をするためか。
「なぜ?」
問いに、ヘイツは鎧の留め紐をつまみながら答える。
「あの二人の任務は町の警備と……他国から来た間諜の補捉、そして監視じゃ」
モーヴォンが口元を隠し、目を細めて留め紐を見るふりをした。
低く、重い声で、ヘイツは僕らに囁く。
「お主らと、メリアニッサが疑われておる。怪しまれるような真似はせんほうがいい」




