垣間見た向こう側
「おはようございま……ええ?」
部屋に入ってきたレティリエが驚きの声を上げる。
僕は魔視鏡の映像から目を離せなかったので、振り向かず聞いた。
「おはよう、レティリエ。どうかした?」
「いえ……もしかして、ずっと起きてたんですか?」
指摘されて、僕はやっと窓から朝日が差し込んでいるのに気づいた。どうやらまた徹夜してしまったようだ。
「ああ。君から借りた魔石を調べていたんだ。……これは凄まじいな」
「そうなのですか?」
「そうなのですよ。術式の組み方が半端なくて、回路がほとんど抵抗ゼロの最大効率。魔術陣の球の完璧さがそのまま内包魔素の安定に一役かっていて、少量の魔素を常時励起させ走らせることで驚嘆の堅固さを誇っている。変換機構と濾過機構が共振増幅の余波で不安定になった大気中のマナごと循環系に取り込むような構造なんて、ほぼ永久機関を実現している。超高度のバランス感覚と狂気の構築が織りなす術式は圧巻の一言だ。惜しむらくは魔石の強度と大きさだけど、無理な使い方をしなければ百年以上の……」
「何を言っているのか十割方分かりません」
せめて一割くらい分かってくれないかなぁ。
「それで、結局何が分かったんですか?」
……それを今説明してたんだけどなぁ。
僕は映像から目を離し、身体ごとレティリエに振り向いた。
やっと起き出してこれた彼女の服装は男物の寝間着のままだが、余った袖や裾を捲ったり紐で縛ったりして調整している。長い黒髪も後ろで一つにまとめて動きやすそうだ。
そういえば料理したいって話だっけ。調理時の邪魔にならないよう、裾も髪も寝室で整えてきたのだろう。
「人族は滅亡するね。間違いなく」
他人事のようにあっさりと、僕は端的に伝える。
「……そこまで危険なマジックアイテムだったのですか?」
にわかには信じられないという面持ちで、レティリエは魔視鏡に設置された魔石を見た。
「その問いの答えは、イエスでありノーだな」
相手は素人だ。わかりやすく説明するために、僕は言葉を選ぶ一拍の間を挟んだ。
「この魔具自体に大したことはできない。周辺を結界で覆い、大気中の瘴気濃度を操作する。機能としてはそれだけの魔具だ。瘴気を祓う浄化の結界の中で、瘴気の結界を張っていたわけだな。ちょっと凄まじく強固な術式は組んであるけれど、範囲が狭いからこれ単体なら大した脅威はない。……だいたい、これくらいより少し広いくらいだね」
僕は両手を大きく広げて範囲を示す。ちなみに人間が両手を広げたときの幅は身長くらいだ。設計者の意図を推測するなら、個人用ってことだろう。
レティリエの表情を窺う。真剣な顔。どうやらまだついてこられているようだ。
僕はさらに続ける。
「問題はこの魔石が、瘴気の結界を張るという点だ。極小の魔界を作る魔具、と言ってもいいだろう。……これは君に聞いた話だけれど、ロムタヒマの外壁は瘴気に覆われているんだったよね?」
「あ……それは、つまり」
言いたいことが伝わったのだろう。レティリエの瞳に理解の色がともる。
「これと同じ物か、その応用の技術がロムタヒマの外壁に用いられている可能性は高い。これは真剣に問題だ。こういった魔具が量産できるなら、人族は住処を奪われ放題になる」
「ですが、なら、それを取り除けば……!」
「戦線の打開に繋がるかもしれないね。うん、可能性はある。僕もウイルス……対抗するマジックアイテムが作れないか挑戦してもいい」
「できるのですかっ?」
飛びつくように詰め寄ってくるレティリエ。近い近い近い。
「本当にそんなものを造れるのですか!」
「ここに見本があるからね。穴さえ見つけられれば機能停止に追い込むことは不可能じゃない。もちろん条件にもよるけど……どれほど強固でも、完璧な術式は存在しない」
「ああ、神よ。この出会い、導きに感謝します」
祈り始めちゃったよ。
というかやっぱこの子、神聖王国の出身なんだろうな。略式でも祈り方が正統っぽい。
「ただ、本当の脅威は別にある」
僕はあえて強い口調を使って祈りを遮った。
とても重要なことだ。致命的なほどに。
レティリエが祈りに伏せていた顔を上げ、こちらを見る。僕も彼女をまっすぐ見返してから、真なる脅威を口にする。
「この魔石はアーティファクトじゃない。現代の術士が造った物だ。そして、人間にこんな魔具を造れる術士はいない。伝説上にしか存在しないエルフやドワーフの王クラスでも、果たして届いたかどうか、ってレベルだよ。……そんな相手が、今回の魔王軍にいる」
それはあまりにも最悪で絶望的で、当たり前の話。
製作物があるなら、製作者がいるのだ。
「コイツはヤバいよ。この世界の人族くらい、簡単に滅亡へ追い込むだろう。魔王より厄介な、まさしく災厄だ」
「おっはよー。食料とか持ってきたよー」
部屋内を支配した重苦しい空気は、両手いっぱいに荷物を持ったワナの能天気な声で振り払われた。こういうときありがたいよな、この幼なじみ。
「ん? なになに? なに見てるのそれ?」
「今をときめく最新マジックアイテムの内部構造さ。なんなら日が暮れるまで解説するけど?」
「よっし、朝ご飯にしよう! あ、レティもう起きてこれたんだね。何か食べたいものある? ここの備蓄は気持ち悪いから、いろんな材料多めに買ってきたんだー」
気持ち悪いってなんだよ、衛生管理はちゃんとしてるぞ。ていうかもう愛称呼びなのすげぇな。
ワナのコミュ力に呆れながら、天然石を回収して魔視鏡を停止させる。どうやらうるさくなりそうだし、もう解析どころではなさそうだ。
「今日はレティリエが作ってくれるんだってさ。ワナや僕の雑な料理じゃ満足できないらしいよ」
「そ、そういうわけでは……」
「おお、レティってもしかして料理上手? 教えて教えて。あたしにもできそうなやつ!」
「それじゃ僕は寝るから、朝ご飯できたら起こして」
完徹明けで女の子たちがキャイキャイ騒ぐ中に入る気力などない。僕は部屋の隅まで行って毛布に包まって、睡眠に逃げることにした。
僕は魔術に比べ、錬金術が劣っているとは思っていない。
前世の世界を経験したから分かる。個の力には限界がある。この世界ではその振れ幅も大きいようだが、マクロに見れば誤差範囲だ。
いずれ魔術と錬金術の立場は逆転する。剣を振るう戦士の時代から、長距離ミサイルの時代に移り変わるように。
それは当然の流れだ。文明が進む上で必ず通る過程。
異世界転生者から見れば、この世界もどうせそうなる、という分かりきったレールの話。
けれど、まさか。
魔族が先にやってくるとは思わなかった。
魔族は基本、強い。個の力が人間とは段違いだ。だから必然、自分の肉体や魔術を駆使する戦い方を好む。……はずだった。
―――いや、大半の魔族はまだそうだろう。荒っぽくて野蛮で残忍な、魔界に適応する邪悪な者たちのままだろう。
だが問題は、あの魔石を持っていたのが魔王だってことだ。
あの魔具は一朝一夕でできるようなものではない。それどころか、あんな魔術陣を描くならまず、かなりの設備が必要なはずなのだ。
人員、機材、資材、資料、環境、etc。
仮に魔王がそれをすべて整えて研究を命じたとしたなら、それだけ魔具の有用性を理解し認めているということ。
間違いなく、人族にとって歴代最悪の魔王だろう。
これまで人族は数と知恵の利があった。だから歴史上、魔族との戦いは最後に人族が勝てていた。
しかし今、片方は完全に覆されようとしている。
今までどおりじゃ勝てない。そんな予感が強くあった。
そして今代の勇者は……レティリエ・オルエンは、そんな戦いに身を投じなければならないのだ。