異世界でも僕はやっぱり引きこもる 1
「あなたは、異世界から転生してきたのでしょう?」
あまりにも儚く、さみしそうに、けれど悪戯っぽく微笑んで。
己の死を受け入れたその少女……今代の勇者は、僕の秘密を射貫いたのだ。
フラスコから少量、淡く山吹色に輝く液体を垂らす。フォウン、という小さな音とともに力場が生じて、滴を空中で受け止める。
床の魔術陣に魔力が流れる。重ね描きを書き順のままなぞり、止まることなく連続起動。
頭の中で流れるのは三分料理の音楽だ。こんな下らない記憶は今世に持ち越さなくても良かったが、こういうのに限って残ってるのがいかにも僕らしい。
「疑似魂魄の作成。霊核構築。構造情報入力」
流体が輝きながら蠢き、ゲノムの螺旋を形作る。データが媒体にインストールされていく。
この世界における僕は、錬金術師。
専門は人工生命。つまりホムンクルス。
前世にもなかった、一から生命を造る技術だ。
「やっほー! リッド、邪魔するよー」
ノックもなしに勢いよくドアが開かれ、満面の笑顔の少女が飛び込んできた。心臓が飛び跳ね、慌てて体で液体と魔術陣を隠す。
「ワナ! 部屋へ入るときは声をかけてって……」
「お、なになにリッド。何を隠したの? まさかまさか、今巷で話題のポルノ紙?」
「ドアを閉めろ不良魔術師! 外の光と空気で術式が乱れる!」
「あはは。心配しなくても、リッドの書く式はこんなんじゃ壊れないって」
僕の悲鳴を笑い飛ばしながら、まだ幼さの残る赤髪の少女……ワナ・スニージーは扉を閉めた。気の強そうな鳶色の瞳を細め、ふふんと得意げに笑う。
「リッドの式は几帳面で変態的で揺らぎが少ないって、お師匠様も褒めてたしね。ここまで完璧な環境整えるなんて、徹底主義過ぎだよ」
「変態的ってなんだよ……変態的ってなんだよ。ああもう、君は雑すぎるんだ。君が中位に上がれないのはその性格が原因なんだぞ。そら、早く顔を拭け」
水瓶で布を濡らして、僕は無遠慮な幼なじみに投げつける。冒険から帰ってきたばかりなのか、彼女の顔や服は土で汚れていた。
「おおうっ! っと、ごめんごめん、直で来たからさ。でもこの程度で影響気にするなんて、もしかしてついにあの夢のやつ?」
「あれはまだ先の話だ。今日はいつものやつの量産型試作だよ」
「量産……また物好きなこと考えるなぁ」
魔術師は一点もの大好きだからな。
「僕は錬金術師だからね。君らとは視点が違うんだ」
実はこれ、研究用に大量に欲しいんだよな。あと、前世で地獄のような薄利多売の価値観も根付いてる。
「あ、ってことは被検体いらない?」
「……どっか怪我したの?」
というか、絶対治療目的で即ここにきたろコイツ。
ワナは魔術師では珍しい冒険者だ。元々活発な性格だから、室内の研究よりフィールドワークの方が性に合っているのだろう。
ただ冒険者って魔獣や魔族と戦ったりするから、怪我がつきものなんだよな……だから彼女は何かあると、すぐにここへ来る。
「うん、ここ」
そう言って、彼女はスカートをまくり上げる。あの、僕一応男なんですけど。
反射的に目をそらしたけれど、見ないと怪我の程度がわからないのでチラッと横目で視界に入れる。わお、なんか逆に変態っぽい。
「……爪か? 小型の獣か魔獣だな」
膝の少し上あたりにある傷を見て、判断する。
大したことはない。浅いし、この程度なら歩くのにも支障はないだろう。
「そう、猫っぽいけど角が二本生えてた。知ってる?」
「角は耳の横? 角山猫か。消毒はした?」
「リッドがいつも言ってる通り、洗ってお酒かけといたよ。すっごい染みたけど」
「そりゃ重畳。こっちも……うん、ちょうどできたとこだ」
魔術陣を見ると、全工程が終わっていた。宙に浮いていた液体は小さく結晶化して転がっており、僕はつまみ上げて色味を確認する。
透明度の低い、淡い水色。
「なんか、いつものよりずいぶん小さくない? ほんとに大丈夫なの?」
すぐ近くに寄ってきたワナが、心配そうに僕の手元をのぞき込む。
「量産の試作品って言ったろ? 数試すんだから材料はケチるに決まってる。これでも十分に効果は発動するはずだよ。さ、もう一度患部出して」
「ん」
僕の催促にワナは素直に足を見せる。さっきよりも間近で少女の白い肌があらわになる。これは医療だからやましいことなどないこれは医療だからやましいことなどないこれは医療だから。
『結晶解凍・ヒーリングスライム』
この世界の呪文とは違う、力持たぬ言語。ただの合い言葉なオープンセサミ。懐かしく、思い出したくもない前世の言語。
こいつはこれで起動するようにプログラミングしてある。
前世の言葉って暗号代わりに使えるのいいよね。自分の研究成果とか絶対盗まれたくないし、発表する気ないデータは全部日本語で記録してる。昔、チラ見したやつに思いっきり頭おかしい扱いされたけど。
つまんだ指先から魔力が吸われる。同時、どろりと結晶が溶けて肥大化する。
爪先サイズから手のひら大になったそいつを、僕はワナの傷にくっつけてやった。
「あふぁっ、わ、うわぅ……やっぱこれ気持ち悪ぅ、ゾクゾクするわ」
「変な声出さない」
こっちもゾクゾクするだろ……。
僕の専門はホムンクルス。つまり人工生命だ。このヒーリングスライムは僕の研究……の失敗作から作られた副産物的なもので、一応の成果と言える。
このスライムは生命力を分け与える性質を持つ。
簡単に言えば、自身を消費して治癒術に似た効果を発揮するのである。
魔術師にとって、治癒はかなり難易度の高い術だ。生物の体って複雑かつ細かすぎるからな。けれど教会の治癒師のように聖なるものに縋るなら、素養と信心で発現してしまえるのが治癒術である。
だから魔術師は普通、治癒なんて研究するだけバカらしい、という共通認識を持っている。けれど僕はある失敗から、生命力を生命力としてそのまま分与することで、治癒と似た効果を発揮する人工生命を思いついた。
ただの移動なら、複雑な変換術式は必要ない。もちろんスライムは衰弱するし最終的に死に至るが、学究の徒として人工生命に哀れみをかける気はない。
「ああ……ありがとう。ごめんね」
足の怪我を治し、しぼんで動かなくなってしまったヒーリングスライムをワナがつまみ上げると、儚くも空気に溶けて消えていく。
足の怪我はきれいに癒えて、痕すら残っていなかった。