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メルデウスの御竜士  作者: 霧原真
第2話 夏の光は遠く
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4. 夏の光

 ソールシウス・エグランティウスは、御竜士評議会の仄暗い小部屋で、ひとり座り込んでいた。


 春も終わりに近づいたその日、御竜士評議会の本部では候補生の試しが行われていた。十四歳になったソールもこの試しに加わっていた。

 《資質の試し》で竜珠環を使った直後、ソールはめまいに襲われ、この部屋に連れて来られた。気分が収まれば帰ってもいいとだけ言い渡すと、ソールをひとり残し、試験官は足早に立ち去っていった。

 部屋はがらんとしていた。いくつかの椅子と、小卓がひとつ。小卓の上にはコップと水の入った水差しが置かれている。

 この水は好きに飲んでもいいものなのだろか。試験官は特に説明することもなく去っていったが。


 めまいはすでに治まっていた。竜の心に触れることに慣れていない者が竜珠環を使った後には、時折こうした現象が起こるものらしい。

 試しを受けるよりも前に、ソールは二度ほど竜珠環を使用している。叔父に頼み込んで、叔父が所有している竜珠環を使わせてもらったのだ。

 御竜士になれるだけの資質が自分にあるかを、ソールは事前に見極めておきたかった。資質がなければ候補生の試しに挑んだとて意味がない。資質を持たないものが御竜士になることなどありえないのだから。

 結果、たしかにソールには資質が具わっていた。それもかなり強いものであるようだ。ソールは竜の心を感知して会話を交わすことができたし、竜珠環をはずした後でめまいに襲われもした。

 めまいを覚えるという現象は、資質の強さを示すものであるとも言われている。深く竜の心に入り込んだからこそ、接触を失った後の反動も大きくなるのだという。


(それにしても、違うものなのだな)

 ソールは竜の心に触れた時の感触を思い出していた。

 叔父の竜珠環の竜はまだ若い紅鱗種だったが、先ほど試しの中で触れた竜は、老いた金色種の雌竜だった。

 叔父の竜はひたすら空に焦がれていた。生真面目で、それでいてどこか気が急いているような、若々しい生気を漂わせていた。一方、試しの竜は静かで落ち着いていた。こちらを包み込み、愛しんでくれるような、そんな感触があった。

 だが、いずれの場合でも共通していることがある。

 竜の心とともにあることはひたすらに心地よく、だからこそ、竜珠環を外した時の喪失感は――耐えがたくすらある。



 扉の開く気配がした。

 壮年の男に支えられるようにして、ひとりの少年が部屋の中に入ってくる。

 男には見覚えがあった。たしか試しの場にいた試験官のひとりだ。だとすれば、少年は受験者だろう。ソールと同じように、竜珠環の使用によって不調を覚えたのかもしれない。

 試験官はソールのすぐ隣にあった椅子を引き、うなだれている少年に腰掛けるようにすすめた。そしてソールに目を移すと、口を開いた。

「ああ、まだここにいたのだな。さほど具合が悪そうには見えなかったのだが、まだ気分が優れないのか?」

「いえ、もう大丈夫です。ただ、すこしぼんやりとしておりました」

「そうか。つらいようならば、無理をせず声をかけてほしい。それと、もし余裕があれば、こちらの子の様子を少し見ていてもらえるとありがたい。だいぶ具合が悪そうなのだが、私はすぐに試しの場に戻らねばならないのだ」

「はい。それはよいのですが、どのようにすれば」

「あまり様子がおかしければ、誰かを呼んでほしい。後はそうだな、吐き気を催しているようなら、隅に桶があるから、それを使うように。喉が渇いたり口をすすぎたくなったら、そこの水を」

(私をこの部屋に連れてきたときに、そういったことも説明しておいてくれればよかったものを)

 内心でそう反論しながらも、ソールは黙って頷く。


「あ……大丈夫だと、思います。たぶん」

 隣に座る少年が顔を上げて言葉を発した。だが、その顔色は冴えず、無理をしていることは明らかだった。

「目を閉じて、呼吸を整えることを心がけなさい。しばらくすれば落ち着くはずだから」

「はい……」

 試験官の言葉に、少年は弱々しい調子で答えた。

(かなり具合が悪そうだ)

 自分はこれほどではなかった。とすれば、この少年と自分とに対する試験官の態度の違いは、ただこうした症状の違いによるものなのか。ソールがエグランティウス家の人間であるから邪険に扱ったのではないかという疑惑は、ただのひがみに過ぎないのかもしれない。

「では、私はこれで。何かあれば遠慮はしないように」

 そう言い残して、試験官は立ち去っていった。


「君も、候補生の試しを受けに来たのかな?」

 目を閉じて顔を上に向けたまま、横に並ぶ少年がソールに話しかけてきた。

「気分は大丈夫なのか?」

「うん……ぼんやりしているより、何か話していたほうがよさそうな気がして。たぶんこれは、切り替えができてないせいだと思うから」


 少年の言葉には思い当たるところがあった。

 竜の心は心地よい。それだけに、もう繋がってはいないという事実が、受け入れがたいもののように感じられる。だが、人間と触れ合うことによって、現実感が戻ってくる。だから、ただぼんやりとしているよりも、会話を交わしているほうが回復が早いのだろう。


「私も試しを受けにきた者だ」

 そう答えて、ソールは少年を改めて眺めた。

 目を閉じているので瞳の色はわからない。短めに切りそろえられた金髪は癖っ毛で、あらぬ方向にくるくるとはね上がっている。


(あの人に、似ている)


 少年の容貌は、記憶の中に深く沈みこんでいる人物を思い起こさせる。

「ああ、やっぱり。じゃあ仲間だな。僕はラウレンティウス・ウォルシウス。君は?」


 ――ウォルシウス。


 やはり、そうなのか。

 金の髪はウォルシウス家の特徴だ。そもそも、ウォルシウス家の子弟が候補生の試しを受けにくるのはごく当然のことで、意外でも何でもない。

「私はソールシウス・エグランティウス」

「エグランティウス?」

 驚いたように少年は問い直すと、目を開いてソールの顔を見つめた。


 榛色の瞳だった。

 目を開けると、少年はますますあの人を連想させた。

 あの人――父とともに去っていった、マルセリウス・ウォルシウスを。


(あざけるつもりか。それとも問い詰めるのか。エグランティウスの者が、なぜこの場にいるのだと)


「そうか。エグランティウス家の人も、試しを受けてもいいんだった」

 そう言って、ラウレンティウス・ウォルシウスはにこりと笑った。

 無邪気な表情だ。嫌味もたくらみもまるで感じられない、曇りのない表情。


(どうして)


 不意に、かきむしられるような痛みが、胸にこみ上げてきた。

 屈託なく微笑む少年が、なぜかひどくうとましかった。


 竜珠環の着用によって気分が悪くなる。それは優れた資質を示唆するものだ。

 環境に恵まれ、資質にも恵まれた少年。あの人に似た容貌で、あの人と同じような態度で接してくる、満たされ、欠けるところのない、同年輩の少年。

 きっと彼はやすやすと試しに受かり、まっすぐに御竜士への道を歩んでいくのだ。進むべき道を疑うことも、可能性を阻害されることもなく。


 ――自分とは、あまりにも違う。


「ここで一緒になったのもきっと何かの縁だな。よろしく」

 そう言って、ラウレンティウス・ウォルシウスは、右手を差し出してきた。

 その手を取るべきなのだろう。だが、ソールの中の何かがそれを押し止める。

 ソールのためらいを感じ取ったのだろうか。ラウレンティウス・ウォルシウスは怪訝そうにソールを窺い見た。


(なにを大人げないことを)


 目の前の少年に対する反感など、おおよそ意味のないものだ。如才なくふるまえばいい。今までもずっとそうしてきたではないか。

 そう自らを戒め、ソールはおのれの右手を差し出して、少年の手を軽く握った。


「よろしく」


 暖かく、さらりと乾いた手だった。

 握手をしながら、ラウレンティウス・ウォルシウスは再び破顔した。その笑みの明るさが、ソールには耐えがたかった。


(もうたくさんだ)


 ソールはすっと手を引くと、少年から顔を背けた。


「気分はどうだ?」

 顔を背けたまま、ソールは素っ気なく問いかける。

「あ……うん。おかげさまで」

 答える少年の声はどこまでも明るい。

「そうか、では私はこれで」

「え?」

「君が大丈夫だというなら、私はそろそろ失礼させてもらう」

「あ、そうか。ごめん、面倒をかけてしまってた?」

「いや」

 そう答えると、ソールは椅子から立ち上がり、扉へと向かった。


「そうだ」

 ソールが扉に手をかけたところで、ラウレンティウス・ウォルシウスが声を上げた。

「今度は学び舎で会えるといいな。ええと、ソールシウス・エグランティウス」

 試しを受けた者同士が交わす会話としては、ごくありふれたもののはずだ。だが、その言葉はソールの心に強く響いた。

「……そうだな。次は学び舎で」

 胸の裡に湧き上がるものを抑え込み、ソールはどうにかそう答える。

 そして扉を開くと、後ろを振り返ることなく部屋の外に歩み出た。




 暗い部屋から出ると、春の終わりの陽光が眩しく眼を射た。

 暖かな午後だった。中庭に面した回廊にはさんさんと日の光が差し込み、風に乗って遅咲きの林檎の白い花びらが舞い寄せる。

 まだ夏までには間がある。だが、今日の陽気は夏の輝きを思い起こさせた。


 ――すべてはあの夏至祭の競技会からはじまったのだ。


 夏の日差しを受けて輝いていた飛竜の翼。熱狂する観客。やがて訪れた重苦しい沈黙。そして、ただひとり、父に拍手を送っていたマルセリウス・ウォルシウス。


 空を舞う飛竜は力強く、ひたすらに美しかった。あの光り輝く空へ、父に続いて、いずれ自分も飛び立つのだ。そう信じていたこともあった。だが、その記憶も今は遠い。

 先ほど出会ったラウレンティウス・ウォルシウスは、あの日の輝きを体現しているように思われた。彼ならば明るく平坦な道をそのまままっすぐに進んでゆくのだろう。


 ソールは違う。

 曇天から舞い落ちる雪片、霜と闇に閉ざされた窓。

 色濃く落ちる影の記憶を引きずりながら、瓦礫の転がる道を少しずつ切り拓いて、のろのろと歩んでゆかなくてはならない。

 それでも、いずれはソールも光を手にするのだ。竜の心と触れあうことができた。それは何よりも確かな未来への約束なのではないか。


 あの夏の光は遠い。だが、手の届かないものでは決してない。

 胸の奥底に残る竜の心の残滓がちいさく瞬き、ソールを支え、導こうとしていた。


第2話「夏の光は遠く」、これにて完結です。

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