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メルデウスの御竜士  作者: 霧原真
第2話 夏の光は遠く
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1. 夏至祭の競技会

 ソールシウス・エグランティウス、八歳。

 その年の夏至祭は、彼にとって決定的な意味を持つものとなった。




 こんなにたくさんの竜を見るのは初めてだ。

 ソールシウス・エグランティウスは貴賓席から身を乗り出し、目を見開いて競技場の上空を見つめていた。

 色とりどりの飛竜が空を舞い、次々に競翔の開始地点へと集まっていく。

 今日は夏至の祝祭の二日目、御竜士(ぎょりゅうし)たちによる《競技会》が行われる日だ。

 先ほど午前の部の走竜による竜上試合が終わった。これから飛竜の競翔の決勝が始まり、その後、昼の休憩をはさんでもう一度竜上試合が催される予定だ。

 ソールシウス――ソールの父も、飛竜とその御竜士による競翔に出場することになっている。


(父上はどこだろう)


 ソールは懸命に父の――いや、正確には父の飛竜アウルスの姿を探していた。アウルスは紅鱗(こうりん)種、鮮やかな赤い鱗が特徴の、今では珍しいものとなっている品種だ。そう簡単に見逃すはずはないのだが、高いところを飛んでいる飛竜の色は少しばかり見分けにくいし、第一、こうもたくさんの飛竜がいては、目当ての一頭を探し出すのは容易ではない。


(あ!)


 赤い鱗がきらりと光るのが見えたような気がした。

 間違いない。父の飛竜だ。

 もう見失わないようにしなければ。ソールはその竜だけに目を据え、ひたすらその姿を追う。


 ドロドロと、太鼓を打ち鳴らす音が響き渡った。続いて喇叭が高らかに前奏曲の一節を吹き鳴らす。いよいよ競翔が始まろうとしているのだ。

 飛竜たちは列をなして横に並び、細かく翼をはばたかせながら空中に浮揚している。

 人々は息をひそめ、開始の時を待つ。

 太鼓が数を刻んで、ゆっくりと打ち鳴らされる。

 最後のひと打ちとともに、竜は一斉に空を駆け始めた。


 飛竜の競翔は競技場の上空を五周し、その速度を競うものである。競技場の上空には、ところどころに魔法の浮標(ブイ)が浮かんでいて、これが競翔の道筋を示している。さほど長い距離ではない。中距離での、速さを競う競技なのだ。

 ソールは父の飛竜だけを追っていた。出だしは悪くない。先頭の集団の中に、父の赤い竜は入り込んでいる。ただ、アウルスは紅鱗種、速さに特化した品種ではない。瞬発力よりは持久力にこそ優れている。こういった短い飛行で速さを競うのはいささか不利だ。


 二周したところで、空色のひときわ小柄な竜が先頭に踊り出た。おそらくは天藍(てんらん)種の飛竜だろう。後に続けとばかりに、七、八頭が集団となってこれを追う。ほとんどが青か、鮮やかな緑色だ。瑠璃(るり)(こん)種、あるいは翡翠(ひすい)種か。いずれも速く翔けることに特化した品種である。その集団の中に、赤い竜が一頭混じっているのが、ひときわ目を引く。父の竜はまだ先頭の集団から脱落していないのだ。


 三周目、そして四周目。先頭を飛ぶのは相変わらずあの天藍種だ。後に続く竜は徐々に数を減らしているが、父の竜はまだ食らいついている。

 ついに最後の一周に入った。先頭は変わらない。だがその後を追い続けている竜はもはや三頭のみ。その三頭のうちに父の竜が残っている。

 ソールの胸は早鐘を打つ。父は入賞を果たすのではないか。いや、入賞にはとどまらず、もしかしたら、土壇場で追いつき、先頭を切って終着点を超えるのではないか。

 最後の浮標を行き過ぎたところで、不意に父の竜が速度を上げた。赤いアウルスは二番目を飛んでいた瑠璃紺種を追い抜き、先頭をゆく天藍種に迫る。もう少しだ。ソールはこぶしを固く握りしめ、思わずその場に立ち上がった。


 あとほんの少し。しかしそこで先頭の天藍種はさらに速度を上げ、逃げ込むように終着点に飛び込んでいった。父の竜に追い越されたはずの瑠璃紺種がいつの間にか追いすがり、父を抜き去って終着点を超えてゆく。直前で追い越されはしたものの父の竜は速度をゆるめることなく、三位で競翔を終えた。


 抜けなかった。抜かれてしまった。それでも三位だ。王国でも選り抜きの竜と御竜士が競い合う中で、みごと三位になったのだ。

 誇らしさと、そして悔しさと。言いようのない興奮に包まれ、ソールは熱狂する人々の間で歓声をあげた。

 ふと、脇に座っている母に視線を移した。そして母の浮かべている表情に気づき、ソールははっと息をのむ。


 母は笑っていなかった。興奮してもいなかった。困惑したような、何か強い思いを秘めたような顔つきで、四歳になる妹を片腕で抱き寄せて、ただひたすら正面を見つめていた。

 どうしてそんな顔をしているのだろう。父の入賞が嬉しくないのだろうか。

 不思議に思いながらも、ソールは母に声をかけることができなかった。ただ、母の横顔を眺めるばかりだった。



 競技場は興奮に包まれていた。

 上位五名の者は、その栄誉を称えられ、国王から直接表彰される。勝利者たちは競技場に降り立つと、竜を競技場の中央に残して、中央正面の貴賓席の前に横一列に並び、自分の名が呼ばれるのを待っていた。

 呼び出し役の侍従に名を呼ばれると勝利者は順に王の前に進み出て、勝利の証であるラウルスの花冠を授けられる。

 五竜家のひとつ、エグランティウス一門の宗家たるソールの一家には、正面近くの貴賓席が与えられていた。ここからならば、国王陛下の様子も、勝利者たちの表情もはっきりとわかる。

 表彰は第五位の者から始められた。国王の手によって勝利者の頭上に勝利の冠が載せられるたびに、観客席から喝采が湧き上がる。

 いよいよ父の番だ。呼び出しの声が高らかに競技場に響き渡った。

「第三位、飛竜アウルスと御竜士ロサリウス・エグランティウス」

 その名が響いたとき、観客席のどよめきは一斉に静まった。

 重苦しい沈黙。そしてその後には、押し殺したように囁きあう声が続いた。


「エグランティウス?」

「いや、まさか」

「そう言えば聞いたことがある。十年ほど前だったか……」

「赤い竜に赤毛の御竜士。あれはたしかにエグランティウス家の……」


 何だというのだろう。

 闘技場を包む異様な雰囲気に、ソールはただただ当惑していた。

 重苦しい空気が流れる中、父は毅然として頭を上げ、国王の前に歩み出る。

 娶ったばかりのうら若い王妃をその横に従え、壮年の国王は眼前に膝をついている赤い髪の御竜士に勝利の冠を授けた。

 突然、拍手の音が静寂を破った。

 王の眼前に並ぶ御竜士のうち、一番右に立っている人物――一位で到着したあの天藍種の御竜士が、拍手を送っている。

 ややくすんだ金色の髪を持つ小柄な男だ。驚いたように振りかえったソールの父にそっと目配せし、男はさらに手を叩き続ける。

 一番の誉れを得るべき御竜士が拍手を送っている。これは祝うべき場面なのだ。

 そう判断したのだろうか。後押しされるように、ちらほらと手を叩く者が現れはじめた。

 ソールの周囲、エグランティウス家に与えられた席のまわりでも、ようやく宗家の当主を讃える声があがり始めた。

 競技場がようやくもとの賑やかしさを取り戻したところで、第二位の御竜士の名が告げられる。元通りの明るい雰囲気の中、表彰は進んでいった。


 だがソールの胸の中には、どうにももやもやとしたものが湧き上がっていた。


 父の勝利は歓迎されてはいない。

 母はそのことを知っていた。だからこそ、父が入賞を果たしたと知ったあの瞬間、母はあんな表情を浮かべていたのだ。

 ソールは飛竜の御竜士に憧れていた。いずれは自分も父のように御竜士となって飛竜とともに空に生きる。そんな未来を思い描いていた。だがそれは、もしかしたら望むべきものではないのかもしれない。

 だがそれならば、何を望み、何を目指せばいいのだろう。


 はっきりと見えていたはずの未来が、にわかに遠く、おぼろにかすんでゆく。ソールは初めて、自分の将来に対して不安を感じていた。



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