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メルデウスの御竜士  作者: 霧原真
第1話 望むは遥けき蒼
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4. 空へと続く道

 ラルは館の見張り塔の最上部で、空の彼方を見つめていた。

 真っ青な空に、綿のような雲がいくつか、ぽかりぽかりと浮かんでいる。初夏の陽光を受けて、雲はまばゆいばかりに白く輝いていた。


 こうして空を眺めていると、姉アリエラが初めて自分の竜とともに館に戻ってきた日のことを思い出す。

 あれから六年が過ぎた。

 今、ラルは、自分の将来を決める重大な知らせが届くのを、期待と不安に胸をざわめかせながら待ち構えている。


 十日前、ラルは候補生の試しを受けた。

 今年の受験者がすべて試験を終えるまでは、合否が知らされることはない。公平を期すための処置であるというが、待つ身にとってはどうにも落ち着くことのできない日々が続いていた。

 試験の手ごたえは悪くなかった。きっと大丈夫だろうと思う反面、やはりだめだったのではないかという不安が、日毎夜毎にこみ上げてくる。

 空き時間にこうやって見張り塔に登ってしまうのは、そわそわして他のことが手につかないからだ。合否を報せる手紙を携えた使者が、今にも到着するのではないか。そう思い続けて早十日、いまだに連絡は来ていない。

 御竜士になることが幼いころからの夢だった。

 長兄の飛竜に乗せてもらったあの日、その夢は具体的な形を持ったものへと変わった。そして今、候補生の試しを終えて、その思いはますます堅固なものへと育っている。

 試しの中でラルは竜の心に直接触れた。

 そして理解した。なぜ、メルデウスの人々は御竜士になることを選んできたのかを。



「次、ラウレンティウス・ウォルシウス」

 彫刻が施された木製の扉が開き、試験官がラルの名を呼んだ。

 廊下に控えていたラルは椅子から立ち上がると、指示に従って部屋へと入る。

 正面に小さな卓が置かれていた。その周りを半円状に取り囲んで、七人の試験官が座っている。

 試験官たちの額の中央には深紅の竜珠が輝いている。みな御竜士なのだ。

「もう少し前へ」

 促されるままに、ラルは正面の卓の前まで進み出た。

「これが何かわかるかね?」

 正面中央に腰をおろしている人物が、卓の上に置かれたものを手で指し示した。

 ラルは卓の上に置かれたものに視線を落とした。

 濃い紫のびろうどで作られたクッションの上に、頭環(サークレット)がひとつ、置かれている。

 中央部分に輝く深紅の宝玉を除いてはこれといった装飾もない、素朴で地味な細工物だ。


竜珠環(りゅうじゅかん)です」

「そのとおりだ」

 頭環の中央に嵌められている深紅の石は、竜珠。御竜士の額に輝く宝玉と同じものである。

 環を形作っている銀色の金属は、神授銀。魔力を溜め込む力に優れた、特殊で貴重な金属だ。

「君にはここでこの竜珠環を身に着けて、竜と交信してもらおう。これをもって『資質の試し』とする」

 資質を持つ者であれば、頭環を飾る竜珠を提供した竜と心を繋ぐことができる。しかし資質を持たない者が竜珠環を身につけたとしても、何の効果も現れない。資質を見極めるために、候補生の試しにおいては、竜珠環による選定が必ず行われているのである。


 ラルは竜珠環を手に取り、そっと頭に載せる。

「竜珠が額の中央に来るように」

 試験官の注意に従い、ラルは頭環の位置を調整した。


 最初は特に何も感じなかった。

 だが次の瞬間、ラルは自分の意識の中に、何かが“いる”のを感じ取った。


 今までに感じたことのない感覚だった。自分のものではない何かの気配が――頭の片隅か胸の奥か、それとも腹の底か――ともかく内側のどこか深いところに、ふいに、ぽんと現れ出た。

(これが……竜の心なんだろうか)

 そうぼんやりと思いついたとき、明るいものがはじけたような感覚が、その内なる気配からあふれ出した。

 次いで訪れる、肯定の念。

《然リ》

 厳密には、それは言葉ではなかった。だが、言葉に直せばそう表わされるであろう“ひらめき”が、ラルには確かに感じられた。


「さて、ラウレンティウス・ウォルシウス。君と接触している竜はどんな姿をしている?」

 試験官の問いを受け、ラルは自分の内なる気配に意識を向ける。

(あなたはどんな竜なんだ。どんな姿をしている?)

《目ヲ閉ジヨ。ソシテ、視ヨ》

 内なる気配はそう伝えてきた。その“声”に従って、ラルは目を閉じた。


 自分の感覚の上に、何ものかの感覚がかぶさってくる。


 竜がいる。

 いや、自分が竜だ。

 太い後肢に比べると、前肢はやや小さい。尾は太く長く、背には一対の翼。翼は今はたたまれているが、開けば大きく、力強く空を翔けるだろう。

 体を覆う鱗は黄金の色。明るくまばゆい、太陽のしずくのような色だ。


 ――今日は暖かで、よい日だ。

 気持のいい午後だ。遅咲きの林檎が白い花びらを散らしている。

 心を重ねることに不慣れな人間の子供が、頻繁に訪れては去っていく。わずらわしく、なかなかに疲れるものではあるが、面白くもある。

 そう、子供は面白い。何度繰り返されても、意外と飽きないものだ。決して悪くはない――


「……金色種の飛竜です。金色の鱗に、大きな翼。けっこう年をとっているのかな。太陽が暖かくて、林檎の花びらが散っています」

 ラルは自分の得た感覚を言葉に置き換えてゆく。

「ほう……」

 試験官は興味深そうに相槌を打った。

「では次に。その竜の名前は?」


(あなたの名前は?)

 ラルの問いに、内なる気配は穏やかな調子で答える。

《あうれんでぃあ》

 それが『輝きの娘』を意味していることを、ラルは同時に感じ取っていた。


 ――いつもながら面白いものだ。私の姿を見、私の名を尋ねよと申し渡されたのだろう。たわいもない試しだが、感じとる力を持つ者であるかどうかを見極めるには、たしかに有効ではある――


「アウレンディア、輝きの娘」

「ふむ……」

 試験官の声には、何やら考え込んでいるような響きがあった。

「君は、以前に竜珠環を使用した経験はあるか?」

「いえ、今日が初めてです」

「なるほど」

 試験官は互いに顔を見合わせ、何かを囁きあう。


「それでは竜珠環をはずして、もとの場所に置きなさい。『資質の試し』はここまでとする」

 ラルは頭の左右を手で挟み、竜珠環をそっとはずした。同時に、あの内なる気配が、ふっとかき消えた。

(あ……)

 あるべき何かが失われた。最初に訪れたのはそんな感覚だった。

 少し遅れて、めまいが襲ってきた。目がまわり、大地が揺らぐような感覚に、思わずしゃがみ込みそうになる。

(いけない。竜珠環をもとの場所に置かないと)

 手の中にある頭環は貴重で高価なものだ。取り落とすわけにはいかない。

 傷つけることにでもなれば、あのアウレンディアに何か悪い影響を与えてしまうかもしれない。それは決して許されることではない。

 めまいをどうにかこらえて、ラルは竜珠環を卓の上にそっと戻した。だが、我慢がきいたのはそこまでだった。


 その場にしゃがみ込んだラルに、末席についていた試験官が急いで歩み寄ってきた。

「……すみません。めまいが」

「気にしなくていい。慣れない者にはたまに起こることだ」

 試験官はそう言うと、気遣うようにラルの背を軽くさすった。

「筆記と実技はすでに終えているな。君の『試し』はこれで終了した。気分が収まるまで別室で休んでいきなさい。結果は後日報せることになるだろう」




 彼方の空に、黒いしみのような点が現れるのを、ラルは認めた。

 点は次第に大きくなり、やがて大きな翼がはっきりと視認できるようになった。

 翼は間違いなくまっすぐこちらへ向かって飛んできている。気まぐれに飛んでいる鳥などではない。

 ラルは胸の高鳴りを抑えながら、塔を下りる階段を走り降りていった。


 執事を探し出して声をかけると、ラルは一緒に竜翔口へと向かった。

 飛竜はすでに到着していた。訪れた使者は、今は竜舎の下働きの者と言葉を交わしている。

 新たに現れた人影に気づくと、使者は向き直り、姿勢を正した。

「アリアス・ウォルシウス殿に仕えている方ですか?」

 使者の問いかけに、執事アルビウスは謹厳な態度で答えた。

「はい。当家の執事でございます。不在中の主に代わって、御用の向きを承りに参りました」

「御竜士評議会からの早便です。しかと受け取られよ」

 そう言って、使者は手にしていた封書と巻物を差し出す。その巻物を見て、ラルは大きく息を呑んだ。

 羊皮紙製の巻物は、五色の糸で編み上げた紐が巻き紐として使われていた。

 紐に使われている五色は、五竜家に属する五つの家系を象徴している。格の高い正式な通達物にしか使われない、特別なものだ。

 不合格の通知ならば封書のみで足りるはずだ。保存性の高い羊皮紙が使われ、格式高い紐が巻き紐として使われている巻物。その意味するところは――

「おめでとうございます。アリアス・ウォルシウス殿のご子息は、候補生として学び舎に迎え入れられることとなりました。こちらはその証明書と手続きの書類です」



 竜翔口の端に立ち、ラルはひとり、暮れゆく空を見上げていた。

 先刻、使者は去っていった。館は喜びで沸き返っている。

 夢は叶った。望んでいた将来へ続く道は今、確かなものとなって目の前に開かれている。

 かつて長兄が連れていってくれた空は、いずれ自分の生きる場所となる。

 そう、自分自身の竜とともに、ラルは空を翔けるのだ。


 竜の心に触れたあの日、ラルは竜とともにあることの真の意味を垣間見た。

 あの竜、アウレンディアの心にあったのは喜びと輝きだった。

 竜の心に繋がっている間、ラルは今まで知ることのなかった幸福を感じていた。


 どこか心の片隅に光の塊があって、そこに触れるたびに明るくあたたかい何かがあふれ出てくる。

 自分ではない“誰か”が常に寄り添っていて、言葉にするよりも前に覚り、心を満たしてくれる。


 竜珠環をはずしたとき、何かがぽっかりと抜け落ちたような感じがした。

 不思議な話だ。今までずっと自分ひとりの心だけで生きてきたはずなのに。


 御竜士の人生には、危険と困難が待ち構えている。いったん竜珠を額に埋め込んだならば、後戻りすることも許されない。

 その痛みや苦しみは、誇りや名誉や義務感だけで補えるものではない。それでもメルデウスの人々は、御竜士になることを選んできた。

 それは、竜とともにあること自体が、喜びに満ちたものであるからなのだ。


 輝ける心とともに、果てなき空へと向かおう。

 今、目に映っているのは、茜色に染め上げられた、夕闇迫る空。

 だが、ラルの心にひろがっているのは、光あふれる遥かな蒼穹の記憶だった。


第1話『望むは遥けき蒼』、これにて完結です。

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